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蒼海の軍神と真珠  作者: 秋月 菊千代
1章 嫁入り編
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4 海上にて



 ヴァンメール公国を出港してから三日。

 大きな天候の崩れはなく、レディ・エスター号は穏やかな海を問題なく進んでいた。

 遅くとも二日後には、大陸の西端にあるマルス王国の貿易港アテルニアへ、補給の為に一時寄港するという。五日ぶりに見る陸地ということになる。


 普段の航海で十日ほどの日程だったら、補給などに寄港せず、そのまま目的地に進むのだが、今回は船旅に不慣れな女性達が同乗している。何日も船内に閉じ込められている疲労もあるだろうという判断で、日程の半ばほどで休息の為の補給をすることにしたのだ。

 補給を済ませたら、そのあとは何処にも立ち寄らず、ブライトヘイル王国の王都タウゼントの港を目指すことになる。アテルニアからは、ゆっくりの航海でも三日もあれば着くらしい。


「気分は悪くないですか?」


 また薄着で出て来たミシェットに外套を着せ掛けてやりながら、初めての船旅を経験している体調を気にかける。

 大丈夫です、と幼い妻は微笑んだ。


「最初の日は頭がぐらぐらしているような感じだったんですけど、もう慣れました。吊るした寝台も面白いです」

「それはよかった」


 ミシェットは船の揺れにすぐに慣れたのだが、侍女達はそうでもなかったようだ。恐縮の態で「醜態を晒して申し訳ありません」と言いながら、今も真っ青な顔で横になっている。比較的問題はないニーナはそんな二人の世話をしてくれているので、邪魔にならないように船室から出て来たのだった。


「航海は順調ですか?」


 何気なく尋ねてみるが、エリックの表情が僅かに曇る。


「あまり順調とは言えないですね」


 答える声の調子も暗く、元気がなさそうだ。

 天気もよく、海も穏やかだ。とても順調そうに見えるのだが、そうではないらしい。

 何故、と不思議に思って首を傾げると、持っていた海図を広げ、説明してくれる。


「今はこのあたりを進んでいるのですが、予定ではこのあたりを進んでいる筈だったんです。半日近く遅れています」


 当初の予定では、マルス王国への寄港は明日になる筈だったのだが、まだ遠いらしい。


「風向きが悪いんです。ただでさえ弱いのに、斜めからの向かい風ときている。このままじゃなかなか速度が上がりません」


 足の速さが自慢の船なんですが、と苦笑するエリックの横顔は、少し悔しそうだ。風を受けて勢いよく波間を切り裂いて進むレディ・エスター号を誇りに思っているのだろう。

 海のことも船のことも、ミシェットにはよくわからない。エリックが丁寧に説明してくれるので、うんうんと頷いて聞いている。


「艦長」


 海を眺めていると、副官のマーティン・コレット大尉が声をかけてきた。

 彼はエリックの陰にいたミシェットに笑顔を向けて軽く会釈すると、声を潜めて沖の方へ目を遣る。


「例の船ですが」

「ああ」


 エリックの声の調子が低くなったので、これはあまり聞かない方がいい話かも知れない、と判断して少し離れながら海の方を向いた。


「まだ来てますね。商船だとすると、航路が妙だ」

「そうか……では狙いはうちか」


 ヴァンメールを出港した翌日の夕刻頃から、後方をついて来ている船がある。一隻だけだが、一定の距離を保ってずっとついて来ているのがわかりやすく怪しい。

 航海士の腕がぼんくらで、同じ方向へ向かう船の進路に同乗しているというのだとしても、それは妙な話だ。あの大きさの船がそんなぼんくら航海士を雇うわけがない。

 商船なら他国の領海でも進行することができる。国際法で決められた距離の外洋を進まなければならない軍船と違い、それが許されているのだから、こんなに遠い海域を航行しているのもおかしい。


