幕間4 冬の日~慰霊式~
結局エリックは帰宅せず、朝食の席にもいなかった。
一人で食事を済ませたミシェットは、ジョージの仕事部屋を訪ねてみる。故国にいる祖父と同じ年頃の家令は、主人の幼い妻がやって来たことを少し驚きながらも歓迎し、用件を尋ねた。
「――…そういうことですか。それでは、馬の用意をさせましょう。港に行くには馬車よりも馬の方が勝手がよいですから」
お一人で乗れますか、と尋ねられ、ミシェットは「小さな馬なら大丈夫です」と頷いた。
「それは丁度よかったです。実は、先日旦那様に言われて手配した奥様用の馬が、一昨日届いたところなのですよ」
本当はエリックが落ち着いてから説明するつもりだったらしいのだが、この際目を瞑ってもらいたい。
調教も済まされた大人しい馬なので、乗ってもすぐに慣れるだろう、とジョージは説明した。ミシェットは注意深く頷く。
「案内には……そうですね、ノラよりもメアリの方が向いているかも知れません。手が空くか確認しておきましょう」
「それは私が確認して来ます」
「そうですか?」
慌てて言うミシェットに、ジョージは申し訳なさそうな目を向けるので、首を振った。そんな確認くらいなら自分でもできるし、忙しいジョージの手をそこまで煩わせるのは気が引ける。
謙虚な主人の奥方の様子ににこにこと笑みを浮かべながら、ハッとしたように「そうだ」とジョージは手を打った。
「このあと特にご予定がないようでしたら、少し早めに出ることになりますが、旦那様への届け物をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。なにを届ければいいのでしょう?」
「礼装です。昨日お出かけになった際にお忘れになっていらしたようなので、時間までにジャービスが届けに伺うつもりだったようなのです」
「わかりました。任せてください」
頷きながら時間を確認してみると、そろそろ出かける準備を始めた方がよさそうな頃合いだった。ミシェットはジョージの仕事部屋を出てからまずは厨房に向かい、メアリに事情を話した。彼女は二つ返事で付き添いを引き受けてくれたので、安心して自分の部屋に戻る。
「ばあや、ノラ、慰霊式に出たいの。相応しい服装はどういうものでしょうか?」
ニーナは主人の申し出に少し困惑気な表情をしたが、ノラには意味がすぐにわかったらしく、頷いて衣装箪笥を開いた。
「ご遺族以外は基本的には普段着で構わないと思いますけれど、なるべく落ち着いたお色のものがよろしいですね」
「それなら、少し生地が薄いけれど、ヴァンメールの喪服を持って来ていた筈だけど」
そう言ってニーナはノラの隣に立ち、奥の方に吊るしておいた濃い灰色の服を取り出した。正式な喪服ではないが、喪に服しているときの普段着だ。これがいい、とミシェットも頷き、着替えることにする。
「外套が仕上がっていてよかったですわ。この布地では少し寒かったかも知れませんもの」
なるべく寒くないように暖かい下着を重ね着させながら、ニーナは苦笑した。緊急性の低いものとして、喪服は仕立てを頼んでいなかったのだ。
髪は黒いリボンで留めてもらい、母の持ち物だった黒真珠の首飾りを身につけ、毛皮を敷いた暖かい皮のブーツを履けば準備は完璧だ。
付き添いはメアリに頼んであることを告げて部屋を出て、ジャービスを捜してエリックの部屋の前まで行くと、従者は丁度部屋を出て来たところで、物凄く恐縮した態で主人の礼装を包んだものを渡してきた。
「旦那様は面倒臭がると思ったので、勲章は先につけておきました。引っかけないように、とご忠告をお願い致します」
「わかりました。行って来ます」
受け取ったのは上着だけの筈なのだが、思ったよりもずしりとした重みがある。夫はこんなものをいつも着ているのか、と驚きを感じながら、肩が凝って嫌だ、と苦笑していたクラウディオのことを思い出す。確かにこの服を着ていたら肩が凝りそうだ。
大切に抱えながら下に降りて行くと、玄関先でジョージとメアリが馬を用意して待っていてくれた。
ジョージの手を借りて、ミシェットの為にエリックが用意していてくれたという葦毛の馬に跨る。まだ若いわりにはとても大人しい馬だったので、安心して手綱を取った。
