第33話 夕食をいっしょに
ジャンル別日間ランキング90位に入れました。
みなさま、ありがとうございます!
シャワーを浴びてリビングに戻ると、茉莉花は窓の外を見つめていた。
6月に入って日の入りはさらに遅くなっている。いつもならまだ外は明るい時間帯だ。
にもかかわらず、分厚い黒雲に覆われた今日の空は暗い。見ているだけで胸が重苦しくなる色合いだ。
黒々とした闇に沈んだ窓の外と室内でほの白く輝く茉莉花の肢体、両者のコントラストが眩しかった。
その鮮烈な光景は、声をかけそこなった勉の目に焼き付いた。
スマートフォンを手にしていないことを後悔するレベル。カメラがあったら恥も外聞もなく激写していただろう。
雨脚がいよいよ酷くなる様を眺めていた茉莉花は、窓に写っていた勉の姿に気付いて嬉しそうに振り向いた。
「男の子ってお風呂早いんだね」
「そうか? 普通だと思うが」
「早いと思うよ。まぁ、他の男子のこととか知らないけど」
言うなりとととっと歩いてくるなりソファに腰を下ろし、脚をブラブラさせ始める。
普段は短いスカートから伸びている白い脚。
茉莉花の脚は肉付きがよく、そして長い。
今はワイシャツの裾から伸びている。
そう、ワイシャツだ。
勉が用意したいくつかの服の中から、茉莉花が選んだのは白のワイシャツだった。
ワイシャツしか身につけていない。裸ワイシャツだ。
これはもう、ワザとやっているとしか思えない。
――何で下に何も履いていないんだ!?
怒鳴りつけたかったが、ぐっと堪えた。
眼福であることは確かなのだ。
余計なことを言うのはもったいない。
理性と欲望のせめぎ合いは、後者が優勢だった。
ただ……勢いに任せて彼女をどうにかしようとまでは思っていなかった。
あくまで困っている友人を助けたという前提を大事にしたかった。
なお、自分が男として見られていないとは露ほどにも考えていなかった。
「……誰のせいだと思ってるんだ?」
「え、何? 何か言った?」
「何も言ってない」
「そう? ならいいけど」
風呂にしても、普段はもう少し長く入っている。
今日さっさと上がったのは、いてもたってもいられなかったからだ。
すっかり慣れ親しんでいる自宅の浴室のはずなのに、そこかしこに茉莉花の残滓が見え隠れするのだ。
『ここに立華が腰かけていたのか』とか『この鏡に立華の全裸が映っていたのか』とか、イチイチ妄想が加速してしまう。
むせかえるような湯気と脳内イメージに内外から責め立てられて、とてもではないがリラックスなどできなかった。
シャワーを浴びるより、いきり立つ下半身を抑える方に時間を使ったぐらいである。
なお、湯船につかるのは不可能だった。
茉莉花から色々沁み出ているかと思うと触れることすらままならない。
男の事情など知ったことではない少女は、ニマニマと笑みを浮かべていた。
漆黒の瞳に見つめられると、心を見透かされているようで落ち着かない。
「んッ……それはともかく、腹は空いてないか?」
わざとらしく咳払いして時計を見ると、午後6時を過ぎていた。
外が真っ暗なので判別しづらいが、意外なほどに時間が過ぎている。
雨の中を学校から駅に向かい、そこから引き返してコンビニに寄った。
家についてからは茉莉花が風呂から上がるのを待って、勉もシャワーを浴びた。
バイトがない日なら、すでに夕食を済ませていてもおかしくない頃合いだ。
「……私もちょ~っとお腹空いてるかも」
「なら何か作るか。立華は食べられないものはあるか?」
「別にないけど……え、狩谷君が作るの? 料理できるの?」
驚愕のあまり大きく目を見開いている。
そんなことを言われるのは心外だった。
「これでも一年以上ひとり暮らししてるんだが。料理ぐらいレシピを守れば誰だってできるだろうに」
「……そうなんだけど、意外過ぎる。狩谷君のキャラがますますわからなくなるよ」
「驚くということは、立華は料理できないのか?」
「できますから。私、料理得意だし。何だったら今ここで私が作ってあげてもいいですけど」
軽はずみに揶揄ったら、猛烈な反論が飛んできた。
料理ができないと勘違いされるのは本人的にアウトらしかい。
この部屋に入ってから若干(当人比)大人しめだった茉莉花が荒ぶっている。
「いや、それには及ばん。今日は俺が作る」
「う~、わかりました。ご相伴に預かります」
肩を怒らせて詰め寄ってこようとしていた茉莉花は、再びソファにぼすんと腰を下ろした。
ほんの一瞬だけワイシャツの裾が微妙に捲れて、思わず目が引き寄せられる。
そんな勉の本能的アクションを目ざとく拾った茉莉花が、くすくすと笑いながら口を開く。
「期待してるからね、狩谷シェフ」
★
自分が作った料理を誰かに振る舞うのは久しぶりだった。
「もっと手の込んだものが作れたらよかったんだがな」
勉も茉莉花も雨中の行軍で体力を消耗している。
あまり調理に時間をかけることはできなかった。
結果として家主としてはやや不本意なお手軽献立がテーブルに並ぶ。