 港に立ち寄らないのも不思議だ。エリック達は友好国のマルス王国に立ち寄る予定だが、それよりも栄えている港は昨日のうちにいくつか過ぎている。

 遠方地へ商品を届ける直送船だとなるなら、国際法で定められた目印の旗を上げていないのもおかしい。その旗がない商船は、細かく港を経由しながら行き来するのが常だ。

 因みに、レディ・エスター号も今はその直送船の旗を掲げている。軍事行動中ではないという証だ。


「撒きますか?」


 舌打ちでも零しそうな表情で後方を見遣りながら、コレットが呟いた。様子を窺うようにつけられるのは二日だけでも鬱陶しい。そろそろ離れたいと感じはする。


「そうしたいのはやまやまだがなぁ……」


 エリックは苦笑するしかない。なにせ今は風も波も進路に味方せず、思うように速度が出ていないのだ。

 今のところお互いに攻撃の届く範囲ではない。船影をはっきり確認できる程度の距離で着かず離れずだ。


「一日二日ぐらいじゃ判断もつかんだろう。アテルニア港までついて来ているようだったら、対応を考えよう」


 寄港地まではあと二日程の距離だ。それまでにどう出るかで、この疑念も晴れることだろう。

 わかった、とコレットは頷き、そのまま踵を返した。


 お話は終わったのだろうか、とミシェットがこっそり振り向くと、エリックが膝をついて屈んでくれるところだった。


「コレットさんとお話は終わったんですか?」

「気を遣ってくれていたんですね、ありがとう。でも、気にしなくてもいいですよ」


 軍事機密を口にしていたわけではないので、聞かれていても問題はない。

 ミシェットは幼いながらも、エリックが仕事中かどうかという自分の基準を設けて動いているらしく、仕事中と判断するとそっと距離を取って近寄らない。そうでないときはなるべく傍にいようとしているようだった。

 子犬に懐かれているようだ、と微笑ましく思う。


 やはりこれだけ年が離れていて、ミシェットもまだ幼いとなると、どうにも夫婦らしくはなれないようだ。

 それもまたいい、とエリックは思う。これから先、成長したミシェットは、他に同じ年頃で好きな男ができるかも知れない。そのときには離縁も考えるし、恋を応援してやりたいとも考えるだろう。それまでは『白い結婚』のままでいる方がいい。

 今はまだ、父のようで兄のような、そんな距離感と感情で接していければいいのではないだろうか。


「わたしはティムのところに行きますが、ミシェットはどうします? 部屋に戻りますか?」


 後方の船のこともまだ気になるし、今後の針路を少し見直そうと思うので、航海士のところへ行くのだ。

 仕事の話のようだが、一緒に行ってもいいのだろうか、と悩むが、誘ってくれていると判断し、首を振ってエリックの手を掴んだ。

 外套を引きずるから、とまた抱き上げられて少し恥ずかしかったが、ミシェットはこの触れ合いが好きになってきていた。こうして欲しくて、実はまだ乳母にコートを出してもらっていないのだが、それはエリックには内緒だ。


 航海士の部屋は、ミシェットが過ごしている艦長室の下の階層にあった。ノックして扉を開けると、年若い航海士は観測窓から身を乗り出し、風向きを読んでいるところだった。

 扉を閉めて声をかけると、彼はようやく振り返る。


「ああ、艦長。奥方様も」


 望遠鏡を片付けながら海図や記録書の散らかった机へと戻り、空いている椅子を勧めた。


「後ろの不審船のことは聞いたか?」


 ミシェットを椅子に座らせてやりながら、コレットに言われていた話を持ち出す。はい、と頷いた航海士は、海図を開いて溜め息を零す。


「目障りだと、大尉が息巻いていましたねぇ。確かに奇妙な船ですが」


 一昨日の日暮れ時に見かけた船が、夜が明けても変わらぬ距離で航行しているのに気づき、コレットは怪訝に思ったのだという。エリックも同様だったが、コレットほどは気にかけていなかった。

