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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

底好き 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ――ん? かかとつぶしてローファー履くなって?

 

 ああ、わりいな。靴ずれがひどくってよ。ちょ〜っと歩くだけで、靴下に血がにじんできちまうんだ。

 いまも……な? ばんそうこうを貼って急場をしのいでんだ。代えの靴も持ってねえし、お前の前でくらいは、楽させてくれると嬉しい。近いうちに、パッドなりインソールなりで対処するつもりではあるがな。


 ――なに? お前は足の裏が痛い?


 おお、長く履いていると、そんなこともあらあな。やっぱインソールを仕込むのが効果的と聞くが……一応、確認しておく。

 お前の靴の底は大丈夫か? いやに薄くなっていたりしないか?

 吐きつぶしたって、たいていの人は思うだろう。そんな状態だったなら。けどな、もし履き始めてそれほど時間が経ってないなら、用心する必要があるかもだぜ。

 俺の友達の話なんだが、聞いてみないかい?



 友達は小学生のころ、私立に通っていた。通学用の靴として指定されたのが、黒か茶色のローファーのようでな。早くも靴擦れ問題と向き合っていたらしい。

 患部だけ見ればあんなに小さいものなのに、どうして靴擦れっていうのはあんなに耐え難いんだろうな? 

 小さいくせにやっかいといやあ、虫刺されに口内炎、身体の中の腫瘍にまで当てはまる。こんな全身の千分の一、万分の一にも満たない奴が、時に命取りになるなんて、すぐには信じられねえな。

 友達もまた、足の甲とかかとの靴擦れに悩まされていた。それでも靴ごときで痛いなどというのは、どこかカッコ悪く思えたらしくてな。親には黙っていた。

 俺みたいにばんそうこうを貼り、厚く靴下を履いてひたすら耐えていたらしい。そうして楽になってきたかと思った時に、また悩みどころが出てきた。

 

 足の裏だ。靴底越しに地面を踏みしめると、ときおり痛みが走る。

 地面よりアスファルト。アスファルトより排水溝などの金網の上の方が、より強いしびれを感じたんだ。

 アスファルトの凹凸、金網を下にして触れる表面積の少なさのせいか。学校のグラウンドを抜け、駅までの帰り道を歩く時はびくびくしっぱなしだったとか。

 おかげで、帰り道はできる限りつま先立ち。それでも他人に不自然さをとがめられないくらいのすり足で、友達は行き帰りをこなしていた。電車に乗る時が、平坦な足元ゆえか、ほとんど痛みがなくて楽ができたって話してたっけ。

 

 それから何日も過ぎて。

 親にいわれて、ローファーを磨いていたときのこと。さっと靴をひっくり返してみて、その底がかなり削られているのを、友達は見て取った。

 土踏まずよりつま先にかけてが、特にひどい。ほぼ真っ白な状態だ。

 土ぼこりがくっついて汚れているだけ、なんてわけがない。重なるこすり合わせによって、元あった黒みが失われ、皮の内側がむき出しになってきただけだ。

 

 ――けれど、早すぎる。

 

 足がどんどん大きくなる関係で、同じ靴を一年以上履き続けたことはなかった。でも、そのうちの一足たりとも、このローファーと同じ目にあわせた覚えはない。

 それがどうして。買ってからまだ二ヵ月にも満たないこいつが、どうして今までの連中の中で、一番の深手を負っているんだ?


「終わった?」


 チュゴゴとストローの音を響かせながら、声をかけてきたのは弟だ。

 今日の昼ご飯はファーストフード。某ハンバーガー店で買ってきた、家族全員のセットメニューだ。そのうちのシェイクに、弟はストローを差して飲んでいたんだ。

 飲み終わりかけと見える。ちょっと吸ってはストローを動かしているところを見ると、残っているシェイクの山を探して、その先を突き立てているんだろう。

「まだだよ」と弟を追い払い、もう一度、白くなった靴底を見やる。無駄だとは分かっていても、黒塗りのクリームを底へ塗り付けた。

 せめて一年は持って欲しい。友達はそう思っていたらしい。



 次の日は雨だった。

 耐水の手入れもやらされてはいたが、身体は横殴りに吹く雨のしずくを、ひたすら受けるよりない。

 黒の靴下はみるみる濡れて、ローファーの底を湿らせていく。毛糸の間に閉じ込められた雫に浸るうち、足の裏にはむずがゆさが走り出した。

 その中で、友達はあいかわらずのつま先立ち。雨でも、あの足裏へのしびれは健在で、少しでも踏む面積を少なくしたかった。傘を差しつつ、水たまりも避けなきゃいけないから、少しばかり足元へ気が向きすぎていたらしい。

 

 背後からクラクション。慌ててよけた友達の横を、水はねを飛ばしながら、ワゴン車が走っていく。

 路側帯で区切られただけの道の端。はねをまともに防いでくれるわけがなく、制服の半身がびっしょり濡れた。そのうえつま先立ちを保てなくなった足元、その左の靴が路側帯の炭にある、排水溝の金網をもろに踏んづけたんだ。

 

 ぐっと、足の甲をローファー越しに押さえられた気がした。足を金網から持ち上げようとして、けれどもそこから動かせない。

 締め付けはなおも強まり、友達は顔をしかめた。

 足の甲ばかりじゃない。つま先部分などは更に力が強まって、指を無理やり内側へ折りたたまんとしているかのような、圧力だったとか。

 

 考える余裕はなかった。友達はすぐ、左のローファーから足を引っ張り出したんだ。

 間一髪だった。友達が足を引き抜くや、中身のなくなったつま先から、ひとりでにローファーが潰れていく。終わりかけの歯磨き粉のチューブを絞っていくように。ぺしゃんこになっていくローファーだけど、友達が注目したのはそこばかりじゃなかった。

 ローファーの底だ。押しつけられている金網から垂れ落ちていくのは、いまも降りしきる雨粒ばかりじゃない。それに混じって灰色のゴムのようなものが、ローファーの真下から離れていく。

 

 ――吸っている。吸いたてているんだ。ローファーの底を。

 

 すっかり「しぼられてしまった」ローファーは、おそらく上から押さえつけられていたものじゃない。

 下からだ。金網の下より、靴底を引っ張ろうとする力。それがあまりに強すぎて靴全体に伝わり、形を崩すに至ったんだ。

 この主は恐らく待っていた。凹凸のある個所のいずこかに潜んで、あるいはその「凹」の部分をカモフラージュして、耽々と友達の靴の底を。


 もはやかば焼きのように、平べったくなってしまったローファーが、ぐらりとかしぐ。かかとだったものを下にして、靴全体がのけぞり出したんだ。その平たくなった身体は、もはや金網に引っかかることかなわない。

 ローファーが落ちる角度になるや、「ちゅるん」と一気に吸い込まれた。消えたかと思うほど、勢いよく金網の奥へ吸い込まれちまったんだ。ストローに吸われるシェイクの残りみたいにな。


 そいつは待っていたんだろう。凹凸のある地面のいずこかに潜んで、あるいはその「凹」の部分をカモフラージュして、耽々と友達の靴の底を。

 天気がよくなってからのぞいた金網の中身は、深さ30センチのところまで土が溜まっていたらしい。そのどこにも、あの潰れてしまったローファーの姿は見当たらなかったそうだ。



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