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エゼルブルグ城2

 幾本もの細い尖塔を天へ伸ばし、悠々とたつ大きな城だ。正面には半分に割れたステンドグラスの薔薇窓があり、足元を飾るアーチは豪奢な彫刻で装飾されている。左右に見える側面は、飛び梁についた小ぶりな尖塔がトキトキとまわりを覆い、まるで城そのものが針葉樹の森みたいになっていた。


 すると、それまで葬式のようだった後部座席の妹たちがわっとわきたった。秋代が俺のシートの頭部を掴んで、まっすぐに城を指さす。


「大きな城! 勇にぃ、ああいうの詳しいんでしょ?」

「ゴシック式……かな。ゴシック・リヴァイバルかもしれないけど……。もっと近くで見ないとわからないな」


 俺は眼を細めて城の瀟洒な尖塔を見つめた。


「すごいすごい、考にぃちゃんが行きたがってたのもわかる!」

「かっこいいね、いかにもお城ってかんじ!」


 のんきに喜ぶ秋代と春海。

 そんな二人とは対照的に、俺は薄い霧の向こうにたたずむエゼルブルグ城の姿に、なにか仄暗い影のようなものを感じ、自然と息を潜めていた。

 すると運転手が英語で『そういえば……』と低い声でつぶやいた。


『あの城の壁の中には、まだ子供の白骨が埋まっているって噂があったな……』

『骨が?』


 俺の『bone』という発音に、後部座席にいる妹たちの顔色が変わった。


「ほね?」


 秋代が「お兄ちゃん訳して」と、こんなときばかり妹面をして身を乗りだす。

 俺が手短に訳してやると、運転手はちらりとフロントミラーで妹を見て、話を続けた。


『たしか二百年くらい前に死んだ少年のものだ。改装中に壁の隙間に落ちたんだが、誰にも気づかれずひっそりと息を引き取ったらしい』

『ニール……ですか?』

『そんな名前だったかな。おや、お嬢さんたちを驚かしてしまったみたいだ』


 運転手がフロントミラー越しに妹たちへ笑いかけた。言葉は通じずとも、怯えた気配は伝わったらしい。妹たちは怖々とした様子で互いに肩を寄せ合いながら、徐々に近づいてくるエゼルブルグ城を見ていた。


「骨が埋まってるうえに、オバケまで出るって言われてる城でしょ? もうやだ。一瞬でも行ってみたいって思った自分がバカだったわ」

「でもでも、あくまで噂だし……。って、アキってば寄ってこないでよ、狭いでしょ」

「いいじゃない、ハルは私よりも二キロも体重軽いんだしっ」

「はあ? アキは剣道のせいで筋肉質だから重いだけよっ」

「そうだけどさぁ~」


 そんな二人の盛り上がりを運転手はあほらしげに眺めて、ぶつくさとつぶやいた。


『あんな城、そう大したもんでもないんだけどなぁ。城といえば、ノイシュヴァンシュタイン城ぐらい格好良くないと。君らのお兄さんもそういう有名なところを観光すればよかったのに……』


 それから彼は急に声色を張りのあるものにして、俺へ問いかけてきた。


『日本にはすごい城があるって聞いたけど、本当かい?』

『はあ、まあ。地元の名古屋城ぐらいにしか行ったことないですけど……姫路城とかなら外国人さんでも喜ぶんじゃないですか』

『へぇ、どんなんなんだい?』

『それは……』


 英語で言うのは難しいな、と思ったとき、それまでずっと黙りこくっていた末っ子のいつきが後ろから「ん」と一枚の画用紙を差し出してきた。見れば、七歳児にしては上手な落書きで名古屋城が描かれている。青い屋根瓦に乗った金のしゃちほこが無駄にでかい。


