幕間2 エリックのとある一日~正午~
国王の第一子として誕生したメリーウェザーは、幼い頃から礼儀正しく賢く、とても聞き分けのよい子で、両親の自慢の娘であった。愛くるしい笑顔を振りまく優しい性格は国民にも慕われていた。
しかし、弟達は知っている。彼女が外面のいい暴君だということを。
一番の被害者は、もちろんすぐ下の弟であるアーネストだ。
メリーウェザーが四歳のときに生まれた弟は、待望の男児ということもあり、それまで蝶よ花よと育てられてきた彼女に向けられていた関心を、産声を上げた瞬間にすべて奪い去って行ったので、まずは嫉妬の対象になった。幼い子供のことなので仕方がない。それでも暴力を振るったりしなかったのは、彼女が賢かった所為かも知れない。
メリーウェザーはアーネストがよちよち歩きを始めると、ちょっとした意地悪をするようになった。小さな弟がお気に入りのぬいぐるみを求めてよちよちしていると、それを取り上げて遠くに投げたり、絵本を読み聞かせてやっていたかと思うと、子守り達が少し席を外した際にその本を破って弟の所為にしてみたり。
赤ん坊故にアーネストが叱られるようなことはなかったが、とにかく小さな意地悪を繰り返していた。
次に彼女の標的になったのは、もちろん次男のクラウディオだった。
彼女達の母親であるレティ王妃がクラウディオを生んだ際に、産後の肥立ちが悪く、半年ほど寝ついたあとに他界した為、母を奪われたような気分になったのだ。
よちよち歩き始めてついて来ていても遊んでやらないとか、アーネストを連れて一人だけ置いてけぼりにしたりなど、アーネストが赤ん坊のときよりもあからさまな意地悪をしたが、母を亡くした悲しみに怒りの持って行き場を失っているのだろう、と誰もが憐れんでなにも言わなかった。
幸いにもクラウディオは、物心つく前から自分の世界を持ったのんびりとした性格だったので、姉に意地悪をされていようとも、あまり気にしていないようだった。子守り達が相手をしてくれていたので尚更だろう。
そうこうしているうちに、王は二人目の妃を娶った。エリックの母であるリディアだ。
マルス王国から嫁いできたリディアは当時まだ十八歳で、八歳になっていたメリーウェザーとは年もそう離れておらず、彼女は「お姉様ができたみたい。私、ずっと姉妹が欲しかったの」と大喜びだった。
その頃から精神的に落ち着いたのか、弟達に対する意地悪は頻度を減らしていく。姉の関心が新しい義母に移っている間に、弟達は密かに結束していった。
二年ほどするとリディアはめでたく懐妊し、産声からして元気過ぎる男の子を生んだ。
慕っていたリディアの生んだ末の弟であるエリックを、メリーウェザーはとても可愛がった。妹ではなかったことを残念がりはしたが、男の子なのに目がくりりっと大きく、母親似なので余計に可愛かったらしい。
エリックが二歳になった頃、リディア王妃は二人目の子を懐妊したが、早産の上に死産となり、更にはそのときの負担からそのまま帰らぬ人となってしまった。
今までの経緯から、これはまた姉に意地悪をされるようになるのではないか、とアーネストは幼心に警戒したのだが、彼女の関心は相変わらずリディアによく似た小さなエリックに向いていて、難を逃れた。
