9 レヴェラント島
「これはこれは……」
望遠鏡で様子を窺っていたゴッサムは、にやりと口許を歪めた。
挨拶代わりの砲弾に身分を明かすことで答えてくるとは、なかなかに強気だ。
海賊船に目をつけられて所属旗を高々と見せつけることは、自分はこういう身分の者だから手を出さないでくれ、見逃してくれ――という命乞いの場合もある。しかし、あの船の場合は『これが誰の船だかわかっているんだろうな』という威圧を感じられる。
「ブライトヘイルの第三王子はまだ若造だと聞くが……肝が据わっておるのか、はたまた若気の至りか」
大海賊エイドリアン・ゴッサム、当年とって五十七歳。もう老齢といってもいい年だが、肉体気力共にまだまだ若々しく、他の船員に引けを取らない逞しい体躯を揺らして笑った。
「ただの愚か者でしょう」
久しぶりに骨のありそうな若者との交戦に「愉快愉快」と楽しげに笑い声を上げていると、彼の背後から女の声がぴしゃりと言い放った。
高価なドレスの裾をたくし上げて銃帯で留め、大胆にもすらりと伸びた太腿を露出させた勇ましい姿の女は、ヴァンメール公国第二公女アイリーン・エル・ダンテスだった。
姪夫妻が出立する前夜に行われた正餐会に出席したあと、僅かな手勢を率いて密かに出国し、以前から繋ぎをつけていたゴッサムの許へ赴いたのだ。邪魔なマリー・ミシェットの死を自ら確認する為に。
レディ・エスター号が損傷もなく航行している様子を見ると、見張りと始末を任せていた者達は、尾行すらも失敗したようだ。こんな単純な命令さえも遂行できないとは情けない、と嘆かわしく思う。
「計画ってものは二重三重に練っておかなければならないのよね」
身を隠せるもののない海上を追跡させるのだから、気づかれることは織り込み済みだった。追跡が完全に失敗した場合の次の手として、軍船でも確実に沈められる戦力を用意することにしていたのだ。
ゴッサムには今回の計画で手付として契約の半金を渡しておき、追跡させていた手の者が始末をつけられていればそこで計画は終了となり、残金の三分の一だけを違約金として払うことで合意していた。それでもかなりの高額である。
これで契約金の全額を頂くことになるな、とゴッサムはにやりとする。
「どうかしらね。あの王子様は指揮官としては腕の立つ男らしいから」
アイリーンが鼻で笑うと、ゴッサムもまた豪快な笑い声を響かせた。それは海賊であるゴッサムも知っている。
エリックは随分と己を過小評価して謙遜していたが、海賊退治が得意な指揮官として有名だ。艦長になって三年足らずの間に捕らえた船長首は二十に届く数とか。
最近では、小さな商船を襲っているような弱小海賊は、あの部隊旗を見ただけで逃げ出すという噂があるくらいだ。お陰でここ半年程は北海で海賊の姿はほとんど見かけなくなっているらしい。
アイリーンは前方に白波を立てる船影を睨みつけた。
ゴッサムの船団は皆足の速い船で揃えてある。レディ・エスター号の速さにも引けは取らない筈だ。ブライトヘイルに帰国する前に沈められると踏んでいる。
「船長!」
唐突に航海士が声を上げた。
なんだ、と聞き返すと、陽に焼けた顔を奇妙に歪め、首を傾げている。
「いや……なんか航路が変なんすよ」
「変? 何処がだ」
「海図によるとブライトヘイルはもっと北寄りなんすけど、あの船、どう見ても西の方に向かってるんでさぁ」
追われているのだから最短距離――今の場合、南部の要衝ロナンに入港するか、大陸との間の海域を抜けて、北部にある王都タウゼントの港に向かう航路を行くものではないか、と航海士が言うので、ゴッサムもアイリーンも怪訝に思った。確かにそのとおりだからだ。
後甲板の観測所に登り、羅針盤と海図を受け取る。位置を確認すると、やはり通常の航路より随分と西の方へ逸れている。
「こいつぁは……レヴェラントに向かってやがるな」
ゴッサムは胸に届くほど伸ばした顎髭を撫で、呵々と笑った。
