長女:春海の章2
螺旋階段を下りて地下へ。
狭い通路を通り抜けてランドリーと思われる部屋へ入ります。石造りの部屋には洗濯桶と、アイロンと思われる古めかしい作りの炭入れが置いてありました。
そこを抜けると隣の部屋は暖房室らしく、大きな暖炉があって、ほとんど灰になった薪の中で熾火が赤く燃えていました。暖かい部屋の空気に緊張が少しほぐれたのか、アキとわたしは荒い息を整えようと、壁際に肩を寄せ合ってしゃがみ込みました。
「……もうダメ。これ以上は足が動かない」
うずくまって震えるわたしに、アキは無理に笑ってみせました。
「軟弱だなぁ、ハルは。そんなんじゃ勇にぃのこと笑えないよ?」
「アキだって強がってるけど、足が震えてるじゃない」
「こっ、これはそのっ」
「いいの。全部わかってるから」
わたしがお姉さんぶって頷いてみせると、アキは口をすぼめて舌打ちしました。
「ちぇっ、ハルってば実は余裕なんじゃん」
「そんなことないけど……アキはいっつもはじめに頑張りすぎて、すぐへばるから……」
わたしの説明をアキは聞いていませんでした。アキは近くに積んであった薪の山へむかうと、そこから数本の薪を取り出して、暖炉へくべました。ぱっと灰が飛び散り、すぐに炎が上がります。
「とにかく今はあったまろ。ほら、おいで、ハル」
「うん」
わたしたちはランドリー室にあったシーツを拝借すると、それを二人で被って暖炉の前にしゃがみこみました。
パチパチとはぜる薪と揺らめく炎を見つめているうちに、わたしは気が緩んだのか泣けてきて、シーツに顔をうずめて鼻をすすりました。
「ハルったらまた泣いて。大丈夫、あたしがついてるじゃない」
アキが呆れたような声で言い、背中を撫でてくれました。これじゃあどっちが姉かわかりません。
「うん……ほんとう、一人じゃなくてよかった……」
「まったくだよ。持つべきものは泣き虫な姉かな」
そう言ってわたしをからかうと、アキは暖房室を見回して首をかしげました。
「ハルはここ、どこだと思う?」
「……わかんない」
「エゼルブルグ城じゃないってことは確かだよね。あそこがこんな風に人がたくさんいるはずないもん。ドイツのどっかのお城って感じかな」
「わたしもそう思う。けどそうなると、いつきちゃんと勇兄さんはどこ行ったんだろう」
「わかんない。あの時、ハル、どうなったか覚えてる?」
「覚えてない。本がぱらぱらってめくれて、笑い声がして……真っ白い光が」
「そんだけだよね。あたしもそこまで」
「わたしたち、人攫いにでもあったのかなぁ……」
わたしは小さな声で呟きました。アキが「まさかぁ」と笑い飛ばしてくれると期待して。
けれどアキも深刻な顔で答えるだけでした。
「攫われてきたとしても、なんとかしてあの鎌男から逃げないと。外は嵐だし、土地勘もないから森を抜けるなんて無理だし。今夜一晩はここに隠れてるのが確実かなぁー」
「でも、やっぱりお城の外に出たほうがいいんじゃないの? 助けも呼べるし……」
わたしの提案に、アキは呆れて答えました。
「こんな大嵐の森を歩いて抜けられるとおもってんの? さっきから聞こえる遠吠えが、犬のじゃないことぐらい気づいてるんでしょ」
「それは……」
わたしが口ごもったとき、パキンッと薪がはぜ、わたしたちは一瞬びくりと身をすくませました。すぐにアキが大きな息をつきます。
「ハァ――びっくりした。アイツが来るんじゃないかと思うとひやひやするわ。そこの扉についたてをしておくとか、できないかなぁ」
アキが立ち上がり、扉のほうでなにやらごそごそとしています。
一方、わたしはそのままそこから動くこともできず、じっと暖炉を見つめていました。
どのくらいそうしていたでしょうか。やがてわたしは暖炉の炎の向こう側の茶色い煉瓦がおかしいことに気付きました。
「アキ。この暖炉……なんか、変」
わたしは暖炉を指さして呟きました。
「どこが?」
「奥の煉瓦がスカスカなの。見て、ほら」
「ええ? どういうこと?」
わたしが示した場所は、漆喰がきちんと挟まっておらず、間がスカスカとしています。
「もしかしたら、この向こうに何か、空間があるんだと思う。何か隠してあるとか……」
「ちょっと待って。いったん火を消してみよ」
アキはランドリー室にあった水のはった桶を持ってきました。薪に水を注ぐと、ジュワッと煙と一緒に灰が舞い上がります。炎はすぐに消えました。辺りが暗くなったので、 わたしはスカートのポケットから携帯電話を取りだして、照明代わりにスポットライトをつけました。
「漆喰がないのってこの辺だよね――あちち、あちっ」
アキは暖炉をまたぐと、素手で煉瓦を触ろうとしました。
「はい、これ」
わたしが火掻き棒を渡すと、アキはそれで漆喰のない煉瓦の部分を突っつきました。
ゴトリ。
重い音がして、煉瓦がおもちゃのジェンガみたいにすっぽ抜けました。
わたしたちは顔を見合わせます。
アキは無言で煉瓦を突っつき、仕舞いには壁を突き崩してしまいました。
壁の向こうには結構な空間がありました。暗くてよくわかりませんが、小部屋のようです。
「結構広いかも。もしかしたら隠れられるんじゃない?」
