第11話 正解なんてわからない その2
本日は2話投稿予定です。
これが1話目。
「ねぇ、狩谷君。『狩谷 勉』君」
授業を終えて、部活動に精を出すクラスメートを尻目に勉はそそくさと教室を後にした。
昇降口で靴を履き替え、校門を出ようとしたところで背後から声をかけられた。
名前を呼ばれなければ、それが自分に向けられたものだとは気付かなかっただろう。
聞き覚えのある声に驚いて振り向くと――そこには予想どおりの人物がいた。
予想どおりとはいえ、普段は縁のない相手だ。返事を口にする前に一瞬身構えてしまった。
「立華か。どうかしたのか?」
艶やかなロングストレートの黒髪。
丈の短いスカートから伸びる白い脚。
制服を内側から押し上げる大ボリュームの胸元。
大粒の黒い瞳が煌めく、涼しげな眼差し。
チャームポイント盛り盛りの学園のアイドルこと『立華 茉莉花』が笑顔を向けてきた。
その笑顔はとても魅力的だったが……同時に抗いがたい引力を感じる。首筋がチリチリする。
「ん~、ちょっと聞きたいことがあって」
時間ある?
茉莉花は軽い口調で尋ねてきた。
勉は首を横に振った。
「悪いがアルバイトがある」
「このまま直接? いったん家に帰るの?」
「……一度帰る」
「じゃあ、そこまで一緒に。どうかな?」
否定の返事に眉をしかめていた茉莉花が、表情を再び華やかせて一歩踏み出してくる。
距離が詰まると、勉より背が低い学園のアイドルの視線が、わずかに上を向いた。
偶然のはずだが、これが実にあざとい角度になる。
「あまり時間はないぞ」
「え? ひょっとして学校から近いところに住んでる?」
「ああ」
「もしかして、ひとり暮らしだったりして」
「もしかしなくてもひとり暮らしだが」
「へぇ……何か意外。狩谷君ってイメージとかなり違うね」
イメージと違う。前にも同じことを言われた気がした。
人と関わることを煩わしく思っているのは事実だが、いったいどういうイメージを持たれているのだろう。
問い質したい気持ちと、スルーしたい気持ちがぶつかり合って、後者が勝った。
それとなく周囲の様子を窺うと……案の定、注目されている。
別に勉がどうこうというわけではない。原因は茉莉花だ。
ミスコン覇者の肩書を抜きにしても、この美少女はとかく衆目を惹く。
このままふたりで並んで帰宅するとなると居心地の悪さは半端なさそうだが、ここで茉莉花を跳ね付けるとそれはそれで学校中を敵に回しそうである。
――理不尽だ……
人目があるところで声をかけられた時点で、すでに逃げ道が塞がれている。
気付いたときには、もう遅い。
ため息ひとつ。腹を括る。
「わかった、一緒に帰ろう」
「まぁ、私の家は逆方向なんだけど」
電車通学だからね。
茉莉花が肩をすくめて付け加えた。
★
「それで、聞きたいことってなんだ?」
ふたりで並んで歩き、しばらく他愛のないことを話していた。
学校から十分に距離を取ったところで勉が切り出した。
さっさと始めないと自宅についてしまうから。
――聞きたいことがあるのは俺の方なんだが。
「今日さ、狩谷君ずっと私のこと見てたでしょ」
「ゴホッ」
むせた。
「な、な、何を……いきなり」
「昨日は先生相手に毅然としてたのに、こんなことで動揺するとか可愛いね」
「か、可愛い!? いや、それはともかく、何でまたそんなことを」
生まれてこの方『可愛い』なんて言われたことがなかった。
茉莉花の唇から零れた形容には驚かされたが、今はそれどころではない。
「何で気がついたか。それは……私も狩谷君のことを見てたから」
「……それはまたどうして?」
――目と目で通じ合う……なわけあるか。
ワザとらしくロマンチックなワードを用いられていると気付くと、一気に冷めた。
「あ、冷静に戻っちゃった」
「それはもういいから」
「はいはい。昨日言ったでしょ。『お礼する』って。チャンスを窺ってたの」
まぁ、そんなことなくても気づいたけど。
風に靡く黒髪を抑えながら、茉莉花はそう付け加えた。
人目を集めることに長けているだけでなく、人に見られることにも慣れている。
自分に向けられる視線は直感的にわかるとのこと。
「なんだその特殊能力」
「そんなんじゃないって。ただの慣れだから。えっと……昼休みだね。天草君とふたりで私を見て何か話してた」
――あの時か。
茉莉花と目があったときのことが思い出された。
「天草君と仲いいんだね。何を話してたの?」
「天草は誰とでも仲良くなる奴だろう」
「そう? 私『距離置かれてるな~』って思ってるんだけど」