ブライトヘイル王国の領土とされているレヴェラント島の正確な位置は、実は誰にもわかっていないと言われている。もちろんブライトヘイルの海軍なら把握しているのだろうが、世界に流通しているどの海図を見ても微妙に位置が違っており、本来の位置が特定できないようになっているのだ。
これは困ったことに海洋国には昔からよくあることで、そのお陰で、ハイレン共和国などは向かい側のウルシア王国との領海線でしょっちゅう揉め事が起きている。その為に国際司法機関が仲裁に乗り出したことは数知れずだ。
このブライトヘイル王国に関しては、本島の西側には海が広がるばかりでなにもなく、対岸の陸地に辿り着くまでにはふた月以上の航海をしなければならぬ距離で、特に揉め事に繋がるような地形ではなかった為、問題視されてこなかった。
レヴェラントは伝説の女海賊レディ・エスターが根城にしていた島で、今でも彼女の財宝が山と眠っているという噂だ。海賊として狙わない手はない。
ゴッサムもその財宝伝説に憧れ、何度かレヴェラント島を捜したことがあるのだが、いくつかの海図を見比べて凡その場所を特定して向かっても、磁場がおかしいのか、近づくと羅針盤が狂って方向を見失ってしまう。それで毎回断念していた。
しかし、持ち主であるブライトヘイル海軍なら、正確な場所を知っているだろう。
船を追ってレヴェラント島に上陸できれば、ゴッサム達は伝説の財宝を手に入れることができる。
目障りな海賊退治屋の王子を始末し、ヴァンメールのお家騒動の手伝いの報酬を受け取り、更に伝説の財宝を手に入れられる――なんとも美味しい一石三鳥の話ではないか。
ゴッサムは前方の船を慎重に追うように指示を飛ばした。
最初の砲撃以降、ゴッサム達が攻撃をしてくる気配はない。速度を上げて追いつこうとしてはいるようだが、まだまだ距離もあり、このまま逃げ切れそうな気さえする。
帰国したクラウディオは、もう出撃してくれただろうか。正午には会敵することになりそうなので、それまでには合流したいところなのだが。
レヴェラント島付近の海流は、ヴァンメール公国の領海ほどではないにせよ、非常に読みにくい流れをしている。エリック達は慣れているのでなんの問題もないが、南海の海賊なら手古摺るだろう。
「さすがはゴッサムですねぇ」
索敵していたコレットが感心したように呟く。
五隻の海賊船は左右に大きく展開し、陣形を整えながら追って来ている。距離が詰まればすぐに対応できる戦列だ。一隻だけのこちらは、あのまま追いつかれて包囲されたらひとたまりもない。
さすがに慣れているな、と思う。伊達に二十年以上も各国の海軍から逃げ切っているわけではないのだ。
戦力的に船の数で劣っているうえに、今回は軍事行動の航海でなかった為、砲弾の補充は最小限に留めていたのが悔やまれる。速さを優先してのことだったのに、それも追いつかれていては意味がない。
風向きは今のところこちらの味方をしてくれているようだが、なかなかゴッサムの船団との距離が開かない。向こうも相当速い船なのだ。
(なるべく背後を取られるのは避けたいんだが、上手くいかないな……)
船の前後は攻撃に弱い。砲門がふたつずつしか装備されていないからだ。戦闘時にはお互いに横づけし合って撃ち合い、相手の船に移乗して斬り結ぶのが基本である。
ゴッサム達は五隻の船団で、合計すれば前方だけで十門の大砲があることになる。それに狙われたらこちらはどうしようもない。そういう事態を躱す為に、エドガーが巧みな操船で真後ろを取られないように上手く位置取っている。
ブライトヘイルの領海に入ってから少し経つが、残念ながら巡視船と行き会わない。哨戒時間とは少しずれていたのかも知れない。
しかし、そろそろよい頃合いである。伝声管を開き、砲手長へ指示を出す。
「空砲用意! 二発のち、間を空けて一発」
「空砲二発のち一発、了解!」
復唱の声を聞き届けたのち、エリックはミシェットを抱き寄せて耳を塞いでやる。
程なくして、ドドン、と船体を震わせながら砲身が唸りを上げた。ミシェットが驚いて目を丸くしている間に、もう一度空砲が放たれた。
連続した二発のあとに一発の砲撃をするのは、緊急時を知らせる為に軍内で決められた合図だ。この音が巡視船に届けば異常ありと報告され、すぐにも南方支部から艦隊が出撃してくれる筈だ。
