第26話 試験終了、ふたりの打ち上げ会 その3
第2章最終話です。
「狩谷君は私のこと、どれくらい知ってた?」
茉莉花に尋ねられて返答に窮させられた。
整った顔立ちの中でもひと際目立つ漆黒の瞳が、興味津々と言った風に輝いていた。
新月の夜の静謐な海を思わせる深い黒は、不安の波に揺れているようにも見えた。
その眼差しを正面から受け止めた勉は、『これは適当なことは言えないな』と心の中で身構える。
視線を茉莉花から外して腕を組み、頭の中でじっくりと言葉を探す。
間近で見つめられたままの沈思黙考を経て、勉は改めて口を開いた。
「そうだな。俺も立華のことはほとんど何も知らなかった」
『怒るかな?』と思ったが、茉莉花は何も言わなかった。
向けられる双眸が無言で先を促してくる。
「入学した当初から、同じ学年に凄い美少女がいるとは聞いていた」
「ほうほう」
「文化祭のミスコンで優勝した有名人で、人気者で……」
どれだけ記憶を掘り返してみても、口をついて出てくるのは容姿やポジションを賛美する言葉ばかり。
『立華 茉莉花』という個人の気質や性格を意識したことは、裏垢の件が発覚するまでほとんどなかったと思い知らされる。
それほど自分とは縁遠い人物だと考えていた証拠でもある。実際、茉莉花に限らず同年代の異性に近しい者などいない。
例外は義妹。こういうことに家族は含まないので、当たり前と言えば当たり前。
「狩谷君は私を見たことなかった?」
「いや、遠目には何度か」
素直に答えた。
『見てなかった』とか『興味なかった』なんて言っても信じてもらえそうにない。
茉莉花は人の感情に敏感だ。そして超がつくほどの至近距離でふたりきり。逃げ場はない。
このシチュエーションで疑惑を追及されたら、とても躱しきれるものではない。
「近くで見ようとは思わなかったの?」
「あんな人だかり、勘弁してくれ」
思春期の男子のひとりとして、評判の美少女をひと目見たいという気持ちはあった。
しかし、いかんせん障壁が半端でない。『人は石垣、人は城』茉莉花城は攻めるに難すぎた。
付け加えるならば、城門を突破して本丸までたどり着いたとしても、何をすればよいのかわからなかった。
闇雲に門を叩くほど積極的になれなかったし、それほど暇でもなかった。
「率直に言って、今のこの状況に現実味がない」
学園のアイドルとマンツーマンでカラオケIN密室。
隣に並んで座って談笑しているなんて。まるでデートみたいではないか。
デートなんてしたことないから、この例えが適切かどうかは疑わしいが。
何はともあれ……一年前にタイムワープして、当時の自分に『お前、一年後にあの『立華 茉莉花』とふたりきりでカラオケ行ってるぞ』なんて告げたら、『勉強のし過ぎで頭がおかしくなったのか?』と119番通報されそうだ。
あるいは同じ顔をしているのに同一人物であることを疑われるか。さすがに警察を呼ばれることはないと思いたい。
「……私って迷惑?」
その声からは不安が滲み出ていた。
さして長い付き合いでもない茉莉花でも、勉が他者との交流を苦手にしていることは察しているはず。
普段はあまり気にしているようには見えないものの、心のどこかで引っかかっている部分はあるのかもしれない。
……あくまですべて勉の推察に過ぎないが、大きく外してはいないと思われる。
彼女の心に巣食っている疑問を払しょくする必要性を強く強く感じた。
だから、ことさらにぶっきらぼうに言い放つ。
「まさか。そんなはずがあるか」
「そう? ならよかった」
胸を撫で下ろす茉莉花を見て、勉もほっと息を吐いた。
確かに他人と関わることを煩わしいと思うことはある。
でも、アルバイト先では普通に働いているし、学校にだって史郎がいる。
誰それ構わずアウト判定を下して遠ざけているわけではない。
――立華は……どうなんだ?
