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第三章 長女:春海の章1

   第三章 長女:春海の章


 気がつくと、石畳の上に眠っていました。

 わたしは冷たい石の感覚に驚いて、慌てて起き上がると、辺りを見回してみました。


「……どこ?」


 辺りは暗く、それこそ一寸先すら闇の中といったふうで、わたしは更に混乱しました。聞こえてくる轟音から、どうやら外は嵐みたいです。真っ暗な世界に激しい雨音だけが届き、ときおりゴロゴロと雷も鳴っています。部屋の中はなにやら妙な生臭さがありました。


「……わたしったら、あそこで夜まで寝てたの?」


 わたしは自分の記憶をたどりました。孝一兄さんが亡くなって、ドイツのエゼルブルグ城にきたところまでは覚えているんですが、そこから先はぱったりと覚えがありません。


「勇兄さん……? アキ?」


 名前を呼んでも返事一つないんです。聞こえてくるのは嵐の音だけ。わたしは心細くなっていつきちゃんの名前も呼びましたが、やっぱり返事はありません。


 やがて目が闇になれてきたんでしょう。正面を見てみれば、ここはどこかの屋敷のエントランスホールみたいです。エゼルブルグ城と違うのは、階段の作りです。あっちは優雅に曲がりくねって、二又に分かれていく作りだったのに、ここにある階段は上下の階でZ文字を描くように、斜めにまっすぐ作られています。


「ここはどこ? エゼルブルグ城じゃないの?」

「うーん……」


 こたえる声に見回せば、少し離れた場所に双子の妹の秋代が寝転んだまま寝返りをうっていました。わたしは闇の中で一筋の光を見つけたみたいに、妹へすがりつきました。


「アキっ! アキってば、起きてっ!」


 わたしが急いでアキをゆすると、アキは夢うつつといった様子で目を覚ましました。


「うーん、勇にぃってば、猫くらいで大げさだよお……――ってハル?」


 アキがわたしとそっくりの大きな猫目をぱちりと開き、起き上がりました。片手で目をこすると、呆然とした様子でわたしを見つめてきます。

 アキはわたしと同じ短めの指をついとわたしに向けて、


「ハル、その服、どうしたの?」

「え――?」


 自分の服を見下ろした瞬間、近くでドドンと雷鳴が轟き、わたしたちを一瞬だけ雷光が照らしだしました。


 その明りで自分の姿を見て、わたしは絶句しました。


 わたしの薄いピンクの服は、胸元からスカートまで、べったりと黒いシミがついていたんです。いいえ、黒じゃなくて、真っ赤に染まっていました。


「なに――これ、血?」

「ぎゃっ、あたしにもついてる!」


 慌ててアキを見ると、秋のGパンや黄色のジャンパーにも真っ黒く染みがついていました。

 上着の袖の匂いを嗅いでみると、錆びた鉄のような嫌な匂いがします。それはこの部屋いっぱいに漂っている生臭さによく似ていました。

 わたしたちは一瞬で真っ青になって、辺りを見回しました。そしてもっと青ざめました。


 辺りは一面、血の海だったんです。


「きゃあ――――!!」


 アキが叫びました。

 でも、わたしは叫び声すら出せませんでした。


 エゼルブルグ城と比べるとだいぶシンプルな柱が並ぶエントランスには、黒い影がごろごろと転がっていました。それらは皆、首を切られて倒れているこの館の使用人みたいでした。首を切り離されている人もたくさんいて、彼らの流した血で石畳はべったりと濡れています。


「こ、こんなの、一体誰が……!」


 明らかに他殺死体です。何者かが襲いかかって、彼らの首をなにか鋭利な物で切り落としたんでしょう。


 けれど一体誰が? どうやって?

 なにより、ここは一体どこなの?


 パニックのあまり呆然と座り込むわたしを、アキがぐっと引き上げてきました。


「に、にに、逃げようハル!」

「う、うんっ」


 わたしたちは身を寄せ合って立ち上がりました。


「で、でも、もしこの中に勇兄さんといつきちゃんがいたら……」

「いないってばっ、全部外人さんだもん!」


 もう一度雷が鳴り、薄紫色の光が辺りを照らしました。

 ちょうど近くでゴロリと転がった男の人の頭部――首から下のないその目が、うつろにわたしたちをとらえました。


「ひぃっ!」

「やぁっ!」


 その恐怖に歪んだ表情が脳裏にしっかりと焼きつきます。飴色の髪に青い瞳のそれは、白人さんみたいでした。きっとわたしたちはドイツのどこかの館にいるんでしょう。ここに来るまでの記憶がないですが、それでも国境を越えるほど移動していないでしょうから。


「と、とにかくここから出よう!」

「わ、わかったっ」


 アキに引っ張られるように正面玄関へ向かいました。

 必死に大きな扉へすがりつくと、二人で力一杯押し開けようとします。でも。


「なにこれ……鍵がかかってる!」

「うそぉっ」


 わたしたちは泣きそうな気持ちになりながら、大扉を押したり引いたりしました。内側の閂は開いているのに、びくともしません。まるで外に大きな石でも立てかけられたみたいに重く固く閉じられていて、どれだけ押しても開いてくれませんでした。


