※団長様の何かが変わった日
――それは、衝動的にしたことだった。
「万が一のことがあれば、お前の意見を聞かずに王宮から連れ出す。そのつもりでいろ」
念を押すように言ったのは、ユラが大丈夫だからと真剣に取り合っていないと感じたせいかもしれない。
もちろん、ユラも内心では怯えていたはずだ。だから余計に意地になって、他人のことばかり考えようとしたのかもしれない。
でも今回ばかりはうなずきたくなかった。
何があってもユラを逃がすと、その気持ちは絶対に変わらないことを本人にも認識させたくて。
「考え直してくださ……」
なおも続けようとした言葉を、無理やりに止めさせた。
口を塞いでもよかった。でも自分の気持ちの強さを、それではわかってもらえないような気持ともどかしさから……彼女にキスしてしまった。
あたたかな吐息と甘く誘うような感覚に浸りそうになって、そんな自分に慌てた。
自分の顔の熱さがユラにもわかってしまうのではないかと気にしながら離れた時には、ユラが嫌がって怒るか泣き出すのではないかと思ったが。
……彼女はものすごくぼんやりしていた。
そんなに……驚いたのだろうか。自分もたいがいだが、たしかにユラの方も恋愛事は苦手そうだった。
しかし怒っている様子もなく、嫌がっているわけでもないらしい? そこはほっとしたのだが。
一方のリュシアンと言えば、だんだんと顔の熱が上がっていくような感覚が消えない。
おかしい。自分はこんな人間だっただろうか?
今までは恥ずかしがったり、慌てるユラを見て楽しんでいたぐらいだった。
いつもの自分なら、これでユラはしばらく離れていたとしても、他の人間よりもリュシアンのことを度々思いださざるを得ないだろうと思うぐらいなのだが。
不可解ながらも話を先に進める。
もう時間がない。折よくイーヴァルもやってきたので、ユラに荷物をまとめさせた。
ユラについて行かせるのはフレイだ。
何があっても間違いなくユラを優先し、魔女である事情も知っているからだ。……個人的には色々と思うところもあるが信頼はしている。万が一のことがあって、フレイがユラを連れて国外へ脱出して戻らなかったとしても、彼ならと思うぐらいに。
「……しかしおかしい」
なぜこんなにも顔の熱が引かないのか。
やや不安そうな表情で護送の馬車に乗るユラを見送った後、オルヴェに診察を受けることにした。
すぐ第五棟に入ろうとするオルヴェを呼び止める。
「オルヴェ、少し体調を診てほしいんだが」
「どこかお悪いんですか? 珍しいですね」
確かに珍しい。あまり風邪もひかないので、なおさら戸惑っていた。
「熱っぽいような気がするんだ」
心配したらしいオルヴェは、その場でリュシアンの頭に触れて、診察のための魔法をいくつか使った。
「喉が痛いとかは」
「ないな」
「関節の痛みも?」
「それもない」
「なるほど……ん?」
オルヴェが三つ目の魔法を使ったところで、顔をしかめた。
「魔力量がどうも安定していないようですな。熱っぽいのなら、過多状態になっているのでは」
「魔力過多?」
どうしてこんなことにと思ったリュシアンだが、一つ思い当たる。
――まさか、ユラとのあれが原因か?
だが普通、意識しなければ魔力を供給されることはない。今までこんな風になったことはなかったのだ。
「とにかく早急に魔法をお使いになっていただいた方がいいかと」
「わかった」
ただどの程度魔力を使えばいいのか。
とりあえずヴィルタに乗って森にでも移動するしかない。
リュシアンはついて行くと言ってきかないイーヴァルを伴い、城近くの森の中に降り立った。
ヴィルタを遠ざけ、近くに寄ってきた魔物を一匹、二匹、と魔法のみで倒してみる。
「いかがですか?」
「あまり変わったようには思えないな……」
まだ熱っぽい気がしたままだ。
返事を聞いたイーヴァルが心配そうな表情になる。
「リュシアン様は精霊王の剣を持っているのですし、魔力過多ということには滅多にならないはずなのに……」
イーヴァルが言うのは最もだ。
持っている限り、リュシアンから精霊王の剣には常に魔力が受け渡されている。些末な数字と言える程度のものでしかないが、毎日確実に魔力が奪われているのだ。
もう何年もずっと。
だから魔力過多になる場合、すぐに剣に魔力が移動するはずだった。
「先だって、火竜の討伐に使ったばかりだから、剣も魔力が不足しているはずなんだがな」
「もっと多く移動させることはできないんですか?」
「あまりやったことがないんだが……」
この不調を早々に何とかしたい。ただそれしか考えずに、リュシアンは剣を抜いた。
でも鞘から剣を引き抜いたとたん、
ポポン!
