〜 古き魔術の森 〜 第三話
☆第三話
◆アカデメイアの守護者
蒼穹に白銀の刃が再び天を舞う。
「本当に貴様のような、へらへらした奴が噂に聞く姿無き不可視の影なのか? 信じられない。……貴様が姿無き不可視の影を名乗るのならば、貴様も王国の犬か、それとも暗躍する組織か、どちらにせよ私は力を欲し、アカデメイアの秘術を守る民を蹂躙しようとするならば、私がお前を斬る」
白い髪に褐色の少女が激高しメーネを振り下ろした。
「ちょい待ち! 俺は戦いを止めに来ただけなんだけどなぁ」
天日に良く乾いた街道上の土埃が、メーネを薙いだ剣圧に舞い上げられ太刀筋から、引くように後を追う。
「待て……って言ってるのになぁ」
チッチは、素早く右足を後ろに引き半身を翻しメーネの刃をかわした。
白銀にブルーマールの映える髪の毛を剣圧が起こす風圧を受け、さらりと揺れる。
碧眼の瞳を弓のように反らせたまま。
少女の頬が、にやりと笑みを浮かべ吊り上っている。
「あら? ……まだ、そんな力を温存していたのか?」
チッチの右眼に巻かれた包帯が締まりを緩め解け、焔の宿った真紅の瞳が外気に晒される。
「お前! アカデメイアの森から出た者だな?」
「う――ん? 覚えがあるような、ないような? 母さんと森で暮らしていた時、ここは“アカデメイアの森”の端と言っていたようなぁ……て、事は……俺はその森を出た事になるなぁ」
「大人しく森に潜んでいれば、我らカルバラの民が護っていてやったものを」
「何からだ? 教会か?」
「人間からだ……よっ!」
少女が例の如くメーネを逆手に持ち変え、刃を蹴り飛ばした。
刃はチッチの身体を目掛け飛んで来る。
「お前の死角から胴の中心を狙う。今度は外さないよ」
片方の刀身だけでも長剣を凌駕する長い刃が、空気を切り裂く。
しかし、手応えはない。
「……消えた……だと」
「人は消えたりしないなぁ、食い物じゃないから」
少女の頭上から間の抜けた声が聞こえて来る。
「上? あれを飛んでかわしただと! しかし……愚かだ」
「そうでもないかなぁ?」
「次ぎの一撃を身動きの取れない空中で、かわせると思ったか?」
メーネを腰で一回転させる間に、頭上のチッチの声を聞いてからの時間と落下速度を計り、刃を軌道修正しメーネを振り上げる。
メーネが振られた軌道上に刃の後を追い掛けるように土埃の円を描かれる。
「もらった」
メーネの刃が思い通りの場所に到達するが……。
――手応えを感じない。
「残念。標的を見ずに剣を振るうから外れるんだぞぉ。まぁ、勘はいいけど、俺の勘はもっといい」
「どうやって……落下速度を変えた?」
少女は驚き次いで顔を赤らめる。
チッチの上半身に着衣がない。
「案外……初心なんだなぁ」
「そんな物でそうそう……!?」
少女の背後に立ったチッチの背中は、漆黒の金属にも宝石の板にも見える翼を背負っている。
「貴様、やはり……魔物憑き!? やはりアカデメイアの出身か」
チッチは漆黒の瞳で少女を見詰めた。
「やれやれだなぁ、まったく……また、あいつの力を使ってしまった……、母さんの循鱗なら心地いいのになぁ」
その後、弓のように瞼を反らし闇色に鈍く光る漆黒の翼を治めた。
反れた瞼の奥。その隙間からは碧眼の瞳が覗いている。
「お前は変態か! 女の前で平然と肌を晒すとは何事か」
「……? それにしても随分、初心なんだなぁ。お前」
「お前……ぐ、愚弄する気かぁ……ズボンまで脱ぐ必要はあるまい!」
少女が刃を蹴り、くるりとメーネを縦回転させた。
チッチは半身を翻し土煙を上げ、地面に喰い込んだメーネの刃を踏み動きを封じる。
「お前……何を!」
「鋭い刃も引かなければ大して斬れるもんじゃない。しかもメーネは剣その物の自重を生かし馬上から突く武器だからなぁ」
「ふぅふぅ……だから?」
「振るう武器には向いてないって事だ」
「ねぇ? お前さぁ……工夫て言葉を知ってるか?」
「工夫は得意だ。放浪の旅が長かったからなぁ」