メリーウェザーはエリックをとても可愛がっていたが、この頃から既にやんちゃだったエリックは、可愛い、可愛い、と愛玩物のようにして異母姉に抱えられているのが嫌で、度々抜け出しては二人の異母兄の許へ走って行っていた。異母兄達も自分達よりちびのエリックに慕われるのに悪い気はせず、外遊びに連れ出して庭園を駆け回り、いろいろ悪戯に巻き込んだり、ときには悪戯して揶揄ったりして遊んでやっていた。エリックも男兄弟の方が気安かったので、異母兄達といることが増えていった。
そうなってくると、一人女のメリーウェザーはつまらない。
アーネストはすっかり大きくなってしまっているので面白味はないが、ぼんやりしているクラウディオも小さなエリックもまだ遊べる対象で、この二人を標的にした。
人形遊びにつき合わせたり、自分の幼い頃のドレスを着せて姉妹のようにお茶会を開いてみたりというようなことをしていたが、二人は嫌々ながらも逆らえなかった。それというのも、妃を二人も亡くした父王はすっかり消沈していて、一人娘のメリーウェザーには甘く、息子達には「お姉様を大切にしなさい。男なら女性に優しくするものだ」と教え込んでいたので、弟達は姉の無茶な要求には応えざるを得ない状況に置かれていたのも手伝い、長女の暴走は留まるところを知らないでいた。
それから約二十年――その頃に染みついた力関係はなかなか抜けず、姉が十九で大恋愛の末に降嫁してからも、弟達は姉の言動に緊張を強いられる関係のままだった。
「アヌの具合はどうなの? もう産み月でしょう」
人参のソテーを優雅に口に運びながら、メリーウェザーはアーネストに尋ねた。
「昨夜から腹が張るようです。今日は寝室で安静にさせていますよ」
アーネストの妻であるアヌ王妃は、あと半月ほどで出産の予定となっている。今度は男の子ではないかと産婆は診立てており、アーネストはもとより、家臣達も大いに期待しているところだ。
「まあ、そうなの。可哀想に。あとで見舞っても構わないかしら?」
「是非そうしてやってください」
アヌはメリーウェザーを慕っていた。相変わらず外面のいいメリーウェザーは、十六で他国に嫁いできた可憐な花嫁にとてもよくしてやり、そんな親切な義姉の存在は、不安でいっぱいだった少女には大きな救いとなったのだ。
クラウディオとエリックは黙々と食事を進めながら、上の二人の会話に耳を傾けていた。
「エリー」
皿の上の最後の一切れを口に入れたとき、長女の矛先は末弟へと向けられた。
「――…はい、異母姉上」
「メイお姉様と呼びなさい」
「……メイ異母姉様」
言い直すと、メリーウェザーはにっこりと微笑む。
「先日はうちの子達がお邪魔して、新婚さんには悪いことをしてしまったわね」
ごめんなさいね、と指先を合わせた。一応は謝罪のつもりらしいが、全然そうは思っていないのが見てわかる。アシュリーを泣かせたのだから当たり前か。
「でも、聞いていなかったから驚いてしまったわ」
暴君は更ににっこりと微笑んだ。もうじきに三十四歳になるのに、目尻や口許に小皺も浮かばない美貌は、その笑顔だけで凄味がある。
今度の言葉の矛先はアーネストに向いている。だが、恐らく三人の弟達に揃って向けられているのが感じられ、三人揃ってぴたっと固まった。
「まさかエリーが結婚するなんて」
細められて向けられている長女の瞳は、その美貌に浮かんだ笑顔と裏腹に、欠片も微笑んでいる感じがしない。
エリックは素早くアーネストに目配せする。それを受けたアーネストもエリックに目配せし返すが、それをひと睨みで跳ね返されたので、仕方なく間にいるクラウディオに助けを求めるように視線を投げる。だが、クラウディオはするりと目線を逸らしてしまった。
