第45話 カリスマの失墜 その1
第4章開幕です。
ここから当面はシリアスが続きます。
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みなさま、ありがとうございます!
勉は朝早くから誰もいない教室で唸っていた。
深々と椅子に腰を下ろして、腕を組んで、ギュッと目蓋を閉じたまま。
普段はギリギリまで登校してこないことを鑑みれば、これは異例の事態である。
しばらくするとポツポツとクラスメートも姿を見せ始めたが、ただ事ならぬ雰囲気を漂わせてくる勉に声をかける者はいない。
……もともとそんな物好きはほとんど存在しないわけだが。
――クソッ、いったいどうなっているんだ……
耳を澄ますと教室のそこかしこでひそひそと小声で囁かれる声が耳を掠め、勉の神経を逆なでする。
しばしば茉莉花の名が聞こえてくることから、彼らがどういう話をしているかは予想がついた。
おそらく史郎から送信されてきたメッセージの件で間違いあるまい。それ以外には考えられない。
学園のアイドル『立華 茉莉花』が、クラスメートの共用グループチャットに投下した写真。
勉が見せられたのは、スペシャルなボディに真紅のビキニだけ纏った扇情的な画像だ。
いつもは制服に隠されている部分まで、そのほとんどが白日の下に晒されていた。
誰の写真なのかは明らかだった。どう見ても茉莉花だ。この件に関しては絶対の自信がある。
なぜなら――勉は茉莉花の裏の顔を知っているから。彼女には人気エロ系写真投稿裏垢主『RIKA』としての顔がある。
これまで散々彼女が投稿した画像にお世話になってきた者として、『RIKA』の肢体を見間違えるわけがない。
そして、勉は彼女の裏垢について誰かに漏らしたことはない。
――誰だ、こんなことをしやがったのは!?
周囲の喧騒を余所に、闇の中でひとり煩悶していた。
教室を渦巻く茉莉花の評判は、耳に入ってくる限り非常にネガティブなものが多い。
もちろん『何で立華さん、あんなことを……』のような懐疑的な語り口の者もいる。
でも……大半は『いくら目立ちたいからって、あれはやりすぎ』だとか『ちょっと見た目がいいからって、頭おかしいんじゃない』とか『うわ~お盛ん』とか『ま、ああいうことやってると思ってたわ』といった感じだ。
つい先日までは彼女を持て囃していたくせに、掌返しが酷すぎる。
見知った誰かを貶めるのは、そんなに楽しいのだろうか?
それほど茉莉花はクラスメートのヘイトを集めていたのだろうか?
兆候はしばしば見受けられたものの、ここまで風当たりがキツイとは想像できていなかった。
「おはよう、勉さん」
頭上から声が降ってきた。
目を開けて見上げると、そこには軽妙なイケメンこと『天草 史郎』の顔があった。
勉の数少ない友人のひとりであり、共同事業『ガリ勉ノート』の胴元でもあった。
昨日の夜に茉莉花の画像の件で連絡してきてくれたのも、この男である。
「ああ、おはよう」
「朝から難しい顔してるな。まぁ、気持ちはわからんでもないが」
前の席に腰を下ろした史郎は、同情的な眼差しを向けてくる。
彼は最近の勉が茉莉花と親しくしていることに勘付いている。
だからこそ、グループチャットに目を通していないであろう勉に、わざわざ忠告してくれたのだ。
「……」
「しっかし、立華さん何であんなことしたんだろうな?」
「何で、とは?」
「だってそりゃエロい裏垢なんてさ、彼女らしくないだろ?」
「……まぁな」
曖昧に頷いた。
教室で燦然と輝く茉莉花の姿からは想像しがたいが、勉が知る限り彼女はエロ系の人間だ。
そのことを知っているのは、この教室の中では勉だけ。『いや、立華らしいだろ』などと首を横に振っても賛同は得られない。
だから、どうしても言葉を濁さざるを得ない。実際のところ、勉もまた同じ疑問を抱いたことはあった。
あの手の裏垢について調べると『承認欲求』や『孤独』と言ったワードにぶつかることが多い。
どちらも教室での茉莉花の様子を見ている限り、あまり縁のある言葉とは思えない。その点では史郎の言い分を認めざるを得ない。
――孤独……だったのだろうか?
