第10話 正解なんてわからない その1
本日もよろしくお願いします。
うつらうつらと舟をこぐ。
昼食を腹に収めてひと心地つくや否や、猛烈な眠気が襲ってきた。
昨晩の寝つきがいまいちよくなかったことが原因であることは明らかで。
勉が睡魔と戦う羽目になった『理由』は、教室のど真ん中で今日も輝いていた。
『立華 茉莉花』
昨年の文化祭で催されたミスコンを制した、おそらく校内一の美少女。
ただそこにいるだけで、むやみやたらと見栄えがいい。姿勢がいいせいかもしれない。
スラリとした腕と脚――特に短いスカートから伸びる白い脚はまさに圧巻。
胸元も暴力的なまでに存在感を放っている一方で、無駄な贅肉なんてひと欠片も存在しない。
大粒の黒い瞳、切れ長の眼差し。鼻筋、唇、眉、耳などなど顔を構成するパーツは完璧。
他に比肩する者なしと豪語しても過言でない容姿だけでなく、頭脳明晰で運動神経も抜群。
コミュニケーション能力も絶大で、まさしく完璧なヒロインだった。文句の付け所がない。
茉莉花の存在そのものが、教室を明るく照らしている。寝ぼけ気味な勉の錯覚ではない。
――立華が『RIKA』さん……裏垢……
茉莉花が、勉の推し裏垢『RIKA』の正体である……というのは、現段階では想像の域を出ない。
たまたま昨日目にしたふたりの共通点――膝裏のほくろが一致しているだけ。
あとは『勉がそう感じた』という程度の曖昧な話だ。
あれから裏垢についてもう一度ネットで検索してみた。
やはり以前に見た時と同じで、裏垢でエロ自撮りを披露するタイプの女性は孤独感に苛まれ、承認欲求に駆られている場合が多いとあった。
『孤独感』にせよ『承認欲求』にせよ、教室の中心でクラスメートに囲まれて眩しい笑顔を見せている茉莉花とは、まるで似つかわしくない。
――やはり勘違いではなかろうか。
『立華 茉莉花』と『RIKA』が同一人物だなんて、勉の失礼な妄想ではないかと思えてくる。
ただ……妄想とするならば、なぜそんな妄想を抱くことになったのかという理由があるはずだ。
茉莉花を裏垢女子扱いしたい理由など、どれだけ考えてもサッパリ思いつかない。
「おう、なに見てんだ、勉」
「……天草か」
見上げると、そこには軽薄な笑みを浮かべた男がひとり。
『天草 史郎』
校内における――校外を含めても――勉の数少ない友人のひとりである。
軽く色の抜けたナチュラルな茶髪。身長は勉よりも高く、顔立ちも整っている。
クラスメートから距離を置かれがちな勉とは異なり、史郎は男女を問わず人付き合いが上手い。
「おう、史郎さんだ。んで、なに見てんの?」
「……別に」
史郎は勉の答えをスルーして、空いていた前の席に腰を下ろす。
そのまま勉の視線を追いかけていくと、その先にいたのは――
「あ~、立華さんか」
「別に立華を見ていたわけではないが」
直球で図星を突かれて動揺した。
睡眠が足りなくて頭が回っていない。
結果として、やや食い気味の反論になってしまい説得力が失われてしまった。
「まぁまぁ、素直になりなさいな。いいよな、立華さん。目の保養になる」
うんうんと知った風に頷く史郎。
これは何を言っても聞きそうにない。
「ついに春が来たってか?」
「もうすぐ夏だぞ」
ゴールデンウィークが終わったとはいえまだ5月。
日本の気象的には夏より前に梅雨の季節だ。
『もうすぐ夏』という勉の言い回しは正しくはない。
「ははは。そうやってごまかそうとしているところから察するに、本気か」
「本気も何も……確か彼氏がいるんじゃなかったか、立華は」
「立華さんを見ていたことは認める、と」
「……」
指摘されて押し黙ってしまう。
ここで何か気の利いた反論を口にしないと、さらに突っ込まれるわけだが、
「そのとおりだ」
否定するのは諦めた。
茉莉花に懸想する男子は少なくないし、彼女は常に注目を集める身だ。
