6 鳥
マルス王国の貿易港アテルニアには、出発当初の予定どおり、正午を少し回った頃に入港できた。
昨日までは向かい風などに悩まされもしたが、追い風になった途端、予想以上に順調な航路だった。波が大きく荒れることがなかったことも有難い。遅れをあっという間に取り返していた。
ブライトヘイルとの定期貨客船は冬に向かうこの時期と、春の声を聞く時期は人の行き来が多い為に毎日運航していて、今日は出発時刻に海が荒れていて出港が遅れていたので、午後に出港することになった便に間に合いそうだった。
クラウディオは最低限の荷物を纏めて身軽く下船すると、貨客船への乗船手続きの為に船舶事務局へと急ぎ向かった。従者にやらせないで自らが行うところが彼らしい。
朝の内にエリックを捜しに出ていたミシェットだったが、陸地の姿が見えるまでに会うことができず、ようやく見つけたと思ったときには接岸準備で慌ただしくしていたので、話しかける機会を逸してしまった。
大きな衣装箱等はレディ・エスター号に載せたまま、ミシェット達は手荷物だけで乗り換えることになっている。
「こんなところでお別れとなってしまい、申し訳ありません」
別れの挨拶をする為にやって来たエリックが、いつものように膝をついて目線を合わせ、静かに頭を下げた。
いいえ、とミシェットは口ごもる。
「あの……エリック様。お借りしていたコートを」
借り物だから洗ってから返すのがマナーだったのだろうが、そのような時間はなかった。丁寧に畳んでいたものを差し出すと、エリックは少し考え、微笑んでそれをミシェットの方へと押し返す。
「よければ持っていてください」
「え?」
「順調にいけば、四日後にはわたし達も帰国できます。そのときまで預かっていてくださると嬉しいです」
再会の約束にしようというのだ。それに気づいたミシェットはそっと外套を抱き締め、こくりと頷いた。
「船室は取れたよ」
定員にはまだ余裕があったらしく、乗船手続きは滞りなく終わり、クラウディオが戻って来た。幸運なことに一等船室に空きがあったので、侍女も従者も皆そちらで二日半の航海を過ごすことになる。
エリカとジャンヌは侍女として宮廷に出仕していたが、元はきちんとした貴族の家の出なので、一等船室でとても満足そうだった。二等船室以下だった場合不機嫌になったかも知れない。
「貨客船なら、吊るした寝台ではありませんよね?」
船酔いの原因はハンモックの所為だと思っているらしいエリカは、ニーナに尋ねた。
それが聞こえていたクラウディオが「そうだよ」と頷いたので、彼女は僅かに恥じ入って申し訳なさそうに頬を染める。今までレディ・エスター号が通って来た海よりは大陸寄りを進むので波も高くなく、船酔いはそう酷くないと思う、と追加で説明されると、ますます頬を染めて礼を言った。
「おや? そういえば、もう一人の侍女は何処へ?」
一緒に下船した筈のジャンヌの姿がないことに気づき、クラウディオが尋ねる。監督者であるニーナもその言葉で気づいたようで、あら、と首を傾げてあたりを見回した。港は荷運びをしている水夫や商人に、乗船待ちの人々やその見送り人でごった返しているので、はぐれたのかも知れない。
捜して来ようかと思ったところ、そのジャンヌが人混みを掻き分けながらやって来た。
「何処に行っていたのよ?」
「ちょっとよそ見をしてたらはぐれてしまったのよ。エリック殿下のお姿が見えてよかったわ」
少し怒ったような口調のエリカに悪びれた様子もなく答えつつ、エリックの方をちらりと見上げた。
すっかり身長を抜かしてしまっているアーネストに、邪魔だ、狭苦しい、と言われて少々うんざりしている図体だが、この人混みの中では目印として役立ったらしい。無事に合流できてよかったと思う。
乗船合図の銅鑼が鳴り始めたので、エリックはミシェットを見送る為に彼女の小さな手を取った。その手をクラウディオへと渡す。
「ディオ異母兄上、妻を頼みます」
