第17話 ヒミツノカンケイ その2
本日もよろしくお願いします!
「ID交換しようよ。てゆーか、する!」
休み時間にココアを啜っていた勉の前に仁王立ちした茉莉花が、そんなことを言いだした。
教室を離れた中庭の片隅。晴天の昼休みにもかかわらず人気はない。
よって唐突な彼女の宣言を耳にしたのは勉だけだった。
さわやかな風に靡く艶やかな黒髪、鼻をくすぐる芳香。
キュッとくびれた腰回りから見る者を圧倒するバストを経て、上へ上へと視線が昇っていく。
その先に遭った整い過ぎた茉莉花の顔に浮かんでいたのは、怒りに近い感情だった。
ストローから口を離した勉はひと言、
「なんでだ?」
湧き上がる疑問をそのまま口にした。
途端に茉莉花の眉がさらに跳ねあがる。
『信じられない』と全身で語っている。
――自信ありすぎだろ。
口を閉ざしたまま鼻で嘆息。
呆れる一方で、自信過剰とまでは思わない。
『立華 茉莉花』とは、良くも悪くもそういう存在だ。
むしろ妙に納得してしまうまである。
無言で言葉を探す勉に業を煮やしたか、学園のアイドルはきれいな角度で腰を折って上半身だけで覗き込んできた。
短いスカートからスラリと伸びた脚はしっかりと大地を踏みしめている。
見た目とは裏腹に下半身はかなり鍛えられているらしい。
「だって、いちいちまどろっこしくない?」
茉莉花が下げていた鞄からノートを取り出した。
もはやすっかりおなじみになってしまった感のある勉謹製の『ガリ勉ノート』だ。
最初の1冊渡した時は、てっきり目前に迫った中間考査対策だとばかり思っていたのだが……話は急展開を迎えた。
初めて自分の目で確かめたノートの出来栄えに感銘を受けた茉莉花は『これまでの分も見せて欲しい』と言い出したのだ。
返却されたノートに添付されている付箋からは彼女の才人ぶりが存分にうかがえて、勉としても参考になる。
お互いにWIN-WINの関係である。
ただし、茉莉花は学園のカリスマとしての立場から、あまり人に見られたくはないらしい。
そのあたりの機微は勉の窺い知るところではなかったが、別にケチをつけるほどのことでもなかったので了承した。
以来、こうして人目につかないところで取引が続いていたわけだが、ここへ来て茉莉花がキレた。解せない。
「そうか?」
「そうだよ。IDを交換してたら学校でなくても勉強教えてもらえるし」
「……俺には何の得もないんだが」
呻いた。ウソではない。
勉はそれほど暇ではない。
実家を出てひとり暮らし。
学校の勉強だけでなく、日々の家事もあればアルバイトもある。
茉莉花にかかりきりになるわけには行かない。
「え? う~ん……他の男子ならふたつ返事なんだけどなぁ」
狩谷君だし、仕方ないか。
中空に視線を彷徨わせながら呟かれた茉莉花の愚痴っぽい響きが、ことさらに勉の耳朶を打った。
――仕方がないとはずいぶんな言われようだ。まるで俺が変人みたいじゃないか。
さすがにこれには憮然とさせられる。
いっそひと言物申してやろうかと口を開きかけた瞬間、
「じゃあ、お礼は何か考えるから」
「頻繁に連絡されると迷惑だ」
「め、迷惑って……私、そんなこと言われたの初めてだよ!?」
「そうか? こういうのは、ずっとスマホを触っているイメージがあるんだが」
「それ、偏見だから。大丈夫! 狩谷君には迷惑かけないようにするし」
両手を合わせて拝み始めた茉莉花を見ていると、邪険にしている自分が悪いことをしているような錯覚に囚われてしまう。
悩んで悩んで悩んだ先に答えを見いだした。
「わかった、交換しよう」
勉は茉莉花に押されると非常に弱かった。
理由はもちろん言うまでもない。
「その渋々感、絶対後悔させてやるんだから!」
「なんかいつも同じこと言ってないか、立華?」
「気のせいだから。覚えてなさいよ!」
勉が持参したノートを借り受けた茉莉花は、黒髪を靡かせて遠ざかっていった。
ふたりが共に行動しているところを見られるのは面倒のもとになりそうなので、しばらく腰を下ろしたままその背中を目で追いかける。
「……完全に悪役のセリフだぞ、それ」
★
『お礼を用意しました』
茉莉花と連絡先を交換し合った日の夜、勉のスマートフォンに一件のメッセージが届いた。
余計な修飾を省いたシンプルな言い回しが、やたらと不穏な気配を放っている。
差出人をチェックしていなければスパム認定していたところである。
「見ないで済ませる……というわけには行かんのだろうな」
アルバイトに家事、そして予習復習を済ませて心地よい疲労に包まれていた勉は、自室のベッドで額を抑えた。
