第35話 嵐の足音が聞こえる
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PVがめっちゃ跳ね上がっててビックリ!
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勉から借りたテレビのリモコンを弄んでいた茉莉花は、特に見るべきものがないと判断したようだった。
不満を口にすることもなく、さっさとテレビを消して手元のスマートフォンを弄りはじめた。
隣に座っている勉はと言えば、こちらは先ほどから茉莉花が気になって仕方がない。
自室に薄着の女子がいる時点で非常識極まりないのに、それが飛び切りの美少女で、手を伸ばせばすぐのところにいると来た。
こんなシチュエーションに放り込まれて落ち着いていられるほど精神修養はできていない。別に責められる筋合いでもない。
仏頂面の裏で狂乱している隣人に気付いているのかいないのか……ややあって、茉莉花は『うわぁ』などと呻き声を上げた。
すわ何事かと勉もスマホのディスプレイをタップしてツイッターを立ち上げると、そこに広がるは悪天候に対する怨嗟の声だらけ。
ひとりやふたりの話ではない。日本各地で大合唱の真っ最中だった。半分ぐらいはこんな日に出社を強いる会社に対する不満だった。
「は~、屋根のある所に避難できてよかった。狩谷君、本当にありがとね」
「大したことはできてないし、気にしなくてもいいぞ」
意識しないように平静を装ったが、声が上擦ることは止められない。
動揺する勉の様子を察した学園のアイドルはクスリと笑みを浮かべる。
勉がじろりと横目でにらむと、茉莉花の漆黒の瞳と視線が絡み合った。
しばしの沈黙ののち、勉は再びスマホに目を落とす。圧に押し切られた。
『負けたのではない。戦略的撤退だ』と己に言い聞かせてみたが……どう考えてもチキンだった。
「暇だねぇ」
「そうだな」
話を振ってもらっても、気の利いた相づちのひとつも思いつかない。
何となく視線を向けた窓の外では、変わりなく雨風の音が鳴り響いている。
だんだん激しくなってくるようだ。今が一番厳しいタイミングなのかもしれない。
さっさと通り過ぎて欲しいと思う反面、ゆっくりしていって欲しい気がしなくもない。
……茉莉花の前では絶対に口にはしないけれど。
「ね、狩谷君って普段は家でどんなことしてるの?」
「どんなと言われても、特に何もしていない」
家ですることなんて、せいぜい家事と勉強ぐらいのもの。
そう答えると、途端に茉莉花の形のよい眉が跳ね上がった。
今の返事にどこかおかしいところがあっただろうか?
茉莉花がなぜそんな表情をするのか、イマイチ理解しがたい。
「ゲームとかしないの?」
「しないな。昔からそういう習慣はなかった」
テレビはあってもゲーム機がなかった。やる時間もなかったし、やる気もなかった。
物心ついたころからそうだったし、ゲームができなかったからと言って不都合を感じたこともない。
もともと友人の少ない人生を送ってきたので、子ども同士の話題についていけなくとも問題なかった。
今もその習慣がずっと身に沁みついているせいでゲームとは縁のない生活を送っているが、別に気にするほどのこともない。
高校入学以来、茉莉花と親しくなるまでの間ほとんど唯一の友人であった史郎は、あまりゲームの話をしない。
とは言え、何もない家で何もしていない自分の姿を頭に思い浮かべてみると……何となく不気味ではあった。
茉莉花が懸念しているのは、どうやらその当たりらしい。彼女の様子を見る限りでは、おそらく間違ってはいない。
――これは何か言っておいた方がよさそうだな。
「……何もしていないというのは言い過ぎた」
「ゲームもテレビもナシとなると……読書とか?」
白魚のような人差し指をビシッと立てて茉莉花が問うてくる。
勉は軽く頷いて口を開いた。
「ああ。市内の図書館や学校の図書室にはずいぶん世話になっている」
『趣味:読書』
無趣味な人間の自己紹介みたいなコメントになってしまった。
事実だから仕方がないと心の中で言い訳してしまう。
もちろん勉の言い訳なんて誰も聞いていない。
人の心を察するのが得意な茉莉花だが、断じて彼女は超能力者ではない。
「うわ~、そう言うところはイメージ通りって感じ」
「逆に聞くが、立華はゲームとかするのか?」
「するよ、そりゃ」
茉莉花はいくつかゲームのタイトルを挙げた。
聞き覚えのないものばかりで興味も湧かない。
「突っ込んだこと聞くけど……狩谷君のお家って厳しかったの?」
覗き込んできた茉莉花の黒い瞳には、静かな不安が揺れていた。
