2 碧洋の真珠
「エリック王子、ミシェット。これを二人に」
宮殿内の聖堂で婚姻宣誓書に署名を終え、それを司祭と主席議長が確認し、恭しく保管箱へ納めたあと、大公が二人の前に大振りな短剣と指輪を差し出した。
「ヴァンメールの統治者たる証だ」
いったいなんだろう、とエリックが見ていると、大公はそう答えた。
「宝冠、頸飾、錫杖、そしてこの宝剣と指輪――この五つを以て、エル・ダンテス家の当主の証と為す。これをひとつずつ持っていて欲しい」
さあ、と差し出されるが、驚いてエリックは辞退する。
「そんな重要なものを預かれません」
言うなればこれは国宝ではないか。そんな大事なものを、継承者であるミシェットだけならわかるが、自分まで渡される理由がわからない。自分はただミシェットの夫という立場になっただけで、ヴァンメールの公位に関わる立場ではないと認識している。将来摂政として立つことになるかも知れないが、それは仮定の話であり、今はそこまで深い関わりではないと思っている。
困る、と強く言うが、大公は宝剣をエリックの手に握らせた。
「ミシェットはこの指輪を持っていなさい。大きいだろうから紐かなにかを通して首にでもかけて、決して肌身離さずに、な」
押し返そうとするエリックの手をしっかりと握り込んで押しつけながら、孫娘の方へは指輪を差し出す。
ミシェットは頷いて受け取るが、まだ小さな手には言われたとおりに大きい。一番太いだろう親指に嵌めても簡単に抜けてしまい、すぐに落としてしまうのが目に見えている。肌身離さず持っている為には、祖父の言うように首からかけているしかないようだ。
「この五つの真珠は『碧洋の真珠』と呼ばれる一揃いだ」
ミシェットが指輪を大切に握り締め、エリックも宝剣を渋々受け取ったことで、大公はゆっくりと説明し始める。
五つの装具にはどれも大粒の真珠が象嵌されている。人魚からの贈り物だと伝わるその大粒真珠は、エリックが今まで見たこともないほどの大きさで、持ち主である大公自身も、このような大きさは天然物でも養殖物でも目にしたことがないという。
その不思議な真珠が五つ使われた装具を、戴冠式のときに使うのだ。
「ミシェットも、エリック王子も、嘗てこの国が深い霧に包まれ、海流で人を寄せつけなかった島だったことは知っているね」
ほんの二百年ほど前までは当たり前で有名な話だったのでよく知っている。その名残なのか、今でもこの島の周りの海流は読みにくい。荒れているわけではないのだが、思わぬ方角へ流されてしまうのだ。昨日エリック達が入国するときも、上手く船が進まずに驚いたものだ。操舵手の技量による力技で入港したのだが、穏やかな流れでおかしいところも見当たらないというのに不思議なものだ、と航海士共々首を捻っていた。
人魚が外敵の侵入を拒んでいる、とはよく言ったものだと思った。
ブライトヘイル領海にも流れのおかしな海域が存在するが、それとはまた少し違う。あの海域は磁場もおかしいらしく、余所者が迷い込むと方向を見失って遭難する。ブライトヘイル海軍の人間でもなければまともに運航できないものなのだ。その海域の経験者である操舵手と航海士が、ヴァンメールの海流は読みにくい、と口を揃えるのだから、やはり変わっているのだろう。
「あの不思議な海流は、この真珠に宿る不思議な力に因るものだ――と伝えられておる」
大公ははっきりとそう言った。
御伽話だろう、とエリックは顔を顰める。人魚はもとより、妖精や魔法などは物語の中だけの話だ。何百年も前はそれらが現実だったとしても、時代は変わり、今の世の中にそういった存在が残っているなんて思えない。
だが、人魚伝説の残る国で育った幼い妻は違う考えのようで、煌めく瞳で祖父のことを見つめ返していた。
やはり子供だなぁ、とエリックは思った。御伽話と現実がまだ近い場所にある年頃なのだろう。
「まあ……わたしも真剣に信じてはいないのだが、な」