SNSのシステム的にスルーすることは可能だ。しかし茉莉花はクラスメートである。
本日は平日であり金曜日ではない。明日は祝日ではない。学校をサボる気もない。
無視したまま明日を迎えることを想像すると、全身に不可視の重みが圧し掛かってくる。
『とっておきだから、感想もよろしく』
感想の部分が強調してあった。
勉がノートを貸した相手から感想を蒐集していることに引っ掛けているのだろう。
ベッドに寝ころんだまま眼鏡の位置を直し、何が出てきても驚かない心構えを決める。
SNSを開いて茉莉花のメッセージを開き――
「お、おお!?」
添付されていた『お礼』に驚愕した。
茉莉花が言うところの『お礼』とは写真だった。自撮り画像であった。
これが彼女でないどこかの誰かだったなら『自意識過剰もいい加減にしろ!』と一喝できた。
しかし、彼女は学園のアイドル『立華 茉莉花』であり、同時に人気エロ画像投稿裏垢主『RIKA』でもある。
シミひとつない純白の肌と服の上からでもわかる完璧なスタイルが惜しげもなく晒されている。
身につけているのは布面積が少ない真紅のビキニ。恐ろしいほどのマッチングで扇情レベルがヤバい。
しかし、しかしである。ここまでならば驚くには値しない。
『RIKA』が投稿した画像の中には、もっとエロいものもあった。
勉が何よりも驚かされたのは――茉莉花の顔が隠されていなかったから。
学校で見せることのないチャーミングでエロティックな表情。
同い年で同じクラスで共に学ぶ女子がそんな顔をしているという事実に、背筋がゾクゾクと震えた。
『RIKA』と『立華 茉莉花』が同一人物であると知ってから、勉が『RIKA』の写真を目にする際には勝手に脳内で茉莉花の顔が組み合わされていた。
ただそれだけで、画像が醸し出すエロスと臨場感が半端なく高まっていたのだが……自分の想像力の貧困さを思い知らされた。
オリジナルは格が違った。手元のスマホが一瞬で爆弾じみた何かに変貌してしまったかのような錯覚に囚われる。
「こ、こ、これはヤバいだろ!?」
変な声が出た。
実家暮らしだったら、家族からの追及を躱しきることができない類の声だった。
防音は完璧という触れ込みのマンションに住んではいるものの、思わず周りを見回してしまった。
いつもは殺風景すぎるかと悩んでいる自室の無機質さが、却って安心感を与えてくれる。
『どう?』
『狩谷君、感想どうぞ』
次々と追加される茉莉花のメッセージがとにかく心臓に悪い。
勉の心臓は、今や不規則かつ乱暴なビートを刻んでいる。喉はカラカラで空気が薄い。
理性はたった一枚の写真で焼き切れてしまった。もはや自分の力ではどうすることもできない。
即座に画像を消してスマホを遠くに追いやって、風呂場に飛び込んで頭から冷水を被って――
『……何も言えなくなるくらい酷い? ダメだった?』
『いや、最高だった』
ダメだダメだと思っていても、身体の方は正直だった。
指は勝手に称賛の言葉を送り、躊躇いなく画像を保存している。
『そんなに直球で褒められると照れるなぁ』
『せっかくだから、もう一枚撮って送るね』
――ん?
茉莉花のメッセージに違和感を覚えた。
時計に目をやると、すでに夜遅い時間だった。
しかしてスマホに表示された文字列を信じるならば……
『この写真、今撮っているのか?』
『うん』
『あ、もしかして想像した?』
『えっちだ』
『すまん、想像した』
返答はなかった。
勉は暫しディスプレイを凝視続けた。
身体が熱い。頭が茹っている。
おかしな汗が噴き出して止まらない。
『えっちだ』
まったく同じメッセージがもう一度送られてきた。
先ほど変わらぬ真っ赤なビキニを纏った写真を添えて。
トップスのひもが外されていたが、肝心なところは見えなかった。
覗き込んでくるような胸元を強調するポーズに満面の笑顔。パーフェクトだった。
速攻で保存した。
『これから毎日写真を送るね』
『ありがたいが、こちらが何も手につかなくなる。週一で頼む』
断腸の思いでメッセージを送る。
本音を言えば、毎日欲しい。
でも、そうなったら冗談抜きで勉強に身が入らなくなる。
情けない話ではあるが自信があった。確信と言ってもいい。
『そーゆーとこ、素直過ぎるのが狩谷君って感じ! えっち!』
理不尽だと思った。でも、事実だったから文句も言えない。目蓋を閉じれば茉莉花の笑顔が浮かんでくる。
ID交換をあれほど渋ったにもかかわらず、勉の胸を満たしているのは『良かった』という満足感だった。
ベッドで悶絶気味にゴロゴロしてからスマホを見つめ、『我ながらチョロいな』と自嘲気味に笑った。
お読みいただき、ありがとうございます!