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第16話 ヒミツノカンケイ その1

本日もよろしくお願いします。


「これ、ありがと」


 最近のつとむは1日1回、どこかの休憩時間にひとりで人目につかない場所へ移動する。

 すると、素知らぬ顔した茉莉花まつりかがやってきて、1冊のノートが手渡される。

 さながら闇取引にも似た光景だが、慣れてしまえば大して気にもならない。


「ああ、すまんな」


「すまんって……私の方がノート借りてるんだけど」


 ジト目の茉莉花に相づちを打ちつつ、回収したノートをペラペラ捲る。

 2本の縦線で3分割された紙面は、自分が記したままの姿を保っている。

 左側に見出しを、真ん中に本文を、右側には注目すべきポイントを列挙してある。

 ネットで受験絡みの情報を漁り、書店で参考書に目を通し、何度となく試験的に作成したノート。

 どうやら自分にはこの形が一番あっているらしいと確信を得たのは、高校に入ってから。

 そんな勉のお手製ノートの所々にピンクの付箋が張ってある。記されているのは丸っこい文字。


――立華たちばならしい字……か?


 本人の前では決して口に出さないが、もう少ししゃきっとした文字を書くものだと思っていた。

 まぁ、そんなところにケチをつける意味はない。付箋に書かれているのはノートを使った茉莉花の感想だ。

 これまでにも史郎を介して他のクラスメートから感想を集めてはいたが、彼女のそれは詳細かつわかりやすい。


「なんだか悪いことしてるみたい」


 リップで艶めく唇から零れた声は、かすかに震えていた。

 視線を向けると、声の主は申し訳なさそうな表情を浮かべている。


「……どういうことだ?」


「だって、ノート見たらわかるもの。狩谷かりや君がどれだけ頑張ってきたのか」


「……」


「狩谷君のこと、ずっと天才だって思ってたけど……違うんだね」


 茉莉花は自嘲気味に微笑み、勉は無言で頷いた。

 誰かに指摘されるまでもなく、天才ではないと自認している。

『狩谷 勉』という男の自己評価は――


「そうだな。俺は凡人だ」


 どこにでもいる平凡な少年が上を目指すためには、人並み以上の努力を擁した。

 学年主席だの全国模試上位常連だの『ガリ勉ノート』だのは、その結果に過ぎない。

 誰にも漏らしたことのない胸中が、するりと口から零れていく。


「いや、そこまでは言ってない」


 真顔とガチ声で突っ込まれたが、スルーした。


「俺にも何か才能があれば、もっと気の利いた生き方ができたかもしれんがなぁ」


 遠くの空を見つめて慨嘆した。普段は絶対に人前では言わない弱音の類だ。

 茉莉花の前でだけ、茉莉花に対してだけは口が軽くなる。

 自分が彼女の秘密を握っているという優越感と罪悪感が入り混じった複雑な心境が、そうさせるのだろう。


「才能ってスポーツとか?」


「……別に何でもよかった」


 運動でもいい。将棋でも、囲碁でもいい。絵でも音楽でも、いっそゲームでもいいかもしれない。

 日本国内に限ってみても、すでに大人に混じってプロとして身を立てている同年代の人間は存在する。

 特別な才能を持って生まれ、身を粉にして才能を磨き上げ、口にのりする者たちが。

 勉は違った。ただの凡人だった。何の才能もなく、環境にも恵まれなかった。

 そんな凡人が自らの人生を切り開いていくために選んだ最もシンプルで確実性の高い手段、それが勉学の道だったというだけの話だ。


「狩谷君って勉強するの大好きな人だと思ってた」


 躊躇いがちな茉莉花の声に苦み走った笑みを返す。そう思われるのも無理はない。

 授業を無視して勝手に先へ先へと歩みを進めることは、もはや日常茶飯事。

 定期試験では入学以来一度も首位を明け渡したことはなく、全国模試では常に上位に名を連ねている。

 県内一の進学校の教師を『無能』とこき下ろす傲慢な姿は、まさに茉莉花の言うとおりの人間にしか見えないだろう。

 実際は違う。別に勉強なんて好きじゃない。毎日遊んで暮らせるならそうしたいと考える、ごく普通の高校生だ。

 2000兆円拾いたいと思ったことも一度や二度ではない。


「まさか。言っただろう、俺はただの凡人だと。勉強が好きな凡人なんていてたまるか」


 自分のノートのアップデートのために、史郎を介して同級生を利用する。

 茉莉花曰く『モルモット扱い』であり、あまり褒められたやり口でもない。

 わかっていても、やるしかなかった。限られた時間を最大限有効活用するためには、他の手段が思いつかなかった。

 なぜなら――凡人だから。才能なんて持ってないから。凡人なのに身に余る目標を抱いてしまったから。


 勉が目指すのはトップクラスの国立大学。

 現状のまま順調に推移していけば、ほぼ確実に合格圏内に入る目算である。

 しかし、おおよそこの世のあらゆることに『絶対』はない。

 ほんの僅かでも合格する確率を上げることができるのならば、ほんの僅かでも取りこぼしを減らすことができるのであれば。

 そのためには後ろ指を指されることも辞さない。人望なんて不要と笑って切り捨てる。ためらいも後悔もなかった。


「ふ~ん、だからかなぁ」


「……何が?」


「狩谷君のノート、凄くわかりやすい」


