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第54話 たったひとつの冴えたやり方などない

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みなさま、ありがとうございます!


『自分のことを一杯大好きになって、一杯大切にする』


 両親に見捨てられた現実を改めて突き付けられて絶望した茉莉花(まつりか)に勉が告げた言葉は、かつて茉莉花が(つとむ)に贈った言葉だった。

 あの日からまだそれほど時間は経っていない。当然本人は覚えていて、眉を顰めて口を尖らせた。


「何それ、私のパクリじゃん」


「ああそうだ、パクリだ。でも、俺の心に響いた言葉だ。著作権なんてないから遠慮なくパクらせてもらう」


 勉のボキャブラリーの中に、茉莉花を救う言葉はなかった。

 この言葉は自らの内から生まれたものではないけれど、その効用は身に染みて理解している。

 だから――きっと届く。きっと効く。否、絶対に効くという確信があった。ソースは自分。

 勉を救うために放たれた言葉が、周り回って茉莉花自身を救う。それでいい。


「……私は、自分のことが好きだなんてひと言も言ってないよ」


「そんなはずは……」


 ない、と言おうとしたが……よくよく思い返してみれば、確かに『自分が好き』とは言っていなかった気がしてきた。

 イチイチ細かい上に、何ともメンドクサイ。頭を抱え込みたくなったが、ぐっと堪えて反論を試みる。


「いや、違うだろ。そんなのはただの揚げ足取りだ」


「揚げ足取りでも何でも言ってないものは言ってない」


「言った。言ってないけど言った!」


「ハァ? 何言ってるの狩谷(かりや)君、頭大丈夫?」


 言葉では心配しているが、口振りも向けられる瞳も刺々しい。

 悪くない。先ほどまでの生気を失った茉莉花よりは、よほどいい。


「直接言ってなくても裏に隠れた本音はわかる。あの言葉には力があった。適当に思いつきを口にしたわけじゃない」


 心の表面だけを撫でるような、上っ面だけの言葉ではなかった。

 頑なに『どうでもいい』を連呼して他者を拒絶してきた男に、翻意を促すほどの力だ。

 頑固者の自覚がある勉に響くほどの力の根源は――きっと茉莉花自身の実体験だったに違いない。


――そういうことか……


 あの時感じた違和感の正体に、ようやく思い至った。

 学校ではカリスマ、SNSでは超がつくほどの人気者の茉莉花が、なぜあんなに真に迫った言葉を持っていたのか。

 華やかに過ぎる外見と内に潜む得体の知れないナニカのギャップに無意識で疑問を覚えていたのだ。

 今ならその正体がわかる。おそらく彼女自身が何度となくそうやって自分を奮い立たせてきたのだ。

 両親に愛されなかった自分を、自分で愛して慈しんだ。

 本人は必死に否定しているが、間違いない。

 

「それは……」


 茉莉花の瞳が揺れている。

 明らかな動揺こそが、勉の言葉の正しさを裏付ける何よりの証左だった。


「ダメ、だよ。私は……自分のことなんて信じられない」


 小さく頭を左右に振り、両膝を立てて顔を埋めてしまう。

 反駁する声は湿り気を帯びて震えている。


「どうしてだ? 学校ではあんなに自信満々に輝いているだろうが」


「学校って……あんなの、勉強すれば簡単にできるよ。狩谷君と同じ」


「勉強って……」


 絶句させられた。

 立ち居振る舞いから会話の端々まで、おおよそ『立華 茉莉花(たちばな まつりか)』に隙と呼べる部分はない。

 女子の中には反感を抱く者もいるけれど、多くの人間に慕われ愛されていることは間違いない。

 教室を明るく照らす太陽であり続けていたあの姿を、ただの反復練習の結果と言うのか。

 いったいどれほどのものを積み上げればそんな芸当ができるのか、もはや完全に想像の埒外だった。


 茉莉花は強い女性だ。勉は改めて目の前の少女に感嘆し、敬意を抱いた。

 自分よりもはるかに過酷な環境に身を置いてなお腐らず、ただひたすらに歩みを止めなかった。

 向かった先が過ちであったとしても、ここまでの道のりは決して否定されるべきものではない。


 反面、その強さが厄介でもあった。

 強い自己を形成していた性質が、今や完全に反転してしまっている。

 一度ひっくり返ってしまった茉莉花は、纏うネガティブオーラが半端ない。


 足りない。

 彼女から贈られた言葉だけでは足りない。


 勉の目の前で蹲ってしまった茉莉花は、おそらく過去最悪の状況にある。

 これまで自分を支えてきた『計画』は失敗し、焦がれていた両親との会話は成り立たない。

 これまで自分が積み上げてきた権威は失墜し、周囲に味方らしき人影が見当たらない。

 心も身体もすでに満身創痍。取り巻く環境は『一寸先は闇』状態で光明が見えない。


――クソッ


 顔を見せてくれない茉莉花の前で、勉は歯噛みした。

 彼女に姿を見られていないことは、むしろ幸いだった。

 生まれてこの方16年と少々、茉莉花ほどではないにしても山あり谷ありの人生を送ってきた。

 それなのに……勉の内には言葉がなかった。

 自分と母だけの家、そんな狭い世界に汲々としてきた勉には、あまりにも人生経験が足りない。

 さっきの件もそうだ。茉莉花の言葉を借りて本人を説得するだなんて……なんだかんだと開き直ってみたものの、内心では忸怩たる思いがある。

 学業に励んできた半生を恨むつもりはないが、この状況で壊れかけの茉莉花にかけるべき言葉を見出すことのできない自分に怒りさえ覚える。


――いや、俺のことは後回しでいい。気を散らすな。


 優先順位を見失ってはいけない。今は、茉莉花だ。

 絶望の淵に立って、今にも身を投げ出しそうな彼女を繋ぎとめる言葉。

 借り物の言葉では至らなかった。言うまでもなく、飾り立てられた口先だけの言葉では話にならない。

 かつて勉の芯を撃ち抜いた茉莉花の言葉には、彼女が歩んできた道程をバックボーンとした重みがあった。


――思い出せ、これまでの日々を。俺だって……何なかったわけじゃないッ!