自問すると『YES』と脳内会議が満場一致で採決した。
隣に腰を下ろしている少女と距離を置きたいとは思わなかった。
でも……理由を問われれば、即答しかねることも間違いではない。
『立華 茉莉花』をどのように捉えているのか、自分でも確信できていない。
こう言うところで己の対人能力の未発達ぶりを思い知らされる。
「まぁ、狩谷君はえっちだからね。私を放っておくわけないか」
「その自信はどこから湧いてくるのやら……あ」
「ん? 何?」
「えっちだ」
「狩谷君が?」
「立華が」
「む~、否定できない」
茉莉花はむくれてしまったが、別に怒っているわけではなさそうだった。
エロ裏垢主である以上、否定したくとも否定できないことは明らか。
これまでに散々振り回されてきた数々の記憶が甦り、一矢報いたことに満足感を覚える。
我ながら子どもっぽいと呆れてしまう。
――露出癖がどうこう言っていたな。
茉莉花に『えっちだ』と告げる裏で、先日告げられた言葉を思い出してゴクリと唾を飲み込んだ。
あの時は『冗談』と笑われてスルーされたが、実際のところはどうなのだろう?
唾を飲む音を聞かれていないだろうかとビクつきながら、まじまじと茉莉花をねめ回す。
艶やかな黒髪。濡れた唇。短いスカートから伸びる肉付きのよい脚。
豊かな胸は下着で固定されているはずなのに、揺れているような錯覚に囚われる。
学校一の美少女と薄暗い個室にふたりきり。距離はほとんどゼロに近い。頭がクラクラしてきた。
同時に、関わるほどに謎が深まる。
こんなカリスマ美少女が何故裏垢なんて……と。
裏垢発覚当初に抱いた疑問が首をもたげてくる。
「ねぇ……狩谷君」
「なんだ?」
先ほどから茉莉花に返す言葉が短くなっている。
アルコールの類を口にしているわけでもないのに、舌が上手く回らない。
もともとマルチタスクは苦手な性分だ。頭の中に浮かんできた疑問は後回しにする。
今は、目の前の問題に対処するべきだと判断した。茉莉花が纏っている雰囲気が、自然とそう思わせるのだ。
「私さぁ」
「……ああ」
わずかに言い淀んだ茉莉花は、ずいっと身体を寄せてきた。
身を引く間もなかった。耳元に唇を感じる。
「狩谷君のこと、もっと知りたいなぁ」
蕩けるような声だった。
耳にするだけで、脳みそが溶かされそうな。
勉の精神防壁は、一瞬で崩壊した。
「そうだな。俺も立華のことをもっと知りたい」
呆気ないほど容易く本音がポロリと零れ出た。
知れば知るほど、茉莉花のことが知りたくなる。
これまでに覚えがない心の動きだった。
……戸惑いはあるが、不快ではなかった。
「あはは、同じだ。じゃあ……」
茉莉花が覗き込んでくる。
漆黒の瞳に吸い込まれそう。
「友だちになろうよ」
「……」
「だめ?」
小首をかしげての追撃。
湿り気を帯びた静かな声だった。
『らしくない』と言えば失礼にあたりそうだが、自信満々ないつもの姿からは想像しがたい声色であった。
「友だち……友だち、か」
「うん。友だち」
茉莉花が頷く。
甘やかな匂いが鼻先をくすぐる。
気を抜くと意識を持って行かれそうになる。
――友だち、か。
口の中で、頭の中で何度も『友だち』というワードを転がしてみる。
『狩谷 勉』には友人と呼べる人間はほとんどいない。
高校2年生になった現段階では軽妙イケメンこと『天草 史郎』ひとりである。
そして、勉と史郎との関わりは決して深いものではない。浅いものでもない。
ふたりの距離感は、もっぱら史郎の塩梅によるもので、勉の側からアクションしたことはない。
だから……茉莉花と『友だち』になったところで、上手くいくかはわからない。
「ああ。問題ない。友だちになろう」
不安はあったが、断る理由はなかった。
「良かった。ありがと、狩谷君」
微笑む茉莉花に安堵する自分がいた。
微笑む茉莉花に落胆する自分がいた。
どちらも等しく勉の中に存在する感情であり、どちらが本音なのか自分で判断できなかった。
煩悶する勉を余所に、再び茉莉花がマイクを握る。整い過ぎた顔には生気がみなぎっている。
「よし、休憩終わり。ここからまたアゲていくよ! 準備はいい?」
無言で頷いて、マラカスとタンバリンを構えた。
……内心の動揺を気取られないように祈りながら。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
『ガリ勉君と裏アカさん~』第2章はこれにて終了です。
そして、ここが折り返し地点でもあります。
今のところ全4章になる予定です。予定は未定ですが。
さて、章末ですので恒例のクレクレをば。
『面白い』とか『続きを読みたい』とか思われたなら、
ひと言でも感想を頂ければ幸いです。
もちろんブクマやポイントも大歓迎です。
作者が泣いて喜び、執筆のパワーが漲ります。マジで!