メーネの柄にある鍵状の持ち手に持ち帰る。
丁度、歪なまんじ“卍”に近い形状の柄、その両側に延びる白銀の刃が陽を反射する。
持ち替えると同時にメーネの刃を蹴り上げる。
刃と鋼の足鉄鋼がぶつかり合う金属音が響く。
チッチは刃を足場に、後方へ宙返りし間合いを取り直した。
「そのメーネ……もしかして強度を捨て軽量化した?」
「何故、私に聞く? まあいい。半分だけ……正解と言っておくわ。一応ね……しかし、強度は捨ててない。本来のメーネよりは、若干劣るがな」
少女が素早くメーネを逆手に持ち替え刃の向きを変え間合いをつめ、刃を水平に薙いだ。
メーネの太刀筋を土煙が後を追い掛け砂煙を上げ、チッチの胴目掛け襲い掛かる。
「また……消えた? だが……」
剣圧で起こった土煙とは、別の物を探し出そうと辺りを見渡す。
――あいつの素早さで移動すれば、土煙が上がるはず……。
しかし、自分の巻き起こした土煙の他には見当たらない。
――チッチの姿も。
「いないだと?……ならば、また上か!」
少女が持ち手を替え、刃を立て空を見上げる。
「いない……だと」
「何度も言うけど……人は消えたりなんかしないかなぁ、魔術師なら出来るかも知れないけど……俺は魔術師じゃない」
剣圧が巻き起こした土煙の中から聞こえる声。
「消えたんじゃない。それに見えなくなったからと言って上にいるとは限らない」
声と同時に静かに沈む土煙の中から、大型の厳ついナイフが二振り姿を現す。
「下! だと」
「遅い! それに間合いは俺の距離だ。そして」
少女がメーネを持ち替え振り上げようとするが……。
「なっ!」
「限界だ。身体が悲鳴を上げている。これで終わりかなぁ」
「くっ……何をぉぉぉお!」
少女は騎士とチッチとの戦闘で消耗した身体に鞭打つ様に、尚もメーネを振り上げようと刃を蹴り飛ばそうとした。
身体に激痛が走る。
「くそ……っ」
最後の力を振り絞り、踵でメーネを蹴り上げる。
残る力を振り絞り振ったメーネの刃が、ぐるりと円を描きチッチの前を通り過ぎ、甲高い剣戟が響いた。
「残念だったなぁ、反動を付けた貴様のナイフでは反動を付けたメーネの一撃は受切れまい。剣戟が響いた刃もかわし……」
「逸るなよ俺は傷一つ負ってない。オレンジパイにしばかれ、足蹴りされた傷以外はなぁ」
チッチの言葉を聞き、少女は手に持ったメーネから伝わる違和感に気付く。
「剣を折った、だと! しかし」
少女の背中側で金属音が響いた。
メーネの両刃は急激に作用する方向を変え、チッチの頭上に襲い掛かる。
「右眼包帯!」
離れた場所で戦いの行方を見ていたアイナの叫び声が、チッチの耳に届いた。
鈍い金属音が、いっそう大きく響き渡った。
目振り下ろされたメーネの刃は地面に叩き込まれている。
チッチは身体を屈めたまま動かない。
「右眼……包帯? ……チッチ――!」
アイナがチッチに駆け寄る。
「ふぅ……ふぅふぅふぅ……私の負けだ。そのナイフ……ソード・ブレーカーの類ね? 形状が多少違うけど……」
折られたメーネの刃が宙を舞い時間を置いて地面に突き刺さる。
「工夫……と進化と言う言葉を知っているか? まぁ、形は似ているかなぁ。俺の双剣は鉈のように力強く、剣のように切れる。素材も形も特別製だけどなぁ」
僅かに間合いを詰めたチッチは、片方の厳ついソード・ブレーカーでメーネの刃をへし折っていた。
もう片方の腕は『く』の字に折れ少女の鳩尾を捉えていた。
少女の倒れ掛る身体を起き上がり様にチッチが支える。
「うん! メロンパイ!」
チッチは微笑み、少女を支え胸の感触を味わいご満悦だ。
「こんのぉぉぉ――! エロ右眼包帯右眼がぁ!」
駆け寄る足を速めたアイナが、その勢いをも加えた拳がチッチの顔面を捉えた。
アイナの放った一撃で、少女を抱えていたチッチの膝が崩れ落ち始めた。
「くっくっくっ……運はまだ、私に向いているようだね」
少女もチッチの崩れる態勢に合わせ崩れ落ち始めながら、その顔には薄い笑みを浮かべていた。