年中島を覆っていた霧が晴れたのだって、海流が変わったのだって、気候や気象が変化したからのことだろう。記録を辿ってもそのように考えられる要因が多々ある。
大好きな祖父にやんわりと否定的な言葉を告げられ、ミシェットはしゅんとした。
だがな、と大公は続ける。
「これがヴァンメール国主の証であることは変わりない。これをお前達に預けるのは、もしも今後、取り交わした婚姻宣誓書が破損もしくは紛失した際、マリーの名を持つ正当な継承者であることを明かす物になって欲しいからだ」
物騒な話だ、とエリックは眉を寄せる。大公の口振りだと、たった今署名を終えて保管された筈の婚姻宣誓書が、遠くない未来に何事か起こることを前提にしている。
実の娘だというのに、そこまで警戒しなければならない相手だというのは、どういう気持ちなのだろうか。そういったものと無縁に育ったエリックには想像もつかなかった。
国主の証の装具は五つで一揃いではあるが、そのすべてを持ち出すことには危険が伴うだろう、と大公は考える。
この一部だけでも証となり得ることが幸いだ、と大公は零した。
「海流の話は別として、この装具に不思議な力があるのは本当だと思う」
大公は祭壇に立てかけていた装具のひとつである錫杖を手に取り、二人の方へそっと翳した。
「今は昼だから、わかりづらいと思うが……どうだろう。わかるかね?」
二人は錫杖の先端に飾られた真珠を見つめ、自分達の手の中にある宝剣と指輪に視線を向けた。
「……光って、る……?」
錫杖の先端と自分の指輪を見つめ、エリックの宝剣を見てからもう一度錫杖に視線を戻したミシェットが、首を傾げながら呟いた。
はっきりとではない。けれど、ぼんやりと光っているように見える。部屋の中に差し込んできた月明かりのような仄かさだ。
エリックは驚いてもう一度見てみる。言われてみればそんな気がするが、はっきりとそうとは思えない。
うん、と大公は頷いた。
「五つ揃った方がもっとはっきりとするが、三つならこんなものだ」
錫杖をもう一度祭壇へと立てかけ、真剣な顔つきで孫夫妻を見つめる。
「この真珠達は……共鳴する、と言えばわかりやすいか。五つ揃えて持っていると、不思議なことに淡い光を放つ。他の真珠ではそうはならない」
この共鳴現象を引き起こすものが『碧洋の真珠』である証であり、たとえそれぞれを別の人物が所有していても、揃えれば一目で本物であることが証明されるのだ。このことはヴァンメールの国政に関わる人間なら皆が知っていることだった。
エリックは手で影を作って真珠が淡く光っていることを確認しながら、不思議なことがあるものだ、と感心した。
もしも、と大公は話を続ける。
「この装具の偽物を作ったとしても、この共鳴現象がなければ、すぐに偽物だと判別がつく。まあ、こんな大粒の真珠などそうそう見つかるものでもないし、そのあたりはあまり案じてはおらんのだが」
念には念を入れて、と大公は呟いた。
彼がなにを心配し警戒しているのか、エリックはなんとなくわかった。今朝方邂逅した公女のことを思い浮かべる。
この一揃いをすべて国内から持ち出したならば、そっくり同じ『碧洋の真珠』を複製し、それを持って自分が正当な継承者だと言い出すだろう。それらが共鳴によって光り輝かず、ただの大粒真珠だと気づいた者がいれば、その口を封じるくらいはやって退けそうな女性である。
そうなってしまった場合、一部だけを持ち出しているのならまだ対抗できる。反応が弱くとも、二つあれば共鳴現象は起こるのだから。
これはある意味で保険なのだろう。
国外に逃しても、ミシェットの身は安全とは言い切れない。ミシェット自身が他国に身を寄せているからといって、あの狡猾そうな公女がなにもしないとは思えないからだ。
ミシェットに国宝の指輪と宝剣が渡ったことは、先程までこの場にいた司祭と議長が確認している。それを奪って自分のものにしても、自らがミシェットに危害を加えた証拠を見せびらかすのと同義であり、そんな愚を犯す女性ではない。
