〜 古き魔術の森 〜 第二十九話
☆第二十九話
◆森の統括者
硝子の扉を潜ると一行の眼前に広いロビーが現われた。
人の気配は感じられない。オリビアを先頭に長方形の飾り気のない通路を進んだ。通路にはオレンジ色の光が辺りを照らしている。
「この光は魔法の灯りですぅかぁ? それとも夜光石のものですぅ?」
本来怖がりのアイナがチッチの腕に己の腕を絡め、不安げな表情をしている。
その反対側にはアウラがアイナ同様に腕を絡め、辺りの様子を窺っていた。
「……これが“科学”と言う魔法か魔術なのですね」
「俺には分からない」
チッチが答えた。
「チッチに聞いてません。オリビアさんに聞いているのです」
アウラの質問にオリビアは薄い笑みを浮かべるだけだった。
時折、壁のような扉が現われる、その度にオリビアが認証を繰り返し奥へと向かい進んで行く。
「扉を開けるには呪文が必要なのですね」
好奇心に溢れるアウラが質問をするが、オリビアは薄い笑みを浮かべるだけで答えは返ってこなかった。
暫しの間を置いてオリビアが短く答えた。
「その内、分かりますがシオンさん以外に理解は出来ないでしょう」
建造物の壁に扉らしき物が見える。
オリビアが扉の前で立ち止まると右脇に数字の書かれた突起物がオレンジ色の光を放っている。
突起物を押すと壁が開いた。
「さあ、お乗りください」
オリビアに促され、恐る恐る壁に出来た空間に足を踏み入れるアウラとアイナを尻目に、澄ました顔で乗り込むシオン、チッチは何時ものように呑気に微笑を浮かべながら乗り込んで行く。
皆が乗り込んだ事を確認するとオリビアは壁の隅に立ち、淡いオレンジ色の光を放つ突起物を押した。
開いていた壁が閉じられて行く。
白色光を放つ壁に異変を感じた。
「何だか……身体がふわふわするですぅ……それに耳の奥がキィィ――ンってするですぅ」
アイナが身体に感じる異変を伝えた。
「な、何だか血の気が抜ける感じ気がして、き、気持ち悪い感じがしますね」
アウラも違和感を口にした。
シオンとチッチは平然としている。
何食わぬ顔で壁に持たれ掛っている二人を見てアウラとアイナが顔を見合わせた。
「チッチもシオンさんも平気なのですか?」
「ですぅですぅ」
「別に平気だぞぉ? 二人共、顔色わるいぞ」
シオンは無言で腕組みをしている。
「シオンは平気なのですぅかぁ?」
「ああ」
シオンが短く答えた。
「時速にして六十キール、分速に換算すると千十メールまで加速する超高速エレベーターですから、気分が優れないなど、身体に異変を感じる事が起こる人もいます。もう直ぐ到着いたしますので、もう暫らくの辛抱ですよ」
「もう少しですぅかぁ……そこに現在、アカデメイアを統括しているものが居るのですぅかぁ?」
「いえ、これから向かう場所はシオンさんに……それにもしかするとチッチさんにも縁が深い場所です。この森の統括者は、このフロアの奥にあり(・・・)ます」
「チッチに縁のある場所? ですか? ……それはいったいどう言う場所なのですか?」
アウラは底知れぬ不安に襲われた。
「ラボだ……たぶんな」
シオンが短く答えた。
「らぼ?」
アウラは、たどたどしくシオンの言葉を反芻する。
「俺が生れた……創られた場所だ」
「チッチがそこで生れたと言うのですか? どうなのチッチ」
「俺は知らない。母さんから聞いた話では鉄鋼の屍が無数に転がっている、死した大地のある山を削って掘られた洞窟の中で拾われたと聞いているだけだ」
アウラはこの時、初めてチッチの生れた場所を知った。
ドラゴンが住んでいた何処かの森かもしくは、このアカデメイアの森で生まれたか、捨てられたところを拾われたのだと思い込み、てっきりアカデメイア近くの小さな村だと想像していた。
