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第49話 『立華 茉莉花』


『家族なんているわけない』


 皮肉げに口を歪めて吐き捨てた茉莉花(まつりか)の顔を見て、肌が泡立った。

 どこまでも深く昏い情念が交じった声と、どこまでも虚ろな瞳。

 多くの人間が抱いている『立華 茉莉花(たちばな まつりか)』像とは正反対の姿。

 そこに体現される意思。静かに、強烈に、重々しくて痛々しい。

 ただのひと言で口を縫い付けられた(つとむ)は、黙って彼女の後に付き従った。


 ようやくたどり着いた玄関は、外観を裏切ることなく広かった。広すぎた。

 促されるままに足を踏み入れると、薄暗い廊下がずーっと先まで伸びている。

『昔、こんなホラー映画を見たな』と思ったが、そんな軽口を叩く余裕はなかった。

 靴を履き替える際に下駄箱をチェックしたが、ほとんど靴は見当たらない。異様な光景だった。

 そして屋内。広々とした屋敷はガランとして、どこか閑散としている。


――いや、違うな。


 これまで散々目を逸らしていた現実と向き合わなければならない。

 この家には、人間の気配がない。生活の痕跡がない。

 ここは本当に茉莉花の家なのか。彼女は本当にこんなところで暮らしているのか。

 とてもではないが信じられない。冗談抜きで幽霊屋敷じみた空気が漂っている。


「リビングはそっち。飲み物持って行くから座ってて」


「……ああ」


 言いたいことは山ほどあったが、口にすることはできなかった。

『何も聞いてくれるな』と先導する茉莉花の小さな背中が物語っている。

 気の利いた言葉のひとつも思いつかないまま、白い指で指し示されたリビングに向かう。

 リビングもやはり大きかった。テレビも、ソファも、何もかも格が違う。

 否、大きすぎる。何だか巨人の国に迷い込んだかのような錯覚に陥りかける。

 首を巡らして室内を見渡してため息ひとつ。とりあえずソファに腰を下ろす。

 クッションがよく効いた高級品であることが、ただのひと座りで理解できた。


 ここに来るまでに目にした立華家は、何もかもが規格外だった。

 閑静な住宅街の中でもひと際ハイレベルな外見に始まり、ありとあらゆるものが裕福だった。

 しかし――


「はい」


 相変わらず仏頂面の茉莉花が、テーブルにコップを置いた。

 繊細な造りのグラスの中に満たされているのは、半透明な焦げ茶色の液体だった。おそらく麦茶だろう。

 そこだけはやけに庶民的でホッとした。この状況で素麺のつゆが注がれていたら、もっと和やかな心持ちになれそうなのだが……さすがにそんなジョークを期待できる雰囲気ではなかった。

 茉莉花は向かいの椅子に腰を下ろした。そのままふたりとも沈黙。コップの中で僅かに揺れる水面をじっと見つめていた。


「立華、その……」


 ずっと黙っているわけにもいかず、口火を切った。

 普段はストレートに語りがちな勉も、屋敷の威容に圧倒されてしまったせいか、言葉を濁さずにはいられなかった。

 それほどに、この家の――茉莉花を取り巻く環境は異様だった。


「気にしなくていいって。ウチはずっとこんな感じだし」


「ずっと?」


 いったいいつから?

 そう尋ねる前に、茉莉花は訥々(とつとつ)と語り始めた。


「パパの会社がさ……人事評価だっけ、あれに家族がうんたらかんたらってあったんだって」


「は?」


「だから、出世するためには家庭を持ってないといけないとか、そういう話」


「ああ……」


 言われて得心した。

 昔から日本にはその手の風潮があるという話を聞いたことがあった。誰から聞いたかは忘れた。

 企業などの組織を構成する人員の中でも、特に管理職クラスに昇任する条件のひとつとして、家庭を持つことが重視されていると。

 人の上に立つ者には、人間関係を円滑に運営する能力が求められる。ここだけ抜き出せば間違っていないように聞こえる。

 そして人間関係にまつわる資質の有無を可視的に判断するための指標として、社会の最小単位である家庭が用いられるという話……だったはず。

 21世紀に入って20年以上が経過しているというのに、前時代的な発想だと思う。

 今もそんな状況が続いているのかは不明だ。高校生の勉には、大人の社会の潮流なんて縁遠い話だった。

 表向きはそういう評価制度はなくなっているという報道を見た覚えがあるが……茉莉花の父が勤める会社は、たまたま旧習を色濃く残していたということだろう。


「それでママは売れないファッションデザイナーでお金がなかった」


「はぁ」


「そんなふたりは高校時代からの知り合いで、たまたま再会して……後はわかるよね?」


 問いかけられるまでもなかった。

 人間関係の機微に疎い自覚がある勉でも、これはさすがに頷かざるを得ない。

 出世のために家庭を求めた男と、金銭的な支援を求めた女。ふたりの利害は一致していた。

 

