〜 古き魔術の森 〜 第四話
☆第四話
◆戸惑い時々後悔のち希望
大窓から繋がるテラスからは、神秘の自然に創り出された断崖絶壁と人の手で造り出した自然が広がっている。
その風景を桃色髪の少女は、紫水晶の瞳に映し出し憂鬱な表情を浮かべた。
「はぁ……」
テラスの手摺に両腕を置き、その上に形の良い顎を乗せるとアウラは小さく溜息を吐いた。
庭園の木々から羽根を休めていた小鳥たちが、風に乗り青く抜ける大空に飛び立った。
「風を読んだのかなぁ?」
小鳥たちが風を掴み、天空高くまで上昇するのを目にしたアウラは、何時も弓のようにして微笑む少年の話を思い出した。
「明日も晴れね」
彼が言うには有翼獣は空気の重さに敏感らしい。
空気の重さを感じ取り高く飛んだり低く飛んだりし、それを見て彼は天候を見事に的中させた事がある。
放牧者は昔から夕陽を見て天候を知り、風と共に放牧を続けてきた。
チッチの言葉は自分たちの知らない観点、視点からの物見いで語られとても興味深い。
道を違えた今も心に強く残る白銀にブルーマールの映える山羊飼いの少年の姿を脳裏に映し出していると、不意に部屋のノッカーが二度程叩かれた。
「はい。お入り下さい……鍵は空いてますから」
アウラは心ここにあらずといった感じで気のない返事を返した。
扉が静かに開かれる。
「やあ、アウラ。ここのところ元気がないね。きみの悲しむ姿は見ていたくないのだがね」
「……」
金髪金眼の騎士がマントを揺らしアウラに近づき手摺にもたれ掛かった。
「何か、御用ですか?」
アウラは紫水晶の瞳を虚空の彼方を見つめるように答えた。
騎士がアウラの手を取り口付けをしようと唇を近付けるが、騎士の手に取られたアウラの右手は静かに引かれた。
「やれやれ、冷たいね。アウラ。親愛の礼くらいさせてくれないかね?」
「……」
アウラは無言が答えだと言わんばかりに口を噤んだまま、騎士の顔を見詰めた。
その表情には薄い感情も浮かべていない。
「きみの父君、母君、そしてアウル君を救えるのはアウラ。きみの魔術だけだ。きみの手にしている禁術書とその他にも各国から集めた魔術書や触媒になりえる秘宝等の珍品があれば、御家族を元の人間へと戻せるかも知れないのだがね……きみがそれのような様子では禁術書の解読は愚か、アウラ自身が魔術を完成させるのは無理な事なのだよ」
金髪の騎士がアウラを諭すように、やわらかな口調で言葉を紡ぎ、ぽつりと言葉を続けた。
「そして……故郷を焼き御家族をあのような姿にした、あのグリンベルの悪魔を討つ事が、きみの願いではなかったのかね?」
騎士の言葉にアウラは、ぴくりと反応すると貝のように固く閉じた口を開いた。
「グリンベルを焼いたのは私です……知らずに魔物を生み出す術式を完成させてしまいました。……そして、あの少年の……チッチの住んでいた街とお母様を……大勢の人々を殺してしまいました。私には禁術書の力を得る価値も資格もありません。……私怖いです。力を手にしてしまう事が……」
アウラは感情を窺えない程、虚空を見詰めるような生気のない紫水晶の瞳を伏せた。
伏せられた瞼の間からは自然と涙の滴が零れ出す。
「しかし、術式を組み上げたきみにしか術式を解除出来る者は居ない。それにグランソルシエールの禁術書を解けるのは禁術書を残した本人以外、今のところアウラ、きみにしか出来ない事なんだがね。組み立てる理論が存在する以上、逆もまた然りだとわたしは考えているのだがね」
「……」
――そうだった。アウラは大切な事を思い出す。……あの山羊飼いの少年との約束を。
その少年は白銀にブルーマールが映える髪が陽の光を浴びると淡いブルーに白銀の髪を幻想的なまでに染め上げる。