アーネストは覚悟を決めるしかなかった。確かにこの婚姻を受け入れたのはアーネストで、エリックを相手に選んだのもアーネストだからだ。
「じ、事情が、ありまして……」
声が僅かに裏返りそうになるが、当たり障りなく答える。
へえ、とメリーウェザーは頷いた。目が相変わらず笑っていない。
「可愛いエリーのお嫁さんには、家柄のしっかりした、性格がよくて可愛いお嬢さんを推したかったのよ、私。それなのに、あなた達はお姉様にひとことも相談なく、勝手に決めてしまうのね。いくら降嫁したとはいえ、あなた達にとってたった一人の姉じゃないの。冷たいわ」
その言い分では、ミシェットの家柄がしっかりしてないし、性格が悪くて可愛くないと言っているようなものではないか。エリックは少しムッとした。
「ブラッドストーン公爵夫人」
黙っていたクラウディオが、静かに口を開く。
普段からあまり積極的に関わってこない弟の声に、メリーウェザーは意外に思いながらも「なぁに?」と答えた。
「今回のエリックの婚姻は、政治的なものが絡んでいます。外交の問題です。それは国政に関わらぬあなたに相談すべきことではない」
毅然とした次男の言葉は、外務大臣として国政を担うロナン公爵の言葉だった。
メリーウェザーは少し驚いたような表情をしたが、弟がなにを言わんとしているのか汲み取り、素直に頷いた。
「そうね、そのとおりだわ。でも、家族なのだから、ひとことくらいなにかあってもよかったのではなくて? あなたもアーネストも、婚約が調ったときには連絡をくれたでしょう? それなのに、エリーはなにも言ってくれていない」
「そのことは、申し訳ありません。俺が至りませんでした」
エリックは立ち上がり、異母姉に向かって素直に頭を下げる。
今回のことはなにもかもが急過ぎたのだ。婚約云々よりも一刻も早く入籍し、ミシェットを国外に連れ出す必要があったからこうなった。それ故に、ブライトヘイル王国内でもエリックが妻帯したことを知っているのは、まだほんの一握り程のことだろう。
だが、自分が礼を失したことで、ミシェットの存在を悪く取られるのは嫌だった。いくらまだ公式に発表してないからとはいえ、メリーウェザーにはひとこと報告に行くべきだったのだろう。
お座りなさい、と溜め息混じりに促され、席に座り直す。
メリーウェザーは三人の弟達を順繰りに見つめる。
「確かに、既に降嫁して王家の籍を離れ、国政に携わっていない私ですから、そのことに関してはなにも言いません。国王陛下の決定に従いましょう。けれど、やはり報告を頂きたかったのよ」
余程そのことが引っかかっているらしい。メリーウェザーはナプキンで涙を拭く振りをしながらそんなことを言う。
三人は顔を見合わせた。
思えば、小さい頃から仲間外れにされるのを嫌い、弟達が集まっていると必ず割り込んで来て我儘を言って邪魔をされ、いろいろと振り回されていた覚えがある。
今回のことも、姉だけを抜きに三人で決めてしまったのが気に入らないのだ。ヴァンメールから話をもらったときか、エリックが出港する前に少しでも話を通しておいたら、こんなにネチネチと言わなかったかも知れない。
相変わらず暴君様は子供じみた独占欲をお持ちだ。三人は揃って心中で溜め息を零した。
(エル坊、さっさと姉上のところに姫を見せに行け)
(そのつもりでしたよ。顔の痣が消えてから)
(エリックはのんびりだなぁ)
(ディオ異母兄上は黙ってて!)