「うん。任された」
クラウディオはいつものふんわりとした鷹揚な笑みで応じ、受け取ったミシェットの手をしっかりと握り締める。
ミシェットが不安そうにエリックを見上げ、それからクラウディオに視線を移すと、彼は「わたしのことをエリックと思って甘えてくださって構いませんよ」と微笑みながら宣った。
「異母兄上……」
「そうだ。夫の兄なのですから、わたしのことも兄さんと呼んでください」
「お兄様……ですか?」
顔を顰めるエリックを気にしながら首を傾げると、クラウディオは嬉しそうに笑う。
「いいですねぇ。こんなデカくて可愛気のない弟でなく、可憐で愛くるしい妹が欲しかったので、夢が叶いました」
端からその遣り取りを見ていた侍女と従者達が、若い親子にしか見えないが、と思っていたが、それはお互いの胸の内にそっと納めた。
定期船は小型の船だったが、軍船よりはずっと居心地がよさそうな雰囲気だった。
乗船者の列に並んだミシェット達を見送っていると、船を任せていたコレットがやって来た。この船が出港後、少し時間を置いてこちらも出港することになっている。
「例の船は?」
「入港はしていないようです。姿も見えないので、沖の方で待機しているのかも知れません。船影を確認させる為の斥候は出しました」
斥候が戻った頃なら出港するのに丁度いい頃合いだろう。
「補給は済んだのか?」
「もう終わりますよ。元々必要ではなかったんですから」
軍船は島影など見当たらない遠洋を何ヶ月もかけて航行する。その為、干した肉を始め、硬くパサついた乾蒸餅や噛むのに苦労する乾酪など、士官以下の食事はかなり質の悪いものになることが多い。
今回は数日で寄港することが決まった航海だったので、保存食の積み込みは最小限に抑え、新鮮な食料をなるべく全員に行き渡るようにしていた。本当なら海賊討伐を終えて五日ほどの休暇になる予定だったところを引き留め、再び出港する運びとなってしまった為、少しでも不満を抑える目的もあった。
黴のないパンにありつけて乗組員は皆大喜びですよ、とコレットは笑う。
本来なら愛する者の手料理などに舌鼓を打っていただろう休暇を政治的な都合で延期させてしまい、心から申し訳ない気持ちのあったエリックは、これぐらいで喜んでいてくれるのなら御の字だ、と安堵する。
視線をもう一度ミシェット達のところに戻すと、あと数人で船に乗り込むところまで来ているようだった。
乗船口に立った係員にクラウディオが確認を取っていると、ミシェットが振り返ってエリックを捜しているような仕種をする。手を上げて振ってやると、すぐにそれに気づいたらしく、細い腕を高く上げて振り返してきた。
侍女達が慌てたようにミシェットの腕を下ろさせ、なにか言っている。はしたないとか、そういうことを諭しているのだろう。
「少し寂しくなりますね」
数日間ですっかりレディ・エスター号の甲板に馴染んだミシェットの小さな姿が見えなくなることを思い、コレットがしみじみと呟く。そうだな、とエリックも苦笑した。
六日前に婚姻宣誓書に署名し、夫婦になりはした。けれど、お互いのことをわかり合えるほどに親しくなってはいないし、夫婦どころか、友人として考えるにしても距離がある程度の仲だろう。
守ってやりたいと誓っているが、結局のところどういう関係を築いて行けばいいのか、エリックはまだ模索中だ。もう少し二人で落ち着いて話せる時間が欲しいところだった。
その為にもあの不審船とのことに早く決着をつけなければならない。
「――…鳥は、どうしたんですかね?」
ふと、コレットが呟いた。
「お前……目敏いなぁ」
少し呆れ気味に答えながら、ジャンヌが連れていた小鳥がいないことに気づく。
「連れ込みの許可を求めて来たときお傍にいたじゃないですか」
覚えてますよう、とコレットは笑う。マストに登るなと何度注意しても覚えてくれない上官と違い、記憶力はいい方なのだ。
