〜 古き魔術の森 〜 第十三話
☆第十三話
◆恋模様
深き古の森アカデメイア。
そこは広き森。天空まで延びる塔が立ち、その森に入る者たちを拒む異種族の女王が住まう森。
何時しか、人々はアカデメイアの森を“異端者の森”“異種族の森”“逸脱者の森”と呼び、決して踏み入ろうとする者はいなかった。
――近年までは。
もう一つ、この世界の何処かに草木一本生える事のない鉄の屍が無数に転がる死した大地が在るのだと云う。
チッチの状態が悪化し結局、アカデメイアの森に入ったところに天幕を張り、様子を見る事になった。張っていた天幕を片付け始めるチッチを見て制止する一同。
意識を取り戻しスライムのようになっていた身体も元に戻ったチッチの容態を鑑み『少し休んでから行こう』と言う皆の制止を聞かず、チッチが深きアカデメイアの森の中へと先陣を切った。
森の木々に遮られ、陽の光を大地まで届かせない。
松明やランプが必要なほど、暗闇に包まれている訳ではないが月明かりに照らされ視界の良い蒼い夜に近い。
夜目の効くチッチが先頭を行く事は一行にとっても心強い。殿はシオンが勤め、チッチの後にルーシィー、アイナと続く単縦陣形を取り、道無き道を進んで行く。
日当たりが悪いせいか、下草は長くても膝程度の高さ、地面は湿り気を帯び滑り易い。
森の木々の間に時折、見る石膏に似た建物らしき残骸の壁が茶色く苔むし無残に散らばっている。その惨状からは戦の痕が見て取れる。
「酷いですぅ……」
アイナは思わず目を被った。
目蓋に焼き付いている旧カストロス王国の荒れ果てた城下や空から見た領地の街並みを見ているように錯覚を起してしまいそうになる。
この瓦礫の街跡で何千もの命の火が消えたに違いない。
辛辣な表情を浮かべるアイナを察したシオンが肩を抱いて諭している。
「どうしたの? アイナちゃん?」
アイナの様子を心配したルーシィーが尋ねた。
「思い出したんだと思う。旧カストロス王国跡を見た時の事を」
答えを返したのはシオンだった。
チッチが辺りの様子を探り出した。
耳を澄まし神経を集中している。
「もう少し先に大きな水の流れが聞き取れたから、そこまで行って少し休むかぁ。オレンジパイ? この場では辛そうだしなぁ。けど、お前が心痛める事じゃない」
「なんだと! お前、こいつの気持ちも何も知らないくせに、知ったような事を言うじゃねぇ!」
激高するシオンをルーシィーが宥めに入る。
「確かに酷い惨状ね。でも、チッチくんの言う通り、アイナちゃんが心痛める事じゃないわ。アカデメイアの森には、こんな惨状が幾つもあるの。過去に文明を持った者たちの戦場跡がね」
「こいつは……敏感なんだ」
「知っている」
チッチは、アカデメイアの近くで戦った聖十字とルーシィーの命を気遣うアイナを思い出す。
「生けとし生きるものの、命の灯火に」
「それは知らなかった」
「……うん? アイナの何を知ってるんだ? お前は」
「お前が気にする事じゃない」
「いや、何だかとっても嫌な予感がするんだが……アイナ? こいつに話したのか?」
横に小さく首を振り、チッチの方をチラリ、と見るアイナの顔がほのかに赤らんでいる。
「何だか……へヴィな展開が起きていた予感がするぜ」
「す、少し疲れたですぅ。でも、もう少し頑張るですぅ……川のあるところまで」
「そうだなぁ。ちょっと早いけど、今日はそこで天幕を張って夜を明かすとするかなぁ。現在地も知りたいし、夕飯の支度もあるしなぁ、腹が減っては、何んとやらって言うから、それに急ぐ事と無茶をする事は違うからなぁ」
チッチの笑みがアイナに向けられる。
「い、いっっも無茶をするのは、チッチの方ですぅ! お前なんぞに説教じみた事なんぞ言われたくねぇですぅ」
「何だ。意外と元気じゃないかぁ。少しと言ってもこの森の中だ川までは、まだ大分歩く事になるなぁ」
チッチはアイナに微笑を向けた。
「そ、そんなぁ……ですぅ! 右眼包帯のおばかぁ!」
アイナは怒りながらも表情は笑顔を浮かべていた。
川に近付くに連れ、陽の光が増していく。