「港までご案内したあと、私は市場の方に行っています。慰霊式の終わる頃にまたお迎えに行きますから、少し待っていてくださいね」
ブランドンから買い出しを頼まれたらしい。ミシェットは素直に頷いた。
街中の雪道を馬に乗ることは初めてだったが、行き交う人々も慣れたもので、進路の邪魔になるようなことをする人はいない。それでも少し緊張しながらミシェットは手綱を握り締めた。
「お上手ですね」
「ヴァンメールは坂が多いので、馬車よりも馬の方が便がいいのです。でも、街中ではあまり乗ったことがないので緊張します」
メアリが感心したように声をかけてくるので、ちょっと照れ臭く微笑んだ。
ミシェットの生まれ育ったヴァンメール公国は、南の方に鉱山が集中している所為か、宮殿などのある北西地域から南の方に向かって標高が高くなっている歪な形をしている。保養地や行楽地などは東側にあるので、ちょっと遊びに行こうとなるとなだらかな丘陵を越えて行くことになる。そうなると、馬の方が機動性があって便利なのだ。それ故にミシェットも乗馬はそれなりに得意だった。
先週の入港分を最後にタウゼントの港はほぼ閉鎖され、商船の入港はない筈なのだが、市場街が集まっている為か港に近づくにつれて人が多くなってくる。ミシェットはまわりをきょろきょろと見回した。
「慰霊碑は海軍本部の傍にあるんですよ。そこから右手に入ってください」
メアリに言われたとおりに路地に入って少し進んで行くと、エリックが所属する海軍の本司令部の建物が見えてきた。大きくて立派な建物だが、王宮などの宮殿とはまた違った雰囲気で、ミシェットは少しだけ気圧される。
ちょっと待っていてください、とメアリは馬を降り、門の詰め所に立っている衛兵のところへ走って行った。
「奥様、殿下はそちらから出た軍港の中にいらっしゃるそうです」
どうやらエリックの所在を確認してくれたらしい。戻って来たメアリと共に衛兵が教えてくれた方向に馬首を返し、そのまま少し進んでみると、海軍の士官や水夫達が行き交う港へと抜け出た。商業港のように雑多な感じはないが、閑散とはしていない。
ブライトヘイルの人は港と一括りにして呼ぶが、人々の出入りする商業港と海軍司令部が置かれる軍港は並びは同じでも区画がはっきりと分かれていて、軍港の方は気軽に立ち寄れる場所ではない。
国内のどの街の港も同じような配置になっているのだ、とメアリは説明してくれた。だから、一般人が立ち入り禁止になっている区画もわかりやすい、ということだ。
海に接して平地である場所が公都にしかなく、大きな港と呼べる場所がそこしかないヴァンメール公国育ちのミシェットには、少し不思議な感じだった。
「軍港の中は私も初めて入ります」
そう言ってメアリが笑ったところに、傍を通りかかった士官が声をかけてきた。
「駄目だよ、ここに入って来ちゃ」
ミシェットが子供だった所為か、士官は柔らかい口調で注意してくる。ごめんなさい、と頭を下げて馬を降り、
「レディ・エスター号の艦長を捜しているのですが、ご存知でしょうか?」
と礼儀正しく控えめな口調で尋ねると、士官は少し怪訝そうな顔をした。
「用件は?」
「今日の慰霊式で着られる礼装を届けに来ました」
鞍袋の中から包みを取り出して見せると、士官は納得したようだった。
「そこをまっすぐ奥まで行って、港の端の方にいると思う。あぁ、馬はその辺に繋いでおくといい」
礼を言って指示されたとおりに馬を繋ぎ、メアリと並んで教えてもらった場所を目指して進んで行く。
すれ違う男達はミシェットの姿に少し不思議そうな目を向けていたが、大きな包みを抱えていたので、家族に届け物でもしに来たのだろう、と咎めることもせずに過ぎ去って行った。
軍港というのでもっとピリピリとした場所かと思っていたのだが、思っていたよりも穏やかだ。行き交っている青年達には笑みも見られるくらいだった。
しかし、やはりここは軍港――少し視線をずらせば、大きな大砲が海に向かって睨みを利かせているし、引かれて行く荷車の積荷は弾薬や砲弾だった。嗅ぎ慣れないが火薬の臭いとわかる不思議な臭いも、潮の香りに混じってあちこちから漂ってくる。
そろそろ言われた場所に着くだろうか、とエリックの姿を捜していると、見覚えのある癖毛の青年の姿に目が留まる。航海士のティムだ。