その村でドラゴンに拾われ、育てられたのだと思っていた。
――チッチが生れた場所? ……。
思い返せば、チッチの生まれ故郷の話を聞いた事が無かった。
出会った頃は憎しみと恋心の間に揺れ、再会後はゆっくりと話をしている暇もなくシュベルク買収の話を聞いて心乱され、買収阻止のために放牧レースに出場を決意した。
レースが始まると勝つ事だけを考え過酷なレースに勝利した。
チッチの生い立ちは聞いていた。
しかし、生まれ故郷を聞く程の余裕も時間もなかった。
「鉄鋼の屍が……無数に転がっている死した場所……何だか寂しい場所……そんな寂しいところで生れたのですね、チッチは」
話には聞いた事がある。
この世の何処かに人々が、決して近寄る事の無い死した大地がある事を。
「ルミナリスを見ていると何故だかイメージが重なるんだ。理由は分らないけどなぁ」
特に考え込んでる様子の見られない何時もの微笑でチッチが答える。
「チッチ……」
時に微笑みは寂しく見える時がある。
平静を装い、心の痛み悲しみを押さえ込み作られる笑顔……。
チッチからは読み取る事は出来ない。
アウラは、そんな自分を情けなく感じた。
自分が恋心を抱く少年は表情に乏しく、その表情から感じ取る事は難しい。
――悔しい……アイナちゃんの言う通りなのかも知れない。
山羊飼いのに対する周囲の扱い、境遇の違いを私には本当の意味でチッチの痛みや悲しみを分かって上げられないのかも知れない。
アイナちゃんはオッドアイである事を、さぞ卑下され生きて来たのだろう。
私とチッチにも共通の悲しみがある。
それでも私なんかより、近い境遇の中で生活を送って来たアイナちゃんはチッチの事をもっと理解しているのかも知れない。
自分なんかより、ずっと……ずっとチッチの胸中が分かるのではないか?
悔しい……アウラは唇を噛み締めた。
「では、先に参りましょうか。今、この森を統括しているものをお見せ致します」
オリビアの言葉でアウラは現状に引き戻された。
私は今、アカデメイアの森にチッチの手助けをするために来ているのだ、と。
ラボを出てオレンジ色の灯りに照らされた通路を奥へと歩みを進める。
アウラはオリビアの言葉に違和感を感じていた。
アカデメイアを統括している者……それは異人種でも、もっとも高度な文明を持つハイエルフではないのかと。
この森は人間との共存を嫌う異人種たちが住み着いた場所だと聞き及んでいる。
しかし、オリビアの言葉は時折、腑に落ちない言い回しになっている事に今更ながら気付く。
都市ルミナリスの事を最初に聞いた時、実際に目の当たりにした時には高度文明を誇るハイエルフが一夜にして築き上げた都市だと思った。
しかし、そのハイエルフの姿は何処にも無い、それにソルシエールが何らかの形で関与している事も疑問に感じている。……そう言えば。
ソルシエールが残した書物の中にあった件がアウラの脳裏を掠めた。
――魔術師。
禁術書に各あり。
魔術を創り出し生み出せる者を魔術師と我、命名する。
それは魔術を扱える者を差すのではない。
現存する魔術を扱える者……それを我、魔導師と呼称する。
テクノロジシャン……。
ソルシエールが残した聞きなれない言葉……いや、聞いた事もないこの世界には存在しない言葉だ。
この件はソルシエールが独自に残したもので、一般的には伝わっていない。
それに各所の遺跡に時折見られる奇怪な古代語とは違う、放牧レースの時チッチの眼に浮かび上がった意味不明の文字の羅列……。
【Ue=1/2∫P(r)φ(r)d3r】
【Ue=1/8πεο∫P(r)(r')/|(r)(r’)| d3rd3r’】
【u=1/2(E・D+B・H) =1/2(|εE2+1/μ B2)】