アキが一仕事終えたというように額をぬぐいました。
わたしはその後ろからこわごわと中をのぞきこみました。
「隠れられそう?」
「うん。奥に何かあるみたいだけど。これってさ、いわゆる隠し部屋ってやつだよね? すごい! ゲームみたい!」
「しっ、静かに。……うん、入れそう。だけど……入る?」
わたしが気弱に問いかけると、アキも一瞬うろたえたように目を泳がせました。
「そ、そりゃ隠れられるんだもの。ちょっと暗いけどさ」
アキも自分の携帯を取りだし、それから舌打ちしました。
「ちぇー、圏外かぁ。せっかく海外でも使えるケータイなのに」
「そんなの今はいいから。早く入ってみてよ」
わたしがせかすと、アキは暖炉をくぐり抜けて隠し部屋へ入りました。
わたしもくぐり抜け、崩れた煉瓦を二人で慎重に積み直します。入口をしっかりと直し、隠したあと、わたしたちは暗い部屋の中でやっと一息つきました。
「ああもう、どうしたらいいの……」
また泣きそうになるわたしとは反対に、アキは携帯の明りを頼りに小部屋の中を探っていました。
「思ったより奥行きがあるみたい。けっこう広いよここ」
「そんなほうに行って、ネズミとか出たらどうするの?」
「そりゃ嫌だけどさぁ」
そう言いながら、アキは小部屋の中を隅々まで照らしていきます。部屋には物らしい物はなく、部屋の隅に布の塊があるだけ――
だと、思っていました。
「――きゃああああッ!!」
突然アキの悲鳴が響き、わたしは思わず目をみはりました。
アキの携帯が照らしていたのは、ボロ布の塊だと思っていた物体でした。
小さな明りに照らされたそれは、黒い服をまとった人間の骨――
白骨死体だったんです!
「これが噂の、子供の骨ってこと……? けど、子供にしてはでっかくない?」
と、アキがわたしに抱きついてきました。
「あれは壁の中って話だったけど……」
わたしたちは互いにひしと抱き合いながら、その骸骨を見つめました。
すっかりと毛の抜け落ちた髑髏。壁に寄りかかるようにして座っている胴体は、綺麗に肉がこそげ落ち、黄ばんで古くなっていました。着ているのは黒いトレンチコートに黒のスーツ、白いシャツ。締めているネクタイまで真っ黒です。まるで喪服のような……と思ったとき、わたしの脳裏にまったく同じ格好をした人物がひらめきました。
勇兄さん――次男の勇二兄さんです。
考兄さんの喪に服していたため、日本から喪服を着てきていた勇兄さんは、この骸骨とまったく同じ姿をしていました。
アキも同時にそれに気付いたのか、震える手で骸骨のかたわらに落ちていたショルダーバッグを指さしました。
「アレ、勇にぃと同じ鞄じゃない……?」
「うそでしょ、なんで勇兄さんがこんな……こんなところでいきなり、骸骨になってるっていうの?」
アキはおそるおそるその鞄を拾い上げました。
「「きゃっ」」
その際に鞄の上に乗っていた骸骨の左手が崩れ、わたしたちはびくりとすくみ上がりました。
アキは古びたショルダーバッグを慎重に探ります。出てきた筆記具や手帳に見覚えがありました。アキが指先でそろそろと取り出したパスポートに記された菊の紋に、わたしたちは思わず息を呑みました。
アキはわたしを見つめ、一度ごくりとつばを飲み込みます。
わたしも同時に頷いていました。
アキが震える指でパスポートを開き、一瞬、息を止めました。
わたしはそれをのぞきこみ、小さく呟きます。
「うそ……」
『YUJI SIROSAKI――――白崎 勇二』
間違いなく、勇兄さんの名前でした。生年月日や住所もまったく一緒です。
わたしは愕然とパスポートを見つめました。
「勇兄さんなわけないよ。だって……だって、たった数時間で、こんな骸骨になんてなるはずないもの!」
「そ、そうだよねっ! たまたまこの骸骨の隣に、勇にぃの鞄が落ちてただけだよねっ。ちょっと鞄もパスポートも古びまくってるだけで……」
アキの声は乾いていました。
わたしはパスポートの尋常でない古び方を見て、二の句がつげませんでした。黄色く黄ばんだ小さな冊子は、まるで何十年も前の物のようです。骸骨の服装もぼろぼろに破け、繊維が弱くなっているのが見た目にもわかりました。
まるで……そう、まるで勇兄さんが何十年、何百年と昔に死んでしまったのではないかと思えるほどに、その遺体は勇兄さんそのものでした。そのものでありながら、あり得ないほど傷んでいるんです。
わたしはわけがわからなくなって、アキのジャンパーをすがるように掴みました。
「あ、この手帳……勇にぃの」
呟くや、アキは骸骨が右手に持っていた手帳を手に取りました。ぱんぱんと皮の表紙をはたくと、何か細かい埃のようなものが飛び散ります。
アキはわたしにも手帳の中身が見えるように、それを携帯電話の明りにさらしました。
「やっぱり、日本語だ」
「勇兄さんの字にすごく似てる……」
はじめのページは簡単なメモがしてあるだけでした。崩し文字に勇兄さん特有の右肩あがりな癖があります。ぱらぱらとめくると、3枚目から、細かな文字でびっしりと何事かが書き連ねてありました。
わたしたちは互いの携帯の照明を当て、それを読み始めました。