どうやら川沿いは結構な広さの河原がある予想がついた。
一行が河原に着いたのは、まだ陽が沈むには十分時間がある。
「綺麗な水ですぅねぇ。ルーシィー水浴びをしに行くですぅ」
「確かに森の中は湿気も多く暑かったから汗をかいたし水浴びはしたいけど……」
ルーシィーが野宿の準備を始めているチッチとシオンの方に眼をやった。
「大丈夫ですぅ。アイナがきっちり話つけてやるですぅよ。シオンに右眼包帯! 良く聞くですぅ! これからルーシィーともう少し上流に行って水浴びをしてくるですぅから、夕飯の支度をしておくですぅ。もしも……覗いたらアイナの魔法で、まるっとこんがり焼きあげてやるぅですぅ。けっけっけ」
眼光鋭く不適な笑い声を上げるアイナを見たチッチとシオンは静かに頷いた。
アイナとルーシィーが上流の方に向った後、天幕を張り終えたチッチとシオンは夕食の準備をする事になる。
「重要な事を聞くが、得体の知れない森に入るのにお前たちは保存食を用意してこなかったのか?」
シオンが当然の事をチッチに尋ねた。
「持って来たに決まってる」
「で、その保存食は? お前たちの荷物の量から、然程の量を持ってないようには見えないんだが……」
「心配するなたっぷり持って来ている。水も」
「で、それは何処にあるんだ?」
チッチがアイナたちが向かった方に目配せを送った。
「……そう言えばアイナが持って行ってるかなぁ」
「待て! あいつ、そんなに荷物を持っていかなかったぞ」
シオンは、アイナ持ち物を思い浮かべた。
厚目の布で拵えた、大き目の肩掛けの鞄だけだった。
「心配はいらない。しかし、保存食はあくまで保存食だ。現地調達が出来る時は、なるべく使いたくは無い。幸いここは森だ」
「これから、食材を集めるのか?」
「そう言う事だ。俺は魚を捕って来る。お前は森で食べられる食材を探してくれないかなぁ」
「ちょい待て、お前は鼻が利く食べられる山菜を探すのは、お前の方が適しているんじゃないか?」
シオンも山菜を見分ける事は苦手ではない。
ガーディアンの依頼をこなしている内に、その身をもって覚えた。
しかし、何故かチッチを川に向かわせる事に嫌な予感を感じた。
「俺は魚を捕る方が得意なんだよなぁ。無手体術をアスカって人物と修行させられていた時、無我の境地を悟った! ような気がしたんだぞ! 溶け込むような感じで自然と一体化し魚を脅えさせる事無く手掴みで捕まえられるといいなぁ、って思えるほど修行したんだ。アスカって人物にどつき回されながらなぁ」
「いや、俺の方が魚を捕る事に関して優れてる。お前、魔法は使えるか?」
「からっきしだ」
「川に電撃系の魔法を放てば、電撃のショックで痺れた魚が浮き上がり一度に沢山の魚を確保できるから、俺の方が適してる」
「お前、馬鹿だろ? 川に電撃を流せば水浴びをしている、二人も巻き添えを喰うんだぞ。だから、無我の境地を極めたような気がしている、俺が魚を捕る役に回る」
「何故? そこまで魚捕りに拘る?」
シオンの冷ややかな視線がチッチに向けられる。
「お前こそ何故なんだぁ?」
「自然に溶け込んだ振りをして、アイナの裸を覗こうと企む輩の阻止だ。だから、お前が山菜を捕りに行け」
ニヤリと、意味ありげに勝ち誇った笑みをチッチは浮かべた。
「はぁ! 貴様! まさか!」
「ふっふっふっ……どうだかなぁ」
陽も大分、西に傾き木々が陽の光を遮り始めている。
気温も心なしか寒く感じ始めた。
「気持ちよかったですぅ――」
「そうね。すっきりしたよね」
二人が揉め合っている内に、アイナとルーシィーが話し声が聞こえ始める。
「気温も下がり始めて寒くなって来たですぅ。早めに野宿の準備に入って正解だったですぅ」
「そうよね。陽が沈むまで森の中を歩いていたら、寒くて水浴びなんて出来なかったかも、チッチくんの起点が良かったのね」
二人の会話に反応するチッチとシオンが再び揉め始める。