ただ、少し引っかかるところは、今の南方支部の艦隊司令が、エリックにあまり友好的ではないグリンフォード提督だということだ。
まさか友軍の窮地を見捨てるなどということはないと願いたいが、普段から邪険にされていることを思うと、どう出るかわからないところがある。そのことを踏まえて、クラウディオは王都に向かう船に乗り込んだのだ。
エリックのなにが気に入らないのか知らないが、以前からとにかく邪険にされている。軍議に参加すれば発言をすべて嘲笑われ、合同演習となれば必要な伝達事項を一切寄越さないで困らせ、終いには必ず「近頃の若者は調子に乗るばかりで困る」と吐き捨てられる。勘弁して欲しい。
嫌なことまで思い出し、エリックは口許が引き攣った。
「――…艦長、思ったより雲の流れが速い。レヴェラントに着く前に荒れるかも知れません」
天候を見ていたティムが緊張を含んだ声音で報告する。海上も風が強めだが、上空はこれよりも遥かに強い風の流れがあったようだ。
「レヴェラント、見えました! 十一時方向、僅かに針路修正願います!」
「取舵了解!」
嵐になるのだけは避けたいところだ、と願っていると、メインマストの上からも報告があった。待ち望んだ島影がようやく見えて来たのだ。
すぐにエドガーが舵を切り、指示どおりに方向を直した。
「ミシェット、話があります」
エリックの腰のあたりにしがみついていると、ぽんぽんと頭を叩かれて呼ばれる。なんだろう、と思って顔を上げると、恐いくらいに真剣な青い瞳が見つめていた。
「これからこの船は戦場になります。確実に」
「……とても危ないのですね」
「はい。だから、レヴェラントに着いたら、船を降りてください」
ミシェットは驚いて目を瞠った。
嫌だ、とはさすがに言えなくて、その言葉の代わりに、夫の制服を握り締める指先に力を込める。
「入り江で降ろします。そこから見える滝の裏に抜け道があるので、そこを通って奥に向かってください。苔で滑るので足許には十分気をつけて」
「エリック様……」
「抜けると向こう側は森になっています。よく見ると道ができているので、それに沿って奥に行ってください。石造りの集落と、大きな建物が見えてきます」
「エリック様……」
「あとでシーモアに言って食糧を用意してもらいます。ミシェットが運んでも疲れない分しか用意しないので、三日ほどしか保たないかと思います。それまでには異母兄が迎えに来てくれると思いますので、静かに隠れていてください」
「エリックさまぁ……っ」
こんなことをしては駄目だとわかっているのだが、嫌々と駄々っ子のように首を振ってしまう。涙が溢れてきた。
淡々と静かに説明をするエリックが恐かった。
どうしてミシェットをひとりで行かせるのだろう。どうしてエリックではなく、クラウディオが迎えに来ると言うのだろう――ミシェットにはそれの意味するところがわからなかった。わかりたくなかったのかも知れない。
けれど、なにかただならぬ覚悟が、今は必要なのだということはわかった。
ぽとぽとと涙を零し始めたミシェットの目の前に屈み、エリックはその涙を大きな掌で拭った。
「あなたを泣かさないとご両親に誓ったというのに、泣かせてしまいましたね」
エリックが悲しげに小さく苦笑するので、ミシェットは力いっぱい首を横に振り、その逞しい首筋に抱き着いた。
「エリック様が、お迎えに来てください」
精一杯の気持ちを込めて耳許に吹き込む。
「ヴァンメールに来てくださったときみたいに、またお迎えに来てください」
「ミシェット……」
「エリック様がこのお船で――レディ・エスター号でお迎えに来てくださらないと、私、何処にも行きません」
今生の別れのような口振りが許せなかった。どうしてそんな言い方をするのだろう。
無力な自分はなにもできない。エリックの大きな手を頼って寄りかかることしかできないのはわかっているから、せめて迷惑にならないように、言われたとおりに船を離れよう。