三人はさっと視線だけで会話し、結論として、エリックが挨拶に出向くのが遅れたのがいけない、ということになった。
いろいろ言われるだろうことが想定できたので、右目のまわりにあった青痣が目立たなくなってからきちんと出向こうとしていたのだ。だから、五日前に届いた訪問を求める手紙には断りを伝えたのだが、ブラッドストーン公爵家の子供達は予告なく襲撃して来るし、そのときにミシェットのことも知られてしまうし、順番がすべて狂ってしまったというだけのことだ。
やっぱりあのクソガキ共は悪魔だ、とエリックは内心で悪態を吐く。一応は血の繋がった可愛い甥姪だが、我儘が過ぎて、特に上の二人は大変憎らしくも感じるのは事実。
完全に母親似なのだ。アシュリーなど特に、顔だけでなく立ち居振る舞いや考え方に至るまで、小さい頃のメリーウェザーにそっくりだ。だから本気で声を荒げて叱ったりすることができない面もある。
「本当に申し訳ありませんでした、メイ異母姉様」
エリックは静かに吐息を零しながらもう一度頭を下げた。
「今回のことで俺が怪我をしていたし、ミシェットも――妻も、故郷で負った怪我が完治していなかったので、少し落ち着いてから伺うつもりだったんです。異母兄上から謹慎処分も食らっていましたし」
アーネストがじろりと睨みつけてきたが、本当のことなので無視する。
メリーウェザーはその答えでいくらか納得したようで、食後のお茶に手を伸ばした。
「奥様は、随分お若い方だと聞いたけれど」
尋ねてくる口調には責めるようなものはもう感じられない。
「ええ、そうですね」
若いというより幼いのだが、と思いつつも頷くと、メリーウェザーは僅かに身を乗り出して「どんな方?」と重ねて尋ねてきた。
「どんな……? 小さい、です」
ミシェットのことを説明しようと思って真っ先に浮かぶのは、片腕で抱き上げられてしまうくらいに小柄な身体だ。たぶん同い年の子供を並べてみても、かなり小さい方だと思う。ひとつ違いのレティシアよりかなり小柄だったのは確かだ。ふたつ下のフレデリックとの方が同じくらいに見えたような気がする。
ぷふっとクラウディオが噴き出す。
「小さいって……くっくっ。エリック、いくらなんでも……ふふふっ」
普段あまり積極的に喋らないクラウディオは、結構な笑い上戸だ。一度ツボに入るとしばらく笑い続ける。
確かに小さい姫だったけども、とクラウディオは思い返す。レディ・エスター号の甲板でちょこちょことエリックの後ろをついて歩いていた姿や、エリックに抱き上げられていた姿を思い起こし、更に笑い出す。
「とても可愛らしい姫君ですよ。大人しい方だと思うけど、エリックとは上手くやっているようです。なあ、エル坊?」
言葉の足りない末弟を補足するようにアーネストが言葉を継ぐと、笑いを堪えてふるふると震えているクラウディオもなんとか頷き、長兄の言葉を肯定した。
「まあ、仲良くはしているつもりです」
まだ出会ってからひと月経たないくらいで、一緒に暮らし始めたのも同じくらいだ。親しくなろうと努めてはいるが、今のところまだお互いのこともよくはわかり合えていない状態だろう。完全に打ち解けるにはもう少しかかると思う。
ふと、今日は仕立て屋を呼ばせていたことを思い出す。
あの幼い妻は、どんな服を仕立てたのだろうか。彼女の性格からして、エリックが好きだと言った青いドレスと、似合うと言った淡い色のものは仕立てるつもりだろうが、どうなっただろうか。
新しいドレスが仕上がったら、弁当でも作って何処かに出かけよう。だが、その頃には雪が降ってしまっているかも知れない。そうしたら少し遠出をして、南の保養地あたりにちょっと旅行に出かけるのもいいかも知れない。
そんなことを考えていると、メリーウェザーがカップを置く音がやけに大きく会食室に響き、ハッとして視線を向けた。
暴君は魔女のような、美しいけれど凄惨な笑みを浮かべていた。
「エリーの奥様に、お姉様はまだ会っていませんよ? それなのに、お前達は二人とももう会ったというの?」
あっ、とアーネストは口を半開きにして固まる。クラウディオも痙攣のように続いていた笑いをぴたりと治め、しまった、と口許を引き攣らせた。エリックも胃の奥の方がきゅっと縮み上がるような感覚を抱いた。
これはよくない感じだぞ、と弟達はお互いの気配を探り合った。
暴君様の精神的にチクチク刺される長い長い小言が始まる前に、どうにかして逃げ出さなければならない。捕まったが最後、午後いっぱいはしっかりつき合わされる。それぞれ仕事は溜まっているのだから冗談ではない。
今すぐに逃げなければならない。これは是非もなく最優先事項だ。その為には誰を犠牲にするべきか――答えは決まっていた。
察したエリックは即座に立ち上がり、行儀が悪いのは百も承知で、一目散に扉へ向かって駆け抜けた。
背後から異母兄達の声が聞こえたが聞いていられるか。これでも自分の身は可愛い。




