第36話 釣り針が見え見えすぎる。
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勉の知る『立華 茉莉花』は、しばしば突拍子もないことを口にするものの、基本的には知性溢れる美少女だ。
笑って済ませられないレベルのエロい挑発を仕掛けられたり、シリアス顔でとんでもない『お願い』されたりと、あれやこれやで悩まされる点はひとまず置いておく。
本人の意思に反する忠告であっても話を聞くだけの度量はあるし、筋道立てて説明すれば理解を拒むほど愚かなわけではない。
だから……唐突過ぎる宣言に意識を飛ばされた勉が、正気に返るなり説得を試みることは自明の理と言えた。
「つまり、狩谷君はチキンなわけね」
「何でそうなる」
眼前で仁王立ちしている茉莉花をソファに腰を下ろしたまま見上げるながら唸る。
雨に打たれて冷やされた肢体は湯船でしっかり暖められて色づき、そこに勉が貸したワイシャツを纏っている。
胸元は内側から大胆に押し上げられており、たわわに実っている。動くたびに揺れる。
腰まで届く艶やかなストレートの黒髪と、白くて眩しい長い脚も実に目の毒だった。
どこもかしこも魅力的過ぎて、健全な思春期男子の理性をじわじわと侵食してくる。
自分の魅力を自覚している美少女がここまで厄介な存在だったなんて、ついこの間までまったく思いもよらなかった。
「だったら写真撮ってよ」
茉莉花が自分のスマートフォンを突き付けてくる。この前出たばかりの最新型だった。
学園のアイドルである彼女には、もうひとつの裏の顔がある。エロ自撮り投稿系人気裏垢主『RIKA』として、主にツイッター上で活動しているのだ。
梅雨と台風の挟撃にへこまされ、紆余曲折あって勉の家に泊まることになったはいいものの、夕食の後片付けを終えた彼女は、やることがなくて暇を持て余し気味だった。
ツイッターで安否を気遣われながらも、同時に投稿頻度の低下を指摘されて思うところがあったらしい。カチンときたとも言う。
『よろしい、ならば投稿だ』と考えたわけだ。よそ様のお宅でいきなり裏垢用の写真撮影だなんてストーリーにぶっ飛んだのは彼女らしいと言えるだろう。
勉も『RIKA』の大ファンだったから文句はない。そこまでは問題ない。推しの撮影を見学とか最高かよ。
問題なのは――茉莉花が勉に『写真を撮ってくれ』などと言いだしたことだ。目の前で直接耳にしたから、聞き間違いということはない。
繰り返すが、茉莉花は白のワイシャツしか身につけていない。裸ワイシャツ、それは男の夢。
飛び切りの美少女が自分の部屋で裸ワイシャツという時点で役満なのに、写真を撮れと強要してくる。
メチャクチャだ。裏ドラが乗ってしまった。役満に裏ドラは乗らないが、茉莉花には乗ってしまう。
情緒のアップダウンが激しすぎて、思考が追いつかない。開いた口が塞がらない。
今にも焼き切れそうな理性を無理やりつなぎ合わせて、どうにかこうにか勉は反論を試みた。
「お、俺が撮るのは良くないだろ!?」
「なんで? 狩谷君、いっつも私の写真見てるんでしょ? 撮りたくないの?」
生だよ?
覗き込むように上半身を倒してくると、胸の谷間がハッキリ見えた。
眼前に超絶美少女顔、視線を下ろすと巨乳の谷。
奥に見えるお尻は丸みを帯びて白い布地がぱつんぱつん。
ワイシャツの裾から伸びる真っ白な長い脚の根元が怪しい。
視界が幸せ過ぎて死ねる。
今ここに茉莉花がいるからこその眼福であるが、今ここに茉莉花がいるからこそ何もできない。
しばらくひとりにしてほしい。今すぐトイレに駆け込みたい。
勉は心の底から神に願った。もちろん、そんな願いは叶わない。
――生って何だ、生って!
絶叫できるのは、あくまで心の中でだけ。
表面上は平静を保っている……つもりだった。なお実際は(略
何はともあれ『落ち着け、落ち着け』と何度も唱える。
口が動いてしまっていたが、気にしている余裕などない。
――無理だッ!!
