第86話 シン・義妹の事情
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『ダメダメダメダメ! 絶対ダメ!』
部屋に行っていいかと尋ねた際に返ってきた茉莉花の反応が、これであった。
電話で義父と会話して事の次第を把握した勉は、一刻も早く義妹の瑞穂と話す必要性を感じたのだが、あいにく当の瑞穂は既に茉莉花が部屋に連れて行ってしまっている。
何とも間が悪いとは思うものの……茉莉花たちが部屋を去ってから、それほど時が過ぎたというわけでもない。
ふたりが(あるいは瑞穂個人が)こんな時間からどこかへ出かけているとは考えられなかったし、彼女の方からわざわざ隣に引っ越してきたくらいだから、部屋への立ち入りぐらいあっさりOKが出ると勝手に思い込んでいただけに、この拒絶は驚きであり意外でもあった。
瑞穂とはかかわりなく、茉莉花自身に何かしら格段の込み入った事情があるのではないかと心配してしまうほどに。
「その……色々面倒かけて悪いとは思うが、急ぎであのバカに言わなきゃならんことがあってな」
『バカ?』
「いや、すまん。瑞穂だ、瑞穂」
『……瑞穂ちゃん、今、お風呂に入ってるって言ったよね?』
「風呂から上がるまで部屋で待たせてもらうわけには――」
『ダメ』
取り付く島もない返答に思わず鼻白む。
茉莉花と関わり合うようになってから、そして付き合うようになってからの記憶をさかのぼってみても、ここまで明確な拒絶の意思を向けられたのは初めてのような気がする。
それこそ、裏垢暴露騒動の際に彼女の実家に訪れた時も、こんなことは――
「何でダメなんだ? 前に立華の家に行ったときは中に入れてくれたじゃないか?」
世話になりっぱなしであると自覚しているにもかかわらず、声に僅かばかりの不満がにじむことを止められなかった。つくづく祟ってくる義妹に恨みが募る。
『あ、あの時とは状況が違うと言うか……』
「そうなのか?」
またしても意外なことに、茉莉花の返事には覚悟していたほどの力はなかった。
なんだか不平を鳴らした自分の方が恥じ入ってしまうほどに。
――俺と立華も、ちゃんと話をするべきではないだろうか。
お互いわかってるようでわかってないことがあるのではないか。
ホイホイ付き合い始めて、ついつい調子に乗っていたのではないか。
気づかぬうちに相互理解的な努力を怠っていたのではないか。
そんな思いが脳裏をかすめた。
『そうなのです。……ねぇ、瑞穂ちゃんと話って、そんなに急ぎ?』
「急ぎと言うか……アイツは忙しいから、捕まえられるときに話をしておかないとズルズル引っ張りかねん。ただでさえ時間がないのに、それではお互いに困ると思ってな」
『……わかった。あの子がお風呂から上がってきたら狩谷君の部屋に連れて行く。それじゃダメかな?』
「問題ない。さすがにそこまで一分一秒を争うというわけではない」
『うん、それなら大丈夫。まぁ、さっき入ったばかりだから時間かかると思うけど』
「了解した。用意が出来たら連絡をくれ」
『……狩谷君がそこまで焦るなんて珍しいね。何かあったの?』
「まぁ、あったと言うかなかったと言うか。瑞穂を連れてきてくれたら、一緒に話す」
『おっけー』
明るい了承の声を最後に、スマートフォンから耳を離した。
途中かなり不審な気配を見せていた茉莉花だったが、最後の方の声色は悪くなかった。
誰も見ていないのをいいことに、かなり露骨に胸を撫で下ろす。
「……立華の部屋に入るって、初めてだったな」
前に茉莉花の実家を訪れた際に通されたのはリビングであって、彼女の自室ではなかった。それを思えば無理に部屋に入れるように言い募ったさっきの状況は、かなり拙かったのではないかと、今さらながらに冷や汗をかいてしまう。
首筋を撫でると、嫌に粘つく汗が噴き出ていた。