けれど、これくらいの我儘は許されてもいいと思う。
首筋にミシェットの吐息の温もりと、涙の冷たさが降りかかる。エリックは妻の小さな背中に腕を回し、力強く抱き締めた。
「……わかりました。迎えに行きますから、待っていてください」
「はいっ」
ミシェットが頷いたとき、ぽつりと雨粒が降って来た。
ああ、とティムが嘆かわしげな声を上げる。とうとう雨雲に追いつかれたのだ。
真っ黒な雲は頼んでもいないのに真上にやって来て、落としてくる雨粒の量を次第に増やし、更にはゴロゴロと低い音を響かせ始める。風はまだ強く波を大きくしているので、このままだと大きな嵐になる。
「荒れるぞーッ! 檣楼員、気をつけろぉ!」
コレットが声を張り上げてマストの上に注意を呼びかけると、黒い雲の中がビカッと鋭く光った。音は僅かに遅れて鳴り出す。
マストの上にいると落雷があったときに危険だ。各マスト上にいる檣楼員にすぐに降りるように指示を出し、甲板には嵐に対する備えをするように声をかける。
このまま本格的な嵐になるのなら帆は畳んでおきたいところだが、目的地まではあと僅かで、できるなら今の速度を維持したい。落雷がないことを祈りつつ、針路の調整を図った。
「北の入り江に入るまで逃げ切れるか?」
「ここらの海流なら、こっちに分があります。お嬢さんを降ろすまでは稼ぎますよ」
尋ねると頼もしい操舵手は心強い返事をくれた。
時間はもうほとんどない。ミシェットに船を降りる支度をさせる為、指揮を一時コレットに預けて艦長室へ向かう。
滅多に使うことはないが、入隊時に支給された行軍用の背嚢がしまってあった筈だ、と棚を捜し、新品同然の背嚢を引っ張り出す。ミシェットの体格には大きいが、手が空いている方がいいだろう。
「この袋に大事なものを入れておいてください。俺は厨房に行って来ます」
ミシェットが頷くのも見届けずにエリックは出て行ってしまう。
(おれって、言ってた……)
船の上にいるときのエリックは口調が少し荒くなる。それでもミシェットに対するときはいつもどおりの優しく穏やかな口調だったので、それが少し荒くなったということは、それだけ彼に余裕がなくなってきているのだろう。
ミシェットは言われたとおりに支度を始めた。いつもは侍女や女官がやってくれるが、今はひとりなのだからそれくらいやらなくては。
鞄を開いて、母の形見の首飾りや指輪などが入った宝石箱を取り出し、背嚢の中へ詰める。次に父との思い出が詰まった本を一冊だけ取り出し、それも入れた。少ししか持ち出せないのなら、このふたつがあればいい。あとは小物が入った小さな手提げをそのまま中に押し込む。
最後に胸許に触れ、祖父から託された指輪の存在を確かめた。長い紐をつけた革袋を首にかけ、下着の中に入れているのだ。
少ししてエリックが戻って来ると、彼は食糧の説明を始める。
「これはパンで、こっちは干し肉です。この肉は日持ちはしますけどかなり固いので、水で煮てから食べた方がいいです。煮炊きはしたことはありますか?」
「ないです。でも、燐寸は擦れます」
「じゃあ大丈夫ですね。鍋と皿は砦の中に残っている筈なので、それを使ってください。水場もありますから。あとは果物を少し持って来ました」
説明を終えた包みから背嚢の中へしまっていき、怪我をしたときの為に少しの傷薬と包帯などを入れ、最後に部屋の隅から雨具を取って来た。
「少し大きいですが、着て行ってください」
外套の上から羽織ると身動きが取り難そうだが、これから夜は冷える。雨に濡れた身体では体調を崩すのは目に見えているので、無理矢理着込ませた。
もこもこになったミシェットは背嚢を背負わせてもらい、手を引かれて艦長室を後にした。
外はだいぶ雨が強くなっていた。風は朝から強かったので揺れは気にしていなかったが、雨が加わると景色は一変することを知る。
「艦長! もう間もなくレヴェラントに着きますよ!」
甲板に出るとコレットが報せて来た。遠くに薄っすら見えていた島影は、もうはっきりと見える距離まで来ている。
「艦長、僕にも下船の許可をお願いします」
