〜 古き魔術の森 〜 第十七話
☆十七話
◆反逆の騎士
「いったい何の真似だね? 五日間もわたしを結界内に閉じ込めるとは冗談にしては笑えない。……それともグリンベルを焼いたドラゴンに復讐を果たし、美酒に酔いしれていたとでも言うつもりのかな? アウラ」
「isa・ehwaz・laguuz」
(力の流れ働きを休止せよ)
ランディーがアウラの方に歩み寄ろうとして異変に気付く。
「これは参ったね、思う様に身体が動かない」
部屋の床一面に描かれた魔法陣の中、眼光鋭くランディーの金眼がアウラを睨み付けている。
名も無き赤の騎士団隊長の眼光は全身が凍えるような冷徹さと、肌が焼け付くようなジリジリと焦がされているような錯覚を覚えたアウラは自分の肌を見るまでも無く鳥肌が立っている事を嫌でも感じた。
しかし、アウラは怯まず答えた。ランディーは今、魔法陣の中、言わば魔術師の絶対領域にいる。
「ランディー様? いえ、最早イリオン王国に敵対する離反者、ランディー・ハーニングとお呼びするべきでしょうか?」
「とんだ言い掛かりだね。アウラ。わたしが何時イリオン王国を裏切ったと言うんだね?」
「なら! ランディー様、貴方は何故? マントの裏地に逆十字を背負い、人には過ぎたる力を欲するのですか? チッチの循鱗の力まで取り込もうとしてまで……ランディー様は、何処を見ていらっしゃるのですか?」
アウラは唇を噛み、固く手に握り締められた節くれた杖を一層強く握り締めた。
「世界を我が物とする為……かな」
「なんと言う事を……」
ランディーの言葉を聞いたアウラは愕然とした。
「わたしの剣を知っているね? アウラ」
「ええ、存じております。それが何か?」
「この剣には聖戦士オーディンが宿っている事もかね?」
「ええ、シュベルクでの一戦で解放なさいましたから存じております」
「この剣は我、ハーニング家に代々伝わって来た剣でね。わたしは祖父から、このオーディンの剣を幼い頃に受け継いだのだよ。父からではなくね」
「それが、いかがなさいましたか?」
「教会の魔女狩り、悪魔狩り、獣付き、きみも良く知る教会の異端審問だ。父は教会の未来を鑑み、無暗に繰り返される不条理な異端審問の撤廃を進言した。その事で父は反徒の汚名と悪魔からの使いと言う言い掛かりをつけられ、異端審問に掛けられ死んだ。父ほど神と教会に対する信仰が深かった者は居ないと言うのにだ」
ランディーの不適な笑みと言葉にアウラは悪寒を走らせた。
――今尚、続く教会が行なう悪習。
教会に歯向かう者や異能の力を持つ者たちを魔女狩り、悪魔狩り、獣付きと難癖を付けては、煮え湯に放り込み、火に炙り、手足を杭で打ち付け貼り付けにし晒し者にする儀式を“神”の名の下に行なう教会の審問と言うには余りにも醜悪な行為である。
人々は審問に掛けられる事を恐れ、教会の教えに従う者が圧倒的に多いが、教会にも幾つかの派があるのも確かで救いを神に祈ったり、神の教えを違う観点から教え解く教会も存在している。
派別の区別は十字架や身に付けているシスターの法衣によって区別できるものの、力ある教会を恐れ、人知れず静かに普及の道を辿っている。
「さあ、アウラ本物の循鱗をわたしの身体に宿したまえ。先程、砕いた循鱗はイミテーションなのだろ? わたしが背を向けていた一瞬、その間に錬金で作り出した水晶石と入れ替えた。違うかね? 今の君には、まだ超再生、超復元能力を持つ循鱗を滅する力はない」
「何故そうお思いになられるのです? ランディー様」
ランディーが不適に唇を吊り上げ笑みを浮かべる。
「わたしの眼は節穴ではないのだよ、アウラ。この程度の魔法陣しか描けないきみに循鱗を砕ける程の魔術が完成したとは思えないのでね」
「お試しになって分かったのでは? ランディー様。貴方は現に身体の自由を奪われていて、私に手を出す事が出来ないではありませんか? それに砕いたのはイミテーションではありません。本物の循鱗です」