 それが今朝もまだ同じ距離でついて来る。どう考えてもあとをつけられている、と気の短いコレットが憤っているのだ。


「これ以上大陸から離れるのは避けたいが、どうだ?」

「僕も同じ考えですよ。もう少し大回りをしても、あの船が離れるとも思えないですしね」


 距離を取れば日数もかかるようになる。ただでさえ予定が遅れているのだから、ミシェット達の体調のことも考えると、これ以上の遅れは避けたい。


「逆に、もう少し大陸側に寄せてみますか? 昨日から風を求めて動いていますが、上手く海流を捕まえられれば、少し予定が早められますけど」


 国際規定ギリギリの海域を進もうか、という提案に、エリックはしばし考え込む。

 今の状態からもう少し大陸寄りに針路を取ると、大小十二の島々で成るハイレン共和国の海域に接する微妙な場所に入ってしまう。あそことはあまり友好的な関係にあるとは言えず、できれば近寄りたくないのだ。


 もう少し早くそちらへ針路を取っていれば、多少安全な大陸とハイレンの間の海域を抜けられたかも知れなかったが、風向きと潮の流れがよくなかった。今からだと完全にハイレンの島々のど真ん中を抜けて行くことになる。

 通常の軍船は数隻で集まって艦隊として行動する。今回のレディ・エスター号のように単独航海していることはまずない。軍事行動中ではないと認めてもらえれば、領海内に侵入しても多少は目を瞑ってもらえるだろうが、確実とは言えない。それが原因で国家間に緊張が走るのは避けたい。


「ティームッ!」


 海図を睨んで考え込んでいると、開いたままの窓から声が入ってきた。正操舵手のエドガーの声だ。

 上に上がるのが面倒だったティムは窓から顔を出し、エドガーに向かって「なんだい?」と声を張り上げた。


「ようやく追い風が出て来た! どうする?」


 それは好機だ。逃す手はない。

 待ってて、と叫ぶと、ティムは道具を引っ掻き集めて飛び出して行った。エリックもミシェットを連れ、艦長としてあとを追う。


 後方甲板に上がると、メインマストの帆が大きく風を孕んでいるのが見えた。さっきまではこんなに大きく膨らんでいなかったのに。


「北北西に面舵!」


 後方甲板の観測場所に辿り着くと同時に、風向きを調べて指示を出す。

 言われたとおりに舵輪を回すと、帆は更に大きく張りつめた。


「フォアマストも帆を下ろせ! 急げ!」


 抱えて来たミシェットを下ろしながら前方のマスト付近の水夫達へそう叫ぶと、エリックは上着を脱いで走り出し、自ら後方にあるマストへ登り始めた。

 突然の事態にミシェットは驚いて悲鳴を上げそうになるが、エリックは担当の水夫達よりも早く上の方で畳まれた帆に到達し、作業を始めている。


「艦長! マストに登るのだけはやめてくださいって、いつも言ってるじゃないですか!」


 風が出て来たことに気づいて上がって来たコレットが、眉を吊り上げて声を張る。どうやらエリックが水夫達と一緒になって行動するのはいつものことらしい。

 水夫達と一緒になって帆を広げたと同時に綱を使って身軽く降りて来たかと思えば、今度は下で繋ぎ止める作業に加わっている。ああっ、とコレットがまた非難がましい声を上げる。

 ミシェットは夫の姿に心から驚いていた。祖父の前にいたときは王子らしく振舞っていたし、ミシェットや乳母達の前では紳士然としていた。軍人だということは知っていたが、こうも身軽に身体を動かせる人だとは思わなかった。


「あの……エリック様って、いつもあのような感じなのですか?」


 鼻息荒くなっているコレットに恐る恐る声をかけると、ええ、と彼は語気荒く頷いた。


「奥方様はご存じないようですからお教えしますとね、船上での死因の大部分が感染症と、マストからの転落なんですよ」

「えっ」

「だから、もしものことがあっては困るんです。慣れていても昇ってくれるなと、何度も何度も、あれほどお願いしているのに……!」


 陽気に船歌を歌う乗組員達とわいわい盛り上がりながら作業を熟している姿を見つつ、コレットの眉がどんどん吊り上がっていく。指揮官であると共に王位継承権上位の王子なのだから、簡単に死なれては困るのだ。自ら進んで危険に飛び込まないで欲しい。

