あの日に戻ったとしても 【月夜譚No.124】
周囲の囁き声が、細波のように鼓膜を震わせる。何かを言っているのは判るのに、内容が伝わってこないのは、やはり気分の良いものではない。
囁き交わされる大まかな内容は、まあ、彼にも判ってはいるのだが。しかしそれでも、彼は周りの声を半ば無視して手元の小説の世界に意識を引き戻した。
あれは、もう一か月も前のことだろうか。彼を中心としたあの事件は、彼の所属するクラスを始め、学校全体をも揺るがす大きなものだった。
彼にとっても重大で衝撃的な事件だったが、彼は他の生徒と違って、あの時の記憶はそれほど強烈には残らなかったらしい。
ふと文章から視線を逸らすと、自分の左腕に巻かれた包帯の白が陽光を跳ね返して眩しい。
多分、いや絶対に、あの瞬間に負った傷はこの下に生々しく残っているというのに。