「詰めが甘いね。きみは……きぃぇぇぇ――!」
折れたメーネの刃を拾い素手で持ち、褐色の少女が突きを放つ。
「抜け目ないなぁ……」
刺さされた傷口と唇の端か鮮血が流れ落ち、チッチは膝から砕けるように大地に伏した。
「えっ?」
アイナの視界は、一面赤い世界へと一瞬で変貌した。
透き通るような白い頬を温かい物が、流れ落ちるていく感覚が広がる。
アイナは無意識に、自分の頬を流れ落ちる液体に触れた。
それは生温かく、ぬるりとした感覚。
決して慣れてはいない何度か経験のある光景が、アイナの瞳に映し出された。
チッチが大地に膝を着く、そして少女も。
少女の手には、折られたメーネの鈍く光る折れた剥き身の刃が握られている。
刃に赤い血が伝い流れ落ちていた。
「右、眼……包帯? ……チッチっ――!」
チッチが膝を折ったまま後ろ向きに倒れ背中を地面に着いた。
突きに因る思われる穿たれた傷口チッチの上半身数か所に穿たれた傷口から噴き出した。
血は勢いを失い身体を染めている。
少女の手にメーネの刃が握られ、その手からはチッチの血と己の血が混じった鮮血の滴が、静かに地面へと滴り落ちて行く。
褐色の少女は地面に尻餅を着き青く澄んだ空を見上げてに笑っていた。
アイナは翡翠色の瞳で少女を一瞥すると、少女と数瞬睨み合う、今にも飛び出しそになる言葉を呑み込み唇を噛んだ。
アイナがチッチの方に振り返った際、ふわりと浮き上がり白金の髪に隠れた赤い瞳が姿を現した。
「なっ……貴方は」
アイナのオッドアイを見た少女は眼を皿のようにして呟いた。
――今やるべき事は、チッチの下へ駆け寄り治癒の魔法を唱える事。
母の循鱗は大半を奪われているチッチは、超再生の恩恵を受ける事が出来ないようで何時かのように傷口が塞がらない。
母の循鱗が薬なら、もう一つの循鱗は猛毒なのかも知れない。
――“元は一つの循鱗”から分かれた光と闇。
虎視眈々とチッチの身体を乗っ取ろうとしている、あの禍々しいドラゴンの力を抑える為に母の循鱗は必死に我が子を守ろうとしているのだろうと、アイナは考えた。
あの漆黒のドラゴンの力を解放すれば造作もなく傷は回復するはずなのだが、今の状態で呼び出せばチッチの身体を奪われる。
「ア、ウラ……胸小さくなったかぁ」
チッチが横になり身を起こそうとしている。
「こんな時に……おばかな事、言ってんじゃねぇですぅ! 大人しく寝てやがれ――ですぅ!」
チッチの傷は胸から背中まで突き抜けている。
数か所の突き傷は、かろうじて急所を外れているようだった。
いくら循鱗の力が作用しなくても、きっとチッチの母はチッチを死なせはしないだろう。
――例え、漆黒のドラゴンの力を抑えながらだとしても。
しかし、長くは持たない。
チッチの状態は一刻を争う、長い魔法の詠唱をしていたら……。
アイナは眼を見開いた。
迷っている暇はない。
アイナは、ふとランスの言葉を思い出す。
七つの指輪を後継するものなら、自ずと力に目覚めるとランスは言っていた。
指輪は奪われ手元にないが、自分が選ばれた者だとしたら出来るかも知れない。
――いや今がその真意を試す時だ。
アイナは静かに瞑想に入り、両腕をゆっくりチッチの身体に差し出した。
頭の中で素早くイメージだけを膨らませる。
アイナも、こんな事をして魔法を発動させる事など試みた事はない。
アイナの両掌が光を帯び出した。
その輝く両手を感じアイナは、チッチの傷口に近付けチッチの身体を包み込んだ。
「詠唱も無しで魔法を発動、行使する。だと! お前……アカデメイア先代女王の紡ぎの妖精王を継ぐ者か! ……まさか! 二十年前から三年もの長きに渡り、アカデメイアの外で繰り広げられたカストロス軍撤退戦の生き残り……いや、先代女王の……生きておられたのか」
少女は驚きと戸惑いを露わに言葉を発した。
To Be Continued
最後までお付き合いくださいました誠にありがとうございました。
次回もお楽しみに!