 呆気に取られているうちにエリックが戻って来る。今の一連の行動で少し汗を掻いたらしく、首筋が太陽を反射して煌めいた。

 汗を拭いてあげようとするが、ハンカチを持っていないことに気づき、ガッカリとする。こんなことならいつも持っているように心掛けるのだった、と後悔するが、その間にエリックはシャツの袖で首筋を擦ってしまった。これまたガッカリとする。


 微弱な風を捕まえるのに邪魔になるからと畳まれていた帆のすべてが開かれ、船は大きく前進した。


「いい風だ!」


 舵を取っているエドガーが嬉しそうに笑った。ヴァンメールを出港してからずっと風向きが悪く、速度が出ないでいたらしいので、今の状況が嬉しいのだろう。

 脱ぎ捨てて行った上着を拾って羽織り直していたエリックは、望遠鏡を手にしたコレットを振り返る。


「……どうだ?」


 怒りを治めたコレットは、白波の航跡の更に後方――不審船の様子を窺っていた。


「まだ風を捉えてないんでしょう。今のところ帆を広げる様子はありませんね。このまま距離を取れるでしょうか?」

「そう願うばかりだな」


 これで船影を確認できないくらいに離れられれば、たまたま同じ航路を取っていただけということになる。そう頻繁にではないが、時折そういうこともあるのは事実だ。

 しかし、これでも離れないとなると、本気で対応を考え始めなければならないだろう。


「いい風だな」


 主甲板でわいわいと声がしていたので気になったのか、クラウディオがやって来た。癖のある髪がふわふわと風に踊っている。


「ロナン公爵。あの船、あなたならどう見ます?」


 丁度いい、とばかりに、コレットから受け取った望遠鏡を手渡した。

 示された方角に望遠鏡を向けると、一隻の船がいるのが見える。軍船とするなら小型だが、商船とするなら大型だろう。軍旗も指揮官旗も掲げていないところを見るとどうやら商船のようだが、国旗すらない所属不明船だ。


「初めに船影を確認したのは、一昨日の夕刻頃です。それからずっと、このくらいの距離で同じ航路を辿っています」

「振り切らないのか? エスターの足なら可能なんだろう?」

「速度が上がりませんでしたから」


 不審である故にまだ出方を窺っているところだ。

 望遠鏡を返してもらったコレットは、もう一度不審船の様子を見た。帆が開かれ始めている様子が見える。あちらも風を捕まえたらしい。

 そのことを伝え、ティムとエドガーを見る。航海士と操舵手は頷き合い、すぐに海流と風向きを読み、針路を定めた。


「この風が続けば、当初の予定よりは遅れますが、明日の日暮れ前にはアテルニアに入港できます」

「ならば、それまで様子を見るといい。海賊なら何日もつけ回したりしないだろう?」


 確かにそうだ。襲撃を決めて狙いを定めた船の様子を窺って、何日もつけ回すような海賊には、今までまだ一度もお目にかかったことはない。他の海賊に横取りをされる可能性もあるのだから、狙いを定めたら即襲撃に移るのが大抵だ。


「攻撃の意志がないなら、あと一日くらい放っておいて構わないだろう」


 エリックとティムの言葉を聞いたクラウディオがそう応じた。

 今のところは危険を感じないという判断に、エリックも艦長として同意する。距離がある為に様子がはっきりわからない部分はあるが、攻撃の意志を感じられないのは確かだ。気にかかるのは事実だが、こちらから攻撃を仕掛けて無駄な戦闘に入るのも愚かしい。