「出られないみたい。どうする?」

「どうしよう。他に人が生きてないか、さがしてみる?」

「それしかないみたいね」


 アキはぐっと真剣な表情をして、エントランスの絨毯上に転がる死体を見つめました。

 アキがゆっくりと歩き出し、手を繋いでいるわたしもそちらへ向かわなくちゃいけなくなります。血だらけのエントランスに道のようにしかれた絨毯が、びちゃびちゃと嫌な音をたてました。わたしはアキに引かれるがまま、恐くてほとんど目をつむっていましたが、その音の気色の悪さから吐きそうになりました。


 そうしてエントランスの階段までたどり着くと、わたしはアキに引きずられるようにして階段を上り、手短な扉に入りこみました。


 そこは細長い廊下を利用した細長いギャラリーみたいなところでした。左右の壁には絵画や鹿の頭が飾られ、優雅な彫刻や東洋の壺みたいなものが置かれています。


 T字型の廊下の曲がり角には、一人の侍女が腰を抜かしたように座り込んでいました。彼女は腕の中に幼い金髪の少年を抱きかかえています。


 少年は遠目にもわかる明るい金髪で、とても可愛らしい横顔をしていました。白いブラウスに短い紺色のズボンをはき、白いタイツをはいています。少年は侍女にひしと抱きつきながら、ひたと後方を見つめていました。誰もが天使と思うような顔立ちは恐怖に歪められ、今にも泣き出しそうです。


「Entkommen Sie bitte,Der Junge einer Mutter!」


 侍女は何事かを叫び、少年を手放して曲がり角の奥へむかって走らせました。少年は一目散に駆けていきました。しかし、侍女はその場にへたり込んだままです。どうやら彼女は足を怪我しているようでした。


 彼女が目を剥いて見上げているのは、西洋風の甲冑一式です。それが剣を片手に立っていました。その隣には、もう一体の甲冑があり、それが大きな草刈り鎌を――


 振り上げ、ました。


「Nein――!!」


 女性の悲鳴は血飛沫で中断されました。

 雷光がひらめく高窓を背に、血を噴き出す胴体と、刈り取られた首がゴトリと落ちる姿が影絵のように見えます。


 光の中でよく見れば、それは甲冑ではなく、騎士の兜を被った男です。服装はべったりと血に汚れた給仕服。兜のせいで顔はわかりませんが、振りかぶった大鎌が彼がどのくらい危険か教えてくれています。


 男は侍女を斬り捨てると、大鎌を振りかまえ、大股でこちらへ歩いてきました。その大鎌からは数滴の黒い――いえ、実際は赤い滴りが落ちていきます。


「や……なんなのッ!?」

「人殺しっ!!」


 アキがわたしの腕を掴んで後ろへ引っ張りました。


「ハル、こっち、早く!」

「う……うんっ!」


 アキは来た扉を戻り、血臭に満たされたエントランスの階段を駆け下ります。わたしもアキほどの運動神経はありませんが、必死でついていきました。


 階段を降りるうちに二階の扉が開いて、鎌男がやってきました。

 彼は重い足取りでゆっくりと歩いてきます。まるで獲物を追い詰める肉食獣のように、こちらが疲弊するのを待っているような歩き方でした。


「どうしよう、アキ……ッ」

「ああもう、こっち!」


 わたしたちは鍵のかかった玄関から反対側、階段下の中央扉へ向かいました。

 すぐ真上には殺人鬼がゆっくりと階段を下りてきています。

 わたしたちは決死の覚悟で両開きの扉を開け、中へ飛びこんで、すぐさま閂をかけました。


 扉の向こうは食堂と思われる部屋で、長いテーブルに真っ白なクロスがしかれています。その左右には上品な猫足の椅子がずらりと並んでいました。燭台の明りが不安定に照らす中を、わたしたちは走って逃げました。


「ね、ねえ、追いかけてきてる?」


 わたしが息を切らせて問いかけると、アキは鋭くこたえました。


「そんなの、わかんないよっ」


 そう言った途端、閂をかけた扉がドンドンッと叩かれ、カッという甲高い音がして、扉に大鎌の刃が突き刺さりました。ギィギィと扉を壊そうとする音に、わたしたちは震え上がりました。


「に、逃げるよっ」


 アキがわたしを促します。

 わたしたちは食堂から更に扉を抜けて、細長い廊下へ入りました。


「ハル、ここに階段があるっ!」


 アキが指さした先には、下へ向かう螺旋階段がありました。

 アキは走りながら脇目でわたしを確認します。


「降りよう、ハル。ついてこれる?」

「う、うん。たぶん……」


 わたしは足を止めて、一度呼吸を整えました。陸上部がほしがったアキの持久力に、わたしは完璧に負けていました。アキは日頃から部活の剣道部で走り込みや筋トレをしているせいか、とても足が速いんです。一方、わたしは手芸部で、運動音痴というほどではないけれど、あまり動くのが得意ではないんです。日頃の行いの違いでこんなに差が出るとは思いもしませんでした。

 そもそも、わたしたちは双子なのにずいぶんと性格が違っていて、活発なアキに比べて、わたしは昔からおとなしく、兄妹の中でも存在感が薄いほうです。……と言っても、勇兄さんよりはマシなんですが。

 などということをわたしが思っている間に、アキは螺旋階段を駆け下りていきました。


「もう、待ってよ、アキ!」

「速くおいで、あいつが来るよっ」

「もー、そういうこと言わないでよお!」


 わたしは急いでその後を追いかけました。

 涙がこぼれそうになるのを、必死にこらえながら。

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