「ふっふっふぅ、はぁっ、はぁっはぁっ」
「何が可笑しいのです? ランディー様……。いいえ、反逆の騎士ランディー・ハーニング」
「本物の循鱗、だと? では、その右手に握った物はなんだね? アウラ。それにわたしの動きを封じた位で何をそんなにいきがる? 小娘」
「確かに貴方は、歴代の騎士の中でも秀出た騎士です。しかし、この結界以内で身動きが取れないのも事実ではありませんか。お願いですランディー様! 何時ものランディー様に戻って下さい。私やロザリアの知る。お優しいランディー様にお戻り下さい」
「それは違うのだよ。アウラ。最初からアウラやロザリアの知るランディー・ハーニングなど、始めから何処にも居ないのだよ」
「そんな……実の妹ロザリアまで騙しておられたのですか!」
「騙していた? 可笑しな事を言う。ロザリアもアウラ、きみもわたしの本性に気付かなかっただけなのだがね」
「……仕方ありません。ランディー様には、この結界の中でもう暫らく、その身を拘束させて頂きます」
「わたしを拘束してどうすると言うのかね? アウラ。イリオン軍に身柄を引き渡すとでも? しかし、ここは異国の地。潜ませてはいるが、わたしの率いて来た赤の騎士団は、わたしと志を同じくする者たちなのだよ。それにこの身は動かせずともアウラ、きみを殺せば術は解ける。その手立てが無いとでも思っているのかね? アウラ。本当はきみを殺したくは無いのだがね。きみにはわたしの役に立ってほしいのだよ」
「恐れながら申し上げます。私は今の野望に満ちたランディー様に着いて行く事など出来ません」
凛とした姿勢でアウラは答えを返した。
「仕方ない。循鱗を置いて立ち去るがいい。アウラを殺したくはない。これは本心なのだがね。聞かぬと言うなら致し方あるまい。きみを殺して循鱗を手にするまでだ。封印は他の魔術師たちにさせる事にしよう」
ランディーの眼光が一段と強くアウラを見詰めてた直後、ランディーの口から剣に解放を命じる口上が迸る。
「王家の墓場を守護する鉄の乙女達よ。我、オーディンの剣の下に集いて、勇者に口付けを敵には死を与えよ」
結界の外側に鉄の乙女姿を現す。
「そんな……どうやって」
驚愕するアウラにランディーが言った。
「我剣、レーディングに宿るオーディンとヴァルキリアスは異空間から呼び出し、その実体を現世に具現化する。非常に残念だよアウラ。終わりだ」
鉄の乙女たちが一斉にアウラに襲い掛かった。
「いやっっ! た、助けてぇ! チッチ」
アウラは無意識に、この場に居るはずの無い山羊飼いの名を叫んだ。
無数の鉄の乙女がアウラ目掛け槍を構え、襲い掛かろうと身構えている。
――もう駄目だ。
アウラは死を覚悟した。
「チッチ……ごめんね。貴方に討たれてあげられない。約束したのに……ごめんね、チッチ」
最後の言葉にアウラは何時も微笑んでいて、間の抜けた山羊飼いの名を残し胸の辺りで手を組、瞳を閉じた。
――刹那。
壁を打ち抜く奇怪な音がアウラの耳に飛び込んで来ると共に聞き慣れた声が聞こえ恐る恐る閉じていた眼を開けた。
アウラに襲い掛かろうとしていた無数の鉄の乙女たちの胸は穿たれ、その痕は溶解し広がり溶け出した鉄は床へと黄金の雫と化し落ちて往く。
黄金色の閃光に穿たれて往く鉄の乙女たち。
「姉ぇさんを傷つける者は許さないよ」
シュベルクで見たチッチを貫いた黄金の触手に穿たれ鉄の乙女たちは力を失い一つ、また一つと消えていった。
「アウル」
「姉ぇさん大丈夫?」
「ええ、ありがと……」
異形の魔物と姿を変えた弟を見てアウラは戸惑いながら、礼の言葉を述べた。
「古の魔術か……」
魔法陣に囚われたままのランディーが忌々しげにアウルを睨んだ。
「古の魔術?」
ランディーの言葉をアウラは不思議そうに呟いた。
「アウラ。きみも古の魔術を理解出来る逸材なのだがね……残念だよ。その力、我物にと考えていたのだがね」
