第66話 理不尽なランチタイム その2
夏に向けていよいよ熱気マシマシな、とある平日の昼休み。勉たちはひとつの机を3人で囲んでいた。
向かって右側に腰を下ろしているのは、学園の元アイドルにして今や勉の恋人である『立華 茉莉花』
腰まで届く艶やかな黒髪と制服を着たままでも一目瞭然の完璧なスタイル。
清純な乙女にも奔放な妖女にも見える、神がかった造形の顔立ち。
さっきまでご機嫌斜めな感じだったが、今は小首を傾げてニコニコ笑っている。
……キラキラと輝く大粒の黒い瞳は、手元の弁当箱と勉の顔を往復していた。
正面に座っているのは、数少ない友人のひとりである『天草 史郎』だった。
この男とつるむようになったのは高校に入学してからのこと。
つい先日までの勉は、彼以外の人間と学校で食事をすることはなかった。
それを思えば眼前の光景に言いようもない感慨を抱かずにはいられない。
──ふむ。
軽妙で人懐っこく数多の知人友人を持っているはずのイケメンが、なぜわざわざ人付き合いが苦手な自覚のある自分と頻繁に飯を食っているのか、その理由は不明だ。
これまではあまり深く考えたことはなかったが、茉莉花との一連のアレコレを経て人との関わりを考え直す中で『何ゆえ?』と不思議に思うところではあった。
ただ、今更そんなことを直接本人に問いただす気にはなれなかったし、仮に尋ねたとしても何やかんやとはぐらかされそうな予感がした。
追求の手をするりと抜けて飄々と肩で風を切る、そういう友人である。
「へぇ、立華さんの手作り弁当か。うまそうじゃん」
「やらんぞ」
机に開陳された茉莉花のお手製弁当を見て、史郎が感嘆の声を上げた。
ほとんど反射的に、勉は弁当箱をガードしつつ牽制の言葉を放つ。
隣では茉莉花が物凄い視線で史郎を睨みつけていた。
「いや、流石に取らんて。勉さんや、唐揚げちょうだい」
慌てて弁明する史郎の口ぶりは気軽そうではあったものの、明らかに茉莉花にビビっていた。同じ男として理解できる。
取ってつけたようにも聞こえる要求は今に始まったものではない。メイン級のおかずを狙われたのは初めてだったが。
勉が知る限り、食堂へ足を運ぶ場合はともかく教室で食事を取る場合、史郎はほとんどコンビニのパンやおにぎりばかり口にしていた。
『栄養が偏るぞ』とか『運動部でもないのにカロリー摂りすぎではないか?』などと苦言を呈したこともある。
それでも、この友人の食生活は変わらない。あまり口やかましく言うのもアレだったので、最近ではほとんど諦めの域に達している。
「ああ、俺の弁当は食っていいぞ」
「マジで!? よっしゃ、勉さんも立華さんもサンキューな」
弁当ふたつくらい食べられると茉莉花に胸を張ったはいいけれど、余裕をかましていられるほどでもない。
大きくなり過ぎた腹を抱えて午後の授業を受けるのはしんどい。断じてお腹の贅肉が気になるわけではない。
兎にも角にも、誰かが手伝ってくれるのは大歓迎だった。たとえ前日から仕込んでいた唐揚げであっても。
余計な手間をかけることもなく肉をゲットした史郎は、ほくほく顔で茉莉花にも感謝の意を表した。
「あー、はいはい」
茉莉花はいかにもめんどくさそうなため息と共に、自分の弁当に箸を伸ばす。
ピンク色の巾着から取り出された弁当箱は、勉のために用意されたものと比べて若干ながら小さめ。
中身は……メインのハンバーグ、プチトマトにキャベツの千切りにポテトサラダ。
ナポリタン風のパスタ、ひじきとほうれん草。そして卵焼きとおにぎり。
メニューは国境を越え気味だが、弁当としては実にスタンダード。
「では、俺もいただこう」
勉は茉莉花から受け取った弁当箱に箸を伸ばし、卵焼きを掴み上げた。迷い箸はしなかった。
横合いから注がれる茉莉花の視線がやけに気になる中、黄色い直方体を口に放り込む。
黙って咀嚼する勉の口元に茉莉花がチラチラと目を向けてくる。あくまで表面的には平静を保ったまま。
焼き加減は抜群で冷めてもなお柔らかい口当たり。丁寧に引かれた出汁の旨味が口中に広がっていく。
「どうよ、勉さん。やっぱ甘々だったりする?」