ヴァンメールから乗り込むときにわざわざ断りまで入れに来ていた飼い鳥の籠が、今は彼女の手の中にないことは遠目にも確認できた。全員身の回りの品を最小限に纏めて手荷物だけで乗船している筈なので、貨物に預けていることもないだろう。そうなると、籠を何処かに置いて来たことになる。
逃げたのかな、とコレットは零している。
彼女達が寝起きしていた艦長室を何度か訪れたときも、籠には覆いが被さり、無駄鳴きもせず、静かな鳥だったのは印象にある。あまりにも静かだったので、逃げ出したりするような性質のものとは思わなかったが、やんちゃぶりを抑える為に覆いをしていたのだろう。
幼い頃から飼っていたと言っていたので、逃げたのならばさぞがっかりしていることだろう。それなら気の毒に、とエリックは思った。
「エリックさまー」
声が聞こえたので見上げると、乗船を終えたミシェットが縁から顔を覗かせている。あそこから顔を出しているとなると、ミシェットの身長から考えて明らかによじ登っている。
あれ以上身を乗り出すと危ないなぁ、と思っていると、クラウディオがやって来て隣に立った。落ちそうになったら引っ張り上げてくれるだろう。
「ロナン公爵! 陛下によろしくお伝えを!」
「ああ。急ぐよ」
微笑んで手を振ってくるが、声の調子には少しだけ厳しいものが混じる。
例の不審船は尾行して来るだけで、攻撃の意志は特になさそうに見えた。けれど、それがいつ変わるかはわからない。アテルニアを出港した直後に攻撃して来るかも知れない。そうなってしまえば、クラウディオが帰国してから大至急で出撃準備を整えさせたとしても、間に合うかどうかかなり際どいところだ。
お互いにそれはわかっていることだが、こうして二手に別れることが最善と思ったからこそ、今こうして定期船の出港を待っている。
エリックとクラウディオの緊張した様子が伝わったのか、ミシェットが不安そうに表情を曇らせた。
「間もなく出港ぉ致しまーす! ご乗船の方はぁお急ぎくださーい」
太い声と銅鑼が鳴り響き、出港時刻がもう間もなくだと知らされる。
上甲板の縁には、ミシェット達と同じように見送りの者と別れを告げる人々が押し寄せ、一気に人だかりができた。
あんなに片側に寄ると危ないのに、とコレットが文句を言っているが、これくらいでは転覆もするまい。
ミシェットの後ろに、乳母や侍女達もやって来た。小さな主人と同じようにこちらを見つけると、暇乞いのようにそれぞれ頭を下げる。
「ブライトヘイル王国で待っていますね。早く帰って来てください!」
大切に抱えている外套を見せながら、不安そうな表情のままミシェットが叫ぶ。
その言葉にはっきりと頷きながら、ふと、ミシェットの後ろで談笑している侍女達の姿が気にかかった。彼女達がなにをしたということもないのだが、なにかが引っかかるような気がしたのだ。
「出港ー!」
最後の合図である銅鑼が鳴り響くと、わあっ、と人々の声が高まり、エリックの思考を遮った。
聞き慣れた錨を引き上げる音を聞きながら、最後にミシェットの顔を見上げる。彼女は少し泣きそうな顔をしていた。その横で、任せろ、と自信たっぷりな表情で笑っているクラウディオの顔が、なんだか腹立たしい。
低く軋むような音を響かせながら、船がゆっくりと離岸して行く。その頭上を鴎がすいっと横切る。
(鳥――…)
ハッとして考えるよりも先に叫んでいた。
「降りろ、ミシェット!」
ミシェットが怪訝そうな顔をする。船はもう動き出しているというのに、いったいなにを言っているのだろう、と言わんばかりだ。クラウディオも隣で驚いたような顔をしている。
「来いッ!」
相手の考えなどお構いなしに両腕を差し出して叫ぶと、ミシェットは怪訝そうな顔をやめ、真剣な表情になって大きく頷いた。
「ミシェット様!」
小さな身体を縁へと押し上げる様子にニーナが悲鳴を上げるが、クラウディオがそれを制した。
