異変そしてイドリシア入国
問題が起こったのは、翌日の朝だ。
「えっ、何!?」
悲鳴を聞いた気がして、私は飛び起きた。
耳を澄ませても、虫の声と、絶やさずにいた焚火の木が燃える音しか聞こえない。静かだ。
「夢……かな」
そんな風に思ったけど、ふっと空気が変わった感覚にテントの中から這い出た。
辺りは夜明けになる直前。
日は昇っていないけれど、空は藍色から淡い紫に染まり、だんだんと明るくなっていく。
でも空気に緊張感がある。ざわざわとした気持ちが収まらない。
「一体何が……」
周囲を見回すと、すでに起きていたらしい団長様が、他の見張り番の騎士達と話をしていた。
やがて私に気づいてやってくる。その団長様の表情もやや厳しいものだった。
「団長様、何かおかしい気がして……というか、悲鳴みたいなものが聞こえたんです」
「私も聞いた。おそらくは、精霊の悲鳴だ」
「精霊の?」
どうしてそんなことに、と思っている私は、団長様の肩にすがっている精霊の姿を見つける。うす緑色の鳥みたいな、風の精霊だ。
目にいっぱいの涙をためて、団長様の服に顔をこすりつけていた。
「泣いているんですか……?」
「この精霊の悲鳴ではない。他の精霊の悲鳴に感化されて、嘆いているんだろう。今、状況を精霊に尋ねている」
それを聞いて、私は自分もステータス画面を開いて精霊の声を見えるようにした。
《風の精霊A:どうして、なんで殺すの……》
精霊が殺された!? あまりのことに私は目を見開く。
誰が、どうして。
答えを求める私の前で、団長様に他の精霊が近寄ってくる。
《風の精霊B:もう一人の魔女が殺しちゃったの》
《風の精霊C:魔女の仲間が殺しちゃった》
《風の精霊B:みんな魔力を搾り取られる》
《風の精霊C:魔力で精霊も大地も殺される》
「魔女が……!?」
もうメイア嬢が動き出してるの? 魔女がどこかへ攻撃を加えているとしたら、何のクエストだった?
西の国を襲撃するクエストならまだわかる。文字だけで、すでに実験済みという話が書かれていた。
その次の、アーレンダールへの攻撃まで行われた?
だとしたら、プレイヤーがアーレンダールとタナストラの紛争に駆り出されるクエストが始まってしまう?
え、でも。
「早すぎる……」
メイア嬢が移動したのはほんの一週間前のはず。なのにもう、魔女としてのクエストを起こしたの?
私のつぶやきを、団長様は『メイア嬢の活動開始が早すぎる』と解釈したようだ。
「すでに魔女達は、タナストラで自由に行動できているんだろう。人質という名目で移動したのだから、まだ動けずにいると思ったが……。こちらの行動を察したら、すぐにもイドリシアへ来るかもしれない。急ごう」
団長様の決定にうなずく。
そうして私達は出発した。
イドリシアまではすぐだった。
十分も空を飛ぶと、国境を通過したと聞かされる。
だけどぱっと見ではわからない。
森のどこからが、イドリシアなのか判別がつかなかった。
そう、イドリシアは山に囲まれた、盆地のような土地だった。途中までは山道に沿って村があり、山を越えると平らな土地が広がるが……ほとんどが、うっそうと茂った森になっている。
空からだと、森の中にぽつぽつと町や村の跡が見えた。
が、煮炊きする煙も何も見えない。
私は団長様の竜ヴィルタちゃんに乗せてもらっていたのだけど、魔女が動き出したことと精霊が殺されたという衝撃、それにイドリシアの異様な空気に、団長様とのあれこれが頭からふっとんで、冷静に上空から様子を見渡すことができていた。
それぐらい、イドリシアの様子はおかしかった。そもそも空気が緊張をはらんだままに感じられて、落ち着かない。
「イドリシアって誰も住んでいないのですか?」
上空からだし、はっきりと人の姿が見えないけど、煙突から煙も上がっていないのはおかしい。
食事の時間じゃなかったとしても、鍛冶をする店とか、常に火を扱うところはあるはずなのに。
「イドリシアの国民は、ほとんど国内にはいないだろう。なにせ半数がタナストラに殺され、四分の一がタナストラに捕まり、あとはばらばらに散ったらしい。そのうちかなりの数がアーレンダールへ逃げてきた。おかげでアーレンダールは容易にイドリシアの亡命者を受け入れられなかったのだ」
「……大量の移民者を受け入れるのは、難しいですよね」
国の人口はけっこう多い。
もちろん、前世の日本なんかとは比べるわけにはいかない。魔法はあるとはいえ、科学が発達していないから色んな病気も直せないし、治療法はかなり前時代的なものだ。
食料生産についても、効率よく収穫できる物ばかりではないので、あちこちの国で時折食料難だとか麦が値上がりしたという話はよく聞く。
何よりも魔物の存在がネックだ。
討伐者や騎士が巡回していても、死亡者はけっこう多い。元々私の暮らしていた町でも、毎年数人は死者が出て、怪我人もいた。
だからアーレンダール全体でも、人口って五百万人よりは少ないんじゃないかな。
小国のイドリシアだと桁が少ないだろうから……。というか、盆地で暮らせるだけの人数なのだから数万人程度の規模かもしれない。
その半数を殺してしまったと聞くと、ぞっとする。
ただ疑問はまだある。
「なぜタナストラは、イドリシアを放置したままなんですか?」
普通、侵略をしたらそこに人を置くと思う。
兵を駐屯させたり、国民を追い出したのだから自国民を入植させるだろう。そもそもは、はるか昔の国土回復を目的にしているらしいし、だったら国民を移住させていると思ったのだけど。
「イドリシアに関しては、それができなかったのだ。聞くところによると、イドリシアの王が国を襲撃された時に、イドリシアの人間以外を排除するべく魔術を使ったという。そのせいで、タナストラの人間は入れなくなった」
「排除する魔法って……呪いみたいなものですか? 私達、大丈夫なんですか?」
そんな魔法がかかってるなら、一時滞在でも魔法で攻撃されたりしないんだろうか。
いや、でもゲームでは普通にイドリシアに入れたはずだし。
首をひねる私に、団長様が言う。
「その魔法は、結界のようなものだろう。おそらくは精霊によって選別される。私達はイドリシアの人間ではないが、お前は精霊に呼ばれていると言っていたな? イドリシアの精霊を救ってくれと。それなら道は開かれるだろう」
「なるほど」
メイア嬢達が出入りできるのも納得だ。彼女達もイドリシアの人間だ。いや、メイア嬢は厳密には違うけども、血を引いているのだから同じことだと思う。