「そうか?」


「うん。こんなノートを使ってるとか、みんなずるいよ」


「俺に言われても困るんだが……そんなにわかりやすいか?」


 微かな期待を込めた勉の問いに、茉莉花は首を縦に振った。

 丁寧に梳られた艶やかな黒髪が微かに揺れる。


「正直甘く見てたって言うか。天才が作ったノートなんて、私が見てもチンプンカンプンだろうなって思ってた」


「立華が見てわからないのなら、他の連中が見てもさっぱりだろう」


 茉莉花が『ガリ勉ノート』を手にするのは、高校に入学して1年と少し経った今回が初めて。

 これまで彼女はノートを史郎から購入していた同級生相手に、実力で勝利を収めていたのだ。

『立華 茉莉花』が基本的に優秀である何よりの証左である。

 それほど優秀な彼女が『わからない』と評するならば、勉のノートは出来損ないということになってしまう。

 赤点寸前の人間の点数を10点引き上げるのと、平均80点取る者の点数を10点引き上げるのでは、後者の方が断然難易度が高い。

 茉莉花は後者側の人間だ。勉の平均点はさらに高い。

『ガリ勉ノート』は最終的にそんな勉自身の役に立つ形に仕上げなければならないのだ。

 言い方は悪いが、茉莉花レベルで引っかかっているようでは話にならない。


「もうね、ノート見るとビンビン伝わってくるの。狩谷君がどれだけ頑張ってきたか」


「褒められて悪い気はしないな」


「だから……その狩谷君の努力を私が利用するの、何だか悪いなって」


「なぜそうなるのか、よくわからん」


「どうしてわかんないかなぁ、もう」


 狩谷君の方がわけわかんないよ。

 可愛らしく頬を膨らませる茉莉花。

 そんな顔を見せられると、戸惑いと、まったく別の言葉にならない感情がない交ぜになり、心が搔き乱される。


「……前にも説明したが、俺は俺なりの理由があって人にノートを使わせている。遠慮はいらん」


「またそういうことを言う」


 言ってること違わない?

 そんなことを口にする茉莉花の心中こそわからない。

 人の心にまつわるアレコレに疎い自覚はあるが、そういう問題ではないような気がする。

 

――違う? 何が、何と違うんだ?


 問い詰めたい気持ちはあった。

 しかし、それを尋ねると茉莉花の機嫌を損ねるという根拠のない確信があった。

 どうやら自分は何かを勘違いしている。原因は不明だが、結論は間違っていない。


「と・に・か・く! 私は当てられてしまいました」


 満面の笑顔で胸を張られると――見どころが多くて困る。

 校内どころか、日本全国探し回ってもなかなかお目にかかれないレベルの美貌。

 スラリとした体型に反逆する大ボリュームの胸元は、もはやセクシーの暴力だ。

 魅惑的な膨らみを本能的にガン見したら、茉莉花に睨まれた。

 眼鏡の位置を直しつつ、そっと目を逸らす。


「……私は良いけど、ほかの子にそんなバレバレの視線向けたら、嫌われるよ?」


「他の女子が相手だったら、こんなことにはならない」


「その言い回しもアウトだから」


「採点が厳しいな。それで、何の話だったか?」


「えっとね、狩谷君のノートに感動したって話」


「当てられるって……熱意にあてられるとかそっちの意味か」


 てっきり次の授業で当てられるとか、そういうことだと思っていた。

 いきなりおかしなことを言いだしたと呆れていたら、おかしいのは勉の方だった。


「狩谷君の本気に触発されたからかな、私ももっと頑張らなきゃって思ったの」


「そうか」


「そうなの。だから……」


「だから?」


 勉にとっての茉莉花は、さながら万華鏡のような存在だ。

 見るたびに姿が変わり、印象が変わる。


 初めて目にしたときは、遠くの空に煌めく星だった。

 同じクラスになって間近で見た彼女は、教室の太陽だった。

 裏垢に投稿された肢体は、夜空に浮かぶ月のようにほの白く輝いていた。


 そして正体を明かし、こうして会話を交わすようになると『立華 茉莉花』はさらに異なる姿を見せてくれる。

 すべての彼女に共通しているのは、とても魅力的だということ。

 魅力的。それは間違いない。『立華 茉莉花』はとても魅力的な少女だ。


「だから、今までの分も含めてノート全部貸して! お願い!」


「はぁ!?」


 位置を直した眼鏡が、再び鼻からずり落ちた。

 茉莉花の言動は、しばしば想像を超えて明後日の方向にすっ飛んでいく。

 心構えもままならずに流れ弾が直撃すると、驚かされることは間違いなくて。

 それでも発汗によって曇ったレンズの彼方で咲き誇る笑顔を目にすると、異議を唱える心が溶かされてしまう。


――参ったな、これは……


 まったくもって思いどおりに事が運ばない。

 それがまるで不快でないことに戸惑いを覚える。

 心の中でそっとため息ひとつ。仰いだ空の青さが、やたらと目に染みた。


削ろうとしてるのに文字数が増えるこの現象、何なの……

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『あの子が水着に着替えたら』もよろしくお願いします。
こちらは気になるあの子がグラビアアイドルな現実ラブコメ作品となります。
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