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第53話 少年は振り返って、頭を下げた。そして


『どうでもいい』


 茉莉花(まつりか)の唇から放たれたその言葉が耳朶を打った瞬間、(つとむ)の心臓は凍り付いた。

 あまりにも予想どおりだった。口癖になるほど使い込んでしまった言葉だったから、わかってしまった。

 勉が今まで口にしてきた『どうでもいい』は、そのすべてが本心から出た言葉だった。

 本当に他人のことなどどうでもいいと思っていたし、自分の言葉に疑問を覚えたことなどなかった。

 でも――茉莉花の口から零れた声に含まれる寒々しさと倦怠まみれの拒絶を前にして、言葉を失ってしまった。


――俺は……こんなことを言ってきたのか。


『どうでもいい』の六文字が、どれほど人の心から熱を奪っていくか、言われてみて改めて思い知らされる。

 これまで勉はそれほど多くの人間と関わっては来なかった。

 高校に通い始めてからは茉莉花と史郎くらいのもの。もう少し幅を広げても両手の指で余る程度だろう。

 ゆえに、幸か不幸かほとんどの学校の人間に向けて、直接的にこの言葉を放った経験はない。

 ……そういうレベルの関係性に達することすらなかったことは、明らかにダメなのだが。


 では、史郎(しろう)は? 茉莉花は?

 彼らは勉から何度となく『どうでもいい』を聞かされて、どんな感情を抱かされただろう?