 アテルニアに寄港できれば、マルス王国海軍に話を通して出撃を要請できる。なにかあったとしても、戦力になる味方がいる方が安心だ。


 念の為に、砲手長にいつでも砲撃できるよう準備するように伝言し、エリックはミシェットを振り返った。航海士の部屋に置き去りにするのもどうかと思って連れて来たが、結局放置することになってしまった。


「すみません、ミシェット。もう部屋に戻られた方がいいと思います。送りましょう」

「お邪魔ですものね」


 仕方のないことだ、と応じた声が、寂しげに震えた。

 もう少しエリックと一緒にいたかったのだが、彼はのんびりしているミシェットと違い、船の上にいる間は仕事中なのだ。時間を割いて相手をしてくれているのはわかっていたので、我儘を言って困らせたくはないし、迷惑になるようなこともしたくない。


 しょんぼりとした感情が顔に出てしまっていたのか、エリックが困ったようにこちらを見下ろしていた。


「その外套、貸しておけば?」


 無言で向き合っていた新婚夫婦に向かい、クラウディオが間延びした調子で言う。

 それ、とミシェットが羽織っているエリックの軍用外套を指差したので、その場にいた皆の視線が小さなミシェットへと注がれた。


「エリックがいつも使っているものなんだから、それを持っていたら、こいつが傍にいるみたいで安心でしょう」


 軍から支給されたものなので当たり前のことだが、そういえばいつもこの外套を羽織っているな、と皆が思った。この時期、主甲板に上がっているときはエリックがいつも羽織っているが、それがここのところ、見かける度にミシェットがすっぽりと包まれている。小さな身体に不似合いな大きな軍用外套が逆に可愛らしい、と誰もが見ていたのだ。


 どうやらミシェットがエリックについて回っているのは、不安や寂しさからだと思われているようだ。あながち外れではないのだが、もう少し意味合いが違う。

 そして、もしかするとクラウディオは、ミシェットがわざと外套を借りていることに気づいているのかも知れない。そう思うと急に恥ずかしくなり、ミシェットは真っ赤になった。


「ディオ異母兄上(あにうえ)……あまり妻を揶揄わないでくださいよ」


 熟れた果実のように真っ赤になったミシェットを庇いながら、エリックは呆れたようにクラウディオの言動を諫めた。

 そんな異母弟夫婦の様子を見ていたクラウディオも、呆れたように溜め息を零し、軽く肩を竦める。


「お前は相変わらず女性の機微に疎い。だから脳筋だって言うんだよ」

「その言い方やめてください」

「いいから、姫君を部屋まで送っておいで。戻ったら話があるから」


 にこにこと笑いながらミシェットへ手を振り、苦虫を噛み潰したような渋面を作る異母弟を追い立てる。エリックはますます眉間に皺を寄せた。


「コレット大尉。もう一度、望遠鏡を貸してくれ」


 エリック達が船室の方へ降りて行ったことを確認すると、クラウディオは声を真面目な調子に戻して手を差し出した。コレットはすぐに頷き、その手に所望の品を乗せた。

 クラウディオは受け取った望遠鏡を翳し、再び不審船へと目を向ける。


「なにかありましたか?」


 風向きを確認していたティムもなにかを感じたようで、すっかり遠ざかった船影へ向かって双眸を眇める。


「あの船の横っ腹を確認したかい?」

「いいえ。向きから確認はできていません。どうかしましたか?」


 なにか気になることがあったのか、とコレットが尋ねると、うん、と返事がある。


「さっき僕が見たとき僅かにだが確認できた。閉じられていたが、砲門が八つはあったよ」


 その場にいた者達はさっと表情を変える。


「お前達がその様子だと、エリックも確認できていないな。巧妙な連中だ」


 クラウディオが船を見たとき、丁度レディ・エスター号が風を捕まえて針路を変えたところで、直線状にあった船同士の角度がずれ、正面以外の様子を確認できたのだろう。

 どの国でも主力としている船型はほぼ同じもので、軍船にも商船にも貨客船にも同じ船型の船舶が使用されている。その区別をする為に国際法で定められた旗印があり、それを掲げることが協定として結ばれていた。

