〜 古き魔術の森 〜 第八話
☆第八話
◆紡ぎの妖精王
見てはいけない場面を目撃してしまった、とルーシィーは扉を閉めた後、胸に手を当てた。
心臓の鼓動は高鳴っている。
「あ、あれよね……やっぱり、昨夜は……きゃっ! あんなにもアイナちゃんが安堵の表情を浮かべ幸せそうな寝顔していたのだし、彼にべったり寄り添って寝ていたのだもの、あんな事やこんな事……二人の愛を確かめ合っていたに違いないわ。それにしても彼……チッチくんって怪我もまだ完治してないし痛むだろうに、タフな子なんだ。きゃっ」
二人が愛し合っている場を目にした訳でもないのに弾んだ鼓動を鎮めようとルーシィーは深く深呼吸を三度ほどし、居間で二人が起き出してくるのを待つ事にした。
暫らく間を置いた頃、眠そうに眼を擦り、欠伸をしながらアイナが居間に訪れた。
「ふむゅう……おはよ、ですぅ」
「おはよアイナちゃん、今日は一段と綺麗ね」
「そうですぅか? ふぅわぁ」
「肌とか特に艶々よ」
「アイナのお肌は何時もツヤツヤですぅよぉ。恋する乙女ですぅ」
「あらま! お惚気かしら? 毎晩彼に愛されているからなのかしらね。羨ましい」
ルーシィーは、にんまりと眉を寄せ頬杖をついてアイナを見詰めた。
「ほんと……羨ましいわ。はぁ」
アイナの惚気と勘違いしたルーシィーは大きく溜め息を吐いた。
アイナは井戸場に来ると汲み上げたひんやりとした井戸水で顔を洗い表情を引き締めた。
波紋が立つ井戸水の入った木桶に自分の顔を映し暫の間見詰めていた。
徐々に治まっていく水面に映し出された自分の顔を引き締まった表情で見詰めている。
先程、ルーシィーが言った言葉でうっとりしているのではない。
聞かなければならない事がある。
アイナは木桶の水のように波紋を立て乱れた心を落ち着かせていた。
ルーシィーが口にした“紡ぎの妖精王の末裔”と言う言葉と二十年前の出来事、アイナはもう一度水を浴び、表情と心を引き締め、ルーシィーの下に向った。
木のテーブルに朝食を並べているルーシィーにを入り口で暫し見ていたアイナは重い口を開いた。
「あっ……あの! ルーシィーに聞きたい事があるですぅ」
テーブルに朝食のパンが入った籠を置こうとしたルーシィーの手が一瞬止まる。
年の頃では、アイナより二つか三つ程の歳の差にしか見えない。そのルーシィーが二十年前の出来事を知っているのかとも思う。
しかし、あの時のルーシィーの驚き様から見て何らかの事を知っているのだと推測できる……それも詳しく。
「なぁに? 改まって」
「ルーシィーは二十年前に滅んだカストロス王国の事を知っているですぅか?」
「ええ、よく知っているわ」
「二十年前、アカデメイアの森で何が起こったのですぅ?」
アイナも少しだけカストロス王国が滅びた話しを聞いてはいる。
しかし、アカデメイアでの出来事など詳しい事は聞いてはいない。
怖かったから……。
自分自身、何時の頃からか気付き始めた普通の人間との違いと違和感。その事実が導き出す答えを知る事が怖かった。
唇を小刻みに震わせ、不安げな表情を浮かべるアイナをルーシィーは見詰めた。
不安げな表情の中にあしらわれた翡翠色の瞳と真紅の瞳は力強くルーシィーを見詰め返している。
アイナの眼光を見たルーシィーは静かに言葉を紡ぎ出した。
「二十年程前の聖誕祭の日、ノームの週の第八日目ユイッティエームの日にカストロス王国は突如、不可侵の条を破り攻め入った旧カリュドス皇国によって滅んだの。時のカストロス王は、貴方と同じ歳の頃の姫君を難民に紛れさせ撤退戦を続けたのです。殿に姫君の兄アルフレッド王子を筆頭にカリュドスの追っ手から難民を護り続け、アカデメイアの南端に差し掛かったそうです。危険と知りながら難民と共にアカデメイアの森に入ったアルフレッド王子は、アカデメイア最南端に部族を構えていた長と約定を交わしたのだと聞いてるわ。その約定の一つ『決してアカデメイアの中で民を争いに巻き込むな』と言うものだったらしい。その約を守るなら、難民と傷ついた兵士達の救護、保護の約を取り付けたと聞いています」