目の前の少女にとって、勉の生活は想像しがたいものだった模様。
視線を逸らして中空を彷徨わせ、腕を組んで顎に手を当てる。
「いや、そういうことはないと思う。比較のしようがないがな」
「でも、今どき珍しい気がする。ゲームを全然しないって」
「そういうものか?」
「そういうものです」
「ふむ……」
断言されると自信がなくなる。
これまでの人生を振り返ってみても、特におかしなことはなかったと思うのだが。
つい眉を寄せて考え込んでしまった勉を見て、慌てて茉莉花が口を開いた。
軽やかな口振りに乾いた声。
「ま、まぁ、そんなに難しく考えなくてもいいかも、みたいな?」
「そうだな。『余所は余所、うちはうち』で構わない」
「そうそうそれそれ……あ、そうだ」
あからさまにホッとした茉莉花は何かを思いついたようで、スマートフォンに指を滑らせ始めた。
空いた手にはマグカップが握られており、時折コーヒーを口に運んでいる。
彼女のコーヒーはミルク入り。砂糖は抜きにしたとのこと。
「どうした?」
「うん、こっちの方はどうなってるかなって」
「こっち?」
「『RIKA』の方」
「そっちか」
呆れた勉の声に、茉莉花は真剣に頷いた。
学園のアイドル『立華 茉莉花』のもうひとつの顔。
それはエロ画像投下系人気裏垢『RIKA』である。
勉と茉莉花が知り合うキッカケにもなったアカウントだ。
「う~ん、みんな心配してくれてるねぇ」
「……」
スマホとにらめっこして相好を崩している茉莉花を横目に、勉も手元の端末を操作した。
ツイッターを立ち上げ、裏垢で『RIKA』のアカウントをチェック。
最後のツイートにぶら下がっているリプライは悪天候と『RIKA』を関連付けて心配する声がほとんどだったが、最近投稿頻度が落ちていることに対する不満もチラホラと見受けられた。
『こんな時に言うことか』と苛立つものの……チラリと隣に目を向けてみると、茉莉花は先ほどまでの団欒とは一変して鋭く厳しい表情を浮かべていた。
ガチな雰囲気を纏う少女にかけるべき言葉が見つからない。硬直してしまった勉の視線の先で、茉莉花はカタンとマグカップをテーブルに置いた。
目を閉じて深呼吸。そして――目蓋が開かれて、勢い良く立ち上がる。薄手のワイシャツに包まれた巨乳がぶるんと揺れた。
「よし!」
「……立華?」
いったい何が『良し』なのか。話がサッパリ見えてこない。
だが……こういう時の茉莉花は想像の斜め上の言葉を口にする。
これまでの経験から心の準備を整える勉に向かって、茉莉花は言い放った。
「写真撮る! じゃなくて、撮って、狩谷君!」
「は?」
「今からツイッターにアップするの! ほら、お願い!」
言うなりスマホを押し付けてきた。
さらに両手を合わせて頭を下げてくる。
茉莉花の胸元に目が吸い寄せられる。いいアングルだった。
シャツから覗く魅惑的で深い谷間が至近距離で生々しい。
生唾モノの光景だが……今はそれどころではなかった。
「え、な、何で?」
視覚情報に圧倒されて、脳が混乱状態に陥っている。
煩悩と欲望が手に手を取ってダンシング。思考が状況に追いつかない。
まともな意味を持った言葉を口にすることができないままに、スマホを受け取ってしまった。
何が起きているのか、これから何が起こるのか。
知りたい。知りたくない。聞きたいような、聞きたくないような。
目を閉じて、耳を塞いで、ついでに口も閉ざしてしまいたいが……どうもそう言うわけには行きそうにない。
「何でって……ほら見て、私、今、求められてるし。エンターテイナーとして期待には応えないと!」
『フォロワー減っちゃうし、フォロワー増やすチャンスだし』などと、艶めく唇から色気のない言葉が出てきた。
ツンツンと白い指先がスマホのディスプレイを叩く。そこには『RIKA』への期待と不安が表示されている。
茉莉花的には、荒天に見舞われて精神的にダウン気味なフォロワーのためにひと肌脱ぐシチュエーションらしい。
エンターテイナー(仮)ではない勉には理解しがたい感覚だった。
『ひと肌脱ぐ』と言っても、茉莉花の場合は服を脱ぐのだ。裸ワイシャツの先はいったいどうなってしまうのか?
「バシッと一発『RIKA』っぽい奴いくから……胸ばっかり見てないでね、狩谷君」
左右の手で自分の胸を寄せて持ち上げ、目の前でウィンクひとつ。
学園のアイドルが放った魅了攻撃が勉の心を直撃し、驚きのあまり眼鏡がずり落ちて視界が霞む。
推しに押されるまま首を縦に振ってしまった。本能に根差した欲望は、理性を容易に超越してしまう。
仕方がなかった。勉だって健全な男子高校生なのだから。