第50話 踏み込んだその先に
「SNSの写真、あれは……ワザとやったんだな」
勉がそう告げると、茉莉花の表情がわずかに揺れた。
時間にしてほんの一瞬と言ったところだが、確かに揺れた。
ここしばらくずっと目で追っていた顔だ。しかも今は至近距離。
絶対に見落とすことはない。
「あの写真……狩谷君も見たんだ?」
「ああ」
茉莉花は、勉の問いかけには応えなかった。
逆に問われて、頷かざるを得なかった。
目の前の少女の眼差しは苛烈に見えるのに投げやりな気配が漂っている。
言葉を遮ることは得策ではないと判断した。
「ちょっと意外。狩谷君はクラスのグループチャットなんてチェックしないと思ってた」
「天草が教えてくれた」
「……あっそ」
茉莉花は面白くもなさそうに呟いた。
そして――じろりと勉を睨み付けてくる。
艶を失った唇がいびつに笑み曲がった。
「ねぇ、私がワザとやったってどういうこと? 意味わかんないんだけど」
「そのままの意味だが」
「何でいきなりそんなこと言い出すかな? もしよかったら教えてくれない?」
挑発的な口振りだった。
勉をバカにするような声色だった。
あまりよい言い回しではないが……茉莉花には『似合っていないな』と思わされる。
ただひたすらに痛々しいのだ。
――やるしか、ないよな。
ぬるくなった麦茶で喉を潤し、両の掌を組みなおして深呼吸。
改めて茉莉花と向かい合って口を開いた。
踏み込んでしまった。ここから先は――もう止まれない。
「最初は誤爆を疑った。誤爆なら本来の送信先は俺になるはずだ」
「そうかもね。それで?」
「でも、それはない」
「どうして言い切れるの?」
問いを重ねてくる茉莉花。
勉は自分のスマートフォンを操作してディスプレイを彼女に向けた。
「立華が最近俺に送ってくる写真、顔を隠してないだろ」
端末には初めて『お礼を用意しました』なんて胡散臭いメッセージと共に送られてきた写真が表示されていた。
白い肌に真っ赤なビキニが映える逸品。茉莉花の笑顔が眩しいフォトは、勉のコレクションの中でも最高レベルのお宝だ。
あれ以来、茉莉花は勉の要望どおり週に1回のペースで画像を送信してくる。いずれも顔は隠されていない。
「今になってわざわざ顔を隠したものを俺に送り付ける理由がない」
断言すると、茉莉花は視線を逸らせてチッと舌打ち。
間を置くことなく、ねっとりした口調で反論を試みてくる。
「別に狩谷君にだけ送ってるわけじゃないんだけど?」
「そうなのか? 天草が言っていたが、立華は、その……交際経験は多いそうだが、複数の男子と同時に付き合っていたことはないと聞いているぞ」
「……私と狩谷君って、付き合ってないよね?」
眉を顰めてマジな口振りで言われると、結構クるものがあった。
仰け反り返りそうになるところをぐっと耐えて肯定した。
吐きたい。泣きたい。でも、ここは我慢のしどころだ。
「付き合ってはいないな。そうは言っても、仮に他の男子と付き合っているとしたら、そいつに俺のことをどう説明するつもりだ?」
目の前でやさぐれている少女の周りには常に男女を問わず多くの人間が集まっていたが、彼らの中の誰かと特に親しくしているという話は聞かない。
少なくとも勉が『RIKA』と茉莉花の同一人物説を疑い始めた時期から後、茉莉花に彼氏はいなかったはずだ。
ソースは史郎。100%とは言えないものの、信頼性の高い情報ではある。
そう考えると、彼女と一番長い時間を共にした男子は勉ということになる。
……ほとんどが茉莉花からのアプローチであった点は情けないので置いておく。
仮に茉莉花に彼氏がいたとして……勉の目を掻い潜って本命の彼氏と付き合うことはできるかもしれないが、本命の彼氏の目を誤魔化すことは可能だろうか?