「そうやって生まれてきたのが私ってわけ」


 他人事のように語る茉莉花を見て、まるでテレビドラマみたいな話だと場違いな感想を抱いた。

 フィクションなら白馬の王子様に救われるか、ここから一発逆転ざまぁみろで拍手喝采な展開だろうが……残念なことに、これは残酷な現実だった。

 いわゆる育児放棄ネグレクトと呼称される現象だ。立派な(?)児童虐待である。

 悪い意味でドラマチックな状況に置かれている同年代の少女がいるなんて、この殺伐とした屋敷に足を踏み入れるまで想像もつかなかった。

『立華 茉莉花』は時折寂しげな表情を覗かせることはあったものの、基本的には聡明で溌剌とした学園のアイドルだったから。

『裏垢は孤独感に苛まれる人間が、誰かに存在を認められたいという欲求を~』なんて見出しが頭によぎった。

 話半分程度に聞き流していたインターネット経由の情報も、なかなか侮れない。ドンピシャだ。


「……父親の方が家庭が必要としているのなら、もう少し体裁を整えるのではないのか?」


 微かな期待を込めて言葉を選んだ。

『それはない』と心のどこかから声が聞こえた。

『お前は今まで何を見てきたのか』と脳内で嘲笑する自分がいた。

 この屋敷の惨状を目の当たりにしたのなら、一目瞭然ではないか、と。


「私が生まれる前の話だよ。パパはもうその辺はとっくに終わってて、今は偉い立場になってるし」


「……母親の方は?」


「才能あったんだろうね。有名になって海外に進出してる」


 その結果が、この豪奢で空虚な立華家だ。

 家庭を必要としなくなった父親。金銭的に自立した母親。

 ふたりはそれぞれに目的を達して自分たちの世界を作り、後には娘が残された。

 誰あろう、目の前ですすけた笑みを浮かべている少女こと『立華 茉莉花』だ。

 立華夫妻はもはや家族を必要としていないにしても、『では離婚します』などと言うのは体裁が悪すぎる。

 家庭だの家族だのは、用が済んだからと言って、そうそう簡単に捨てられるものでもない。

 娘である茉莉花は『円満な家庭』の象徴として今もこの大きいだけの立華家に留め置かれている。

 さながら生贄のように。あるいは忘れ去られたご神体のように。

 父からも母からも言葉はなく、父にも母にも声は届かない。

 隔絶された孤独の中に、ひとり。茉莉花は、今もここにいる。


 いつもは輝いている漆黒の瞳は澱んだまま。光すら飲み込んでしまうブラックホールにも似た闇を湛えている。

 口元は歪み、顔色は不自然に白い。素っ気ない口振りで語ってはいるが、明らかに無理をしている。


 社会的地位の高い両親と広い家。

 ひと目でわかる不自由のない裕福な環境。

 自身は見目麗しく、頭脳明晰で運動神経も抜群。

 社交性も高く、多くの友人に囲まれる日々を過ごしている。

 ありとあらゆるものに恵まれている――それこそ神に愛されているのではないかと思えるほどに盛りすぎな彼女は、その実、最も大切なものを欠いていた。


『立華 茉莉花』は愛に飢えている。

 それも、家族の愛に飢えている。


 勉の脳内で点と点が繋がっていく。

 今まで茉莉花と関わってきて、様々なタイミングで違和感を抱くことがあった。

 学園の人気者として君臨し、多くの生徒たちから一目置かれている少女。

 常に『周りの人間からどのように見られているか』を気にしている少女。

 大雨に降られて助けを求める状況で『友だちなんていない』と呟く少女

 時に常識離れした感覚――性的関心どころか露出性癖まで覗かせる少女。

 茉莉花にまつわる相反する数々の情報は複雑に入り混じりつつ、最終的には一点に収束する。


『学園のアイドルが、なぜエロ裏垢なんてやっているのか』

 承認欲求と破滅願望の交錯を思わせる彼女の言動の答えが、そこにあった。


「……」


 断片的な情報から勉が組み上げた『物語』は、あまりに荒唐無稽なものだった。

 しかし、それをバカバカしいと一笑に付すことができないシチュエーションが、あまりにも整い過ぎている。

 ゴクリと唾を飲み込んだ。身体がおかしな熱を持って震えている。反して背筋に寒気を覚えた。

 先週の金曜日の晩、茉莉花と急接近したあの時と似ていて、その心境はまるで正反対。

 触れるべきか触れざるべきか、迷った。これはきっと、茉莉花の心の最もデリケートな部分だ。

 この『物語』を開陳して、もし間違っていたならば……それは最大級の侮辱になるだろう。

 ふたりの関係は、きっと修復不可能なレベルで崩壊してしまうに違いない。


 でも――奇妙な確信があった。

 自分が構築した仮説は、きっと正しい。


 勉は学校の試験で、あるいは模試で満点を取ることに違和感を覚えることはない。

 その時と同じ感覚だった。自身の絶対的な自信に気付いてしまって嫌気がさした。

 正解にたどり着いているはずなのに、口の中に苦味が広がる。胸の中は黒々とした悍ましいものが渦巻いている。

『何も言わない方がいいのではないか。日和るのも悪くないぞ』と誘う自分がいた。

『今ここで躊躇すれば、一生後悔することになるぞ』と背中を押す自分もいた。

 長いようで短い時間だった。葛藤の末に――勉は口を開いた。


「それで、か」


「……何が?」


 コップを傾けて麦茶を飲んでいた茉莉花が問うてくる。

 勉は両手の指を組んだまま、俯いていた頭を上げて言葉を紡ぐ。


「SNSの写真、あれは……ワザとやったんだな」


 正面から向けられる漆黒の瞳が、かすかに揺れた。

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『あの子が水着に着替えたら』もよろしくお願いします。
こちらは気になるあの子がグラビアアイドルな現実ラブコメ作品となります。
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