ならば、複製を作ることでしか、アイリーンが国主の証である『碧洋の真珠』を手に入れることは不可能だ。だが、それでは継承を認められない。
それでも自分の継承を認めさせようとするのならば、装具の秘密を知っている者達の口をすべて封じなければならないだろう。金や権力などの見返りで懐柔できるならばいいだろうが、そうでなければ命を奪わなければならない。そうなってしまうと国政の中枢が空洞になってしまい、国が機能しなくなる。そんな国で独裁者として起とうとしているとは思えない。
アイリーンは、このヴァンメールを崩壊させてまでも手に入れようとはしていない。それはなんとなくわかる。
だからこの保険だ。そして、エリック自身もその保険の一部となっている。
一応は軍人の端くれであるエリックは、幼いミシェットのように無力ではない。襲われれば抵抗するし、宝剣を隠匿しようと思えばいくらでも有効な策を弄せる。
ヴァンメールを離れたあとにミシェットが襲われ、指輪を奪われるようなことになっても、宝剣までは奪われないようにできる。宝剣が奪われなければ、装具はすべて揃わず、法律の許、公位の継承は認められない。
古くから仕えるヴァンメールの重臣達は法律と伝統に従い、マリーの名を持たないアイリーンが継ぐことは認めない。しかし、国民はそうとは限らない。国主一族の誰が継ごうとも、悪政を強いなければ問題ないと思っているだろう。
国民が国主は誰でもいいと思っているのならば、装具を持って正当性を主張すれば、世論がアイリーン即位に傾くかも知れない。それを認めさせる為に装具を揃えようと画策するかも知れない、という話なのだ。
大公の意図の凡そが読めたエリックは改めて宝剣を握り直し、懐から常備している三角巾を出して丁寧に包み、上着の内側へと隠した。
ここまでしなければならないほど、ミシェットはアイリーンから恨まれているのだ。近しい血縁者の間でなんと悲しいことだろうか。
「さあ、本館に戻ろうか。昼の支度をしてくれている頃だ」
先程までの表情を和らげてにこりと笑うと、大公はエリックの肩に手を置いた。しっかりと掴まれる肉厚の掌からは、孫娘を頼む、という感情がはっきりと伝わってくる。その掌に応えるように、まっすぐに目を見つめてから頷いた。
聖堂を出る為にミシェットのことを抱き上げようとするが、彼女は頬を染め、慌てて大きく首を振る。
「私、ちゃんと歩けます。さっきも歩いてここまで来たんですよ」
「しかし」
「大丈夫です。ここは床も平らですから」
エリックが心配そうに見つめるが、ほら、と何歩か先を歩いて見せて振り返る。今日は暖かい所為か傷も痛まず、調子がいい。
ならばいい、とエリックも頷き、代わりに紳士らしく腕を差し出した。
祖父や亡き父からはそういうことをしてもらったりしていたが、他の男性からそんなことをされたのは初めてだ。ちょっぴり驚いて瞬くが、はにかみながらそこへ手を乗せた。
エリックに可愛い孫娘の行く末を任せたのは、間違いではなかった――微笑ましい新婚夫婦のやり取りに目を細め、大公は自分の選択が間違っていなかったことに安堵して胸を撫で下ろし、聖堂の外扉を押し開いた。中天に差し掛かっていた晩秋の陽射しが眩しく照らし込む。
そこに、待ち構えるようにアイリーンが立っていた。
朝のような乗馬服ではないが、濃い色のドレスは華美な装飾の抑えられたもので、まるで喪服のようにも見える。たった今、婚姻宣誓書に署名をしてきた二人の前に、なんとも不吉な出で立ちだった。
「――…なにをしている」
彼女の服装は大公も気に障ったようで、厳しい声が漏れる。表情も自然と強張った。
色の白い顔の中で、真っ赤な唇が弓形になる。
「敬愛するソフィアお姉様の忘れ形見――たった一人の可愛い姪、マリー・ミシェットが婚約どころか、めでたくも婚礼を挙げると小耳に挟みました。きちんとお祝いをして差し上げたかったのに、教えても下さらないなんて……水臭いですわね、お父様」