「……」
「どうした、チャーハン好きじゃないか?」
「あ、ううん。食べられるよ。でも……」
「でも?」
「てっきりレトルトをチンするだけだと思ってたから、ビックリした」
チャーハンと野菜炒め、作り置きのポテトサラダ。
かきたまスープと買い置きのザーサイ。
出来立ての料理が湯気を立てている。
ぐ~~~
腹が鳴った。
茉莉花を見やると、耳まで真っ赤になっている。
――何も言わない方がよさそうだな。
女子は腹が鳴ると恥ずかしがる。
実家で暮らしていたときに、義妹が同じような感じだった。
指摘すると怒りに転じることは想像に難くないので、口を閉ざすのが正解だろう。
聞こえなかった振りをして冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注ぐ。
「ほら、温かいうちに食べるぞ」
「その……いただきます」
俯いたまま椅子に腰を下ろした茉莉花は、レンゲを手に取ってチャーハンを掬う。
そのままそろりそろりと口に運んで――
「熱っ」
「猫舌だったか?」
「ハフ……そうじゃないけど……うん、美味しい。美味しいよ、狩谷君」
ハフハフもぐもぐと料理を口に運ぶ茉莉花が可愛らしい。
でも、じっと見つめているわけにもいかない。
女子は食べているところを見られることを嫌う。
義妹に『デリカシーがない』と散々叱られたことを思い出して、そっと視線を外した。
幸い茉莉花は食事に集中していて勉のの様子に気づいていない。よほど腹が(以下略)
「ならよかった」
とりあえず、褒められて安心した。
続いて勉もチャーハンを口に入れる。
「うん、普通にできてるな」
「普通ってゆーか、上手だね。このスープも美味しい。卵ふわふわ」
「ああ、それはバイト先で習ったんだ」
「アルバイト? そう言えば狩谷君ってどこでアルバイトしてるの?」
「ん? 話してなかったか?」
「聞いてない」
「そうだったか」
アルバイトしていると茉莉花に説明したことはあった。
彼女が持ち掛けてきた話を断るための口実として。
その時も、どこで何をしているかまでは具体的に話してなかった。
大仰に宣伝するつもりはないが、特段隠すようなものでもない。
「飲食店だ。中華の」
「中華? なんでまた?」
「なんでと言われてもなぁ……アルバイトを探している時に入った店で、飯を食ったら美味くて、求人募集の張り紙があったから、それで……という流れだ」
「……狩谷君の生き方、雑過ぎない?」
「そこまで言われるほどのことか!?」
「えっと、悪くはないと思うんだけど。行き当たりばったり感が結構あるよね」
「……」
「この前のノートの時もそうだったし」
「それはもういいだろ」
「む~」
スープを啜った茉莉花が『閃いた』と言わんばかりの顔を見せた。
「わかった。そのお店にチャイナドレスのお姉さんがいるとか」
「いない。店員は全員男だ。俺のことを何だと思っている」
「スケベの塊」
即答されて、口が止まった。
何か言い返してやろうとは思うのだが、何も思いつかない。
そもそも茉莉花との距離が縮まった要因からしてスケベ関係だった。
「昔から料理はやっていたからな。経験が生かせると思ったんだ」
なお現実は、掃除、皿洗い、接客、レジ打ちで終了。
ただの高校生に客に出す料理を作らせるはずがなかった。
このかきたまスープは空いている時間に教わったものだ。
茉莉花はふんふんと興味深げな仕草を見せていたが……ふと眉を顰め、首をかしげて口を開いた。
「……昔から?」
「そうだが……どうかしたか?」
「ずっと見てたけど手際よかったし、嘘じゃないっぽいよね。でも……」
――ずっと見られていたのか。
自分が料理しているとこを余さず観察されていたと告げられて、頬が熱を持った。
悪いことも恥ずかしいこともしていないのに、とても居心地が悪い。
「でも?」
「昔からって、いつぐらいから?」
「いつと言われても……小学……何年生だったかな。すまん、覚えてない」
「そんな頃から?」
「ああ」
問われたことに素直に答えたら、目の前で茉莉花がブツブツと考えごとを始めてしまった。
時々チラチラと視線が向けられる。何か言い淀んでいるように見えた。
「そんなことはどうでもいいだろう。さっさと食べないと冷めるぞ」
「あ、ごめん。せっかく作ってくれたのにもったいないよね」
「ダイエットとかしているのなら、無理して食べなくても構わんが」
「ううん、食べる。温かいご飯っておいしいよね」
茉莉花の笑みは取り繕ったものではなかった。
あまりに綺麗な笑顔だったから、先ほど彼女が何を疑問視していたのか尋ねることを忘れてしまった。
――まぁ、良いか。
今は彼女の笑顔だけで十分だった。
自分が作った料理を誰かに褒めてもらえるのは、存外に嬉しいものだった。
子どものころから続けてきた料理も、高校に入ってから始めたアルバイトも無駄ではなかった。
ひとり納得した勉は、久しぶりに囲む暖かい食卓に満足感を覚えていた。