 このあまりにも傲慢で、あまりにも投げやりで、あまりにも悲しい言葉をぶつけられて。

 今の今まで関係を断ち切らずにいてくれた彼らに、改めて感謝せざるを得ない。

 同時に自分の至らなさを猛省せざるを得ない。『穴があったら入りたい』とはこういう心境なのか、と頭を抱えたくなる。


――いや、今はそれどころじゃない。


 軽く頭を振った。自省は後回しでいい。

 覆水盆に返らず。吐いた唾は飲み込めない。

 勉自身のアレコレを、ここでどうこう言っても始まらない。


 今は茉莉花が問題なのだ。彼女をこのまま捨て置けない。

 彼女の口から出た『どうでもいい』は、勉の『どうでもいい』とは重みが違う。

 それに――『どうでもいい』は癖になる。身をもって知っている。


『どうでもいい』


 そう言って、自分と他の人間との間に壁を作った。

 そう言って、自分と他の人間との間に溝を掘った。

 関わったところで利得がない。面倒事に巻き込まれる。

 時間の無駄。エネルギーの損失。コストパフォーマンスが悪い。

 だから離れる。だから突き放す。それでいい。それがいい。


狩谷 勉(かりや つとむ)』は幼い頃から孤独に慣れていた。親しんでいた。ひとりでいることに苦痛を覚えない人間だった。

 だから――ひとりぼっちは楽だった。赤の他人を切って捨てても、露ほどにも心が痛まない。

 煩わしげな人間関係に振り回される同年代の少年少女を、心の中でせせら笑っていたくらいだ。


立華 茉莉花(たちばな まつりか)』は……違う。

 眼前の少女は勉とは比べ物にならないほどに多くの人間と関わってきた。

 現実でもインターネットでも、彼女の信奉者は数知れない。

 特にリアルでは、友人あるいはそれ以上の存在と自認している者もいるだろう。


 例え炎上が目的だったとしても、学園のアイドルとして教室を照らしてきた。

 彼女は誠心誠意カリスマであり続けた。茉莉花の生き様に嘘はなかった。

 利用するはずの相手とさえ真摯に向かい合う、その矛盾こそが『立華 茉莉花』の本質だ。

 根本的にお人好しで優しくて――そして生き方が酷く不器用。寂しがり屋でもある。


 茉莉花は孤独に慣れてはいても、親しんではいない。

 そこが勉とは決定的に異なっている。

 両親の言葉を求めるという計画の発端からも、それは明らかだ。


 今回の茉莉花のやらかしは半端なレベルではない。

 自らの現在や未来を省みていないどころではない。

 クラスメートを火種にして、フォロワーたちを薪にして、盛大に炎上させた。

 誰も彼もがリアルでもネットでも喧々諤々。

 学校の教師たちも対応に大わらわだったことは想像に難くない。

 彼らをうまい具合に操って迷惑をかけた茉莉花が、そのすべてに『どうでもいい』と言い放つことの意味。


 それはきっと、とても楽な選択肢だ。

 楽であることは悪いことではない。


 茉莉花は頭が回るし要領も良い。時折アレな言動が見受けられるが、基本的には理性的で常識をわきまえた少女だ。

 自らの肢体を晒すことのリスクだって理解しているし、裏垢が周囲の人間にバレた際のリスクだって承知している。

 事を終えた後、彼らからどのような視線を向けられるか、どのような扱いを受けるかだって想像できているはずだ。

 結果はご覧の有様で、ならばいっそのこと何もかも『どうでもいい』と切り捨ててしまえば、少なくとも余計なことに頭を悩ませる必要はなくなる。


 ある意味では合理的だ。効率的と言ってもいい。

 どうせ高校時代の知人友人なんて、卒業すれば関係は続かない。

 そう考えているのだろう。勉だって同じことを考えていた。

 しかし――その思惑の行きつく先は、勉の二の舞だ。

 すなわち、対人コミュニケーションに致命的な歪みを抱える問題児。


 茉莉花はまだ若い。日本人の平均寿命を考えても、高校を卒業してからの時間の方が圧倒的に長い。人生はこれからなのだ。

 ここで人間関係の構築を諦めてしまっては、将来に大きな支障をきたすことが目に見えている。

 何なら今回の事件がトラウマになって、勉よりも酷い状態になる可能性まである。


 勉はそっと中指で眼鏡の位置を直した。

 大きく大きく息を吐き出した。


――よかった。


 勉は、己の人生に感謝した。

 生まれて初めてのことかもしれなかった。


『狩谷 勉』は自他ともに認める欠陥だらけの人間だ。

 特に他者への思いやり――共感性の根源たる想像力の欠如は、欠点の最たるもののひとつと言ってもいい。

 人の心がわからない勉が、この瞬間『立華 茉莉花』の心情を推察して寄り添うことができるのは、今まで積み上げてきた人生があってこそ。

 自暴自棄の彼女が放った『どうでもいい』という言葉の危険性を、きっと彼女自身より理解できている。実体験が理解させてくれる。

 何事もなくこの場に立ち会ってしまっていたら……『そうか、なら勝手にしろ』と吐き捨てて彼女から離れていく自分の姿が容易に想像できてしまう。 

 目の前で人生を踏み外そうとしている茉莉花を何としてでも止めなければならないと強く強く決意できるのは、自分の足でその道を歩んできたからだ。

 16年におよぶ勉の道行きは無駄にはならなかった。目の前で壊れそうになっている少女に手を差し伸べることができる。そのことが堪らなく嬉しかった。


 今の茉莉花は、心が疲れている。

 生まれてこの方ずっと省みられることのなかった両親との決定的な断絶を前に、絶望している。

 その胸中を勉ごときが完全に理解することはできない。


 片親ではあったが、勉は母に愛されてきた。

 母の再婚でできた義父はできた人間だった。

 義妹は口うるさいが、好感の持てる人物だ。

 

――立華は、どんな気持ちだったのだろう?


 梅雨と台風のツープラトンに見舞われて彼女を家に泊めたあの日、勉は己が人生を振り返り、胸の内を吐露した。

 勉を取り巻く環境は決して容易なものではなくて、思い悩んでいたことは気軽に笑い飛ばせるものではなかった。

 言葉にはしなかったものの『自分は不幸だ』と自虐的に自慢していた節さえあった。ダサい。ダサすぎる。


 あの時の茉莉花は、いったいどんな気持ちだったのだろう。想像するだけで、勉は自分の至らなさに苛まれる。

 自分に比べてはるかにショボい悩みをさも重大そうに語る勉を、しかし彼女が一笑に付すことはなかった。蔑むこともなかった。

 ひねくれた勉に、あくまで茉莉花は優しかった。頭を撫でてくれた掌の感触は、今でも即座に思い出せる。


「どうでもよくは……ないだろ」


 自然と口をついて言葉が出てきた。

 胸の奥から溢れてきた心がそのまま形になった。

 自分の過去を省みて、茉莉花のくれた優しさを思い出して、ひと言ずつ言葉を繋げていく。

 

「……狩谷君?」


「どうでもいいはずがない。立華、お前、言ったよな。『どうでもいい』は良くないって」


「狩谷君……ううん、私は本当に……もうどうでもいいんだよ。何もかも」


 茉莉花の笑みはくすんでいた。

 瞳はうつろで口元は歪んでいる。

 その表情に嘘がないとわかってしまうのが辛かった。

 勉がよく知る、そして焦がれる『立華 茉莉花』には似合わない……否、似合う似合わないの問題ではない。

 茉莉花に、そんな辛そうな顔をしてほしくはない。我儘な本心だった。


「そんなこと言うな。『自分のことを一杯大好きになって、一杯大切にする』んだろ? お前、自分に自信があるって言ってただろ。だから自撮りをアップしてたんだろ?」


 とても、とても残念なことに……勉の口から出た心からの叫びは、ただのパクリだった。

 言葉に著作権が存在するなら、その持ち主は目の前にいる。

 この期に及んで借り物の言葉でしか茉莉花と向き合うことができない自分が、あまりにも情けなかった。

本編完結まで、あと3話(の予定)!

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『あの子が水着に着替えたら』もよろしくお願いします。
こちらは気になるあの子がグラビアアイドルな現実ラブコメ作品となります。
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