勉は首を横に振った。
「甘くはない。でも、美味い。この味は好きだな」
感想を述べた瞬間、茉莉花の顔がパーッと眩しく輝いた。
喜色満面。花のような笑顔が咲いた。
そんな茉莉花と弁当箱を史郎は羨ましそうに見つめている。
「やった! 甘口とどっちがいいかなって迷ったんだけど、狩谷君はそっち系とは違うんじゃないかな〜って」
いつの間にか味の好みを把握されていた。
彼氏彼女の関係とはいえ、あまり茉莉花と食事を共にしたことはなかったはずなのに。
「いいなぁ、彼女の手作り弁当とか。これがアオハルってやつなのかよ」
「お前も作って貰えばいいだろう?」
「弁当を作ってもらう前に彼女を作らんとダメなわけだが」
史郎はイケメン顔を曇らせて、重い重いため息をついている。
その声色はあまりに鬱陶しいもとい切実だった。
周囲の男女から無言の賛同が寄せられている。
「そうなのか?」「そうなの?」
「そうなのよ」
勉と茉莉花の声がハモった。
対する史郎は、なんとも言葉にし難い表情を浮かべていた。
「天草くんに彼女がいないって意外ね」
「立華さん、オレが彼女つれてるの見たことある?」
「隠してるのかと思ってた」
「そんなことしねーし。なんのメリットがあんの、それ?」
「バレて揶揄われたくないとか」
「君らも隠してないじゃん」
史郎の切り返しに、勉と茉莉花はお互い顔を見合わせた。
アイコンタクトを交わすまでもなく、ふたりはそれぞれに口を開く。
「なんで隠さなきゃならないわけ?」
「まったくだ。俺たちにやましいところはないぞ」
勉と茉莉花が付き合い始めたことは、すでに周知のことだった。
別にみんなの前で大々的に宣言したわけではないが、わざわざ隠してもいない。
ノートをめぐる騒動以来、勉と茉莉花の関係は本人たちの預かり知らぬところでしばしばネタにされていた。
そして裏垢発覚後に生徒指導室に呼び出された茉莉花が、教室に戻ることなく走り去ったあの日。
勉もまた授業をすっぽかして彼女の後を追った。翌日、ふたりは手を繋いで学校に姿を現した。
以来、学年主席『狩谷 勉』と学園の元アイドル『立華 茉莉花』の交際は公然のものとされている。
「はいはい、ごちそうさま」
「お粗末様でした」
「いや、ちょっと待って。弁当しまわないで。立華さん、わかってやってるだろ。なんとか言ってやってくれ、勉さん」
「……俺の弁当をやるから落ち着け」
茉莉花は素振りを見せただけだ。その証拠に、まだ弁当は全然片付いていない。
この程度で動揺していては茉莉花とは付き合えない。色々振り回されて、最近はちょっと耐性がついた勉である。
おにぎりとハンバーグを堪能しつつ、ずいっと空いた手で自分の弁当箱と史郎に寄せてやった。
「おう、このミートボール美味いな」
「私も食べていい?」
「いいぞ、どんどん食え」
勧めると茉莉花も勉の弁当箱に箸を伸ばした。
唐揚げ、ミートボール、春巻き、ザーサイ……
ふたりの箸がひょいひょいと飛び回る最中、史郎が余計なことを口にした。
「立華さん、そんなに食べて大丈夫?」
「何を言ってるのかよくわからないわ、天草くん」
しれっと言い置いて、茉莉花はミートボールを口に放り込んだ。
可愛らしい唇と頬の動きに、思わず見惚れてしまう。
史郎も茉莉花の唇に目を奪われている様子。
「美味しい。狩谷君、料理も上手だよね」
その言葉には、ちくっと棘が生えていた。
「……弁当を作ってきてくれるなら、事前に教えておいてくれると嬉しい」
「そうだね。サプライズは一回で十分だし」
声こそ出さなかったものの、茉莉花の唇は『この鈍感』と動いていた。
勉はずり落ちていた眼鏡の位置を直しつつ、気づかないふりをした。
史郎は小声で『大変だな』と笑っている。思わず頷いたら茉莉花に睨まれたので、そっと肩を竦めた。
ふたりを取り巻く新しい世界が、またひとつこれまでのありふれた日常と置き換わっていく。
今はまだ周囲の耳目を集めてはいるものの、いずれ誰しも意識することなどなくなるだろう。
彼氏彼女となった勉と茉莉花の関係は、こうして既成事実を積み上げていく真っ最中であった。