勉が見ていたところで不思議はない。無理に否定する方が胡散臭い。
「素直になったから最新情報をプレゼントだ。今はフリーらしいぞ」
「そうなのか?」
人づきあいがうまい史郎は、情報収集能力が高い。
特に男女の関わりに関するネタを好む性質で、その手の話を進める場合は重宝されている。
「彼氏というか元カレってサッカー部だったか」
「バスケ部だな。サッカー部はその前」
「お盛んなこった」
スタイル抜群の美少女。
文武両道のハイスペック。
見て楽しくて話して楽しい学園のアイドル。
そんな茉莉花を狙う男子は先輩後輩の別を問わず、数知れず。
「普通、あの手のヒロインって誰とも付き合わないってパターンがデフォなんだがなぁ」
「そういうものなのか?」
「そういうものだ」
男女の機微に疎い勉からすると、彼女のような人気者は交際相手に事欠かないという印象があるのだが。
古今東西のドラマや映画から漫画やアニメまで手を広げている史郎的には、『完璧なヒロインは誰とも付き合わない』ものであってほしいらしい。
「天草はどうなんだ?」
「ん? オレ?」
自分の顔を指さす史郎に頷いて見せる。
性別は違えど、この男のスペックも高い。
優良物件同士で釣り合いが取れているように思える。
「立華さんなぁ……う~ん、見てるだけでいいわ」
「ほう、それはまたどういう理由で?」
勉の知る限り史郎は異性愛者だ。
付け加えるならば思春期男子らしくエロい事も大好きだ。
茉莉花のことを美少女であるとは認めている。
にもかかわらず見ているだけでいいというのは解せない。
「珍しいな。お前さんがそんなに食いついてくるなんてさ」
「そうだな。俺も驚いている」
勉はこれまであまり他者に関心を示してこなかった。
史郎は数少ない例外というか、撥ねつけてもお構いなしに絡んでくるので、いつしか普通に話すようになっていただけ。
……その史郎相手でも、あまりプライバシー的に突っ込んだ話をしたことはなかった。
「自分のことが自分でよくわかんねーってか」
「そんな感じだな。それで、どうしてお前は立華に興味がないんだ?」
「興味がないとは言ってないぜ」
「興味があるなら見てるだけにはならんだろう」
机に肘をついて顎に手を乗せて尋ねる。
視線は笑顔を振りまく茉莉花に固定したまま。
「ふ~む……お前さんがオレやほかのクラスメートに関心を持ったのはいいことだし、コイツは真面目に答えてやるか」
「適当に答えるつもりだったのか?」
追及すると『相手によるな』と皮肉げな笑みが返ってきた。
史郎はしばし視線を宙に彷徨わせ、そして口を開いた。
「お前さんの言うとおり、オレだって立華さんに興味はある。でも……立華さんはオレに、いやオレたちに関心がない。そんな気がする」
「関心がない?」
意外な答えだった。
あれだけ人に囲まれていて?
あれだけ笑顔を浮かべているのに?
そもそも関心がないのに男女交際をするという発想が理解できない。
友人の人格を疑うわけではないが……根拠はあるのだろうか?
「ああ。ちゃんと関心あるんならさ、あんなにコロコロ男を変えたりしないだろ」
「付き合ってみたら思ってたのと違ったという線は?」
「ないとは言わねーが、様子見してる感じでもないんだよな」
史郎はしみじみと呟いた。
『立華 茉莉花』の異性交遊は華々しく、そして激しい。
ひとりの男子と長続きした例はない。これも有名な話だ。
圧倒的なカリスマ性ゆえに表立って非難されることこそないものの……
――訳がわからんな。
「あ、こっち見てるぞ」
「うん?」
意識が逸れた瞬間に、史郎の声が重なる。
視線を戻すと――茉莉花の黒い瞳が勉を射抜いていた。
ゾクリとした。得体の知れない震えが背筋を駆け上がっていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第1章終了まであと2話となります。




