免許皆伝
体外魔素の循環を習ってから1ヶ月、大河は魔導の習得に勤しんでいた。
まず覚えたのが魔導の基礎である身体補助と身体強化だ。2つともサポート用の魔導である事に変わりはないが、2つの間には明確な違いが存在する。
身体補助とは、主に魔素に硬化の性質付与をした魔導である。これを体表面に展開して甲殻類の外骨格のようにする事で体を保護することが主な目的である。
別の使い方があるとすれば、長時間同じ姿勢を維持する必要がある際などに関節周りまで固定したり椅子のように展開する事で体にかかる負荷を低減できるくらいだろう。
一方で身体強化とは、主に魔素を体内で展開する。この際に筋肉や骨の代替となるような性質を付与する。これによって、魔素を用いた擬似的な内骨格と筋肉ができるので、細身の人間でも、人間の肉体では出せないような怪力と俊敏な動きを実現する。
身体補助では、硬さや形状が一定になるように性質付与を行えば良いが、身体強化は各部位の柔軟性や自分の動きに応じた形状変化を反映させる必要があるためより上位の魔導とされている。
当然、この魔導に注ぎ込める魔素の量は魔導師の技量によって異なるので、外骨格の強度や筋力の増強具合にも優劣が存在する。
その他の魔導として大河が覚えた物は、一般的に認知されている生成魔導の4つである。すなわち、火、水、土、風を魔導で再現して自在に操る魔導である。
これらの生成魔導には得手不得手が存在するものだが、基本的な魔導であれば努力如何によって習得できると言われている。
現在大河は、この努力如何で誰でも習得可能と言われるレベルの魔導を一通り使えるようになったのだ。
「大河様、先の一ヶ月からは想像もつかないような一ヶ月間でした。よくここまで、私の指導に耐えてこられましたね。魔導の修練に終わりはありませんが、魔導師としての基礎は全て修められたと思います。」
スイロンが感慨深そうに話す中、大河はまるでそこが定位置であるかのように地べたにうつ伏せに這いつくばっていた。
「ごっ、ごふっ」
これが返事なのか、単にむせただけなのかは分からない。いずれにしても大河は、膝をついて四つん這いの状態になりようやく上半身を地面から持ち上げた。
服の端は焦げた痕があるのに全身ずぶ濡れで足は微妙に地面に埋まっているように見える。
(スイロンさん強すぎだろ。全然敵わなかった。)
「今の模擬戦で、魔導の基礎は免許皆伝と言えるでしょう。本日は少し早いですが宿舎に戻られて構いませんよ。」
そう言って片付けを始めるスイロンに、大河は少しだけ興味本位で質問してみることにした。
「この世界の魔導師ってみんな俺くらいの魔導を扱えるものなんですか?」
その問いかけに、スイロンは改めて大河の方に向き直る。
「魔導師といってもその技量は様々です。エルドリア王国軍の大多数は、今の大河様くらいの技量の者が大半ですが、実戦経験がある上に団体戦術の練度が高いですからもう少し強いかもしれませんね。
他国の軍となると、身体補助や身体強化ができれば御の字というところもありますし、得意とする生成魔導を一つ使えれば良しとするところもあります。そういった者たちと比べれば大河様の方が優れた魔導師と言えるでしょう。」
スイロンの答えを聞いて大河はさらに問いを重ねる。
「じゃあスイロンさんくらい強い魔導師ってどれくらいいるんですかね?」
「私など大した者ではございません。エルドリア王国には私を含めて21人の3級魔導師が居りますし、4級魔導師の中にも3級魔導師と遜色のない実力を持つものが幾人か居ります。他国にも高名な魔導師が数名いると聞いています。」
「そっか、世界は広いんですね。でもそんなに沢山強い人が居るなら人類存亡の危機なんて誇張し過ぎな気がしますけどね。」
「そうでもありません。今はまだ確かな事は言えませんが、敵の実態が掴みきれていない以上、懸念材料が尽きないのです。他国の高名な魔導師の中には、そもそも魔の軍勢との争いに関わろうとしない者もいるそうですし、人理会議の国々も一枚岩ではありません。
エルドリアが余力を残す形で派兵をするのも、他国の動きを牽制することや、魔の軍勢が予期せぬ動きをした際に備えるという目的があるためです。」
「そうなんですね。」
(きっとこの世界は、魔の軍勢が居なくなっても人間同士でまた争うんだろうな。それに比べて俺の地元はなんて平和だったんだろう。一体何が違うというんだろう。)
そこでふと、大河は空を見上げた。
夕日に染まる空と雲。東の空には薄っすらと月が登り始めているのが見える。
(ああ)
大河は久し振りにまじまじと空を見上げた。一つとして同じ形はない雲。眩しいのにいつまで眺められそうな夕日。
(なんで俺、今まで地面に這いつくばってたんだろう。どうせ倒れるなら、いっそ仰向けに寝れば気持ちのいい空が広がってたのに。)
大河が空を見上げるのにつられて、スイロンも空を見上げる。
「綺麗な夕日ですね。」
「はい。本当に。」
(懐かしいな。あの空が。)