退院はまだ少し先だと聞いていたのだが、と思いながらその姿を見ていると、彼の向こうに夫の姿があることに気がついた。
「エリック様!」
潮騒や喧騒に負けないように声を張り上げてみるが、エリックは同じような体格の男達と話し込んでいて気がついていない。もう一度声を張り上げると、ようやく気づいたらしく、怪訝そうにあたりを見回している。
「――…ミシェット?」
こんな場所で聞く筈のない妻の声に空耳かと首を傾げたのに、こちらに向かって来るその妻の姿を見つけ、エリックは驚いたように目を瞠る。その様子にティムも振り返り、笑顔を浮かべて会釈した。
ミシェットはエリックの許まで駆け寄る。
「どうしたんですか? こんなところに……」
「お届け物に来ました。着替えです」
はい、と包みを差し出すと、エリックは中身を確かめ、僅かに苦笑した。
「ジャービスさんが、勲章はもうつけておいたから、着替えるときに引っかけないように気をつけて、と言っていました」
「わざわざありがとうございます」
上着を着替えるだけなので、包みを開いたエリックはここで着替えるようだった。普段着にしている下士官の制服を受け取る為にミシェットは慌てて手を差し出し、夫の温もりの残るそれを抱えた。
そこでふと、視線を向けられていることに気がついた。
パッと顔を上げてあたりを見回すと、さっきまでエリックと話し込んでいた男達がこちらを見つめていた。大柄でがっしりとした体格の男の人と接するのは、レディ・エスター号に乗っている間にだいぶ慣れていたが、それでも少し身体が強張る。
「あ、あの、初めまして!」
ミシェットは緊張から紅潮する顔を隠すように頭を下げ、こういった場合にはなんと言って挨拶するべきか、と頭の片隅で素早く考えを巡らせ、結論が出たところで顔を上げた。
「マリー・ミシェットと申します。私の旦那様がいつもお世話になっております」
夫と付き合いがある相手に対しては、確かこういう風に挨拶をするものだ――と記憶を手繰り寄せ、ミシェットはそう言った。
横で聞いていたメアリは、あらま、とちょっとだけ目を瞠り、微笑ましく小さな女主人の様子を見下ろした。なんとも真っ赤になっている顔が可愛らしい。
ミシェットのその様子に、男達は顔を見合わせ、それからエリックを見つめた。
「おい、エリック……ティモシーの言っていた可愛らしい奥方っていうのは、もしかして、この女性のことか?」
「そうだよ」
袖口が胸の勲章に引っかからないように気をつけながら釦を留めているエリックは、当然のことのようにさらりと頷いた。その様子に男達はもう一度顔を見合わせ、ゆっくりと頷き合う。
「……こちらこそ、ご夫君にはお世話になっております。わたしはアレイスター・マクギー。ご夫君と同じく、フランシーヌ号という船の艦長を務めております」
咳払いをしてから一番初めに腰を折ってくれたのは、エリックと同じくらいに背の高い男性だった。ミシェットはスカートの端を抓んでちょこんと会釈した。
アレイスターの自己紹介の口上に続き、男達は順番に本司令部書記官のバーナビー、航海士のダミアン、オフィリア号の副官を担うナイジェルと名乗った。ついでにティムも「航海士のティモシー・ブラッドショーです」と微笑んだので、ミシェットも微笑んで頷き返した。
彼等は皆、九年前のメイベル号の事件を生き残った予備隊の少年達だった。
ミシェットはクラウディオに聞いた話を思い出し、胸が僅かに苦しくなったが、それを表情に出さないように必死に堪え、もう一度頭を下げた。
着替えを終えたエリックは、ミシェットが抱えていた下士官の制服を包みの中にしまい直す。それを見ていたメアリがその包みを受け取り、彼女が持ち帰ることを告げたので、エリックは礼を言ってそのとおりにしてもらうことにした。
「さて、ミシェット」
同期達との挨拶を終えた妻の前に膝をつき、エリックはゆっくりと頭を下げた。
「昨夜は戻らずにすみませんでした。よくよく思い出してみれば、出かけるときに行き先も告げていませんでしたね」
こんなことは出会ってから本当に初めてのことだった。驚かせたのではないか、と尋ねるが、いいえ、とミシェットは首を振った。