アイナは小刻みに細い身体を小刻みに震わせながら、ルーシィーの話しに聞き入っている。
膝の当りに小さな拳を握り締め……。
「時の女王がその話しを耳にし、アカデメイアの最南端に訪れたのは一年程の刻を経た頃だった。一年もの間、アルフレッド王子はアカデメイアの民との約定を守り続け、数で遙に上回るカリュドス軍を一歩たりとも森の中に入れる事はなかったのだと伝えられています。その話を部族の長から聞いた時の女王は大層王子に興味をもたれたとか、その後二年にも及ぶ、攻防戦でもその約を守り通したそうです。王子と出会ってから幾度となく南端に訪れた王女は、何時しか王子と恋仲になり王子の子を身も篭もったのです。それはアカデメイアの掟『人間と交わる事を禁ずる』そのを反故にする行為。アカデメイアの森を統括していた十賢者は、王女を背信させ新たに王女を祭り挙げました。その出来事の後、アルフレッド王子は計三年間以上にも及ぶ撤退線でついに力尽き、それを知った女王は悲しみに暮れ広大なアカデメイアの森に分厚く高い壁を一夜にして錬金したのだと云います。アルケミーとは古い言葉で錬金術を指します。そしてカストロスの姫君もまた、部族の青年と恋に落ち、その青年との間に子を授かったのです」
ルーシィーは一度言葉を切り、アイナの様子を窺った。
身を強張らせ小さな身体は震えが一瞬大きくアイナの身体を揺らした。
その姫君こそ、アイナとランスの母、ナタアーリアでありセリーヌ・デュラン・ミラ・カストロスなのであった。
無言で話しを聞いている。その姿を確認するとルーシィーは言葉を続けた。
「森の掟を破った王女はその後、部族に匿われ愛する王子を亡くし、十賢者の追っ手からの逃亡の疲労と自らの掟を反故にしたせめてもの罪滅ぼしにと外界からアカデメイアを守る為に一夜にして錬金した広大なアカデメイアを囲む壁を造り上げ、その日を境に日々に衰弱して行ったのだと聞き及んでいます。王女は月の美しい夜の事、双子の子を産み落とし力尽きたのです。そして……その夜もう一人、同じくして子を産み落とした人物が青年との間に授かった子を産み落とした姫君の赤子は……残念ながらこの世で産声を上げる事はありませんでした。悲しみに暮れていたカストロスの姫君は同じ夜に産声を上げた二人の赤子を育てる事になったのです。実の兄の忘れ形見を。これが十七年前に起きた私の知る全ての事実です」
ルーシィーが話し終えるとアイナは膝の上に置いていた小さな拳を強く握り締め、俯いた。
珠の様な雫が固く握り締めている拳を濡らしていった。
「あり……がとですぅ。話してくれて」
自分とランスを育ててくれた両親は実の親ではなかった。
混乱とショックから、それだけ言い残しアイナは席を立った。
俯いたまま流れ溢れる涙を不幸ともせずに……。
居間の出口に差し掛かったアイナは、何かにぶつかる。
壁や柱とは違う、固い何かに。
「聞くつもりはなかったんだけど……聞こえてしまった。悪るいなぁ」
「……チッチ」
アイナはチッチの腰に手を回し、溢れる涙を拭うようにチッチの胸板に押し付けた。
チッチは泣きじゃくるアイナの背中に手を回し優しく抱き締めた。
「お前を育ててくれた母さんの事を俺は良く知らない。でも、沢山の愛情を貰ってお前は育てられたんだろ? 普段のお前を見ているとそう感じる」
アイナはチッチの胸の中で小さく頷いた。
