〜 古き魔術の森 〜 第六話
☆第六話
◆恋しさ? それとも恋の予感?
アイナが、ぼんやり浮かない表情で部屋の窓から見えるアカデメイアの木々の先端を地平線の向こうに眺めていた。突然、何かを思い出したかのように腰掛けた椅子から、すくっと立ち上がった。
「どうしたんだ? 手洗い場かぁ」
間の抜けた声に何時もの頬笑みがアイナを見つめる。
「レディに向かって失礼な事聞くなですぅ! まったく!」
「まぁ、がんばれ、すっきり出来るといいなぁ」
「そりゃ……誰だって大抵……って! おばかぁ! ち、違いますぅ。食器とトレイを返しに行ってくるだけですぅよ。怪我人は屍のように大人しく寝てるのですぅよ。チッチ」
何時もなら犬歯を剥き出しに拳を振り上げ怒り捲るはずのアイナが、やけに大人しい。
表情も冴えないようで、何時も元気いっぱいのアイナの姿ではない事にチッチは気付いていた。
「無茶するなよぉ――。それにあまり気にするな。俺は気にしない」
チッチは反らした碧眼をアイナに向けた。
「はぁ――」
アイナが大きく息を吸い込み吐き出した。
「行って来るですぅ……そして聞いて来るですぅ。二十年前に起きた出来事からの三年間の間にアカデメイアで何があったのかを確かめてくるですぅ」
「アカデメイアの森までは、まだ随分遠い。真実の奥にある真実を知るには行くしかない。俺もお前も……心配するな。約束は必ず守るさ」
「……うん」
アイナが暫くの間、腿の辺りでスカートの布を小さな拳で握り締めた。
「だ、誰との? 約束ですぅ? アウラちゃんとの約束? シオンとの約束? それとも……」
「全部だ」
「……欲張りですぅねぇ……一人で無理して抱え込まないでぇ……ですぅ」
「そうか?」
真一文字に結んだアイナの口元が、僅かに緩み頬を吊り上げ僅かな笑みを浮かべている。
「ま――ったく! その状態では、ぜ――んぜん説得力がねぇ――ですぅ。……早く怪我治して元気になりやがれぇですぅ」
「毎晩、治癒の魔法を唱えてくれているから治りも早いさ」
「……あの!」
「分かってる。何も言うなよなぁ」
「ありがと……ですぅ」
チッチの方に向き直ると腰を折り頭を下げ、振り返り部屋を出ていった。
ルーシィーのいる居間に通じる廊下を重い足取りでアイナは歩いていた。
アイナの魔法を用いても、思うようにチッチの傷が治らない。
戦闘後、大方の傷口を塞いだ。
残りの傷はルーシィーが手伝ってくれたお陰で媒介になる触媒無しに止血までは何とか処置ができた。
あれから二日間も治癒を続けていたのに、その間チッチが目覚めたのは、ほんの数回だけ。
今日、初めて本当にチッチが目覚めたと言えるのかも知れない。思っていたより、よく喋ったので少し安心した。
しかし……。
母の循鱗を大半失っているとは言え、チッチ自身が持つ回復力は記憶喪失の少年で何処から来たのか未だに分からない。言わないだけかも知れない人物、シオンが持つ特異体質なのか不思議な能力に似ている。
シオンの尋常じゃない回復力を凌駕するはず……なのに毎晩のように治癒魔法を唱えていれば通常の人でも治っているはずの傷が、まだ完治していない。
以前に人ならざる者、異形の魔物と化したアウラの弟、アウルを治癒した感覚に似て非なる、違った人ならざる者の違和感を感じる。
「何を落ち込んでいるのです?」
ルーシィーに不意に声を掛けられ、びくりとアイナは身体を躍らせた。
「べ、べつにですぅ……」
「彼、なかなか完治しないですね。自分でやっておいてなんですけど」
「貴女の所為ですけどぅ、そうじゃないですぅ」
アイナは手にしていた食器の乗ったトレイを、ルーシィーに手渡し今のソファに座った。
ルーシィーはトレイを水場へと運んで汚れた食器を洗いながら、アイナの様子を窺った。
今、アカデメイアの女王たちの事やカルバラの民の事をアイナに話すべきか少し悩んだ。
しかし、話して置かなければならない。