金曜日の放課後を思い出す。
大雨に振られて帰りの電車が運休になったとき、茉莉花は『頼る友人はいない』と言っていた。
同じ状況なら勉も同じことを口にしただろうから、あまり難しく考えていなかったのだが。
――俺は立華のことをあまり知らないな……
勉の知る茉莉花は明朗快活な学園のカリスマであり、サービス旺盛なエロ裏垢主であり、大きな包容力を備えた少女だ。
でも――それだけが『立華 茉莉花』ではないのかもしれない。事ここに至ってようやくそのことに思い至った。
「あれだけみんなにチヤホヤされてても、満足できんかったんかね」
「かもしれん」
「そんで裏垢か。フォロワー5ケタって凄いわな」
「……ああ、そうだな」
この学校の生徒は総勢で1000人に届かない。
茉莉花は、そのすべての人間に支持されているわけではない。
数字が示す限りでは、彼女は校内の人気とは比べ物にならないほどの人気を集めていたことになる。
『RIKA』へのリプに英文が混じっていたことを思い出した。彼女のファンは国境を越えている。
「履歴遡ってみたら結構前からやってたみたいだし……誤爆なんて、まぁ、気が緩んだのかね」
「……誤爆?」
誤爆。
コメントや画像を本来とは異なる場所に投下してしまうこと。
勉だって、その程度のスラングは知っている。
幼い頃よりインターネットにはそれなりに慣れ親しんでいるのだから。
茉莉花はこれまでグループチャットにエロ画像を添付したことはない。
あくまで学園のアイドルとしての振る舞いを崩したことはない。
そこへ来て今回の水着写真。
史郎の言うとおり、今回の件は誤爆からの裏垢発覚、そして大炎上と考えるのが筋。
……なのだが、どうにも素直に頷けない。
「なぁ、勉さんや」
「なんだ?」
「お前さん、知ってたのか?」
そう尋ねてくる史郎の眼差しは真剣そのもの。
いつも漂わせている軽薄な雰囲気は完全になりを潜めている。
勉と史郎は高校入学以来の付き合いであり、それほど深い間柄というわけでもない。
だからと言って、ここは迂闊にはぐらかせない。
心情的には、数少ない友人である史郎に対しては真摯でありたいという思いがあった。
現実的には、コミュニケーション能力の高い史郎を相手にごまかしが通じるとは思わなかった。
それでも、茉莉花のプライベートに関する情報を口にするところまで割り切ることもできなかった。
「……」
結果として、視線を逸らして口を閉ざした。
返答に窮している時点でバレバレなのだが。
「別に責めてるわけじゃねぇよ。わかってて付き合ってたんなら、お前さんにはお前さんなりの思惑があるってことだろうしよ」
「いや、俺達は別に交際しているわけではないんだが」
「今、そこは問題じゃねーから」
「……うむ」
「立華さんにだって何か悩みがあるのかもしれんし、事情があるのかもしれん」
「そうだな」
「だったら、お前さんがしっかりしなきゃならんだろ」
「俺が?」
問いかけると、史郎はシリアスモードのまま首を縦に振った。
「おう。女の子が困ってたら助けるのが男ってもんだ。この前だってそうだったんだろ?」
史郎が言うところの『この前』には心当たりがあった。
勉と茉莉花のノートのやり取りを見ていた生徒から『ふたりは付き合っているのか?』と茉莉花が弄られていた件だ。
あの時は、いてもたってもいられなくなって勉が介入し、『ガリ勉ノート』の供給停止をチラつかせて場を鎮静化させた。
あとから茉莉花に『もっといいやり方はなかったのか?』と散々に攻められはしたものの、勉はまったく後悔していない。
なるほど、まったくもって史郎の言うとおりだった。茉莉花が困っているなら助ける。やるべきことはシンプルだ。
「今回はあの時の比じゃねーぞ」
「……ああ」
頷かざるを得ない。
始業のチャイムに向けてどんどん教室に生徒が集まってくる。
彼らは席に着くなり茉莉花の件を語り合っている。
先を争うように、待ってましたと言わんばかりに。
顔に浮かんでいる表情は、いずれも筆舌に尽くしがたい。『醜い』と率直に思った。
先日の勉との関係を揶揄していた際とは比べ物にならない。
SNSという衆人環視の状況で茉莉花はエロ画像を投稿した。
今回はどう考えても言い逃れが効かないスキャンダルだ。
彼らはチラチラとドアに目を向ける。渦中の人物の姿を待っているのだ。
「立華さん、来るのかねぇ」
「どうだろうな」
「その辺、何も聞いてない?」
史郎の問いに、勉は首を縦に振った。
昨晩、あれから茉莉花に連絡を取ろうとはした。
彼女のIDは手に入れているから、メッセージを送ることはできた。
でも、反応はなかった。既読はついたから目を通してはいるはずなのに。
「学校、しばらく休むかもしれんな」
「う~ん、その手もアリっちゃアリだけど……ずっと引き籠ってても状況良くならんよな」
「そういうものか」
「そういうもの」
『人の噂も七十五日』と言う。期末試験こそあれど、ひと月ほどすれば夏休みだ。
沈黙を守って時間が過ぎるのを待つという手もあると思っていたのだが……その目算は甘いらしい。
人間関係の機微に疎い勉と違い、多くの人間と交友関係を築いている史郎の言葉には重みがあった。
始業のチャイムに向けて教室を様々な思いが錯綜する中、その声が響き渡った。
「みんな、おはよう」
聞き覚えのある声だった。
透き通った美声。耳によく馴染む優しい声。
誰もが教室の入り口に視線を集中させた。
声の主は、整い過ぎた顔に満面の笑顔を浮かべている。
腰まで届く艶やかな黒髪。制服越しでもわかるパーフェクトボディ。
校則違反の短いスカートから、肉付きのいい白い脚が伸びている。
『立華 茉莉花』が――登校してきてしまった。