 それを横目で見た運転手はピュウと口笛を吹き、「exotisch!」と目を輝かせた。

 飛行機の中からずっと絵を描き続けているいつきが心配になって、俺は振り返った。


「いつき、車の中でくらいは絵を描くのをやめろよ。乗り物酔いしたらどうするんだ」

「だいじょぶ、もうなってる」

「なにが……っておい待て吐くな、車内で吐くなあ!」


 両手で口を押さえたいつきに、俺は真っ青になった。


「ぎゃー、いっちんが! ハルッ、ふくろ、ふくろっ」

「待って、待って待って――」


 ガサガサとビニール袋が広がる音がして、何か液状のものがぼとぼとと落ちる音がした。


「――――セーフっ!」


 ぐっとガッツポーズをつける双子たち。

 合わせて車内に広がったえもいわれぬ異臭に、俺は眉を寄せてつぶやいた。


「……いや、アウトだろこれは」


 ビニール袋の中にある昼食のソーセージとフライドポテトを見て、俺は力なく溜息をついたのだった。



         ◆



 ぐねぐねと曲がりくねった山道は、エゼルブルグ城の門前で終わっていた。


 錆びついた門には大きな錠前がついていて、しっかりと施錠してあった。向こうに見える前庭は荒れ果て、腰丈ほどに伸びた草に植木と銅像が埋もれている。その奥に見える城館は、ところどころが崩れた廃城となっていた。細い尖塔がいくつもある石積みの外観には、低めの城壁がぐるりとあたりを一周している。どこかこじんまりとして見えるのは、中央の作りが低くなっていて、無骨な印象になっているからだ。周りの飾りは華々しいのだが。


「これが……エゼルブルグ城……」


 錆びた鉄棒を掴んでみると、ギシギシといやな音をたてるだけで開く様子はなかった。

 俺が困ったようにタクシーの運転手を振り返ると、彼は車中から顔の前で手を振った。


『そっちはダメだ』


 と言って車を降りると、石積みの城壁沿いをてくてくと歩いて行く。門から二百メートルも離れただろうかというところで足を止め、城壁を覆っているつる草をかき分けた。

 つる草の下には大人がかがんで通れるくらいの穴が開いていた。元々あったと思われる鉄柵は取り払われ、覗き込めば草だらけの庭が見えた。


『あの門は閉じられて長いからな。鍵ももう誰が持ってんだかわからねぇ。だからこっちから行くのさ』


 運転手が不器用そうにウインクする。


『わかった、ありがとう』


 俺は礼を言って彼へチップを渡した。

 相手は笑って金をジーンズの尻ポケットへねじ込んだ。


『夕方に迎えにこればいいんだな?』

『来たいなら一緒に来てもいいですよ』


 俺が皮肉げに微笑むと、相手はさもいやそうに眉根を寄せた。訛りの強いドイツ語で、「おらぁそげなおそろげなとこ入る勇気なんぞないべさ」というようなことを言って、肩をすくめた。


 『じゃあな、幸運を』と去っていく運転手に、いつきが無邪気に手を振った。



         ◆



 俺たちは城壁をくぐり、荒廃した庭へ入った。抜け道の先には草を踏みしめてつくった小道がある。数日前に警察が出入りしたせいだろう、小道はしっかりと踏み固められていた。この道をつくったのはやはり、兄貴なんだろうか。それとも警察なんだろうか。


城までの距離は五百メートルくらいだ。俺たち兄妹はその小道をなぞるように進んだ。腰まで伸びた雑草がガサガサと音をたて、城の屋根に止まっていたカラスたちを逃がした。不快な鳴き声を残して去っていく彼らを、俺は眼を細めてながめた。


 間近で見るエゼルブルグ城は、かつての壮麗さを残しつつも、見事なまでに荒れ果てていた。正面に咲く薔薇窓とアーチ型に長く伸びた高窓はすべて割られ、ステンドグラスが半分ほどしか残っていない。エントランスを支える太い柱はひび割れつつもなんとか残っていたが、その柱頭の彫刻は無残にも砕け散っていた。飾り柱も欠け崩れ、以前の姿を残しているものはまれだ。


 重そうな入り口の扉は開けはなたれていて、警察が貼ったと思われる黄色と黒のテープが行く手をはばんでいた。

 遠目から見た印象とのあまりの違いに、俺はしばし絶句した。


「勇兄さん……。ほんとにここに入るの?」


 春海が俺の黒いトレンチコートを引っ張りながら、恐る恐るといった様子で声をかけてきた。日本から喪服を着てきた俺は、上下とも黒いスーツを着ている。


 俺はごくりと喉をならしつつ頷いた。身をかがめてテープをくぐる。


 玄関ホールには、割れた薔薇窓から陽の光が差しこんでいて、宙に舞うほこりをキラキラと輝かせていた。その日だまりの端は割れ残ったステンドグラスの色に染まっている。アーチが続く壁面から天井にかけては宗教画のようなえらく遠近感を感じさせる絵画が描かれているものの、ところどころがはがれてしまっていた。繊細な彫刻類は言うにもおよばず、みな砕けている。


 二又に分かれた正面階段は、その接合部でぐしゃりと潰れていた。そこに積もった瓦礫の様子から察するに、ふきぬけに張り出ている三階のテラスが崩れてきたのだろう。瓦礫には警察のテープがいっそう厳重にまかれている。


