第十四話
その日は晴れていた。
週間天気予報も、来週まで毎日晴れマークだ。
ボギーはサングラス越しに太陽を見上げ、溜息を付いた。溜息と一緒に、タバコの煙を吐き出す。
「嫌な天気だぜ」
殺し屋にお天道様は似合わない。セロトニンは健康的過ぎる。光合成も必要ない。本来、裏家業の人間は、太陽が登っている時刻には仕事をしないものである。が、今回のターゲットは一般人。しかも学校に通っているガキだ。仕方がないと言えば、仕方がない。せめて曇りなら良かったのに、と思うボギーだった。
「兄貴」
黒塗りの車から降りてきたのは、ハル。ボギーの仕事を手伝っている、パシリである。
「そろそろ時間ですぜ」
童顔なのが嫌で、髪をむりやり立たせ、皮ジャンにジーンズという、チンピラの典型的スタイルを気取っている。
「よし、行くか」
タバコを落とし、踏み付ける。時計の針は、午後二時を廻ろうとしていた。
*****
マクレ三番都市警察署前、公園通り。
麗らかな風が流れる昼下がり、肩を並べてベンチに座ってているのは、サカキとカルロである。缶コーヒーを片手に、通りを行き交う人たちを何とはなしに眺めている。昼休みも終わるころとあって、会社員たちが急ぎ足で食堂から会社へと戻って行く姿が目立っていた。
「……世話になったな」
柄にもなく、サカキが礼など述べる。カルロは意外そうにサカキを見つめ、そして肩を叩いた。
「驚いたよ。だが、感心した。昔から面倒見のいい奴だとは思っていたが、まさかこんなことを始めるとはな」
サカキがカルロに頼みごとをすることなど、滅多にあるものではない。だが、今度ばかりはカルロの名声に頼るのが、一番手っ取り早かったのだ。
保証人。それも養子縁組みの仲介人になるには、それなりの地位が必要だった。その点、警察署に勤めているカルロは最適の人物だ。虐待の物的証拠を裁判所に突き付け、ヴィグの父親とも話が付いた。後は法的手続きの完了を待つばかりである。
「お前も父親……か」
嬉しそうに目を細め、カルロ。カルロはカルロで、サカキの事をずっと気にかけていた。サカキがアルロアを愛していたことも知っている。だが、いつまでもそのことを胸に抱いたまま、結婚もせずに独身を通すというサカキの思いは、カルロにとって重荷でもあった。人間は、全ての記憶を抱いたまま生きていくことは出来ない。忘れるという方法を知っているからこそ、前に向かって生きていける。なのにサカキは、全てを抱いたまま生きようとしていた。カルロにはそれがとても辛く、悲しい生き方に見えていた。
「父親だなんて思っていないさ」
ポツリ、サカキが呟いた。
「私は、父親になどなれない。なれるはずがない」
「……そんな、お前」
「ヴィグを愛することは出来る。だが父親になど到底なれないさ」
「なぜそう思う? 血が……繋がってないからか?」
「そんな事は問題じゃないが、親子の絆というものは、簡単に出来るものじゃないんだ。何年も、何十年も経って、それこそ死ぬ間際になったときにわかることだろう?」
もしかしたらヴィグに、昔の自分を重ねて見ているのかもしれない。サカキ自身、家庭にはあまり恵まれてはいなかった。産みの親と、育ての親。家族であることの難しさは、誰より知っているつもりだ。
「……あまり深く考えなければいいさ。ヴィグはお前に懐いているんだろう?」
「……いつか疑問を抱くことになる」
親戚でもない、赤の他人に引き取られたことに。
「……それはそうとカルロ、お前、来月のあの日はちゃんと空けてあるんだろうな?」
「あの日?」
「クララの発表会だ」
カルロは
「ああ」
と曖昧に返事を返した。職業柄、どうしても「必ず」などというわけにはいかない。だがここでそんな事を言おうものなら、何時間サカキの説教を喰らうかわからない。とにかくクララの事になると、実の親である自分よりも真剣になるのだから。
しかし、そのおかげで安心していられたのも事実だ。父子家庭であり、しかも昼夜問わず、平気で家を空ける刑事だ。クララには寂しい思いばかりさせている。その穴を埋めてくれるのは、サカキだ。
「クララの事、これからは俺がちゃんと見てやらなきゃな」
今まで散々サカキに甘えていたのだということを、つくづく感じた。そのサカキも、ヴィグという息子を持つようになる。クララにばかりかまけてはいられなくなるだろう。
「……何を言うか。クララの事は俺に任せろ。何ならクララも養女に」
「おいおい、冗談だろ?」
カルロが慌てて首を振る。
「……冗談だ」
半分は本気である。後の半分は……もちろん「妻に」と考えている。カルロは知る由もないだろうが。
「しかし……ピアノを習いたいと言い出したときはどうしようかと思ったが、ここまで上達したんだったら、やらせた甲斐があったというもんだな」
「アルロアの血を引いているんだぞ? ピアノとの相性が悪いわけなかろう」
ふんぞり返って、サカキが言う。
ピアノを薦めたのは、サカキだ。若かりし頃のアルロアの姿を、クララに重ねたかったのかもしれない。例えそれが虚空の、一瞬の幻であっても忘れたくはなかったし、クララにも知ってほしかった。母との接点、唯一の繋がり。カルロは、忘れることで自分の心を救おうとしている。だがサカキは対照的に、覚えていることで自分を救おうとしていた。アルロアの記憶こそが、生きる原動力だ。
「さて、そろそろ戻らないとな」
カルロがベンチから立ち上がる。サカキもゆっくりと立ち上がった。
「忙しいのか?」
サカキの質問に、カルロが少し間を置いて答える。
「今はそうでもない。だが、変な手紙が届いてな」
ピクッ
サカキの耳が、一回り大きくなる。
「……変な手紙とは?」
高揚する心臓の音を悟られないように、必死で平静を装う。
「悪戯の可能性も高いが、ちょっと怪しい手紙なんだ。まだ何も起こってはいないが、警戒する必要がある。今日もこれから会議だよ。じゃあな、サカキ」
走り去るカルロ。
引きつった笑顔を浮かべたまま、立ちつくすサカキ。高笑いしそうになるのを、我慢しているせいだ。サカキは完全に誤解していた。
(……怪しい手紙……)
「やっぱりだ」
押さえていた笑いが、込み上げて来る。カルロは、いや、マクレ三番都市警察署はあの予告状を読み、びびっているに違いない、と都合よく解釈した。
(……ふふ、デオドルラヴィーセウルコーポレーション総帥、ナイトキースはここだぞ、カルロ!)
「ヌハハハハハハハハ」
(そうか、びびっているのか。やっぱりな!)
「うはははははははははははははは」
養子縁組みなどして、正義に走っている場合ではない。予告状のせいでびびりまくっている警察に、まだ何の事件も与えていないのだから!
「笑っている場合ではなぁい! 早く次の作戦を練らなくてはならん。クララの発表会に間に合うように、次の事件も巻きでで決行だぁぁっ!」
拳を天高く振り上げる。
空は透き通るほど透明な、青であった。