「お話は、ディオお義兄様から伺いました」
そう答える妻の瞳に悲しげな色が揺らめいたのを見て取り、とエリックは小さく嘆息した。その様子に、ミシェットは僅かに唇を噛み締める。やはり彼の中でこの事件の悲しみは根深いのだ。
「今日は、慰霊式があると伺いました。私も参列したくて参りましたが、ご迷惑でしょうか?」
微かに震えを含んだミシェットの声音に、エリックは慌てて首を振った。
「まさか。でも、退屈だと思うのですが」
困ったことに大人になった今でもそうなのだが、エリックは昔から式典などの礼装をして大人しくしているような場が大の苦手だった。姿勢を正したまま静かにしていなければならないそういう場は、眠くなるし退屈だし、できれば欠席したいものだったりする。
大丈夫です、とミシェットが頷くので、意外な思いをしながらもエリックも頷いた。
「あと一刻もしないで始まります。会場もそろそろ準備を始めていると思うので、移動しましょうか」
「あ、じゃあ、私は行きますね。終わる頃にまた戻りますので」
エリックがミシェットの手を取ったところで、メアリがそんなことを言い出した。慰霊式が行われている間は市場に行くと言っていたので、そこへ向かうのだろう。
「屋敷に戻っていていいぞ。ミシェットは俺が送るから」
買い出しの荷物を抱えてうろつくのは骨が折れることだろう、とエリックが提案すると、メアリは困ったようにミシェットを見つめるが、頷き返してやると安心したようだ。じゃあお言葉に甘えて、と微笑んで軍港を出て行った。
「私、ひとりで戻れます。お忙しいのに送って頂くのは、申し訳ないです」
「大丈夫ですよ。式が終わったら昼の休憩に入る予定だったので、まったく問題ありません」
手を繋いで歩き出した夫を見上げて言うと、彼はからりといつもの笑みを浮かべて否定した。それでは休憩時間が減ってしまうではないか、と困惑するが、あまり問題ではないらしい。
入って来たところとは別の出入り口があるらしく、連れられるままに脇道に逸れて石造りの階段を昇ると、軍司令部の裏手に出た。そこから壁伝いに細めの道を通って行くと、慰霊碑のある広場に丁度出て来られた。
「……うわっ」
広場に足を踏み入れかけたところで、エリックは小さく声を零した。その声を怪訝に思って見上げると、後ろからついて来ていたアレイスター達も同じように嫌そうな表情をして、小さくなにかを呟いている。
なんだろう、と彼等の視線を追って慰霊碑の前に目を向けると、一人の将校の姿があった。
彼の胸許を飾る勲章の数はエリック達のものよりも多く、服装も少し違う。階級が違うのだろう。
あれはいったい誰なのだろう、と首を傾げるが、すぐにある人物の名前が思い浮かんだ。
「ニコラス・グリンフォード提督でいらっしゃいますか?」
ミシェットは少し大きめの声でその将校に声をかけた。エリックが横でギョッとしている気配があったが、それを振り切って歩き出す。
「誰だね、きみは?」
振り返ったグリンフォードは見慣れない子供の姿に怪訝そうな目を向け、微妙な表情で立ち尽くしているエリック達の姿にも目を向けた。
「突然お声かけするご無礼をお許しください、提督閣下。ヴァンメールのマリー・ミシェット・エル・ダンテスと申します」
すぐ傍まで歩み寄ったミシェットは、礼儀正しく一礼した。
「我が国の事情に因って長旅をして頂いたということで、心より感謝申し上げます。また、大切な祖父からの手紙を届けてくださり、ありがとうございました」
名乗られた名前にグリンフォードは僅かに戸惑いを見せたが、他国の国主一族の娘であるミシェットは尊重しなければならない存在であるので、すぐに姿勢を正し、軍式の敬礼を向けた。
「……公孫殿下は、何故このような場所に?」
これから行われることはブライトヘイル王国の者にしか関わりのないことで、ほんのひと月ほど前にこちらに来たばかりの他国人には用はない筈だ、と老提督は眉を寄せた。
ミシェットは言葉を選びながら、静かに口を開く。
「お孫様のことは、お聞きしました」
途端にグリンフォードの表情は険しいものに変わった。しかし、怯むことなくまっすぐに見つめ返し、更に言葉を続ける。
「痛ましい事故であったと聞いております。今日は慰霊式があるということで、亡くなられた多くの人々に哀悼の意を示したく、参列させて頂こうと思ったのです」