リモコンを操作して部屋の温度を下げると、身体がぶるりと震えてくしゃみをひとつ。
「瑞穂の奴……」
ひとり呟いた声は、自分でもはっきりわかるほどに苦々しいものだった。
★
ソファに腰を下ろして時計をじっと見つめて長針の動きを観察して。
だんだんと苛立ってきてしまったから麦茶を飲んで気を静めようとしても収まらなくて。
眼鏡を外して目蓋を閉じて待つことしばし、ようやく茉莉花からのメッセージが届いた。
大きく息を吸って吐き出し、心を落ち着けてから、ドアの鍵を開けてふたりを招き入れた。
戸惑い気味の茉莉花には申し訳なさが募り、見るからにホカホカしていながら不満たらたらな瑞穂の態度が癇に障った。
部屋に戻る際に時計に目を走らせると、一度ふたりが部屋に戻ってからすでに二時間が経過していた。ちなみに外はもう真っ暗だった。
「それで、狩谷君はこんな時間に何の用なわけ?」
「私、明日もレッスンで忙しいんですけど」
ふたりをソファに座らせて、冷たい麦茶を配って。
勉はスツールを寄せて腰を下ろし、腕を組んだ。
眼鏡の位置を直し、義妹を睨みつけて口を開く。
「瑞穂……お前、ずいぶんと成績が酷かったらしいな」
率直に切り込んだ。
その言葉を耳にした瞬間、瑞穂の身体が大きく跳ねた。
クールが売りな眼差しが宙を彷徨う。前に座る勉と目を合わせようとしない。
「……それが何か?」
平静を装った声は、しかし語尾が微妙に音程を外していた。
「義父との約束、守れてないそうじゃないか」
「約束?」
首をかしげる茉莉花に『ああ』と頷いて、義父から聞いた事情をかいつまんで話した。
瑞穂は芸能活動を行うにあたって義父といくつかの約束を取り交わしていた。
……などと語ると仰々しく聞こえるが、勉が確認した限りでは、それほど厳しい内容ではない。
出席日数を確保すること。成績を維持すること。主にこのふたつである。
皆勤賞を取れとか学年主席になれとか、無理難題の類を押し付けているわけではない。
成績に関して言えば赤点でさえなければいいどころか、進級できるなら問題ない。
そんな感じのかなり緩い条件であった。
いまだ子どもに過ぎない勉から見ても『まぁ、親ならこれくらいは言うだろうな』と納得できてしまうレベル。むしろ最低限この程度の条件すら付けないとなると、瑞穂自身が逆に不安を覚えてしまうのではなかろうかとさえ思えてくる。
それこそ育児放棄のそしりを招きかねず――その単語が脳裏にちらついて、つい顔を顰めた。
隣で茉莉花もうんうんと頷いている。
傍から見る分にはいつもの『立華 茉莉花』だが、内心が如何ばかりかは判断し難い。
彼女に対してこの手の話題――家庭の問題を聞かせるのは、どうにも神経を使ってしまう。立華家の事情は、狩谷家のそれよりも絶望的なまでに厳しい。
過酷な人生を懸命に生きてきた彼女に、このすっとこどっこいな義妹を任せてよいのか。
茉莉花の申し出はありがたくもあり、申し訳なくもあり、心配でもあった。
心労が募りすぎて夏休み初日から寝込みたくなるほどに。
……仮に寝込んだところで状況は何ら改善されないという現実が辛かった。
「それで、一学期の期末試験どうだったんだ?」
「……」
先ほどから口を引き結んで視線を合わせようとしない義妹に、一段階鋭さを増した声と視線をぶつける。
さして長くもない沈黙ののちに、渋々ながら瑞穂は口を開いた。
「赤点は、その、それなりに……ありました」
「それなり?」
「……四捨五入すると二桁、みたいな?」
「うわ」
呆れ交じりの茉莉花の声に、勉は大きく息を吐き出した。
基本的にハイスペックな彼女にしてみれば、赤点そのものが未知の領域に違いない。
勉にしても同様なのだが……話はここで終わらない。
義父から答えを聞かされているだけに、本当にため息しか出てこない。
「正確に言え。いくつ赤点を取った?」