「お前も承知の通り俺は鼻が効くし幼い頃、母さんと森の中で暮らしていた。毒のある食物に関しての知識が豊富だ。だから、俺が山菜を採りに行って来よう。シオンが強く望むなら魚捕りの役目は涙を呑んで譲る事にする」
チッチが一転して山菜を採りに行くと言い出した。
「何を言っているんだ。お前は無我の何たらに目覚めたぽい事を言っていたからな。修行を兼ねているんだろ? その胸中を察して魚捕りを強く望むお前の願い通りにするさ。だから、俺が山菜取りをしてやる。それに俺も森での食糧調達には自信がある。ガーディアンは依頼の為に森の中に巣くう魔物退治で何日も篭もる事がある。旅と違って戦闘が目的だ必要最低限の荷物しか持っていかないからな。森で獣を捕る罠の知識も身に就いている」
シオンも自分の言い分を変えた。
「それなら、俺の方が長けている。山羊飼いは人々に疎まれ、偏狭の地を旅して来た。獣の罠を張る事なんて朝飯前なんだぞぉ」
「俺は牛ほどもある巨大イボイノシシを捕った事がある」
「俺なんか兎の罠で人間を捕まえた事があるんだぞぉ」
「……人間?」
「ああ、アウラだ」
二人がいがみ合っていると水浴びを終えた二人が戻って来た。
「何揉めてるですぅ?」
二人の言い合いを不思議そうな顔をしたアイナが覗き込む。
「腹減ったですぅ――。水浴びの帰り道で薪になる流木を拾って来たですぅよ! 大きな流木もあったですぅが、アイナたちの力では持ってこれなかったですぅ。シオンとチッチで拾って来て欲しいですぅ」
「俺たちは、これから食材の現地調達に向うところだ。流木はその後で拾いに行くから、小さめの流木をもっと集めて置いてくれないかなぁ」
「食糧なら、いっ――ぱい! 持って来てるですぅ」
一行の荷物の少なさにシオンは戸惑っている様子で訊く。
「何処に沢山の食糧を入れて持ち歩いてんだ?」
「ふぅふぅふぅ……それはですぅねぇ――、ここにですぅ!」
アイナが右手の袖を捲り上げた。
「あっ! 俺のブレスレット!! 何処にいったのか、何処を探しても無いはずだ。てめぇが持ち出していやがったのか! 返せアイナ」
顔色を変えたシオンが慌てた様子でアイナに向い突進して行く。
「きゃぁ――! 助けてですぅ――、チッチ」
チッチの後ろに隠れるようにアイナが回り込んだ。
「いいから返せってんの! それには俺の大切な――」
アイナ冷めた視線を感じる。
「女の裸が浮き上がる魔法の小箱が入ってるですぅか?」
「お、お前……あれの使い方分かったのか?」
「旅に出る前ブレスレットを弄くっていたら、飛び出して来たですぅ。魔法の小箱に小さな黒い板を差し込んで弄くっていたら、裸の女が飛び出して来て仰天ですぅ……まったく! シオンはアイナより魔法の小箱に隠している女の方が良いのですぅか? それも何人も! べ、別の女をた沢山隠して!」
「いや……あれはだな」
「言い訳なんて聞きたくねぇですぅ。べぇ――だですぅ。ふん!」
「だから、あれは――」
「聞きたくない聞きたくないですぅ! シオンの浮気者!」
「何だよ! 自分の事は棚上げしてよぉ」
「な、何の事だかですぅ……」
「あいつと何かあったのかよ!」
「べ、べつにですぅ……、ちょいとお前さん! あれは、まだ人間ですぅ。シオンのは裸の女が如何わしい格好をして、あ、あんな事やこ、こんな事を……」
アイナとシオンが口喧嘩を始めた。
チッチの傍にルーシィーが近付き、話し掛けた。
「ねぇ? チッチくん」
「何だぁ」
「貴方たちって随分、複雑な恋愛関係にあるのね?」
「恋愛?」
「まあいいわ。浮気は男の甲斐性って言うしアイナちゃんだって恋多き年頃だけどね。だからと言って何人もの女と関係を持つなんて事、許せると思ってるの? 女だって我慢にも限界があるのよ? 精々、大切に想う人を失わないように、とだけ忠告しとくわね」
「何だか、良く分かんないけど、一応聞いておく事にするかなぁ」
ルーシィーは暗くなり始めたアカデメイアの森の中で、恋の行方も迷い始めているように思えたのだった。
To Be Continued
最後まで読んでくださいまして誠にありがとうございました。
次回もお楽しみに!