第十八話
「兄貴」
ドタドタと足音を響かせ、ひょろりとした男が入って来る。こっちはただのチンピラだろう。威厳もなければ緊張感もない。
「ハル、どうした?」
「おっ、野郎、ロープを外しやがったんですか?」
クララが自由になっているのに気付き、睨み付ける。ボギーがすかさずハルを横蹴りした。
「馬鹿が、レディを相手に野郎とは何事だっ」
「……レディ?」
「ガキには手を出すな。いいか、命令だぞ」
「……はぁ、そうおっしゃるんでしたら」
「で、何だ?」
「あっ、そうそう、ボスから連絡が入ってるんです」
(ボス……そうか、この人たち雇われてるだけなんだ)
黒幕は他にいるのだ。
「……そうか」
ボギーが険しい表情を見せる。
「悪いな嬢ちゃん、おとなしくしててくれ」
ボギーはハルをその場に残し、部屋を後にした。ハルはボギーを見送ると、改めてクララを見遣った。
「レディねぇ」
上から下まで眺め、馬鹿にしたような態度でクララの周りを一周した。
「ただのガキじゃねぇか、なぁ?」
クララに同意を求める。否定も肯定も出来ず、クララは顔を伏せた。
「お前、歳、幾つだ?」
「……十二歳です」
「けっ、やっぱガキじゃねぇか。泣きわめいてちびってるのが普通だぜ? 誘拐されたって自覚あるのかよ、鈍いんじゃねぇのか?」
「……わかってます。自分の置かれてる立場くらい」
「殺されるって事もか?」
「……ええ」
「じゃあ泣けよ」
「嫌です」
即答する。
男の……ハルの表情が変わる。
「……可愛くねぇガキだぜ」
この状況下で、こうもハッキリ自分の意見を口にするクララに対し、驚いていた。ボギーが手を出すなといった意味が分かる。あれは、クララに対する敬意だ。
(随分若い人ね)
クララは、ハルと呼ばれた青年をじっと観察した。ボギーと違って、怖さはない。頭はよさそうではないが、彼は根っからの悪人というわけではなさそうだった。少々ひねくれているだけで、自分に危害を加えるようなことは、多分ないだろう。
「ハル……さんですか?」
名を呼ばれ、ハルが面食らったように目を見開く。
「な、なんだよ」
「いえ……あの……」
何を言おうというのだろう。ただなんとなく、話しかけたかったのだ。そう、不安だから。
「ご家族は?」
馬鹿げている。下手をすれば相手の機嫌を損ねてしまう質問だ。普通、こういう職についている人というのは、幸せな幼年期を過ごしてなどいないのだから。
「そんなもん……いねぇよ」
案の定、ハルは顔をしかめる。
「ごめんなさい」
クララは素直に謝った。怒ったかもしれない、と思ったのだが、ハルはすぐに何もなかったようにタバコをふかし始めた。
「親父さん、かなりやり手らしいな」
「……ええ」
「おふくろさん心配してるだろうな」
「……母は亡くなりましたから」
「……そうか」
「はい」
「……苦労してんだな」
「……別に」
なんとなく沈黙の時間が流れる。ハルとて誘拐に手を貸すのが初めてではない。残虐非道な人殺しだって見たことがある。だが、こんな風にその対象と世間話をするのは初めてであり、ガキのくせに妙に落ち着いた奴を見るのも初めてだった。
子供でありながらに、大人顔負けの態度を取るというのは、本来ならイラつく原因でしかない。ませたガキというのは、自分を大きく見せるために強がっているだけだ。だがクララは違う。上辺で大人ぶっているのではない。母とは死別。敏腕刑事の父を持ち、もしかしたら事件に巻き込まれたことも、初めてではないのかもしれない。子供でいることを許してくれない環境、という意味では、ハルもそうだったから、わかる。
「……後悔……してるか?」
「後悔?」
「そんな親の下に産まれちまった運命ってやつを、よぉ」
「そんなっ! とてもいい父ですっ。母だって、記憶にはあまりありませんけど、とても優しいいい母だったって聞いてます。後悔なんて……」
「けどよぉ、何でもない普通のサラリーマン家庭に生まれてれば、こんな目には遭わないですんだかもしれねぇじゃねぇか」
無理に大人になる必要もなく、もっと子供らしく生きられたかもしれない。
「……後悔してらっしゃるんですか?」
「えっ?」
「ハルさんは、何か後悔してるんですか?」
「俺か? ……俺は後悔ばかりだな、多分」
「多分?」
ハルは小さく溜息をつき、今まで自分がしてきたことを、何となしに思い返していた。引ったくりや恐喝を繰り返していた幼年期。いつしか、パシリとはいえ殺しの手伝いにまで手を染めるようになり、この世界から抜けられなくなっていた。もっと普通の家に生まれていたら、両親が自分を捨てたりしなかったら、誰かに愛されていたなら、自分は幸せな一生を送れたかもしれないと。
「感傷だな」
ガキ相手に真剣になっている自分に気付き、頭を振る。馬鹿気ている。下手に情など湧いてしまったら、いざ殺すときに厄介だ。他人に深入りすることは、この世界ではタブーだ。嫌というほど知っている筈なのに。
「ハルさん?」
急に瞳を翳らせたハルを心配し、クララ。
「俺は外にいる。兄貴が戻るまでおとなしくしてろよ」
そっけない態度でハルが呟いた。
「ハルさん……」
ハルはクララの声には答えず、きびすを返し、とっとと部屋を後にしてしまった。外から鍵を掛ける音が聞こえる。これでまた、一人ぼっちである。
「……もっと話がしたかったのに」
仲良くなれそうな気がしたのだ。ハルは寂しそうな瞳をしていた。もっと話を続ければ、彼のために何かしてあげられるような気がした。彼の求めているものを、彼の考えていることを、少しでもわかってあげられたらいいのに、と。
カルロからは、人間がいかに醜く、汚い生き物であるかを教えられて育ってきた。罪を犯す動物は人間だけだ、と。欲のためなら手段も選ばない、それが犯罪者なのだ、と。だが、クララは人間というものが嫌いではない。
傷ついているのだ。みんな。生まれついての悪人などいない。
信じたかった。
(私に出来ることがあればいいのに……)
力もなく、地位もなく、ましてや人生たかだか十年程度しか経験のないちっぽけな存在。
(だけど……ううん、だからこそ、私にしか出来ないことだってあるはずなのに……)
おせっかいはサカキの影響だろう。
(何か……したい)
いつの間にかハルに対して親近感が湧き始めていた。自分の置かれている立場など、とうの昔に忘れてしまっている。今はもう、「彼の心を救いたい」という使命感にも似た思いにどっぷりと浸かっているクララであった。