アイナを抱き締めながら、チッチはルーシィーに尋ねた。
「こいつは普通の人間だ。オッドアイの瞳を除けばなぁ。何処も普通の人間と変わらない。精霊魔法とか言う、異種族が得意とする魔法は扱えるだけどなぁ」
「他種族の交わりは、アカデメイアでは珍しい事ではないのです。ただ王女に限っては、それは許されない行為なのです。それは人の世の王族でも良く似た事をしていると耳にしますが?」
「まぁ、そうなんだけど……アイナが王女、つまり異種族と人間のハーフなら、何故人の姿をしているんだ? 人の姿に近いエルフと交わればエルフの特徴が出るはずだろ? 時の王女は恐らくエルフだったんじゃないのか?」
「御名答。しかし、ハーフと言っても多岐に渡ります。人間が俗に言うハーフエルフのような姿になるとは限りません。姿は人でも精霊魔法の才に長けた者。エルフの姿に生れても魔法を行使出来ない者、寿命にそしてエルフと同等に長い寿命の者もいれば、人間程の寿命しかない者もおります。姿容姿に関係なく授かった寿命や力が異なるのです。私も人の姿をしていても既に百年ほども生きています。ただ、アイナちゃんに現われた月目は別です。アカデメイアの伝承に伝わる救世主でもあり、滅びを呼び込むとも平和を呼び込むとも言い伝えられているのです」
ルーシィーの話しを聞いたチッチは、アイナを休ませると言って部屋に戻って行った。
朝食はしっかり持って行くのね……。
陽が天中に差し掛かる頃、チッチがルーシィーの下に現れる。
「アイナちゃんの様子は?」
「泣き疲れて寝てる。薄々気付いてはいんだろうけど、やっぱりショックだったんだろうなぁ。出生の秘密に違和感を感じていて覚悟はしていたようだったけど……理屈じゃないよなぁ」
「そうですね……」
「さて、アカデメイアの森に侵入する方法を考えなくちゃなぁ」
「でも、アイナちゃんはもう、目的を達したんじゃないのですか?」
「確かにルーシィーの話してくれた事は本当の事だろうけど、あいつは自分が生れた場所を見ておきたいんじゃないか? 当時の部族の民に会えばもっと詳しい事を知る事が出来るかも知れない」
「それなら、最南端に行けば壁や結界を破る事無くアカデメイアの森に入れるかも」
「何故? 俺たちに教えてくれるんだ。 カルバラの民はアカデメイアの守護者じゃないのか?」
「……何故なのか私にも分かりません……時の女王は、戦死した王子が守り抜いた場所には壁を作らなかったと聞いています。帰る事の無い王子がアカデメイアに帰って来る事を願って。その場所を我々はアカデメイアの臍と呼んでます」
「あいつの様子が回復したら、そこに向うとするか」
チッチはルーシィーにアカデメイアの臍と呼ばれるある場所を聞き始めた。
――翌日。
「しゅっぱぁ――! ですぅ」
アイナが元気な声を上げ、旅の再開を示した。
「お前、もういいのか?」
「チッチこそですぅ! チッチの……ゆ、昨夜の介抱は……その……なんと言うかですぅねぇ……アイナは病気でも怪我人でもないですぅ!」
アイナの顔は火を噴いたように赤らんでいる。
「お互い様だ。気にするな」
チッチは碧眼を弓のように反らし微笑んだ。
「なっ! 何がお互い様ですぅかぁあ! 嫁入り前の娘に……あんな事……もうぉ! チッチのおばかぁ――! せ、責任取ってね、ですぅ……」
語尾を濁しアイナがさっさと歩き出した。
「お前、何処に向うのか分っているのかぁ?」
「アカデメイアの臍」
アイナが、ポツリと呟いた。
「聞いていたのか?」
「とっとと、行くですぅよ。チッチ」
アイナのやわらかい微笑と共に、アカデメイアの最南端に行く先を向けた。
To Be Continued
最後までお付き合いくださいまして誠にありがとうございました。
次回もお楽しみに!