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天狗の弟子は空を飛ばない  作者: 藤咲芽亜
第一章 天狗に育てられた少年
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第六話 椿丸

 葵は館中を駆け回り。生き残った者の救出に当たっていた。生き残った者はいたが、それよりも死者の数が圧倒的に多かった。途中、幾度か親しくしていた者の亡骸を見つけては歯を食いしばって涙をこらえた。


 葵はまだ渡殿の方へ行っていないことに気づき、そちらにも助けを求める者がいるかもしれぬと足を速めた。


 館は中央の寝殿部を中心として壊滅状態にある。つまり寝殿部から離れれば離れるほど館の損傷は小さくなり、かろうじて原型も留めているということだ。それでも館は全体的に見る影もなくボロボロになり傷ついていた。


 渡殿へ向かう道には赤い血が点々と付いていた。怪我を負った誰かが移動した後のように奥へと続いている。おそらく最も被害を受けた寝殿部から遠ざかろうと逃げてきたのだろう。まだ生きているかもしれないと思い、葵は血の跡を追う。そうして渡殿へとたどり着いた。渡殿がほぼ原型をとどめていることに葵は少し安堵する。


 さらに渡殿へ足を踏み入れ、誰かいるかと叫ぼうとした葵の瞳に、赤い血しぶきが映った。


 渡殿が面した庭に誰かがいた。その人物の身体を黒い帯のようなものが無数に貫いていた。血しぶきが上がり、その人物はがっくりと仰向けに倒れ伏す。そこからそう離れていない場所に、肩に真っ黒な大型の鳥を乗せた青年が立っていた。


 葵は目を見開く。血しぶきを上げて倒れた人物は椿丸だった。椿丸の身体を貫いた黒い帯は、状況的に考えて青年によるものだろう。青年は不敵な笑みを浮かべている。ひどく凍てついた目をしていた。


 葵は頭が真っ白になった。突然のことに身体が動かなかった。そうしている間に、青年は背を向けてその場から立ち去ってゆく。青年の場所からは葵の姿が見えなかったのかもしれない。その背中は無防備だった。


 葵は男の背と血だまりの中に倒れる椿丸を交互に見た。その瞬間激しい怒りに囚われた。真っ白になっていた頭に血が上り、腰の太刀を引き抜いて男の後を追おうとする。その時、後ろから何者かに強引に押さえつけられた。邪魔をするなと葵は暴れたが、えらく強い力で羽交い締めにされる。


「落ち着け、葵」


 耳元で抑え気味の声に怒鳴られ、ようやく葵は暴れるのをやめる。誰か確認してみれば、先ほど地下室で一人でも多く助けろと指示を出していた大柄な天狗・平六だった。平六は言葉を続ける。


「椿丸さんでもかなわなかったんだ。お前や俺が出て行っても殺されるだけだ。ここは堪えろ」


 確かに平六の言うとおりだった。椿丸の戦士としての実力は御山でも名高い。その椿丸が敵わなかった相手に、葵が敵うはずもなかった。葵は歯を食いしばり、男の背中を見送った。


 男の姿が見えなくなると、平六は葵からようやく手を離した。葵が言うことを聞かずに飛び出すかと思って気が気ではなかったのだろう。


 葵は弾かれるようにして椿丸の元へ駆け寄った。


 血だまりの中で、椿丸は目を見開いて倒れていた。近づくとまだ息があることがわかった。しかしその息は弱弱しく、今にも途絶えてしまいそうだ。


「椿丸、大丈夫か?」


 葵が今にも泣きそうな声で椿丸のそばへ膝をつく。後ろから平六も付いてくる。


 椿丸は弱弱しく笑った。もう自分が長くないことはわかっていた。


「平六さん、すぐに地下室へ運ぼう。早く怪我の手当てを」


「葵」 


「椿丸、動くなよ。怪我に障る」


 葵自身そう言いつつも椿丸が助からないであろうことは薄々気がついていた。これまでも何人かの天狗を救出したが、椿丸の傷が一番深かった。


「葵、もっと顔を近づけろ」


 椿丸が右腕を上げた。


「こんな時に何言ってんだよ。早く手当てしなきゃ」

「手当てはいい。俺はもう助からん」


 伸ばしてきた椿丸の右手を、葵は握りしめた。幼い頃はよくこの右手に頭をガシガシと撫でられたものだ。手をつながれもした。暖かくて大きなたくましい手だった。それなのに、今の椿丸の手は冷たくて小さく見えた。


「すまねえな。こんなところでへばっちまうなんて。情けねえや。お前にもろくなことをしてやれなかった」


「そんなことない!」


 気がつくと葵は叫んでいた。照れ臭くて今まで言えもしなかった言葉が、次々と口をついて出てくる。


「もし赤ん坊の時椿丸に拾われていなかったら、御山に連れてこられてなければ、今頃俺はもうこの世にいなかったかもしれないんだ。椿丸は十分俺の世話焼いてくれたよ。面倒見てくれたよ。なのにさっきは、酒の席であんなこと言っちまって」


「それはもういい。謝らなくても、ちゃんと気持ちは十分伝わってるさ」

 

椿丸の手のひらが優しく葵の頬を撫でた。


「葵、そして平六、死ぬ前にどうしても言わなきゃならんことがある」


 最後の力を絞り出すようにして椿丸は言った。平六も「はい」と頷き葵の隣に座る。


「奴を止めろ。今回の襲撃者で、俺を殺ったやつだ。あいつは、この世からあやかしを消し去ろうとしている。それを許しちゃならねえ。そんなことになれば、この国のことわりが崩れちまう。」


 そこまで言ったところで椿丸は咳き込んだ。口から血が溢れる。


「もういい。無理してしゃべるな」


 葵は悲痛な声で言った。だが椿丸は言葉を続ける。


「葵、しっかりやれよ。俺が......いなくても、ちゃんと立派......に」


 葵の頬に当てられた椿丸の手から、力が抜け落ちるのを感じた。葵は慌ててその手を握りしめる。


「おい!」


 葵の呼びかけに、椿丸はもう答えなかった。何度も何度も呼びかけた。だが椿丸は、安らかに目を閉じたまま、もうピクリとも動かなかった。


 その夜、燃え上がる炎の中で、少年の慟哭の声が長く長く響き渡った。


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