と音がしそうな勢いで、剣先から三匹ほどの精霊が飛び出して地面に落下した。
「は?」
目を丸くするリュシアンの前で、精霊達は笑いながら飛び去る。
「どうかされましたか?」
精霊が見えないイーヴァルが不思議そうな表情で尋ねてきた。
「い、いや……」
なんと説明していいのか。精霊が剣から生まれたと言うべきか? ただ現れただけかもしれない。なので言葉を濁した。
代わりにすっと、熱が引いた。もう平常に戻った気がする。とはいえ剣を抜いたとたんに治ったというのも変だろう。
「やはり疲れもあるのかもしれない。まずは一度戻ろう……」
そう言って城へ帰ることにしたのだが。
「こんなところにおった。こら、精霊王の剣の持ち主。我が話があるというのにうろちょろしおって」
奇妙なことに第三者の声が聞こえる。
思わず周囲を見回せば、空から小さな火竜が舞い降りて来ようとしていた。
いらだったように翼をバタバタとはためかせながら宙に浮く火竜は「ぐぎゃぐぎゃ」と鳴き声をあげて、嫌がらせのように煙を吐き出した。
「人間どもの話は聞いておったが、魔女が連れて行かれた後はどうする気だ。あの魔女が我の住処を取り戻すと約束したのだぞ。我との約束はどうなるのか確かめようとしたら、お前まで姿を消すとはけしからん」
鳴き声と一緒に、そんな言葉が頭の中に響く。
なんだこれは。
「まさかお前、私に話しかけているのか?」
火竜に尋ねると、フンと鼻で笑われた。
「今まで我が誰に話していると思っているのだ? お前、あの魔女の魔力を受け取っているだろう。であればわざわざ我の術を使わなくとも、会話できるだろうと思って言っておるのだ」
わかったか、と火竜が胸を張る。
その様子を見ていたイーヴァルが「くっ……」とつぶやいて口元を抑えて顔をそむけた。
ああ、態度が悪そうでも小さな生き物なら可愛く見えるのか、お前……とリュシアンは言いそうになる。
イーヴァルの小さい動物好きは、もはや病気だ。この男を懐柔するのなら、まず第一歩として子猫か子犬を贈るのが効果的なのだ。
なんにせよこれでわかった。もう疑いようがない。
今までになくおかしなことが起こる場合、その原因はたいていユラだ。
「早々に王宮へ行かねば」
幸いなことに熱っぽい感じは引いた。
事務的な処理や留守の間の対応など必要な準備が整い次第、急いで王宮へ向かわなくてはならない。
まずは火竜に言う。
「数日で準備を終えてユラの後を追う。お前もついて来い。様子を確認できた方が安心なのだろう?」
「まぁ……そうではあるか。よかろう」
偉そうに答えた火竜は、またフンと鼻を鳴らして飛び立ち、リュシアン達も急ぎ城に戻って留守の間の準備などを始めたのだが。
しかしこれだけで終わらないのが、ユラのとんでもなさだ。
王都へ向かって出発しようとしたところで、精霊がふわりと二・三体寄ってきてリュシアンにささやく。
『ユラがお店を開いたよ』
『新しいお店!』
『とりあえず見守るってフレイが言ってたの』
『王様とお店経営するんだって!』
「なん……」
一体どうしてそうなった!?
精霊の話を聞いたリュシアンは、叫び出さなかった自分をほめてやりたいと思ったのだった。