「古の魔術……ですか……」
アウラの中で何かが繋がった。
グランソルシエールの禁術書には、文字の始まりとされる力を持つルーン文字と禁術書には書きなぐった羊皮紙が所々に挟んであった。
北の神殿で初めて禁術書を紐解いた時は栞代わりに挟んであったものだと思っていた。
ソルシエールが砦に現われた晩に置いて行った残りの禁術書に記されている文字が、アウラの頭の中で重なって行く。
「姉ぇさん。こいつどうする?」
「……えっ! 貴方たちは味方、同胞じゃないの? アウル」
「仲間なんかじゃないよ。あるお方の命令で行動は共にしたりするけど、それはお互いに利害関係が一致しているからだよ。それに、こいつは僕が拾って持っていた不思議な水晶石のような宝石を盗み出した。僕にはそんな石ころ興味ないからいいんだけどね。でも、姉ぇさんを傷つける奴は許さない」
ランディーが不適な笑い声を上げアウラを見ている。
「教えてやろう。未熟な古の魔術師アウラ。現世界でもっとも強力と位置付けられている古語魔術とは根本的に違う代物の魔術だ。その見慣れない文字の羅列は古に栄えた人間たちが生み出した高度文明が生み出した魔術なのだからね」
「古に栄えた人間たちが生み出した高度文明? 仮にそうだとして何故ランディー様が、その事を知っておられるのですか?」
「遺跡だよ。遺跡に残された文字を解せる者から聞いたのさ。アカデメイアの森から出た賢者の一人にね。さて、わたしは行くとするよ」
ランディーがもう一度剣を解放する。
今度は鉄の乙女たちではなく、オーディン本体が結界の外に現われ始めた。
その姿は一見して鎧に身を包んだケンタウロスのようでもあるが、屈強な偉丈夫の上半身に前脚が四脚、後ろに二脚の巨大な馬体、巨大な剣を持っている。
その大きさに部屋の壁は崩され青い空が顔を覗かせ始めた。
オーディンが手に持つ剣がランディーを戒めている結界を切り裂いた。
「アウラ。循鱗は貰って行く」
「させるかよ!」
アウルが光の触手を放つが、ランディーは巧みに触手の軌道を見切り、アウラの下まで近付いた。
「なっ!?」
易とも簡単に姉に近付かれ、アウルは手出しが出来ない。
「さあ、渡して貰おうか。アウラ」
「ランディー様。痛いっっ」
ランディーが循鱗を隠し持っているアウラの手を強く掴み上げた。
「姉ぇさんに手を出すなぁぁああ!」
苦痛に顔を歪める姉を見て激高したアウルは我を忘れ異形の魔物へと変化して行く。
「アウル駄目! 自分を見失わないでぇ――!」
オーディンが現われた事とアウルが異形の魔物に変化し巨大化して行く中、頑強に造られた砦が見る見る崩れ落ち始める。
ランディーがアウラを掴んだまま、オーディンの本体に飛び乗る。
「さあ、循鱗を渡すんだアウラ。大人しく渡すなら傷付けまい。でなければ腕ごと貰って行く」
――ごめん……ね。チッチ。ほんの少しだけどイミテーションの中に移しておいた。貴方の循鱗の力……全て滅ぼすね。
「isa・ehwaz・laguuz・uruz・sowelu・hagalaz・othila」
(力の流れ働きを休止せよ。完全なる分離と破壊を)
循鱗を握っているアウラの手の平が眩い光に包まれて往く。
「アウラ! 貴様、手の平に破滅の魔法陣を仕込んでいたのかぁ! えぇぇいっ! 小賢しい真似をっっ」
ランディーがアウラの腕を目掛け、剣を振り下ろす。
「何?」
ランディーの振り下ろした剣が空を斬る。
「痛っっ……、貴様! 山羊飼いぃぃ」
チッチがアウラを掴んでいたランディーの手首にナイフで斬りつけた。
一瞬、怯んだランディーの手から、するりとアウラを抱きかかえチッチがアウラに問い掛けた。
「間に合ったのかなぁ? アウラ」
「チ……、チッチ」
アウラの瞳は白銀にブルーマールの映える少年の姿を映し出していた。
To Be Continued
最後までお付き合いくださいまして誠にありがとうございました。
次回もお楽しみに!