ミシェットの様子に気づいた他の乗客達がざわつき、困惑したように下で腕を広げて待ち構えるエリックを睨んでいる。エリックのまわりにいた見送り人達も同様で、コレットでさえも青褪めて止めようとした。
やめろ、よせ、と乗客達から声が上がる中、ミシェットはよじ登った縁から思い切りよく飛び降りた。
女性客の悲鳴がいくつも響き渡る。男性客達からも悲鳴や怒号が巻き起こった。
空中に躍り出たミシェットの小さな身体は、僅かな滞空時間を経て、エリックの腕の中へと見事に納まる。まわりでまた悲鳴が上がった。
「ミシェット」
エリックの声がして、ミシェットはぎゅっと固く瞑っていた瞼をそろそろと開いた。
目の前にはもちろん見慣れたエリックの顔があって、それを認めたと同時に、急に涙が溢れてきた。
「――…エリックさま……」
「痛いところはないか?」
あんな高さから飛び降りたというのに、変にぶつけたところはないようだ。借りた外套をしっかりと胸に抱き締めたまま落ちたので、上手い具合に身体が丸まり、姿勢が綺麗なまま落ちることができたのだろう。
しゃくり上げながら頷くと、よかった、と呟いたエリックが下に降ろしながら抱き締めてくれる。それでもう我慢しきれなくなって、わんわんと声を上げて泣き出した。
「恐いことをさせてすまなかった」
謝って背中を撫で摩ってやりながら、エリックから言ったこととはいえ、よくあんな高さから飛び降りてくれたものだ、と妻の勇気に感心せずにはいられなかった。
「コレット大尉、受け取りなさい」
エリックとミシェットの様子に呆気に取られていたコレットを、クラウディオが離れて行く船上から呼びつけた。なんだ、と思うと、置いてきたミシェットの鞄を掲げ持ち、投げつけてきたのだ。
「わあっ!」
思わず悲鳴を上げて踏鞴を踏むが、なんとか落とさずに受け止めることができた。
この異母兄弟は心臓に悪いことばかりする、と心中で憤慨したが、仮にも国王の弟達に悪態をつくわけにもいかず、ひらひらと手を振っているクラウディオに非難の目を向けるだけに留めた。
腰を抜かしかけているニーナに手を貸しながら、クラウディオは遠ざかって行く異母弟の姿を見つめる。
恐らくエリックはなにかに気づいたのだ。その上で、こちらの船にミシェットを乗せておくことは危険と判断し、降ろそうとしたのだろう。
理由がなにかはクラウディオにもわからない。だが、変なところで疑り深い末弟が、なにかを感じ取ったのだということだけは長年の付き合いでわかっていた。
何故かとかそういう理屈を抜きに、危ないと思えば回避するし、安全だと思えばまっすぐに突き進む。考えて立ち止まったら負けだとでも思っているのか、その瞬間に働いた直感に従って行動するのがエリックだ。
「だから脳筋だって言うんだよ、お前は」
呆れたように零すが、その目には優しい光が揺らめいていた。
がくがくと膝が笑ったままのニーナをそっと座らせると、クラウディオは青褪めてへたり込んでいる侍女達を見た。彼女達は震えながら港を見つめていたが、クラウディオの視線に気づくと目を逸らし、身動きがとれないでいるニーナの心配を始めた。
騒ぎを聞きつけた船員がようやく駆け寄って来たが、落ちた女の子は港の方で無事に受け止めてくれたようだ、と説明すると、船員達も波止場にいるエリック達の姿を確認し、軽い注意をして去って行った。
港の方でも同様に管理の者からエリックが注意を受け、念の為に医者を呼ぶと言うのを、お抱えの船医がいるから大丈夫だ、と断ってレディ・エスター号の停泊しているところまで戻った。
「本当に心臓が止まるかと思ったんですから! 艦長だけならまだしも、奥方様にまで危ないことをさせないでください! なにかあってからでは遅いと、何度も何度も何度も申し上げていますよね!? 聞いてますか!?」
まだ泣き止まないミシェットを抱えてあやしつつ、後ろから吠えるように小言を言いながらついて来るコレットにげんなりする。しかし、今のは完全に自分が悪いと理解した上で、その小言を黙って聞いていた。
