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第52話 最果ての地にて紡がれた言葉


 暖かい笑みを浮かべて『狩谷(かりや)君でよかった』などと正面から恥ずかしいセリフをぶつけてくる茉莉花(まつりか)

 その眼差しに耐えられなくなって、(つとむ)は視線を逸らし、ずり落ちた眼鏡の位置を直した。

 言い出した当の本人もわずかに頬を染めて咳払いし、すっと表情を引き締めた。


「んんっ、話を戻すね。この計画を始めたとき『どうせやるなら、デキることは何でもやろう』って思った。私って入学当初から結構モテてたけど、もっともっと注目を集める方法があった」


「ミスコンか」


「うん」


立華 茉莉花(たちばな まつりか)』の名が校内に知らぬ者なしのレベルにまで広がったキッカケは、文化祭のミスコンだ。

 大勢の生徒の前でのセンセーショナルな勝利、そしてメジャーデビュー(校内限定)。

 あれがなければ、茉莉花はただの美少女として男子に持て囃されるだけの存在に過ぎなかった。

 しかも、単に勝利して名前を売っただけではない。

 当時の上級生たちの面目を潰して、小生意気な一年生が優勝を搔っ攫ったのだ。

 ここまでやれば同性の妬みや嫉みを買うには十分だった。


「……普通にファンを増やしていくだけで十分だったんじゃないのか?」


「それがさぁ、そうもいかない事情がありまして……」

 

 尋ねる勉に茉莉花は肩を竦めた。

『RIKA』のフォロワーが想定以上に増えすぎたのだ。

 数字の伸びが止まる気配がない。コントロールが効かない。

 このままでは『立華 茉莉花』のファンと『RIKA』のフォロワーを衝突させた際に、数に勝る後者が前者を抑え込んでしまう可能性が出てきた。

 茉莉花の信奉者の上限は、どれだけ頑張っても全校生徒の総数を大きく上回ることはない。

 となると――


「数が増やせないなら、ひとり当たりの火力を上げなきゃね」


 計画を最終段階に移行させる前に、火種を育てておかなければならない。

 活用できそうなのは、普段は潜伏しつつ、ネタが上がったときに一気に浮上して茉莉花を叩く存在。

 つまり、リアル茉莉花の潜在的なアンチである。

 暴露によってファンとアンチをぶつけて強火に仕立て上げ、そこに裏垢のフォロワーをぶち込む二段階方式への修正。

『敵』を増やすことができたミスコンは、まさに『渡りに船』あるいは『一石二鳥』の上策だった。


「ほんと、苦労したんだから」


「……」


 勉は心の中で嘆息した。

 自分が想像できていたのは大枠だけ。

 本人が語る計画の全貌、その執拗さに驚かされる。

 ただただ圧倒されて――つい、言わなくてもいいことを口にしてしまった。


「男をとっかえひっかえしていたのも、その下地作りの一環か?」


 声に苦いものが混じることを止められない。

 過ぎたことにケチをつけたいわけではない。

 この件に関しては、単に勉の心の問題だった。

『情けないことを言うな』と自分を責めても、もう遅い。

 茉莉花は――首を横に振った。勉を詰ることはなかった。


「勘違いしないで欲しいけど、付き合ってるときはいつも本気だったよ。相手に失礼じゃん」


「……そういうものか」


「そういうものです」


 茉莉花は胸に手を当てたまま軽く背筋を反らせた。

 白い掌が柔らかな双丘に沈み込む。


「私の胸にはね……ずっと大きな穴が開いているの。風がびゅうびゅう吹いてるんだよ」


「……」


 その穴はきっと彼女が幼いころから両親に顧みられなかったせいで穿たれた。

 年を経るごとに大きくなっていく孔は、ついに彼女自身を飲み込んでしまった。

 

「誰かと付き合ってる間は少しだけ塞がるの。でも、ずっとじゃない」


 両親から与えられなかった愛を、男子から向けられる恋で埋めようとしていたのだ。

 勉には、穴の空いた船底に流れ込んでくる水を柄杓でかい出すような行為に思えた。

 