――鋭いな。
茉莉花の感想に心の中で同意した。
『見てるだけでいい』と笑った史郎の態度は、彼女の言葉どおり『距離を置く』と評するのが相応しい。
「アイツと何かあったのか?」
「さぁ? 天草君のことは別にいいじゃん。話が逸れてるんだけど」
「自分で話題を振っておいてそれか」
「ええ。今は天草君は関係ないでしょ」
あっさりと言う。
茉莉花に『関係ない』とか言われたら、大半の男子の心はバキバキに折れるだろう。
本人に自覚があるのかないのか……自覚があったらとんだ小悪魔がいたものだ。
「……立華の交際は長く続かないとか、そういう話だった」
「私? ああ、サッカー部の?」
「バスケ部だったような」
「両方とも長続きしなかったなぁ。男の子ふたりでそんなこと話してたんだ」
「そんなことを話していた」
「どうして?」
「……どうでもいいだろ、それは」
詳しく説明する気にはなれなかった。
史郎にも気づかせなかったが、元をたどれば学園のアイドル『立華 茉莉花』とカリスマ裏垢女子『RIKA』が同一人物ではないかという疑いから、すべては始まっているのだ。
「そうでもないかも」
「と言うと?」
「もし狩谷君が私に興味があるなら、昨日のお礼を兼ねてデートするとか。どう?」
「お礼にデートとか、自分に自信ありすぎだろ」
額に手を当てて胸に溜まった熱を吐き出す。
茉莉花の思考も理解しがたい。
「確かに上から目線だったね。狩谷君はもっとえっちなお礼の方がいい感じ?」
「どうしてそうなる」
「視線。さっきから見すぎ」
『えっちなお礼』という言葉が茉莉花の口から出たことに驚いた。
そして視線がバレバレだったことに、もうひとつ驚かされた。
胸、足、首筋、唇……魅力的なパーツがありすぎて、ついつい目が引き寄せられてしまっていた。
本能には逆らえない。
「そういう礼が貰えるのなら、そっちの方が嬉しいのは確かだ」
「お、はっきり認めた」
「そっちが先に言いだしたことだろう」
何となくではあるが、勉は女子に対して性的な話題は良くないと考えていた。
しかし、当の茉莉花から話を振られるのであれば……
「立華は、その……そういうことに興味があるのか?」
「なになに、私のこれまでの経験とか知りたいわけ?」
教えてあげてもいいけど、タダというわけには行かないなぁ。
茉莉花はニヤリと口角を釣り上げた。
性的経験を語らせるのであれば、『お礼』はそれで終わりだ。
笑み曲ぐ漆黒の瞳が雄弁に物語っている。
――知りたいかと問われればイエスだが、どうしても知りたいかと問われれば……
学園のアイドル『立華 茉莉花』のエロ遍歴。興味はある。
興味はあるが……何が何でも知りたいというほどでもない。
なんでもひとつ話してくれるというのであれば、ちょうどいい話題がひとつある。
ちなみに、性的なお礼を貰おうとは考えていなかった。
どんなものであれ、後々ロクでもない展開になる想像しかつかないから。
「ツイッターとかするのか?」
「え? してるよ。ほら、これ私のアカウント」
取り出されたスマートフォンに表示されているのは茉莉花のアカウントだった。
フォロワーは3ケタ。個人としては多い部類に入る……のではないだろうか。
ちなみに勉のフォロワーはゼロだ。
「フォロワー多いな。普段どんなことを呟いてるんだ?」
「う~ん、色々。自撮りを載せたりもするよ」
「へぇ、自撮り」
別に女子高生の自撮りなんて珍しくはない。
しかし、今、この瞬間、勉はそのありふれた単語に敏感に反応してしまった。
「興味ある? 相互フォローする?」
「いや、それはいい」
ノータイムで断ると、茉莉花は憮然とした表情を見せた。
悪いとは思ったが、相互フォローにはあまり興味がなかった。
相手が顔見知りとなると、何だか監視されているような気がしてしまうから。
「相互しないのにツイッターのことを尋ねてくるとか、何なの?」
「何なのと言われてもな……お礼なんだろう?」
「それはそうだけど、納得いかない。私がツイッターやってるか知りたかったわけ? そんなのお礼のうちに入んないよ。自撮りだって……」
茉莉花はぶー垂れて、そのまま大きく目を見開いた。
ふたりの脚が止まる。しばしの硬直。重苦しい沈黙。
ツイッター。自撮り。ピンクに艶めく唇がブツブツと同じ単語を繰り返す。
次いで煌めく瞳でじーっと勉の顔を凝視し、そして――
「狩谷君、ひょっとして」
「……その言い回し、やはり」
言葉は続かなかった。
茉莉花は、躊躇いの後に神妙な表情で頷いた。
次回、第1章最終話!




