忘れていてほしかったんですが
団長様に近づくのは、やっぱりためらわれる。
でも話をするのに支障がある距離ではないと思うので、よしとする。
団長様は思い切り不審そうな表情をした。
「茶を魔物に与えて回っていたのだろう? もう終わったのか?」
「いえ、まだです」
「では行こう、次はどこだ?」
「あちらの方に二十歩ほど進んだ所です。目印にリボンを近くに結んでいるんですが……」
聞いた団長様は、さっさと私が教えた方向へ足を向けた。
あっさりした態度に、私はほっとしつつ後を追う。
団長様の側を歩いても平気にはなったけど、今度は疑問が持ち上がる。
私もアレを『なかったこと』という風に対応していたけれど、団長様はどういうつもりなんだろう。
あれナシねと言うつもりなら、どうしてき、キスなんてしたのか。
気の迷い? でも気の迷いで私なんかにキスをする? それこそ信じられない。
そこで私は自分の頬をつねる。考えちゃだめだ。今は魔物とのチャンネルを開通させなければ。
私は団長から三歩ほど離れつつ、お茶を撒いていく。
五匹、六匹、七匹……そして全部で十匹の魔物の株の根元にお茶を注いだ。
「どうだ?」
「ええと、ちょっとお待ちくださいませ」
団長様にそれとわからないように、ちょっと斜めにステータス画面を出して、横目で確認する。指でタッチしていくから、不審な動きすぎるもの。説明もしづらいし。
画面を開くと、すぐにポップアップウインドウが出て来る。『チャンネルAが追加されました』右端には、しっかりと新しいチャンネルAが、赤く光っていた。
成功だ!
「あ、やりました。魔物と話せそうです!」
「そうか。よくやった」
ねぎらいの言葉に振り向くと、思いがけないほどすぐそばに団長様が立っていた。
「うわっ」
思わずのけぞって倒れかけた私を、団長様が腕を捕まえて止めてくれる。
「ありがとうございます」
お礼を言って離れようとしたのだけど……団長様が、私の腕から手を離してくれない。見上げると、団長様はじっと私を見下ろしていた。
「何を気にして私から距離をとっているのかはわかった。……嫌だったのだろう? お前に謝っておきたい。すまなかった」
頬が一気に熱くなる。団長様は、あのキスのことを言っているってすぐにわかったから。
「え!? その、嫌とかそういうことでは……」
嫌だったわけじゃない。
そしてこんな言い方をするのだから、団長様はその気があっての行動だったんだろう。
でも未来がない関係とか、どうなの? たとえばベアトリスさんが言ったように、今回のことを解決できた後で私が爵位をもらえたとする。でも魔女であることは変わらない。
だから……。
「でもああいうことはちょっと。ぺ、ペット扱いなのはわかっていますけれど」
こういうことにして、自分の気持ちを治めたい。
そして言葉にされない気持ちを、都合よく団長様が全て察してくれるわけではない。
団長様は、意外だと言いたげに眉を跳ね上げた。
「まだ犬猫と同じ扱いだと考えていたのか。……お前が私を嫌ったのかと」
「そんな! 団長様を嫌うなんてことありえません。団長様は恩人ですし、保護者ですし」
「だが、ペットだからと何をしても大人しく受け入れるのか?」
「さすがにそういうことではなくて」
「大人しく受け入れたのは、他に理由があると考えていいのか?」
「…………」
この質問には答えにくい。
黙っていると、団長様がさらに尋ねた。
「私ならいいと、そう思ってくれているのか?」
団長がもう一方の手で、私の頬に触れる。
ちょっ、その質問に答えられるわけないじゃないですかぁぁ! いいと思ってたなんて言ったら、キスしてもいいって私が考えていたことになるんでは!
でも待って私。嫌じゃないなんて言ったんだから……。え、私もう……墓穴を掘って……。
「あの、その、う、うわぁぁぁぁぁあっ!」
私は逃げた。逃げて自分の部屋に帰って、そのまま座り込んでしまう。
なんてこと、なんてこと!
これじゃ告白したみたいなものじゃないの!
「うあぁぁぁぁ」
顔を手で覆ってうめくしかない。
恥ずかしい、もう一度顔を合わせるのが怖い。だって好きだって言ったようなものだもの。
「好き……うああああああぁぁぁ」
つぶやいてその恥ずかしさにもう一度うめく。
だけどそうなんだ、と心に水滴が落ちて、水面になじんでいくように思った。
私、団長様のことが好きなんだ、と。
ずっと考えないようにしていた。最初は元ひきこもりだった記憶から、自分をそんな対象に見てくれる人なんているわけないって思って。その後は、魔女だとわかっていてそんな風に思うわけがないって。
でも団長様が、あんなことをして。フレイさんまで色々と言い始めて、否定できなくなってしまった。それでも好きだとは考えないようにしていたけど。
一度そう思ってしまうと、もう取り消せない。
「だって気をつかってもらって、優しくされて、信用してる人にあんなことされて……。気にならないわけないじゃない」
何より紅茶を好きでいてくれる。最初から、信じて飲んでくれたし、一緒に眠りこけてしまった事件だって今はいい思い出だ。
できればずっと、あんな風にかかわっていきたいとずっと思ってる。恋人とかそういう関係にならなくても、側で見ていられたらそれで満足だと思うくらいに。
そんな人に好きだと示されて、ずっと否定し続けられるわけがなかった。私も言ってしまいたい。お慕いしていますとか、好きですとか。
だけど団長様のことを思うなら……。
「ペットにとってのご主人様ってことで、通そう。まだしらを切れるはず」
ハッキリと聞かれたら、好きじゃないと言うしかないな。
さもないといずれ団長様から離れた時に、私のことを探させて、迷惑をかけることになってしまうから。