「……じゅうに」
往生際の悪い瑞穂の答えに茉莉花が唸る。
勉はこめかみのあたりを軽く抑えた。
聞けば聞くほどに頭痛が加速する。
「この期に及んでサバ読むんだ……てゆーか、赤点じゃなかった科目って何なの?」
「……」
「出席日数は足りてない、宿題もロクにやらない。テストはほとんど赤点、おまけに補修もサボってばかり! 義父が怒るのも当たり前だ、このバカ! お前……全然約束守れてないじゃないか!」
ちなみに義父曰く中間試験も相当悪かったとのこと。
その時は『期末で挽回しますから』と瑞穂はのたまい、義父は娘の言葉を信じた。
そして、この有様である。
電話越しに湿った嘆きを聞かされて、勉はかけるべき言葉を見出すことができなかった。
「学校の……」
「なんだ?」
「学校の勉強がそこまで大切なんですか! 私はアイドルなんです! 勉強なんて別にどうでもいいじゃないですか! あんなの何の役に立つんですか! ねぇ!」
俯いて肩をわなわなと震わせていた瑞穂が激昂した。
身も蓋もない逆ギレだった。この義妹は都合が悪くなるといつもこうだ。
勉は額に手を当てて、大きくため息をついた。
ため息を数えるのはやめたが、ため息をついた記憶ばかりが脳裏に蓄積されていく。
「大切かどうかと言われれば、そこまで大切というほどでもないし、役に立つかどうかなんて知ったことではないが……それでも限度があるだろう?」
「え、勉強って大切なんじゃないんですか?」
キョトンとした瑞穂の顔が無性に腹立たしかった。
『こいつはナチュラルに人を煽る天才だ』と頭のどこかから声が聞こえた。
「自覚できてるのなら、きちんと勉強しろ! 義父の信頼を裏切るような真似をするな!」
義父との通話で思い知らされたこと。
それは――娘である瑞穂が父の信頼を一方的に裏切ったという事実。
娘が悪びれることなく嘘をついたことに、義父は大きなショックを受けている。
そして、そんな義父を理解しようとしない娘に怒りを覚えている。
だから喧嘩になった。
後先など考える余裕もなく、親の立場から強権を発動してしまうほどに。
当事者であるか否かは微妙な立場ではあるとは言え、義理の息子しては義父に賛同したい気持ちの方が強かった。
「……るさい」
「瑞穂?」
「うるさいうるさいうるさいうるさいッ! 口を開けば勉強勉強ってほんっとうるさい! くだらないッ! バカみたいッ! 父さんも義兄さんも何にもわかってない!」
「成績はこの際どうでもいい。義父はお前のことを心配してるんだ。社会人として多くの人に関わる立場にいるくせに、平然と約束を破るような人間を誰が信用してくれる? 何かと言えば『わからない、わからない』って、お前の方こそ何でわからないんだ!」
会話が噛み合わない。とことん噛み合わない。
義父が怒っているのも勉が怒っているのも、別に勉強云々が原因ではない。
……いや、義父の方はそちらにも憤りを覚えているかもしれないが。
ひと言ごとに苛立ちが募る反面、頭の中の比較的冷静な部分が『こんな感じで義父とも喧嘩したんだろうな』と妙に納得してしまっている。
そしてヒートアップは限界を迎え――ついに瑞穂は決定的な言葉を口にしてしまった。
「うるさい、もういいです! 勉強なんてどうでもいい! 私――学校辞めます!」
義父から聞かされたのと一言一句変わらない文言に、勉の脳内で最後まで冷静さを保っていた部分が焼却された。
第2部第1章終了まで、あと2話の予定です。
話は変わりますが、本日2月11日より新作の掲載を開始しております。
タイトルは『私たち、結婚し(テ)ました! 〜ふたりで始める幸せ生活〜』
中身は……まぁ、見たまんまです! 細かいことは気にしたらダメな奴!
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