学年主席の『狩谷 勉』と学園のアイドル『立華 茉莉花』は、いずれも際立った存在だ。
秘密裏に行っていたはずの『ガリ勉ノート』のやり取りだって、クラスメートに見つかった。
茉莉花がみんなの前で弄られて勉が介入した件は校内に広く知れ渡っている。結果、ふたりは余計に目立つことになった。
さらには一学期の中間考査に向けたふたりきりの試験勉強と打ち上げ会。どれもこれも彼氏(仮)に隠し通せるものではない。
考えれば考えるほどに茉莉花に彼氏がいるという仮定に無理が生じる。
ゆえに勉以外の『誰か』へ向けた写真をクラスのグループチャットに誤爆したという筋はないと見た。
「じゃあ……『RIKA』とアカウントを間違えたって可能性は?」
口を挟んできた茉莉花に、首を横に振って答える。
「ない。『RIKA』さんのアカウントはツイッターのものだ。わざわざ使うアプリを変えて誤爆なんてするわけがない」
茉莉花の裏垢こと『RIKA』は絶賛炎上中だ。
勉が知る限り、このアカウントは昨年の夏ごろから投稿を開始している。
約1年ほどの間、勉以外の人間が『RIKA』の件で茉莉花に接触した形跡はない。
そんなコメントはなかったし、リアルの茉莉花がトラブルに巻き込まれたなんて事件もない。
茉莉花は誰にもバレないように慎重に表のアカウントと裏垢を使い分けてきたのだ。
それほど用心深い人間なら、画像投稿のためにアプリを立ち上げた時点で気がつくだろう。
百歩譲ってツイッターの表と裏のアカウントを間違えることはあるにしても、さすがにグループチャットが設けられている別のSNSに誤爆する可能性は限りなく低い。
「元から黙ってただけで『RIKA』さんのアカウントに気付いていた奴はいたのかもしれないが……」
「何が言いたいわけ?」
「立華がそれとなく誘導した可能性もあると思っている」
「……」
眼鏡のレンズ越しにキッと正面を見据えると、眼前の黒い瞳はバツが悪げに逸らされた。
今の今まであまり意識してこなかったけれど、茉莉花の裏垢がひとつとは限らない。
勉が知らないアカウントを別途作成し、あらかじめ目星をつけておいたクラスメートの目に留まるよう操作したのではないか。
SNSとツイッターのログを遡ってみたが、グループチャットに画像が投下されてからツイッター炎上までの時間がやけに短い。
『立華 茉莉花』は目立つ存在ではあるが、テレビに顔出しする芸能人ほどの知名度があるわけではない。
一般人のエロ裏垢が発覚しただけの話なのに、バカ発見器的な案件に近い炎上速度が不自然だと感じられた。
その割にツイッター側の火元を探ろうとすると、途端に曖昧になる。これでは疑いたくもなるというものだ。
「沈黙は肯定ととってもいいのか?」
「何で私がそんなことをしなくちゃ……って、もういいわ。狩谷君相手に化かし合いなんて、ね」
肩をすくめて苦笑する茉莉花。
先ほどまで纏っていた刺々しい空気は薄れ、ほんの少しだけいつもの彼女の顔がまろび出た。
怒りや拒絶の感情が見受けられないことに、勉は心の中で胸を撫で下ろした。
「いつから疑ってたの?」
「今、頭の中でまとめた」
「ウソ!? 考えるの早すぎない?」
「ウソじゃない」
組んでいた掌を解き、コップを掴んで麦茶をひと呷り。
ずり落ちた眼鏡の位置を直す。レンズが汗で曇っていた。
これまでの人生の中で、これほどに緊張した記憶はなかった。
「ねぇ、どこで気づいたの? 私、上手くやったつもりだったんだけど」
「一番大きかったのはグループチャットに投げられた画像だな。あれと俺に送られてきた写真との違いが引き金だったと思う」
史郎から送られてきた写真を見たとき、『ひょっとして自分に送ろうとした画像を誤爆したのか?』と疑った。
自分のせいで茉莉花が窮地に陥っているのではないかと思うと、居ても立ってもいられなかった。
お陰で昨晩はほとんど一睡もできず、早朝から学校に押しかけた。茉莉花の顔を見たかった。話をしたかった。
「まぁ、疑問を抱いたのは家に入れてもらってからだが」
胸の奥に溜まった重苦しい空気を言葉とともに吐き出した。
立華邸を訪れなければ、おそらく気付かなかった。
そんな未来を想像すると、ゾッとさせられる。
「……そっか。そっかぁ」
じゃあ、家に入れなかったらよかったのかな。
それとも狩谷君に写真を送らなかったらよかったのかな。
茉莉花は遠い眼をして、そんなことを呟いていた。
「炎上の狙いは……両親か?」
「うん」
ダメ元で切り込んだつもりだったが、あっさり頷かれた。
勉が構築したストーリーが間違っていなかったことの証左だ。
思い違いであってくれればとの祈りは、あっけなく打ち砕かれた。
「グループチャットやツイッターを炎上させて教師の目に入れる。そこから両親に連絡が行って、立華に話が伝えられる」
「うん」
要点だけをかいつまんでみると、とても幼稚な発想だと思える。
両親の気を惹きたいから悪さをしたというだけの話だ。
おもちゃ売り場の前で駄々をこねる子どもと大差ない。
「私ね……私ね、叱られたかったんだ。パパとママに」
『叱られたい』
そのひと言に如何ほどの感情が込められているのか、勉には到底計り知れなかった。
立華家の現状を目にして、茉莉花から直に話を聞くと、軽々しい感想は口に出来なくなる。
『家族の証』としてこの世に生を受け、用が済んだら捨て置かれた茉莉花。
喉を涸らして叫んでも自分の声では両親に届かない。だから教師を使う。
高校は義務教育ではないものの、教師と言う立場から保護者に向けられる言葉には、それなりに力がある。
相手が世間体を気にする者なら、なおさらその力は大きく作用する。
「一年がかりの計画だったんだけどなぁ」
慨嘆する茉莉花の声は、あまりに軽く、空々しく響いた。