ずり落ちた眼鏡の位置を直す手が震えている。
まったく落ち着けない。落ち着けるはずがなかった。
それでも、感情をそのまま吐き出すことには抵抗があった。
「写真を撮りたいかと言われれば撮りたい。それは認める」
「じゃあ撮ろうよ。撮影会だよ」
茉莉花は『撮影会、撮影会』とおかしな節を付けて歌い始めた。
ついでに軽く踊り出したものだから、色々なところが揺れてヤバすぎる。
なんでそんなにテンションが高いのか。
いつも自撮りをする際にはこんな感じなのだろうか。
同年代の異性にほとんど知り合いがいない勉には、彼女の思考回路が全く理解できなかった。
……仮に異性の友人がいたところで、茉莉花と比較することは難しかろうが。
「だけど、俺が撮ったら『RIKA』さんの傍に他の人間がいることがバレるだろ」
「ん?」
茉莉花は踊るのをやめて首をかしげた。
頭に合わせてサラサラと髪が流れ落ちる。
人工の光を受けて艶やかな黒が煌めいている。
「それがどうかした?」
「どうかするだろ。炎上モノだぞ」
『RIKA』のフォロワーは5ケタを数えていまだ増大中。
ナイスバディでサービス精神旺盛な『自称:女子高生』が人気を集めないわけがない。
でも――もしその傍に男の影があったらどうなるか?
「え~、それくらいで炎上なんかしないって。恋愛禁止のアイドルじゃあるまいし。狩谷君、気にしすぎじゃない?」
「気にしろ」
「でも……ほら、この人たちだって、これ絶対カメラマンに撮ってもらってるじゃん」
茉莉花がスマートフォンを操作して表示させたのは、主にコスプレイヤーのアカウントだった。
露出度の高い――それこそ『RIKA』に勝るとも劣らない――格好でポーズを決めた写真がいくつも投稿されている。
『こんなのアップして大丈夫なのか?』と他人事ながら心配になる画像まであった。『いいね』や『リツイート』の数も半端ない。
目の前の少女が、こんなジャンルまでチェックしていたことに驚かされる。ひょっとして興味があるのだろうか。とても気になる。
「ほう、こういうものもあるのか」
「そこ、感心しない」
勉が興味を示したら露骨に不機嫌になるのは理不尽だと思った。
「すまん。確かにこれは自撮りじゃないな」
「でしょ?」
「でも、これはプロ……プロなのか? いや、それはどうでもいいな。仕事として撮影しているから別の話になるのではないか?」
コスプレは仕事なのだろうか?
そっち方面には詳しくはないので、答えは出せそうになかった。
今この瞬間において、そこは問題ではない。
「そうかなぁ」
「それよりもこっちを見てみろ」
返す刀で自分のスマートフォンを不満たらたらの茉莉花に突き付けた。
「うわ」
美少女が出してはいけない類のうめき声があがった。
スマホには『某超人気声優に恋人発覚!?』のスクープ記事が表示されていた。
SNSは大炎上、匿名掲示板も大炎上、まとめサイトも大炎上。
梅雨や台風の話題など、すっかりどこかに吹っ飛んでいた。
眼前の大雨より遥か彼方の声優。げに恐ろしきはファンの心理よ。
「アイドルじゃなくてもこうなるんだ。用心しておくに越したことはない」
「う、う~ん」
さすがに現在進行形の大騒動を見せつけられて、茉莉花は腕を組んで真剣な表情で悩み始めた。
目を閉じて眉を寄せ、うんうんと唸り声をあげて――
「……狩谷君の言うとおりかも」
「だろう?」
「しょうがない。自撮りで我慢するか」
「あ、ああ」
「何その態度。せっかく私が折れてあげたのに」
「いや、何でもない」
今さらながらに憧れのエロJK裏垢主の写真を撮る機会を自ら捨てたことに後悔を覚えていた。
『これが正しいのだ。これでよかったのだ。俺は頑張った』と言い聞かせても、燻る不満はなくならない。
「ふふ~ん、ホントは写真撮りたかったんでしょ」
「ああ、そうだ。悪いか?」
勉の煩悶を目ざとく見切った茉莉花が挑発的な笑みを浮かべている。
誰のためを思っての決断かと、愚痴のひとつも言いたくなる。
愚痴を言う代わりに、せめて堂々と胸を張った。
「撮ればいいじゃん」
「だから俺が……」
「『RIKA』用の投稿写真じゃなくて、狩谷君のスマホで撮ればいいってこと」
茉莉花の細くて白い指が、勉のスマホを指した。
『自分用に』
その言葉は福音だった。
神は目の前にいた。
「いいのか? 本当に?」
「うん。いろいろ借りを作りっぱなしだったし、『お礼』ってことでひとつ」
せっかくの嬉しい話のはずなのに……輝かんばかりの笑顔が、却って胡散臭かった。
どうにも素直に喜べない。何かこう、凄く裏がありそうに思えてくる。
「なぁ、どうして俺に写真を撮らせたがるんだ?」
「そんなに決まってるじゃん」
「決まってる、とは?」
「面白そうだから!」
聞くんじゃなかった。
勉は心の底から後悔……していなかった。
どこまでが本気でどこからが冗談なのか。
茉莉花の心を窺い知ることは叶わない。
ならば――チャンスがあるなら全力でブッ込むべし。
さして長くもない付き合いで得た、貴重な教訓だった。