後甲板に上って行くと、ティムがそんなことを言い出した。
何故か、と問えば、緊張した面持ちで「お嬢さんの護衛をします」と答えた。
「乱戦になったら僕は戦力になりません。それに、お嬢さんをひとりで逃がすより、艦長も安心できるんじゃないでしょうか」
ティムの申し出は尤もだ。彼は軍属ではあるが頭脳労働の方の人間なので、近接戦闘に入るとあまり役に立たなくなる。本人がそれを一番わかっているので、この話に至ったのだろう。
基本的には戦力にならないとはいえ、予備隊で一応は基礎訓練を受けているので、武器の扱いも問題はない。ミシェットも彼には慣れているし、一緒に行かせるなら安心がある。それに航海士である彼が一緒なら、万が一クラウディオからの迎えが叶わないことになっても、自力でブライトヘイル本島へ帰国できる。
「わかった。頼む」
許可を得たティムは頷き、自分も荷物を纏めに行くことを告げ、航海士室へ降りて行った。
これで準備は整ったのだろう。エリックはミシェットへ柱にしがみついて座っているように告げ、観測所に上がってゴッサム達の様子を窺った。
後方五隻の船団との距離は幸いにも然程縮まってはいない。この分なら予定どおりにレヴェラント島を回り込んで北側の入り江に行き、ミシェットを降ろすのに十分な時間が取れる。
風向きと波の具合を見ながら、レヴェラント島周辺の岩礁の地形を思い起こす。西側を回り込むようにしたのは、東側は遠浅で、島に寄りすぎると座礁する恐れがあるというのも理由のひとつだが、海中に隠れた岩礁が多いのも東側なのだ。特にこう荒れた海だと余計に見つけにくくなる。時期がいいことに、今日はそろそろ満潮の時刻だ。このあたりの地形を知らなければきっと岩礁に乗り上げるだろう。
こちらが西側を通る針路を取れば、向こうは当然距離的に短い東から回り込んでこちらを叩こうとするだろう。けれど、地形、海流を味方につけたこちらの方が、彼等より早く北側に回り込める。
そのことをエドガーに告げると、すぐに意図したことを汲み取ってくれ、レヴェラントの北側でゴッサム達を迎え撃つことに同意を示してくれた。
島がだいぶ近づいて来たので針路を僅かに修正していると、背後から砲声が響く。またもかなり遠い位置に水柱が上がった。
「撃ち返してやれ」
お互いに戦闘態勢に入るのは時間の問題だ。遠慮することはない、と伝声管で砲手長に告げると、了解、と明朗な返事があり、少しして船尾の砲門が火を噴いた。こちらもゴッサム達の船のかなり前方に着水して水柱を上げる。
雨足は強くなる一方だが、幸いにも雷鳴は遠退き、風向きもまだこちらの味方をしている。
戻って来たティムに海図と予備の羅針盤を託し、偵察用の小舟の元へミシェット共々連れて行く。四人ほどしか乗れない手漕ぎの小舟は既に用意されていて、あとは降ろすだけになっていた。
「ゴッサム達の動きはどうなっている!?」
「艦長の予想どおりです! 四隻は東側に回り込んでいます! しかし、一隻はこっちに向かっています!」
一隻だけならどうとでもできる。東に回り込んだ連中と合流する為に叩くつもりだ。
「島の陰に入ったと同時に降ろす。少し雑になるかも知れんが、堪えろ」
「はい、任せてください」
頷いたティムは用意の整った小舟に乗り込み、櫂を握り締める。
その向かい側にミシェットを座らせ、微かに震える小さな手を握り締めた。
「ティムの言うことを聞いて行動してください。すぐにこっちを片付けて、迎えに行きますから」
「はい。お待ちしています」
ミシェットは精一杯の笑顔を向けた。夫はそれに優しいいつも笑みで応えてくれる。
「抜けるぞ! 降下用意!」
コレットの号令で、集まっていた水夫達が手際よく小舟を降ろし始める。停船させていないときに降ろすのは危険だが、少しでも時間を短縮しなければ、砲弾の餌食になる。
島の向こう側に回り込むときに船体を反転させながら速度を落とし、その間に小舟を着水させたい。
「右舷、錨を降ろせ!」
船体を旋回させる助けにする為に錨を降ろさせる。指示は素早く行き渡り、錨が海中へと投下された。