「……で、なにが原因なんです?」
一通り言って満足したのか、甲板に上がりながら尋ねられる。
いざというときは直感で動くことの多いエリックだが、あとから改めて問えば原因になったことを考えて説明してくれるので、今回もそれを求めている。
「鳥だ」
端的なエリックの言葉を怪訝に思って鸚鵡返しにすると、うん、と頷いたエリックが、抱えていた妻を傍の雨水貯水用の樽の上に降ろしてから説明するのに最適な言葉を捜す。
「ミシェット達を見送っているとき、なにか変な感じなのを感じていたんだが、わからなかった。お前の言葉で鳥がいないことに気づき、それが違和感だったと気づいた」
侍女の連れていた鳥のことだな、と先を促した。
「もし、あの鳥が、伝書用だったら?」
エリックは噛み締めるように尋ねてくる。コレットはその言葉でハッとした。
「奥方様が定期船に移乗したのだと、誰かに連絡を取った――ということですね」
誰かなどと濁して言っても、相手は追って来ている不審船に決まっている。
ああ、と頷くと、ミシェットが泣き濡れた顔を上げた。
「ミシェット、あの侍女達はいつから仕えているんです?」
尋ねてくるエリックの目つきが恐かった。ひくん、としゃくり上げながら記憶を辿り、昨年からだということを答えた。
貴族の娘達の中には、結婚前に宮廷へ女官として出仕して、礼儀作法などを学ぶことがある。それはヴァンメールだけの習慣ということではなく、ブライトヘイルでも同様の立場の若い娘達がいるので、恐らくどの国でも同じようなことをしているのだと思われる。
礼儀作法を学ぶだけではなく、同じく宮廷に出仕している有力な貴族との繋がりを作る目的もあるし、結婚相手を探すという意味もあって、若い娘達の女官奉公は家にとっても娘達自身にとってもとても重要なものなのだ。
エリカとジャンヌもそうして宮廷に入り、ミシェットの侍女となった娘達だった。
そのことに関してはよくあることなので問題はない。問題は、それが一年前からだということだ。
一年前、ミシェットの周囲であった変化といえば、アイリーンに男児が生まれたことだ。そして、ミシェットの身の周りで起こる小さな事故に危険性が増したのも、一年前からのことだと聞いている。
「もし、あの二人のうちどちらか、もしくは二人揃って、ミシェットを監視したり、傷つけたりする役目を担っていたとしたら……?」
嫌な言い方をするようだが、と思いつつも、こう疑わずにはいられない。コレットも同じ考えに至ったらしく、眉間に気難しげな皺を寄せた。
黙り込んだところで呼び笛の音が響く。不審船の偵察に出していた斥候が戻ったらしい。
外海側の甲板が騒がしくなり、偵察用の手漕ぎ小舟を引き上げた。
「あ、艦長! たぶんそろそろ動きます」
エリックの姿を見つけた斥候が大声で報告した。
不審船はやはりもっと沖の方で不自然に停泊していたらしいのだが、様子を窺って少しすると、出港準備を始めている気配があったという。それを確認して戻って来たのだ。
クラウディオ達が乗った定期船の船影を捜すと、まだ目視で確認できるが、もうだいぶ沖の方へと離れていた。
これで決まりだな、と頷き、コレットが出港を命じた。水夫達が慌ただしく動き始める。
「誰か、船舶事務局へ行って来てくれ。マルス王国海軍に出動要請を願いたい」
ここはまだマルス王国の領海で、船舶を護衛するならマルス海軍に要請するのが筋だ。
不審船のことが杞憂でなにもなければそれでいいが、万が一ということがある。百人以上の乗客と船員達が巻き添えで沈められるのだけは避けなければならない。
一筆添えるから、と紙を取りに士官室へと向かう。
「ミシェット、船室へ」
ついでに送って行こうと黙り込んだミシェットを立たせて背中を押し、今朝まで居室にしていた艦長室へ行くように促した。
ミシェットは侍女達の裏切りに信じられないと思いつつも、何処かで納得している自分がいることに、打ちのめされるように深く傷ついていた。