 俺は優雅な曲線をえがく石造りの階段をのぼった。ほこりの積もった手すりをつかんで、一歩一歩慎重に。すぐに瓦礫が鎮座する事故現場へたどり着く。


 その床には、白いチョークで人型が描かれていた。


「階段を降りてる途中に、上のテラスが崩れてきたんだな……」

「考にぃってば、ツいてないにもほどがあるよ。どうしてこんなところで突っ立ってたのさ」


 秋代が地団駄をふむ音に振り返れば、三人の妹たちはいつの間にかいつきを真ん中にして手をつないでいた。春海がまた泣き出しそうな声をだす。


「仕方ないよ、アキ。考兄さんだって好きこのんで死んじゃったわけじゃないんだもの」

「でもでも、こんな辺鄙な場所で、冗談みたいに死んじゃったんだよ。もう、ふざけてもツッコんでくれるおにぃはいないんだよ。いやだよ、こんなの」

「そりゃ、わたしだって死んじゃったのは悲しいけど……」


 春海はポケットからハンカチを取り出し、すっかり腫れてしまった目元を押さえた。

 末っ子のいつきまでがぐずりと鼻をすすりだす。


「考おにいちゃん……。ほんとに死んじゃったんだ……」


 涙を流す妹たちに背を向けて、俺は床にしゃがみ込み、瓦礫からはみ出すように描かれたチョークを指でなぞった。近くの瓦礫についた血のあとを見つけ、ぐっと眉をしかめる。


 見上げれば、吹き抜けへ張り出ていたはずの部分がごっそりと欠けたテラスがあった。


 そのとき、カサリと足元で軽い音がした。


 瓦礫の下を見おろせば、古びた冊子が開かれた状態で落ちていた。上に乗っている小さな瓦礫をのけて手に取ると、その薄い冊子には皮の装丁がしてあり、表紙には金箔でドイツ語が書かれていた。


「なんでこんな所に本が落ちてるんだ?」


 ぱらぱらとめくると、図形のようなものが描かれている。よく見れば、この城の古い設計図集のようだ。図面を見るのが好きな俺は、その複雑な図形に思わず引き込まれていた。


「へぇ、こんな設計図、残しておくものなんだな」

「なに? ご本?」


 絵本が好きないつきが駆けよってきて、俺の隣にしゃがみ込んだ。すっかり涙も引っ込んだ様子だ。


「なになに?」


 秋代と春海も腰をかがめて俺の手元を覗き込む。

 俺はみんなにも見えるようにページをめくった。一番はじめのページは、十八世紀にゴシック・リヴァイバル――今の形式にしたときのもの。高く弧を描くアーチがふんだんに使われ、空間に独特の浮遊感がある。まるで異世界へ迷い込んだかのような装飾華美な世界だ。次は十六世紀にゴシック式に立て替えられたときのもの。大幅な増築がなされて、今の姿の原型のようなものがうかがえる。最後のぼろぼろに古びたページは、最も古い十二世紀に建てられたときのものだ。シンプルなロマネスク形式で、城館も小さく、全体的にこじんまりとしている。


 俺が手元の図形と城を照らし合わせるため、辺りを見回していたとき。


 ――きゃははは……


 子供の笑う声がふきぬけに薄く響いた気がした。

 驚いていつきを見るも、不思議そうに見返されるばかり。春海と秋代にも聞こえたらしく、二人とも顔をひきつらせて辺りを見ていた。


「なに? 今の」

「な、なんでもないでしょ、ただの風だよ」

「風じゃないだろ……この中って感じでもなかったけど」


 エントランスホールの中で聞こえたにしては、声が遠かった気がする。きっと、城の庭にでも遊びに来た子供がいるに違いない。そうだ、そうに決まってる。

 俺たちが引きつった笑みを浮かべあっていると、末っ子のいつきが何かを見つけて二人の姉たちの手を振り払った。


「女の子! ちょっと見てくる!」

「ちょ、待ていつき!」


 ててて、と軽い足取りで階段を下りていった妹を追いかけて、俺が立ち上がる。同時に手にしていた冊子がパサリと床へ落ちた。


「――ッ!」


 すると冊子は風もないのにぱらぱらとめくれ、古く黄ばんだページを開いた。


 瞬間、眩しく輝く。


「きゃっ」

「え?」

「うわッ――」


 突然の閃光に目を奪われ、とっさに腕で目を守る。

 俺が覚えているのは、そこまでだった。

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