第八話 頭領からの頼みごと
平六に連れてこられたのは、館が建っていた場所から少し離れた竹林の中だった。竹林の中には小さな祠が建っており、その前に年老いた天狗の姿があった。腰も曲がり背丈も小さいが、彼こそが御山を取り仕切る頭領だった。
頭領は葵を目にすると、おいでと言うように手招きをした。葵はおずおずと前に進み出る。
頭領は緊張している様子の葵を落ち着かせようとしてか、しわくちゃの顔をくしゃっと歪めて優しげに微笑みかけた。優しいおじいちゃんといった雰囲気だ。実際頭領は優しい天狗だった。子供好きで、葵も小さい頃はよく他の子天狗たちと共に頭領に遊んでもらったものだ。
「頭領。あの、なんでしょうか?」
葵が問いかけると、頭領は突然膝まずいた。頭領は無事だと聞いていたはずだが、まさか大怪我を負っているのではと葵は慌てふためく。しかし頭領はそんな葵をよそに「折り入って頼みたいことがあるのじゃ」と言った。どうも怪我の痛みに耐え切れず崩折れたのではなく、ただ本当に膝まずいただけのようだった。しかし何故御山で一番偉い頭領に膝まずかれるのか。葵は当惑する。
「葵や。お主には、今回の襲撃者について詳しいことを調べて来て欲しい。じゃが、くれぐれも仇を取ろうなんぞとは思わんでくれ。奴の情報を集めることのみに専念して欲しいのじゃ」
そこで一旦言葉を切り、頭領はケホケホと小さく咳をする。いつの間にかそばに控えていた天狗たちが頭領の小さな背中をさすってやっている。
「今回の襲撃は、この御山だけの問題では収まらぬ。あやかしの世界全体においても重大な問題じゃ。いや、危機じゃ。平六から聞いたが、そやつは全てのあやかしをこの世から消し去ろうとしておるという。そんな暴挙は決して許してはならぬ。じゃが、真っ向からわしらだけで勝負してもさらなる犠牲を生むだけ。かと言って、何もしないのは死んでいった者らに顔向けができん。そこでまず、奴の弱点をつかみ、その情報を手土産に各地のあやかし勢力に奴の暴挙を止めるため呼びかけようと思うておる。あやかしというのは必ず勝てる戦でないと、なかなか重い腰を上げようとせぬ。その腰を上げさせるために、お主には勝てるという確証が得られるほどの奴の弱点や弱みを、情報を探ってきて欲しいのじゃ」
葵は真剣な表情で頭領の言葉を聞いていた。もちろんその頼みを聞き入れるつもり満々だった。制止の手を振りほどいてでも一人で御山を飛び出し襲撃者の足取りを追おうと企んでいた葵だったが、思ってもいない頭領からの頼みで堂々と足取りを追える。仇を取ろうなどと思うなとは言われたが、隙を見て刺し違えてでも皆の仇を討ってやろうと内心思っていた。
頭領はさらに言葉を続ける。葵はこれほど長いあいだ話す頭領を見るのは初めてだった。
「お主に頼むのは、他でもなくお主が人間だからじゃ。情報を探るということは奴の身辺を嗅ぎまわることになる。あやかしなら奴の目に付きやすいかもしれぬが、人間ならばそうそう気にもとめんじゃろうて。こういったことからも、お主がこの役に最も適任じゃとわしは考えたのじゃ」
そのあたりは葵が考えていたことと同じだった。人間だからこそ、葵がやるのが最も危険が少ないのだ。
葵はきっぱり頷いた。
「その頼み、引き受けさせていただきます。だから立ってください頭領。なぜ膝まずくんですか」
葵の言葉に頭領はようやく膝を地面から離した。頭領の優しげな目からハラハラと涙がこぼれ落ちる。
「こんな危険なことを頼むのが辛くてのう。お主は人であっても御山の子。御山の宝じゃ。そんな大切な宝を、危ないことに巻き込ませとうないのじゃ。じゃが、何か手を打たねば死んだ者に申し訳がたたぬ。かといってお主一人を犠牲にするようで......。すまぬのう、すまぬのう」
頭領はハラハラと涙を流し続ける。よく見れば頭領の目元は真っ赤だった。昨日あんなことが起こり、その優しい慈悲に溢れた心をきっと涙で濡らしたのだろう。
「頭領、そんなふうに考えないでください。俺は頭領に言われなくとも、奴に一矢報いてやろうと足取りを追うつもりだったんです。頭領が命じようとも命じなくとも、俺は結局行くことになっていた。だから泣かないでください。謝らないでください。むしろ頭領直々にそんなことを頼まれて光栄なんです。嬉しいんです。この任務、喜んで引き受けます」
葵は深々と頭を下げた。頭領は目元を拭い、葵の手をぎゅっと握りしめてきた。
「おお、山神様よ。この尊き御山の子に加護を授け賜え」