※団長様のひそかな混乱
※リュシアン視点です
部屋に戻るまでの記憶が、ところどころ飛んでいる。
それでも帰り着けたのは、オルヴェの所から自分の部屋まで、三日に一度は往復するからかもしれない、とリュシアンは思った。
部屋の隣は執務室になっている。そこにまだ人がいたのだろう。隣と繋がる扉がノックされた。
「リュシアン様、戻られたのですか?」
「ああ。もう休むから、お前も下がれ」
隣の部屋にいたらしい、イーヴァルが声をかけてくる。けれどできれば一人でいたい。
「……承知いたしました」
リュシアンの声が疲れ切っていたからだろうか。イーヴァルは特に何も聞かず、早めに引き下がってくれた。
深いため息をついて、ソファに座る。
そうしてつぶやく。
「必要な措置だった……」
どれだけ魔力が足りないかわからない状態のまま、自然に治るのを待っていては、後で何か問題が起こる可能性もある。
しかし、後ろめたくなるのは仕方ないと思うのだ。
無防備に寂しいとすがって来るユラに、必要もなく額に口づけたのだから。
「別に手でも良かったはずだ」
どうしてそんなことをしたのか、考えて思い出すのは、リュシアン自身の祖母のことだ。
まだ幼児の頃は、そんな風にあやされた。
だからユラが子供のように寂しがった時に、そんな対応しか思い出せなかったのだと……思う。
そもそも彼女を拾った時、面倒をみてやらなければと思ったのは、祖母を呼ぶ彼女の声が、心に引っかかってしまったからだった。
彼女が祖母を恋しがって泣いているのを見てからは、同情の量は増した。
リュシアンにも祖母がいた。ずっと自分を守ってくれたのは祖母だけで。だからユラを、共感できる相手としてこの時認識したのだと思う。
そのユラは、平素は放っておいても大丈夫なほど元気で、特殊な能力を使ったお茶で眠らされたりもした。
リュシアンもあれは多少反省した。よく考えずに子供の作ったものを口にするような気分だったのだ。
一方でユラ自身も何が起こったのかわかっていないようだった。
ユラは不思議なことに、新しい味の茶を作り出し、それに魔力を込めることができる。
それどころか、精霊が視え、言葉がわかるようになったという。
自分と同じように精霊が見える人間を見つけて、本来ならば喜ぶべきなのだろうと思う。
でも……リュシアンは不安になった。
精霊が見えることで、リュシアンは彼女に酷い光景を見せることになるかもしれないからだ。
それは精霊を殺すこと。
消滅させたり、その力をはぎとって苦しめることさえできる。
精霊が見えるとはしゃいでいる彼女は、それを見たらリュシアンを嫌うのではないだろうか。
もしくは、教会の人間のようにリュシアンを過剰に畏れるかもしれない。
そう思ったのだけれど。
副団長に憑いていた混乱の精霊。
これを精霊を追い払うアイテムの作成のために、どうしても殺さなければならなくなっていた。
ユラは、泣くだろうと思った。ふわふわと酔っぱらったようになった精霊を心配そうに見ていたから。
その時、嫌われたくないと思った。いつもなら平気だというのに。
しかし代替案は一つしかなかった。それも精霊があれこれと話さなければ、気づかなかっただろう。
でも難しい選択には変わりない。
けれど彼女は、迷う様子も見せなかった。
自分が負担を背負ってもいいと、あっさり決めてしまったことに驚く。
……消滅させてくれればいい。あとくされが無い上、一番簡単だからと言われてきたリュシアンにとって、そこまで言う人間はとても珍しかった。
と同時に、リュシアンはほっとする。
彼とて精霊を殺したいわけではない。けれどそうする以外の方法がないだけなのだ。
同時に、ユラはもしかしてとてつもなく強いのではないかと思えた。
とにかくユラから、精霊の魔力を引き出すことになった。
魔力を奪った後には休息が必要になる。そう思って、彼女の部屋へ移動した。
部屋に入る時は、ほんの少し言ったことを後悔しかけたが。
他の騎士のように考えて指示していたけれど、ユラは女性だ。その部屋に入るのだということを失念していた。
それでも作業がある以上は、ためらってもいられない。
やや甘い香りがするユラの部屋に、緊張を押し隠して踏みこむ。
精霊の拘束は簡単に済んだ。
そしてユラから魔力を引き出した時……。精霊と完全に融合していたらしい彼女は、精霊の記憶に引きこまれて眠ってしまう。
魔力の方も、思った以上に引き出すことになってしまって、リュシアンの方がぎょっとした。
彼女の髪の長さは、予定以上には短くはなっていない。
なのにリュシアンの手に集まる魔力が多すぎたあげく、完全な元の植物の姿に戻って行った。
精霊は魔力で出来ている。融合したから精霊としての記憶も残っていて、そのため復元力が残っていたのだろう。
心は消滅したから、精霊の姿には戻れないようだったけれど。
ユラをそのまま椅子に座らせておくのは危険なので、寝台に運ぶ。
けれど抱き上げた時に、完全には気を失っていなかったのだろう。
うっすらと目を覚ました。けれど、様子がおかしい。
寂しい、寂しいと言う彼女は、魔力を引き出すときに表出した精霊の記憶に、気持ちが引っ張られたようだ。
なんとか戻そうと、なだめながら彼女に魔力を戻そうとした。
最初は、精霊にするように行えばいいのかと思った。けれど彼女の体は人間のものだからか、上手くいかない。
そこで思い出したのは、過去に精霊がリュシアンに教えたことだった。
人は魔法の言葉と一緒に、自分の中の魔力を手や口から発散するのだと。
だから口づけた。
でもそうするなら、別に手に試してみても良かったはずだった。
なのにどうしてもユラの顔から視線が外せなかった。
つい、言い訳を口にしながら、その額に口づけたのはどうしてなのか。
無事に魔力を移すことはできたけれど、あの精霊の魔力が表面に浮き出すのか、ユラの体から樹の匂いが薄らと香る。
心引かれる香りに、慌てて離れた。このまま一秒でも長く側にいては、大変なことになりそうで。それを夢うつつのユラが認識していなくて良かった、と思った。
ユラの方は、魔力を得るのと同時にリュシアンの気持ちを感じ取ったと言う。
だから安心したと微笑む彼女に、ほんの少し息苦しい気持ちになる。
先にリュシアンに安心を与えたのは、ユラの方だ。
ずっと精霊を殺すしかなかったリュシアンに、たぶん初めて、精霊を殺さずに済ませる方法を与えてくれた。
それも精霊融合の術を使われた、ユラでなければできなかったことだ。
しかも彼女は、危険かどうかなど全く考えなかった。
だから言ってしまったのだと思う。恩を返す気持ちで。
「お前が忘れても必ず守る。いつか守ってくれる誰かを選ぶまでは……」
言ってしまってから、少しだけ後悔の気持ちが心の端をかすめる。
それがどうしてなのかはわからない。
ユラと対する時、リュシアンは時々自分の気持ちがわからなくなる。
寂しがっている子供のように扱いたい、それだけだと思っていた。でも自分の行動がそれを裏切っている。
とりあえず明日、普通に接するために気持ちを落ち着けるしかないな、と思ったのだった。




