第29話 相合傘……どころではない大雨の中で
本日3話目の投稿となります。
いよいよ雨脚が強まる中、勉と茉莉花は最寄りの駅に向かっていた。
持参していた折り畳みの傘はひとり用で、ふたりを雨から守るためには心許ない。
――わかってはいたが、断れないな。
道行くさなか、勉は心の中で独り言つ。
学校の昇降口で出会った茉莉花に駅まで送ってほしいと頼まれた。
彼女は迂闊なことに梅雨の季節にもかかわらず傘を持ってこなかったのだ。
ただでさえ大雨が予報されていたというのに、これはさすがにどういうことなのかと問い詰めてみると、茉莉花は渋々ながら理由を口にした。
『昨日は友だちと夜遅くまで盛り上がっちゃって』
そのまま寝坊して、朝はしっちゃかめっちゃかだったらしい。
茉莉花のミスを勉がフォローする必要はないように思われた。
しかして今、勉は茉莉花と共に降りしきる雨の中を突き進んでいる。
――まぁ、友達だからな、俺たちは。
勉と茉莉花のふたりきりで催された中間考査の打ち上げ会を思い出す。
薄暗いカラオケボックスの一室でふたりは友人になった。
表向きは今までと変わらない関係だったが、あの日確実に何かが変わった。
それは間違いない。何がどう変わったのか測りかねているのが現状である。
兎にも角にも、友人が困っているのだから、助けるのは当たり前。
茉莉花の頼みを断れなかった勉は、頭の中でそのように論理を組み立てた。
別に誰かに問われるわけでもないのに、おかしな焦燥に駆られてしまった。
なお、勉にはもうひとり友人がいる。
一年、二年と同じクラスの軽妙イケメンこと『天草 史郎』だ。
彼が茉莉花と同じように『傘に入れて!』などと宣おうものなら、ノータイムで外に蹴り出していただろう。
その無体を理不尽だとは思わなかった。むしろ自然な流れだと納得してしまうまである。
――友だちっていったい何なんだろうな?
勉の脳内シミュレーションにおける茉莉花と史郎の扱いの差に違和感はなかった。
史郎のことは友人だと思っている。でも、彼と茉莉花は等価ではない。
その茉莉花は、勉の隣を歩いていた。雨脚の激しさとは対照的に彼女の足取りは軽い。
唐突に鼻歌が聞こえてきて、思わず耳を疑った。この状況で鼻歌とは……
「ずいぶん楽しそうだな」
皮肉めいた口調に心の中で舌打ちひとつ。
別に隣を歩く少女に当たり散らしたいわけではないのだ。
感情の制御が上手くいかない。あまり経験がないことで、戸惑いを覚えずにはいられない。
「楽しいよ。だって狩谷君と一緒に帰るの久し振りだし」
ど真ん中に豪速球を返されて、返答に窮する。
「それに相合傘だよ。狩谷君は楽しくない?」
「楽しいとか楽しくない以前の問題だろ。こんな天気だぞ」
『相合傘だよ』なんて言われて心が浮き立つ。
美少女と相合傘。まさか自分にそんなイベントが訪れるとは想定外にも程がある。
しかして現実は、まったくもってロマンティックな状況ではなかった。
雨がヤバくて風がヤバい。地面から跳ねあがってくる雨水も煩わしい。
荒れ狂う風の音や看板がグラグラと揺れる音に混じって、時折悲鳴が聞こえてくる。
ロマンティックというよりはデンジャラスなシチュエーションだった。
それでも――茉莉花は楽しいという。
「逆だよ」
「逆?」
不思議なことを言われて、オウムのように問い返した。
茉莉花は頷いて、桃色の唇から言葉を紡ぐ。
「天気なんて晴れでも雨でもいいじゃない。狩谷君と一緒に帰るのは楽しい。私にとっては、これが一番大事」
その声に偽りはなさそうで、表情にも不自然なところはない。
彼女は心の底から、そう思っている。
そこまで理解して、勉の胸が疼いた。
口が、勝手に動いた。
「楽しいぞ」
「え?」
「俺も……立華と一緒に帰るのは楽しい。そう言ったんだ」
普段は逆方向だから機会もないしな。
そう付け加えると、茉莉花はクスリと笑みをこぼした。
「ま、迷惑かけてるのは間違いないんだけど。狩谷君、もっとそっちに傘やっていいよ」
「俺はいいから、立華こそちゃんと傘に入れ」
「でも、私は無理言って入れてもらってるわけだから……きゃっ」
「む」
横から水が飛び散ってきたので、とっさに茉莉花を庇った。
ふたりは右側の歩道を歩いている。左側は車道で、ひっきりなしに車が走っていた。
茉莉花を右側において、今しがたのように駆け抜けていく車が跳ね上げる水から守っている。
ついでに傘も右側に傾けている。完全ガードの姿勢だ。
お互いに口で譲り合ってはいるものの、傘を支えているのは勉だ。