まっすぐに対峙するミシェットとグリンフォードの様子に、エリック達はとても口を挟めなかった。黙って成り行きを見守るしかなく、同時に、幼い妻の考えていることが読めなくて困惑した。
二人は黙って見合っていたが、ミシェットの様子に含みはないと判断したグリンフォードは、ふっと表情を緩めた。
「幼いと伺ってはいたが、思ったよりもしっかりした方ですな」
「褒め言葉でしょうか?」
「もちろんですよ、公孫殿下」
「ありがとうございます」
ミシェットが丁寧に頭を下げると、グリンフォードは微かに笑みを浮かべる。
「面識もない我が孫の死を悼み、冥福を祈ってくださると言うのか」
「はい。ご迷惑でなければ」
もう一度まっすぐに見つめ返すと、グリンフォードはその目を同じくまっすぐに見つめていたが、ややして静かに頭を下げた。
「ラクレア艦長」
頭を上げたグリンフォードは、立ち尽くしていたエリックに声をかける。その声にエリックは思わず姿勢を正した。
「よい伴侶を得られたようだ。改めてお祝い申し上げる」
「はっ」
敬礼で返しながら、エリックは驚きを隠せなかった。
今、グリンフォードは、いつものように嫌味な口調の敬称ではなく、エリックの正式な階級で呼んだ。恐らく初めてのことだ。
このことが意味するところを考えようとしているうちに、グリンフォードは踵を返し、再び慰霊碑へと向き直ってしまった。
代わりにミシェットが振り返る。そうして微笑みを浮かべて戻って来たので、エリックはいつものように膝をついて視線を合わせた。
「彼になにをしたんですか?」
「なにもしていません。お祖父様のお手紙を届けてくれたことのお礼を言って、慰霊式に参加することをお伝えしただけです」
世話になったので、直接会う機会があれば礼を言おうと思っていた。
ミシェットが敢えて意図してやったことではなかったが、そのミシェットの誠実な態度が、凍りついて身動きの取れなくなっていたグリンフォードの心の奥底に届き、今まで行ってきた己の愚かな態度を振り返らせることになったのだ。
十年近くに渡って続いて来た確執が、この一瞬で綺麗に氷解するとはエリックも思っていない。けれど、関係が少し変わり始める契機になったのは明らかだと感じられる。
グリンフォードから、エリックほどではないにせよ冷遇されてきたアレイスター達も、驚きは隠せなかった。あの陰険で嫌味たらしい男が、なんの含みもなくあんな言葉を口にするなんて、目の前で見聞きしていても信じられなかった。
(ミシェットには驚かされる……)
初めて出会ったときは気が弱く大人しい少女だと思っていたが、心根が優しいが芯が強く、エリックなどよりもずっと広い心の持ち主だと改めて気づかされる。
目の前で柔らかく微笑む幼い妻の顔を見つめながら、エリックは彼女の新たな一面を垣間見た思いがして、心から感嘆した。
「よき伴侶……」
先程グリンフォードに言われた言葉を反芻して呟くと、ミシェットが怪訝そうに仰ぎ見てきた。それに笑みを向けて頷き、慣れた仕種で腕に抱え上げた。
「どうかなさったのですか?」
不思議そうな顔で夫を見つめると、彼は緩く首を振った。
「あなたを妻に迎えられたことを、改めて感謝しているところです」
その答えにミシェットはパッと頬を染めたが、はにかんで首を振った。
「私の方こそ、エリック様のお嫁様にして頂けて、神様に感謝しています」
そんな言葉を告げる幼い妻が愛しくて、エリックはそっとその頬に手を伸ばす。
愛らしい小さな唇に口づけようと顔を近づけたところで、広場に鐘が鳴り響いた。正午になった合図であり、慰霊式の始まる合図でもあった。
残念、と心中で苦笑して、参列者達の中にミシェットを降ろし、軍属の者の並ぶ場所へと歩いて行った。
「不謹慎ですよ」
整列しながら、隣に来たティムが小声で注意してくる。その隣で他の同期達も頷いていた。なにをしようとしていたのか気づかれたらしい。
不謹慎なのはわかっているが、それでも、この時間をこんなにも穏やかな気持ちで迎えたのは初めてだ。きっとミシェットのお陰だろうと思えた。
「新婚だからな」
同期達からの小言に、エリックは苦笑して肩を竦めた。