悲しいですわ、としおらしい態度を見せるが、長い睫毛の下から見つめてくる瞳は冷え冷えとしていた。
その目つきに厭なものを感じていると、つん、と喉許が僅かに締まる。なんだろう、と思うと、手を取って並んでいた筈のミシェットが、後ろに隠れるようにして上着の背中の布地を掴んでいた。
大丈夫だ、という気持ちを込め、後ろに腕を回し、ミシェットに触れる。それで伝えたいことは幼い妻に伝わったようで、ハッとしたように大きな瞳が見上げてきた。
「ブライトヘイルのエリック殿下」
新妻と視線を交わしていた姪婿に、アイリーンは声をかける。
「少しお時間を頂けて? 朝はご挨拶も碌にできませんでしたもの」
「挨拶、ですか……」
「ええ。可愛い姪の旦那様ですもの、少しお話ししたいわ。……旦那様をお借りしてもいいでしょう、ミシェット?」
いいとは言いたくない。けれど、見上げてみたエリックの横顔は、こちらが怯えてしまうような厳しいものだった。その雰囲気にぐっと言葉を詰まらせてしまう。
「ミシェット、お祖父様と先に行っていてください」
「エリック様……」
「なにもないですよ。少し話をして来ます」
不安げに声をかけると、エリックは微笑んでミシェットの手を服から離させた。
「大公閣下、昼食の席に少し遅れる無作法をお許しください」
「構わんが……」
言い淀む大公もなにか言いたげだったが、なにか考えがあってのことだろう、と判断してくれたのか、それ以上引き留めるようなこともなく、黙ってミシェットの手を取った。
おいで、と手を引かれ、ミシェットは祖父と共に歩き出す。けれど、視線はエリックへ向けたままだ。
その視線を受けたエリックはまた微笑み、そっと手を振った。
「随分と仲がよろしいのね。会ったばかりでしょうに」
ミシェット達との距離が十分にできた頃、微笑ましいことだわ、とアイリーンが囁いた。
エリックは隣に寄って来た女を見下ろす。相変わらず微笑んでいるが、双眸には冷たい光が宿っているのが見て取れる。表面上だけの作り笑いだというのを隠そうともしないアイリーンの姿に、エリックは警戒心を強めた。
「……お話とはなんですか?」
同盟国で親交が深い間柄とはいえ、直接外交に関わる立場ではないエリックは、他国の情勢や王族の情報などに少々疎い。近しい国の国王夫妻と王太子くらいまでなら多少の面識もあったりして、なんとなくはわかる。だが、それ以外の関係者となるとどうにも把握しきれていない。それ故に、このアイリーンのことをよく知らないのが現状だ。
しかし、この女性は、エリックの妻となった少女の命を狙っていると噂される存在だ。
向こうはこちらの情報を少なからず握っているようだが、こちらはほとんどないという不利な状況にある。短い滞在中にだが、少しでも探っておかねばならないと考えていた矢先の誘いだ、乗らない手はないだろう。
素っ気なく尋ねると、彼女はころころと笑い声を立てる。
「随分と性急な方ですのね」
「ええ、よく言われます。女性には退屈な男だとも」
「それは恋人に?」
「そういうこともありましたね」
恋人と言っていいのか微妙な線だが、友人よりは踏み込んだ親しさだった女性達が、皆揃ってそんなことを口にしていた。エリックにとっては少し苦い思い出である。
「やはりそういうお相手がいらっしゃったわよねぇ」
アイリーンはムッとした表情のエリックをしげしげと見つめると、ふふっ、と堪えきれない風に声を漏らした。今度は作り笑いではなかったらしく、目許も柔らかに小さな皺を刻んでいる。
「そんな方が、何故あんな子供を?」
唐突に笑みを引っ込めたアイリーンは、まっすぐにエリックの目を見つめて尋ねた。
その視線に、ゾクリと背筋が震える。これは妙齢の女性がするような目つきだろうか。
「ご結婚には丁度よい年頃で、身分はもとより、背もすらっとお高くて、お顔立ちも整っていらっしゃる。そういう素敵な男性を女性達が放っておくことはないでしょう……。そんな方が何故、ミシェットなどとご結婚を?」