聞いて置かなければならない事もある。
取り急ぎではないので暫く様子を窺っていたのだが……。
元気もなく疲れ切った表情を窺わせているアイナに、どうやって切り出すべきか悩む。
取り留めもない世間話から入ろうかと思った。
しかし、カルバラは田舎も田舎。
他国の大国ラナ・ラウルの王都から来たアイナとは、世間話の話題にする切っ掛けすら見つからない。
連れの少年もまた、他国であるイリオン王国から来たとアイナから話を聞いている。
共通の話題と言えば……ちらりとアイナの年の頃を窺って見る。
年齢は聞いてなかった。
自分の容姿より幾分幼い気もする、自分の方が少し年上だと言う位だとあたりを付ける。
年頃の女の子の共通の話題と言えば、流行り物の衣服や装飾品、化粧水等、綺麗に自分を魅せるアイテム。
しかし、ド田舎ではアイナの価値観と大きくズレが生じてしまうだろう。
相手は都会も都会王都からやって来ているのだ。
美しく魅せたい。誰の為に? 異性の気を引く為。ましてや意中の異性がいるならば……。
アイナとチッチとか言う少年は他国の者同士。
何故? 二人でアカデメイアの森近くまで来たのか、アカデメイアの秘密を欲する為もあるかも知れない。もしかしたら……駆け落ち? などとも考えを巡らしてみる。
身分の違い、はたまたお国の事情で結ばれぬと知り、こんなド田舎のアカデメイアの森近くまで二人で愛の逃避行? ならアイナの彼はあの少年。
ルーシィーの的を得ない推測は広がり、間違った正解を導き出す。
恋の話で切り出そう! これしかない。
ルーシィーは、こくりと頷いた。
洗い物を終えルーシィーは思いを決め唾を飲み込み、何気に話を切り出した。
アイナは考えていた。
チッチの治癒にあたり始めた時に、ルーシィーの言っていた言葉を思い出す。
『お前……アカデメイアの女王を継ぐ者か……まさか! 伝え聞いている二十年前の……』
二十年前と言えば、カストロス王国がカリュドス元皇国の卑劣な謀略に嵌まり没した頃。
物心着いた頃には何処の国とも分からない騎士や戦士たちに追われ両親、そして双子の弟、ランスと共に人の眼から逃げるように放浪の旅を続けていた日々を送っていた。
ある日、母の知人でカストロス王国健在の折から心安い間柄だったラナ・ラウル王国四大貴族の内の一人、クラウス公爵との偶然の再会で表立った追っ手はいなくなった。
大国ラナ・ラウルの大貴族に喧嘩を売る事は、追っての後ろ盾をしていた者が、例え一王国だとしても魔法先進国でもある大国ラナ・ラウルに喧嘩を売る事と同義。
クラウス公爵の後ろ盾を得て暗殺者たちの眼も眩ませる事もでき、小さなログの村に安住を得たが、それまで家族を守り時には戦いながらの旅とその心労から、父はログに住み始て間もなくこの世を去った。
突然ログに現われた元カストロス王国の聖騎士三人が母の下に訪れ、直接的ではないものの時折、母を『姫』と呼び、自分とランスがログに帰郷すると『様』など、放浪者だった自分たちには、そぐわない恭しい態度で接する事に疑念を感じた。
時折、何時も笑顔を絶やさず、やさしい母が三人を叱りつける姿を目にした事もある。
その時は、決まって自分たちの前で『姫』『様』等の語句を口にした時であった。
……そう言えば、あの右眼包帯も母と二人で放浪の旅を続けていたとか、旅の共に家畜を連れて行くのに、砂漠でも生きると言う程、粗食に強い山羊を選んだお陰で山羊飼いと卑下され、冷遇されながら旅を続けたとチッチの口から旅の道中で聞いた。
――何となく似ているですぅ。
アイナは無意識に微笑んでいる自分が何故か不思議でもあり心安らいでいく事に気付いた。
――そう、国も知れない少年。シオンに感じている安心感と同じ、それとは別の感情。
新たに気付いた心の安らぎの場所に戸惑いながらも、小さな胸が躍っている事を確かに感じた。
でも、シオンを大好きである事に違いはない。