 拳を固く握ってギュッと目を閉じ、記憶を遡る。

 改めて思い返してみると……辛い思い出が多かった。

 硬く己の心を鎧って、鈍感にやり過ごしてきた日々だった。


 孤独を紛らわすために、ただひたすらに目の前の課題を消化した。

 友人は、ほとんどいなかった。寂しさと向かい合い、母の前では強がった。甘えたかったが、自分のために激務で心身をすり減らした母を困らせたくなかった。

 父がいないことはコンプレックスではなかった。そもそも存在しないものに執着などしない。


 でも――理不尽だとは思った。


 自分はこんなに苦労しているのに、何もしていない他の子どもたちが幸せそうにしている。

 別に彼らが悪いわけじゃない。わかっていても許せない。どれだけ理屈を並べてみても、昏い感情が消えてくれない。

 自分の醜い心を目の当たりにするのは辛かった。情けなさすぎて、誰にも吐き出すことなんてできなかった。

 そんな苦しい思いをするくらいなら、誰とも関わらない方が楽だった。


 そう、楽な方へ逃げた。


 逃げることが悪いとは思っていない。

 逃げることを自覚せずに心を誤魔化すことがよくなかった。

『どうでもいい』に頼りすぎた。

 結果として勉は意固地になり、排他的になり、傲慢になった。

 しかし――内面の愚かしい変貌に反して、勉を取り巻く環境は劇的に変化し、むしろ孤独からは遠ざかっていった。


 母の再婚によってできた新しい義父と義妹。

 高校に入ってできた新しい友人の史郎。

 そして、『立華 茉莉花』と『RIKA』。


 過去の自分と向かい合ってこなかったのは――単に忘れていただけだ。

 忘れることは、悪いことではない。忘却は人間の能力のひとつだ。

 新しい環境に身を置いて得た経験が、辛い過去を遠ざけてくれた。

 勉は、ただそのことに感謝すればいい。胸を張って、そう言える。


 答えが見えた。

 漠然と確信した。


「立華」


「……」


「立華」


「……何よ?」


 茉莉花が顔をあげた。

 再び向かい合ったその顔はクシャクシャに歪んでいたが、涙を零してはいなかった。

 泣くことすらできないその姿に、胸が締め付けられそうになる。


「立華、お前、自分のことが信じられないって言ったな」


「言ったよ」


「お前、自分のことが嫌いなのか?」


「嫌いだよ。私は、私のことが世界で一番大嫌い」


「そうか……なら、それは構わない」


「……狩谷君?」


 茉莉花の瞳が、訝しげな光を宿した。

 少なくとも、彼女は勉に対する関心を失ってはいない。

 ならば――


 勉は膝に手をついて立ち上がった。

 テーブルを挟んで呆然と見上げてくる茉莉花の横に回って、腰を下ろす。

 頭の後ろを掻きながら、重苦しい声を吐き出した。


「すまん、俺にはお前を救う言葉が見つからない。だけど……ずっと傍にいることはできる」


 母、義父、義妹、史郎、そして茉莉花。

 彼らがいてくれたおかげで、寂しくはなかった。

 距離感は様々で、ギクシャクして上手くいっていないところもある。

 それでも、彼らがいてくれてよかった。


 ちょっと電話で愚痴を吐き出す程度でもいい。

 休み時間にジョークを交わす程度でもいい。

 たとえ離れていても、同じ空の元で暮らしている。そう思えるだけでいい。

 それが勉が茉莉花に贈りうる唯一の答えだった。

 ……まぁ、『傍にいる』と言うのは勉の願望が混じっているのだが。


――我ながら、えらく回り道をしたものだ……


 与えられる言葉はなかったし、言葉である必要もなかった。

 ただ傍にいる。ずっと、傍にいる。

 勉にできることは、それだけだった。


 茉莉花の頬を一筋の涙が流れ落ちた。

 そのまま勉の肩に頭を預けて、静かに身体を震わせる。

 微かな嗚咽が勉の耳朶を打った。


――ずいぶん静かに泣くんだな。


 長くない付き合いではあるものの、たくさんの茉莉花を見てきた。

 揶揄うような笑顔があった。輝くような笑顔もあった。

 ぶ~っと頬を膨らませる顔もあった。

 シリアスな怒りの顔があった。優しい顔もあった。


 茉莉花が、泣いている。

 勉の肩を借りて泣いている。

 

 泣き顔を見ようとは……思わなかった。

 誇り高い彼女が望んでいるようには思えなかったから。

 かわりに艶やかな黒髪に覆われた頭部を、そっと抱き寄せた。


「俺はお前を否定しない。お前がお前のことを嫌いでも、俺はお前が大好きだ」


 だから、ずっと傍にいる。

 きっと、それだけでいい。

本編完結まで、あと2話!

(の予定)

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『あの子が水着に着替えたら』もよろしくお願いします。
こちらは気になるあの子がグラビアアイドルな現実ラブコメ作品となります。
― 新着の感想 ―
[一言] ああ、もう終わりが近いんですね。何だか寂しいですが。 読み始めたのは比較的最近なのですが、ここしばらくは更新を楽しみにしています。 関係が近づいたがゆえの前倒しの計画実行。あと2回でどう決…
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