「心の穴を埋めるために色んな人と付き合って、そのたびに失敗した」


「……上手くいってたら、どうするつもりだったんだ?」


 聞きたくなかったが、聞かずに済ますわけにもいかなかった。


「そうだね……この気持ちがなくなってくれるんだったら、計画は中止したかな」


 あれほど両親に固執していた茉莉花とは思えない意外な答えに思えた。翻意の裏に想像を絶する葛藤を垣間見た。


「ダメだったのか」


「うん。バカみたいでしょ?」


 答えることはできなかった。

 永らく虚無を積み重ねた茉莉花の心境を推し量ることは難しすぎた。

 勉はそこまでの闇を知らず、絶望に押し潰されたことがない。


「ま、ダメで元々って感じだったけど。中学の時も散々試したしね」


「だったら……」


「別れた男子はアンチに変わる。火種になってくれるから無駄にはならない」


「止められなかったのか?」


「うん」


 乏しい想像力を総動員して茉莉花の胸中に思いを馳せるだけで、やるせない感情に突き動かされる。

 勉の胸の奥から言葉がせり上がってきて、喉を震わせて茉莉花に放たれた。


「……俺じゃ、ダメだったのか?」


 恥ずかしいことを口にした自覚はあった。

 別に告白したわけではないし、交際しているわけでもない。

 それでも……ここ最近の茉莉花との関係を思えば、可能性はあったはずだ。

 勉の問いに、茉莉花は泣きそうな笑みを浮かべた。


「わかんない」


 シンプル過ぎる答えだった。


「わかんないって、お前」


「だから、わかんないよ! だって、だって……狩谷君でダメだったら、私、もうどうしていいのかわかんなかったんだもん!」


 つい今しがたまでのフラットな応答とはまるで違う声色。

 声から強い力が、強い想いが溢れ出ている。

 その慟哭は熱く、激しく、そして悲しい。


「狩谷君と一緒にいるのは楽しかった。想像してたのと全然違うしえっちだしえっちだしえっちだけど、楽しかった。一緒にいるとドキドキして……でも、とても安心できるの。ウソじゃないよ。今までの男子とは全然違うの。でも……でも……」

 

 楽しければ楽しいほど、怖い。

 今までと違い過ぎたから、怖い。

 勉でも、胸の穴を埋めることができなかったら。

 その恐怖が茉莉花を駆り立ててしまった。

 勉との結末を知ることなく終わらせるために、計画を前倒しにした。


「だからって、こんな、こんなやり方……立華、お前……今、学校中が敵に回ってるんだぞ」


 話は学校内に収まらない。インターネットは世界中に繋がっている。

 全員ではないにせよ、関係者の少なくない人数が今回の件で茉莉花を軽蔑することになるだろう。

 5ケタのフォロワーの1%と仮定しても数百人。

 普通に生活しているだけでは、それほどの人間に嫌われる状況なんて想像がつかない。


「だろうね。最初からそのつもりだったし」


 生徒たちは火種。フォロワーは薪。

 大きく燃え上がった炎は学校と言う名のエンジンを回して、教師と言う名の弾丸を放つ。

 狙うはただ両親のみ。すべてを焼き尽くして、後には何も残さない。まるで自爆テロだ。


「欲しかったんだよ、パパとママの言葉が。私の方を向いて欲しかったの」


「それで、結果はどうなったんだ?」


 破滅的な茉莉花の計画は成功したはずだ。

 事態を重く見た教師たちは、きっと彼女の両親に連絡を取った。

 教室に姿を現した生徒指導教諭は、両親の言葉を茉莉花に伝えたに違いない。

 すべてが茉莉花の手の内であったなら、あんな逃げ方をすることはなかった。

 自分で始めた計画で多くの人に迷惑をかけた。

 ならば結果を受け入れて、なお顔を上げる。

 勉の知る『立華 茉莉花』とは、良くも悪くもそういう人間である。

 にも関わらず現実は異なっている。

 だから――ここから先こそが、核心のはずだ。


「……」


「立華?」


 流暢に動いていた茉莉花の口が止まった。

 怪訝に思って視線を送ると、唇が震えている。

 いつもは可愛らしい桃色の艶めきを湛える唇は、今や紫色に変色している。


「『娘を信じている』『娘の自主性を尊重している』だって」


「……なんだ、それは」


 勉の喉を通って出た声は、ひび割れていた。


『信じる』『自主性を尊重する』

 いずれも美しい響きの言葉だ。

 美しすぎて――反吐が出る。

 真意がまるで正反対の位置にあると、容易に知れてしまうから。


「先生たちも戸惑ってたよ。『立華、お前の家はどうなってるんだ?』って、あのジャージが心配してくれるの。もうね……」


 掠れた声が耳に届くたびに、勉の心臓が締め付けられる。

 次の瞬間、茉莉花が爆発した。


「もうねッ……何なのコレ!? ねぇ、教えてよ狩谷君! ねえってば!!」


 白い手が伸びてきて襟首を掴み上げ、縦横に揺らす。

 されるがままにされていた勉は、ただ沈黙するのみ。


「私って、私って……何なの……」


 こんな茉莉花を見たことはなかった。

 しかし、よくよく思い返してみると兆候はあった。

 彼女の表情はいつも眩しく、くるくると入れ替わる。

 そういう性格なのだろうと思っていたが……今日この場にあっては、あまりにも変化が激しすぎた。

 情緒の振れ幅がおかしなことになっていて、感情を制御しきれなくなっている。整いすぎた顔立ちに載せられている表情は、いつの間にか壊れていた。極めて危険な状態だ。


――立華……


 茉莉花の両親の意図するところは明白で、それを口にすることはできなくて。

 しばらくの間、髪を振り乱して激昂していた茉莉花は、とすんと腰を下ろした。


「なんか、疲れちゃった」


 虚ろな表情。力のないか細い声。

 次に彼女が何を言い出すか、予想できてしまった。

『それ』を言わせてはいけないと直感するも――間に合わない。


「立華! それ以上はダメだ!」


「うん……もう、どうでもいい」

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『あの子が水着に着替えたら』もよろしくお願いします。
こちらは気になるあの子がグラビアアイドルな現実ラブコメ作品となります。
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