見つめてくる瞳から発せられるのは殺気のようにも感じるが、それとはまた少し異質のもののようにも感じる。どちらにしろ、随分と歪んだ感情が込められているのは確かだ。
その感情に気圧されかけたが、ぐっと持ち堪え、笑みを浮かべて鷹揚に見せる。
「言っておきますが、幼児性愛者ではありませんよ」
その発言は予想していなかったようで、アイリーンは一瞬虚を突かれたような顔をした。
「政治的な婚姻に、年齢の差は重要ではないでしょう。それに、両国の関係を強化するといった意味合いで、これは大変有意義な婚姻だと思っています」
「相手があんなに小さな子供でも?」
「子供はいつか大人になります。それにミシェットは、ご両親が整った容姿の方だったようですから、きっと美人になりましょう。楽しみです」
これは嘘や世辞ではない。美少女というよりは可愛らしい顔立ちの娘だし、将来が楽しみなのは本当のことだ。目の前にいるアイリーンも、少し吊り上がり気味の目許などに性格のきつさが出てはいるが、顔の造形は美人と呼べる部類だと思う。
遠回しに自分の容姿のことも褒められていると気づいたのか、アイリーンは毒気の抜かれたような表情になり、はっと息を漏らした。笑ったのかも知れないし、溜め息だったかも知れない。
「……呆れた」
小さく呟き零すと、皮肉気な笑みを浮かべて背を向けた。
「殿下は私が思っていた方とは、少し違ったようですわね。お時間を割いて頂き、有難う存じます」
彼女の用は済んだらしい。いえいえ、とエリックは微笑んだ。
「お断り申し上げたとおり、退屈な男だったでしょう? 幼い頃からこういう性分でして、申し訳ありません」
まったく悪びれずに謝意を口にすると、肩越しに一瞬振り返られるが、彼女はなにも答えずにそのまま歩き去ってしまった。
彼女もまた、ミシェットの後ろ盾となったエリック達ブライトヘイル王国の腹の内を探ろうとしていた様子だったが、そういうことに頭を使うのが不得手なエリックであるから、国政を与る異母兄達にほとんど知らされていなかったのが幸いしたらしい。収穫はないと早々に見切りをつけたようだ。
こちらは知りたかったことが多少はわかり、満足である。
(噂は本当だったようだな……)
叔母が姪の命を狙っている噂も、自分の継承順位が低いことを不満に思っていることも、さっきのあの歪な感情を目の当たりにすれば納得がいってしまう。
彼女は噂を公然と否定するが、そう疑われるような言動を隠す気もなければ、やめる気もない。寧ろ、疑いをわざと煽らせようとしているようにも見える。
実の叔母――しかも、亡くなった母にそっくりな女性に、憎まれ、嫌われているという精神的な苦痛を、幼いミシェットに与える為だろうか。そうだとしたらなかなかにえげつない。
そんなことをしても、彼女の継承順位が上がる筈もない。大公はもとより、議会も既に否定していると聞く。ミシェットを苦しめたからといって、その決定が引っ繰り返る可能性は極めて低いと思われるのに、何故そこまでするのか、とエリックは眉を寄せる。
あの小さな少女をそんなにも苦しめてまで、国主の座を求める理由はなんだというのか。考えてもわからない。
基本的には頭が悪いわけではないらしいのだが、昔からこういったことを考えるのが苦手なエリックは、自分の脳の許容値の低さに腹が立ってくる。ミシェットのみならず、自分にも強く関わってくるのが必定のことだというのに、考えが纏まる様子がない。
こういうことを考えたり探ったりするのが得意なのは、次兄のクラウディオだ。彼がここにいてくれたら、もっと上手く多くの情報を聞き出せていたかも知れない。
大きく溜め息を零し、そっと左の胸に手を当てる。
そこにあるのは、長細い形状の硬い感触。
大公が危惧していることが既に強く現実味を帯びていることに、エリックは深く気づかされた。