【|∂ο/∂+ +Dius=0】
アウラは小さく口にした。
「それは化学式ですね。さあ、皆さん到着いたしました。この扉の向こうに現在のアカデメイアを統括するものがあります」
「行き止まりですぅ」
巨大な扉が一行の行く手を塞いでいる。
オリビアが例の呪文を口にすると巨大な扉がゆっくりと開いていく。
「これが……こんな物が……今のアカデメイアを統括していると言うの!」
ルーシィーは、驚きと戸惑いで声を荒げた。
眼前には硝子越しに巨大な塔のような箱型の建造物が映り込んだ。
その手前には机と椅子が列をなしている。
色とりどりに点滅を繰り返すランプのような物、半透明な緑色の板には文字の羅列が流れていた。
シオン以外の誰もが声を失い眼を皿のように丸くし、ぽかんと見詰めていた。
「これが……こんなものが今のアカデメイアの森を統括していると言うのですぅかぁ! それを信じろとでも言うですぅ?」
アイナがオリビアに食って掛かった。
見た事もない巨大な建造物が統括者? かってハイエルフを含む叡知ある異種族の女王たちが統べたとされるアカデメイアの森だ。
俄に信じる事など出来る筈もない。
「はい。事実に違いありません」
オリビアが短く答えた。
「オリビアさん? このような世迷言を信じろと言うの?」
ルーシィーも永きに渡りアカデメイアの森を侵入者たちから守って来た。
こんな馬鹿げた事が真実だとすれば、ルミナリスが突如出現した後のアカデメイアは、この奇怪な建造物が女王不在のアカデメイアを纏めて来た事になる。
「女王亡き後、アカデメイアの部族を統括して来たのは、この演算機が導き出した予測を基にアカデメイアの政を行なって来たのです。それではソルシエール様から受け承ったものをお見せいたします。桃色髪、紫の眼の少女に、と」
オリビアが何やら机の上で指先を素早く動かした。
「魔法陣?」
巨大な壁に浮かび上がった見た事もない地図のようでもあり、魔法陣とは別の不思議な記号と文字が現われた。
「これは設計図です」
その膨大な線と記号、文字が書き込まれた図面の羅列が巨大な壁を流れた。
「設計図? まるで魔法陣みたい……」
アウラが、ポツリと感想を述べた。
「ですぅ。ですぅ」
アイナも相槌を打った。
「魔法陣ですか? そうかも知れませんね。私たちの住んでいた異次元では、この世界での魔法にあたるのかも知れませんね」
オリビアはやわらかく僅かに頬を緩めた。
「電子回路図、化学式など、あなた方が用いる魔法陣に通ずるところがあるのかも知れません。その事に逸早く気付いたのがソルシエール様だったのです」
「確かに用いる文字は違うますが、魔法陣も術式ですし魔法陣の外を繋ぐ円は回路とか言う図面に置き換えられるかも知れません」
アウラが共通点に気付く。
「回路とかも精霊の力を行使する魔法陣なのですぅ?」
「魔法、魔術、確か――」
「理論魔法ですぅ」
「そうそう理論魔法とも呼んでいるわね。力を発揮させる法則や源に違いはあるようですが」
アウラの脳裏にソルシエールの魔術書の件が過ぎる。
魔術師と命名する。
ソルシエールは別世界の科学をこの世界の魔術に取り入れようとしていた、とアウラは推測した。
なら、自身が組み上げた魔物を創り出す術式からは、いったい何が……。
ソルシエールが考えた魔術からは、どんな魔物が創り出されているのだろうか。
アウラは思考を巡らせた。
グリンベルに行った際、確かめるべきだった。
真実を知る事が怖くて出来なかった。
小さい頃、秘密基地と呼んでいた場所を……。
ランディーが言っている事が本当なのかを確かめるべきだったと悔やみ、唇を噛み締めた。
To Be Continued
御拝読ありがとうございました。