 何処の所属でも、商船と貨客船の旗を掲げた船は攻撃しない決まりがあるし、救助要請があれば敵国同士でも助け合う取り決めも結ばれている。逆に、その旗を掲げていない船は、海賊船と判じられて攻撃を加えられても文句は言えなかった。


 旗印以外で判別する為には、砲門を備えているかどうかが重要となる。

 海賊に襲われることもある商船も武装は許可されているが、砲門は左右に五門ずつ以下と定められ、それ以上の砲を搭載するものは軍船と区分される。

 後方の不審船が片側に八門以上の砲を備えていたとなると、それは商船ではなく、軍船である。あの船型で八門以上となると、かなりの火力を搭載していることになる。


 国際旗を掲げもしないのだから海賊船かとも思うが、今までに何度も海賊退治を経験しているコレットは、それとはどうも違うように感じている。エドガーとティムもその直感に同意した。

 なるほど、とクラウディオも頷く。

 丁度そこへ、船室に行っていたエリックが戻って来た。外套は持っていなかったので、ミシェットの許へ置いて来たのだろう。素直な奴だ、とクラウディオは笑った。


「ラクレア艦長」


 さっきまでふざけた口調だった異母兄に階級で呼ばれ、ハッと表情を険しくさせる。


「ちょっと様子が変わってきたようだ」


 先程までは、後方の不審船については放置して構わない、という判断をしたわけだったが、あれが商船でなく軍船だったのなら話が変わる。

 砲門らしきものが見えていたことを伝えると、エリックも望遠鏡を取り出して船影を確認する。すっかりと帆を広げた船は、速度を上げたレディ・エスター号を追いかけ、変わらずに一定の距離でついて来ているようだ。


「……確認できないな」

「舵を切りましょうか?」


 静かに呟いた声に、もう一度向きを変えてみようか、とエドガーが重ねて問いかける。

 いや、と断りつつも、速度を上げてきている様子の船を睨みつけた。


(ヴァンメールを発った日のうちについて来たのだとすると、確実にミシェット絡み――アイリーン公女の差し金か)


 そんな短絡的な人ではないように感じていたが、そうでもないのか。それとも、邪魔なミシェットが国外に出たので、これ幸いと形振り構わないことにしたのか。


「ロナン公爵、頼みがあります」


 今は一隻しか確認できていないが、もしかすると視認できない距離に仲間がいて、数隻から成る艦隊かも知れない。臨戦態勢になったときに一隻だけのこちらは不利だ。起こりうる事態に備え、こちらも助けを募る必要がある。

 今はミシェットが乗っている。彼女を危険に晒すことは、ヴァンメール公国の次期国主を危険に晒すことになる。それだけは避けなければならない。

 エリックはクラウディオに、アテルニアで下船するように頼んだ。


「明日あたりなら恐らく定期船が入港している筈です。それに乗って、先に帰国してください」


 友好国であるマルス王国とは、月に何度かお互いの国を定期船が行き来している。運んでいるものは主に人で、交易に役立つ国営の船だ。

 貨客船であるその定期船は、堂々と他国の領海を進む許可が下りていて、規定で遠く外洋を航行しなければならない軍船に比べれば距離が短縮される分、いくらか早く移動することが可能だ。

 その船に乗れれば、荒れやすい北海の沖合を進むエリック達より二日は早く帰国できるかも知れない。


「わかった。そちらはどうする?」


 帰国次第アーネストに状況を説明し、救援艦隊を編成してもらうことになる。その為には別れてから最低三日は必要になり、こちらへ合流するまでには更に一日は必要だろう。その間に戦闘状態に陥る可能性も捨てきれない。

 その日数を計算に入れたうえで、エリックは答えた。


「本船はアテルニアに寄港後、レヴェラント島に向かいます」


 ブライトヘイル王国の西海域に位置するレヴェラント島は、エリックが領地として拝領している島であり、嘗て、女海賊レディ・エスターが拠点にしていた島でもあった。




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