「チッチ……約束したんだよね。ドラゴンの瞳に変わり果てたあなたの右眼を治すって……私の成すべき事を成し遂げるって……異形の魔物を封印する為に禁術書の全てを解読してみせます。だから、待っていてね。チッチ」
アウラの瞳に輝きが戻る。
――それは希望。
アウラは禁術書の解読に戸惑っていた自分が恥ずかしく思った。
ここに来た事は自分自身が選択した道。
両親の生を知り逢いたい一心でアウルと共に、ここへ来た。
両親は確かに生きていた。
しかし、その姿はおぞましい異形の魔物の姿のまま、アウルのように人の形を保てないようで発せられる声こそ、懐かしい父と母の物であるものの、その姿は異形の魔物から母のやさしい微笑み、父の威厳のある怒り顔もそこにはない。
チッチの右眼とアウル、両親を元に戻す。
アウラの心の中に蘇るチッチの言葉。
『アウラは間違った事に力を使ったりはしない。俺はそう信じている』
部屋の机へと向かい椅子に腰掛けると禁術書を開いた。
解読に詰まるとアウラは立ち上がり、必要と思われる資料や魔術書が陳列する本棚に向かい目次を眺め、関連する書物を見付けては抱えて机に戻り、資料を忙しく捲っていく。
「あまり、根をつめるなアウラ。きみが倒れては本末転倒だ」
金髪の騎士の声は、最早アウラには届いていなかった。
机の前には山積にされた資料と魔術書、燭台が置かれ、前の壁には明かり取りの小窓が設けられている。
アウラと机の回りには、蝋燭立に芯だけが消し炭になって冷えて固まった蝋の中に沈んで消えた後と資料、魔術書が積み重ねられ所々に附箋が挟み込まれている。
やわらかい日差しがアウラの頬を撫で温もりを与え、アウラの頬に人の温もりのような温かみを感じさせ、アウラの眠りを浅い処へと導いていく。
薄らいでいく意識の中で感じる、その温もりは碧眼を弓のように反らして微笑む少年の温もりのように温かく、やさしいものに感じた。
「……チッ、チ? 涎なんて出てないよ……口元……なめちゃダメなんだから……むにゅむにゅ……キ、キスしてほしいの? それもダメ! 封印が……解けちゃ!?」
机の上から跳ね起き口元に手をやり何事も無い事を確認すると、次いで両手で頬を挟んだ。
そのままテラスの方へと歩き出し大窓を開く。
朝の心地よい空気が数日間、閉め切られていた部屋の中に流れ込んでくる。
テラスの外に出たアウラは鳥の囀りを聞きながらやさしい陽の光と新鮮は空気を全身で浴びた。
僅かに微笑んでテラスの手摺に頬杖をついた。
無意識の内にアウラの唇は、次々に形を変えて何事かを呟いていた。
「うふぅふ」
そんな自分に気付いたアウラの顔に微笑みが戻る。
次第に唇の変わる形に合わせ喉から声を出していった。
徐々に声のトーンを上げながら、それに合わせて微笑みを増していく。
天の恵みと空の微笑み――、地の恵みと土の温もり♪ 子羊は羊飼いに導かれ――、羊飼いは神に導かれ旅をする。
羊飼いの導く旅の歌、旅人を導く旅の歌……あなたを導く愛の歌――♪
蒼穹の天空に陽の導き、豊穣の大地に風の導き、静寂の夜道に星の導きを尋ね旅を続ける、あなたの安らぎの場所になってあげたい。
果てしない旅路に喜びを――、険しい旅路を越えるちからを♪ 陽は闇を祓い、影を生み出し旅人をやさしく包み込んで安らぎを与えてく――れるぅ――。
月は闇に浮かぶ、光が足元を照らし道を示す。あなたの無事を祈ってるの――、祈りはあなたの為に歌う愛の贈り物――。
あなたの宿り木になってあげた――いのぉ。
あなたの事を想って歌い続けてい――るよぉ。
あなたの事を想い待っているの♪ 何時も貴方を。