新たに生まれたチッチへの気持ちは、一時の旅の連れでもあるチッチと自分が似ている境遇だったから……容姿がシオンに似ているから……でも、チッチの事を考える度、胸が弾む。
アイナは小さな胸に両手を据え、弾む鼓動を確かめた。
嬉しそうに微笑んでるアイナをルーシィーの瞳は見逃さなかった。
――今なら切り出せる! きっと彼の意識が、はっきりと戻った事が嬉しいかったんだ……食事も残さずたいらげてあったし……そうに違いない。
ルーシィーは小さく深呼吸を繰り返し意を決し言葉を捻り出した。
「ア、アイナちゃん? 彼、意識が戻って良かったね。食事も全部、食べてくれたみたいだし先ずは一安心ね」
固さの残る声でアイナに話し掛けた。
「えっ! まったく心配掛けやがってですぅ! 右眼包帯の奴め」
アイナが答え、大きく「はぁ」と息を吐いた。
「ごめんね……あなたたちの話も聞かずアカデメイアの人々と力を欲しがって来てるのだと思い込んじゃって……危うく彼を殺めるところだった……謝って済む事ではないけど、私には謝る事と彼が完治するまで、ここで療養して貰う事しか出来ません」
ルーシィーは腰を深々と折り頭を下げた。
「あいつが死ぬはずねぇ――ですぅ! ゾンビの如く蘇る奴でヴァンパイアのように殺しても死なねぇ奴ですぅ」
アイナが膨らみの乏しい胸を張り出した。
「そう……彼強いんだね」
ルーシィーは苦笑を浮かべたが、思い直した。
――心のそこから彼の事を信じてるのね。心配した分の裏返しで酷い言いようになってるんだ。
「何だか羨ましいなぁ! 白銀の髪にブルーが映える髪は幻想的だし笑顔が柔らかくて素敵ね! それに実際戦ってみて本当に強いし戦闘センスもいい。頭も切れる。なんと言ってもハンサムね。アイナちゃんが羨ましい」
「そうですぅか? あいつの何処が良いのか分からんですぅ! 鈍感で人の気持ちなんて、これっぽっちも気付いてないような奴ですぅ?」
――シオンの鈍感さは筋金入りですぅ……まったく。
アイナが親指と人差し指の隙間から翡翠の瞳を薄くしてルーシィーを覗き込んでいる。
「そう? 確かに何処か抜けてるように見えるけど」
「失礼ですぅねぇ! 抜けてはないですぅ! 何時も怖いくらい澄ました顔をしてますぅ!」
「だって喋り方とか、聞いてると抜けてるのかなぁって思っちゃって……アイナちゃんも鈍感って言ってるけど、本当はどうなの?」
アイナに近付き耳元で小声で呟いた。
「何処まで赦しちゃったの?」
初心なアイナの顔が真っ赤に染め上がる。
「なっ! 何もないですぅ……悲しい程……」
「で、何処まで」
「キ、キキ、キス……」
「あらまあ、彼も奥手なのね。こんなに可愛い女の子と駆け落ちまでして手を出さないなんて、彼は余程大切に想ってくれてるのね。アイナちゃんの事を」
「そんなんじゃねぇですぅ!? うん? 駆け落ち? 誰と?」
アイナが不可解な言葉に小首を傾げた時、チッチの呼ぶ声が聞こえる。
「アイナ――、水くれないかなぁ、山羊の乳があれば、そっちがいい」
「勿論! 貴女を呼んでる彼よ」
「えっ! 違うですぅよ! 右眼包帯とは、そんなんじゃ――」
アイナの言葉にルーシィーの声が重なる。
「早く行ってあげなさいよ。彼が寂しがってるわ」
「だから! ちが――」
「山羊のミルクはないけど、牛のミルクなら炊事場の冷える場所にあるわよ」
ルーシィーは、にんまりと意味ありげに笑みを浮かべた。
「アイナには――」
「ほらほら、早く行ってやりなさいよ!」
キッチンからミルクを保存用の器ごとアイナに抱えさせ背を押して送り出した。
「重要な話は出来なかったけど……少しは打ち解けられたかな」
激しい勘違いと思い込みだという事にルーシィーが気付く由もない。
To Be Continued
最後までお付き合いくださいまして誠にありがとうございました。
次回もお楽しみに!