この件に関しては、茉莉花の意向が採用されることはない。
「隣を歩く女子をずぶ濡れにしたままでいられるか」
「こういうときって、男とか女とか関係なくない?」
「立華が気にしなくても、俺が気にする」
「ふ~ん」
いかにも『納得してません』といった口ぶりだったが、勉は断固として譲るつもりはなかった。
というか、車道から跳ねる水をカットできていない時点でずぶ濡れだから、今さら上空から降り注ぐ雨だけ避けても意味がない。
ならば少しでも茉莉花を守るのが良策――と脳内で言い訳を構築した。茉莉花は聞いて来ないので意味はなかった。
実際のところ……チラリと横目で見てみれば、茉莉花もすでに頭のてっぺんから足の先まで濡れ鼠だった。
雨は垂直に降ってくるわけではない。台風の影響で風も強く、横殴りの雨を防ぐことができていない。
濡れた薄手の夏服が肌に張りついて、下着が透けていた。『濡れ透け』それは男のロマン。
つい見惚れてしまい、茉莉花と目が合ってしまった。ニコリとほほ笑まれて、慌てて前を向く。
ただでさえ視線に敏感な少女である。しかも距離が近い。勉のエロい本性もバレている。誤魔化しきれるものでもない。
「ねぇ、狩谷君。こっちむいて」
茉莉花の声から悪戯心を感じる。揶揄う気満々だ。
バレているからと言って、この声につられるのは癪に障る。
「断る」
「チラチラじゃなくって、堂々と見ていいのに」
「そんなことを言われると、なおさら見る気がなくなるんだが」
「うわ、めんどくさい」
「どうしてそうなる?」
「さぁ?」
隣を歩く茉莉花は学園のアイドルであると同時に、SNS界隈では名の知れたエロ自撮り投稿裏垢『RIKA』でもある。
他の女子だったら噴飯物のセクハラトークや下心丸出しの視線も、軽く受け流す度量がある。
男にとっては色々な意味で拝みたくなるほど稀有にしてありがたい存在だが、さすがに時と場合は弁えるべきだと勉は思った。
少なくともこの大雨の中でガン見するのは憚られる。それは男として――というより人として問題があると言わざるを得ない。
そこまでわかって尋ねてくるところが彼女の質が悪いところだけれど、文句を言う筋合いでもない。
新しくできた友人は、なかなか一筋縄ではいかない少女だった。でも、嫌いにはなれなかった。
「ね、狩谷君」
「どうした?」
「楽しい?」
「ああ、楽しいさ」
即答した。本心だった。
いつもの帰途は口を引き結んで、早く家にたどり着くことだけを考えている。
こんなに心踊ることはないし、口が緩むこともない。過酷な環境の割には足取りも重くはない。
これを『楽しい』と呼ばなければ、何が楽しいのかわからなくなってしまうだろう。
「うんうん、嘘は言ってないね」
茉莉花の顔に透明な笑顔が浮かんだ。
雨に濡れて泥が撥ねてもきれいな顔。
そんな少女が友人で隣を歩いている。
ふたりきりで一緒に下校。実に青春だ。
「そうだな。立華と一緒に帰るのは……気分がいいな」
「そこまで言われると照れるなぁ」
「そうか? 立華の場合、言われ慣れてると思ってたが」
尋ねてみたら、いきなり機嫌が悪くなった。
頬を膨らませるわ、視線を合わそうともしないわ。
あまりの豹変がわけがわからなさすぎて、困ってしまう。
「はぁ……違うんだって、そういうのと」
「違うって、何が?」
「なんでもな―――い」
「何でもなくはないだろう。立華、今、怒ってるだろ?」
「怒ってないし。私、これが普通だし」
「どう見ても怒ってるんだが」
「狩谷君、眼鏡の度があってないんじゃない?」
白い指が伸びてきて、勉の眼鏡のフレームを押し上げた。
いきなりのことで面食らってしまい、反応が遅れた。
濡れた顔面にレンズが押し付けられて、視界が歪む。
「立華、この……なんてことをする!」
「し――――らないっ」
クスクス……ウフフ……あはは……
茉莉花の笑い声が響き渡る。
降りしきる雨の音に負けない、晴れやかな声が。
その声を聞いていたら、些細なことはどうでもよくなってきた。
――こういうところが、本当に困るな……
いつの間にかペースに巻き込まれる。
いつものことだったが、抗えない。
「何か言った?」
「……何も言ってない」
辛うじて、それだけ言葉にした。
にやける口元を抑えながら。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今後は隔日更新をベースに、頻度を上げたり下げたりする予定です。
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