「チッチ……私はあなたとのもう一つの約束を守れないかも知れない。でも、あなたの右眼は必ず治してあげる。何年、何十年掛かるかは分からないけど。だって何も分からないところから、術式を組み立てなければならない事が分かったから……」
アウラは静かに水晶石の瞳を閉じて言葉を続ける。
「私……ソルシエールさんのように本物の魔術師になります」
――魔術師。
禁術書に各あり。
魔術を創り出し生み出せる者を魔術師と我、命名する。
それは魔術を扱える者を差すのではない。
現存する魔術を扱える者……それを我、魔導師と呼称する。
魔術書に記された古き云い伝えの記述。名も知らぬ者が書いた出処も分からないテクノロジシャンと言う言葉。
アウラはテラスから見える緑の木々を見渡し、息を大きく吸い込むと部屋に置かれた机へと向かった。
テラスの真下には金髪の騎士が笑みを浮かべている事など、アウラは知る由はなかった。
「ふぅ……やっとやる気になってくれたかな。アウラ」
金髪の騎士がビロードのマントを翻し馬屋根へと向かった。
馬番に自分の愛馬を用意しておくように告げると宮殿に戻る道すがら金髪の騎士が独語した。
「ふっ……やれやれだな、やっとその気になってくれたようだ。せいぜい足掻けよ……アウラ。わたしの野望の為に禁術書を紐解いてくれ。野望の一つはこの手の中にある」
金髪の騎士は唇の両端を吊り上げ薄い笑みを浮かべ、その手に握った循鱗を凍るような眼差しで見詰めた。
穏やかな朝は去り、そよ風が庭園の草木を揺らす。
騎士の着用しているビロードのマントを、そよ風が悪戯をする子供のように持ち上げた。
ビロードの裏地は血で染まったかのように赤く、銀の刺繍糸で施された逆十字が陽を反射し、きらりと輝いて見せた。
机に向い禁術書を紐解くアウラの耳にノッカーの音が届く。
ノッカーの音は、間隔を狭め苛立っているようにも聞こえた。
禁術書の解読に夢中になっていたアウラの耳に暫しの間、届いていなかった。
「はい」
アウラは禁術書から眼を離す事無く短く返事を返した。
「ねえさん? 具合が悪いの? ここ数日食事もろくに摂っていないみたいだけど……ぼ、僕のせいなのかな?」
扉越しに聞こえる弟アウルの寂しそうな声に、アウラは禁術書を閉じ椅子から立ち上がった。
扉の前にアウラは立ち、掛けられたロックを外す。
無論、錠前だけではなく魔術によるロックも掛けられていた。
異形の魔物の力を持ち、魔導師としての力も有能なアウルでさえ自由にならない魔術のロック。
アウラが数日で組み上げたオリジナルのルーン文字、力を持つ古語文字が組み込まれた魔法陣が作用していた。それとグランソルシエールの禁術書に記された見慣れぬ文字の解読を始めている。
ロックを外すと同時に部屋の扉が開かれた。
アウラが扉を開けたのではない。
アウルが待ち切れず扉を開いたのだ。
扉が開かれると同時に部屋に飛び込み、アウラの胸にしがみ付くアウルの行動は幼い子供が甘え、母の胸に飛び込む様に似ている。
「アウル……絶対、魔物の戒めを解いてあげるからね。お父さんとお母さんも元の姿に戻して見せるからね」
「姉ぇさん?」
アウルが不思議そうな顔をして、アウラの顔を見上げていた。
アウラは何も言わずアウルを、やさしく抱きしめた。
「アウラ。どうかね? 禁術書の解読は順調に進んだかね」
金髪金眼の騎士がアウラに尋ねた。
「はい。ランディー様」
アウラは、さわやかな微笑みを浮かべているランディーに短く答えた。
To Be Continued
最後までお付き合いくださいまして誠にありがとうございました。
次回もお楽しみに!