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子殺しの城3

「いっちん! 大丈夫!?」


 だっと秋代が室内へ駆け込んだ。

 拷問室の扉は背が低かった。俺は兄貴の背中から降りると、兄貴に肩を貸してもらいながら室内へ踏み込んだ。


 荒れ果てた室内には様々な拷問器具が転がっていた。重い鉄球のついた足かせや、壁にひっさげられたムチや棍棒、針の椅子や縛り台……。過去で俺が見た拷問部屋とそっくり同じのままだった。ただ、その器具がすべて錆びきっていることをのぞいて。その他にも何に使うのかわからない鉄の器具が転がっていて、俺は足元の謎の器具につまずきかけた。


 部屋の奥、天井の裂け目から陽の光が注いでいる場所には、木でできた背の低いベッドがあった。そこに横たわっているのは――


「いつき!」

「おにいちゃん、おねえちゃん! うぇえぇええ~」


 首をなにか赤錆びた器具に固定され、身動きがとれないでいるいつきがいた。

 よく見れば、首を固定している器具は小型のギロチンで、今にもいつきの細首に食い込まんとしている。ギィギィと響く音は、そのギロチンが落ちていく音だった。

 俺は足が痛むのも忘れて、兄貴を振り払って寝台へ駆けよった。


「いっちん、目ぇ閉じてて!」


 秋代がギロチン台を蹴りつける。ギロチンが大きくたわんだ。だが鉄でできた台を壊すことはできない。


「これを挟み込むんだ!」


 俺は足元に落ちていた鉄の器具をいつきの首元へ挟み込み、ギロチンの落下を止めた。

 春海がハンカチをいつきの首元にあて、ギロチンの刃を掴んで引き上げようとした。


「だめ、錆びついて動かない!」


 俺も上から刃を掴む。痛む足で踏ん張り、力一杯引き上げた。


「くっそ! なんでこんなに硬いんだよ!」


「兄貴たちはそのまま引っ張ってて! あたしがもう一度蹴りつける!」


 言うや、秋代は筋肉質な足を後ろへ振り上げた。


「――えーい!」


 どこか間抜けなかけ声をあげながら、秋代がギロチンのど真ん中を蹴りつけた。

 メキョッと、金属が折れる音がして、錆びたギロチンがばらばらになって壊れる。俺たちは力を込める場所を失い、たたらを踏んだ。


「いつき! 大丈夫か?」

「いつきちゃん、もう大丈夫よ」

「いっちん!」


 いつきはベッドに横になったまま、必死に目を閉じていた。俺が肩を揺らすと、その大きな目がゆっくりと開かれる。

 いつきは一度目をまんまるにしてから、ぶわっと涙を溢れさせた。


「勇おにいちゃん! おねえちゃんたちもぉぉっー!」

「いつき、怪我は? 首はついてるな?」

「あたりまえだよ勇おにいちゃんのバカぁあああー!」


 いつきはベッドの上に身体を起こして、両手を目に当てるとびぇえええと派手に泣き出した。幼稚園児のいつきにとって、今までに経験したことのない恐怖だったんだろう。それは分かる。わかるけど……。


「……なんで罵倒されてんだ、俺」


 疲れた気分でぼやいたとき、バタンと大きな音がして、入口の扉が閉まった。

 振り返れば、暗闇の中、ゆらりと立つ兄貴がいた。その俯いた頬の輪郭線がほのかに光って見える。


「兄貴……?」


 なかば呆然とした呼びかけに、兄貴が顔を上げた。

 いっさいの感情のない、仄暗い表情。


「……さみしい、と思わないか? 俺一人だけ」


 低いつぶやきは、まるで耳元で話しかけられたかのように聞こえた。

 秋代が怪訝そうに眉をしかめる。


「? 考にぃ、なに言って……?」


 春海が不安げな顔つきでいつきを抱きしめた。まるで何かから守るかのように。


「お前らが羨ましい。いや、ねたましいよ」


 ゆらりと、兄貴が一歩こちらへ歩み寄る。闇の中で兄貴がまとう燐光が尾を引いた。


「……どうしてこんなところへきたんだ。このまま静かに眠っていたって、俺はよかったのに」

「――Es ist falsch」


 リン、と響く少女の声がして、俺たちは目をみはった。

 兄貴のすぐ右側に、白いワンピース姿のレイラが姿を現したからだ。彼女は小さな白い手で兄貴の手を取り、ぎゅっと握りしめた。

 兄貴はかたわらを憎々しげに見下ろす。


「『それは違う』だって? なにがだよ、悪霊ども」


 レイラはそれ以上何も言わず、ただ悲しげに兄貴を見上げた。そして小さく首を振る。


 そのとき、兄貴の左側にもう一つの白い影が降り立った。キラキラと輝く金髪の少年、ニールだ。


 少年は悲しげな瞳を兄貴へ向けたまま、黙って兄貴の左手を取った。ぐい、と闇のほうへ引っ張られ、兄貴が抵抗する。


「いやだ、お前らと一緒になんかいたくない!」


 闇の奥にはチカチカとまたたく小さな光があった。ニールはそれを目指しているようだ。レイラもまた、そちらのほうへと兄貴の手を引く。


 兄貴は前のめりになって、それに抵抗した。


 やがて光が広がっていき、ニールとレイラを包んでいく。


 兄貴もまた――


 だが、その足元には、まるでその場に縛り付けるかのように、真っ暗な闇がこごっていた。闇はまるで蛸の足のように粘着質にうごめき、兄貴を足元から浸食している。


「兄貴ッ!?」


 俺は目を見開いた。

 兄貴の肩が徐々に下がっていっている。足元を見れば、まるで底なし沼にはまったように暗闇に沈んでいくじゃないか。


 にもかかわらず、兄貴は前へと進もうとする。しかし前には進めず、ただずるずると闇の淵に堕ちていくだけだというのに。


「だめだ、兄貴! そっちは違う!」


 俺は反射的に叫ぶと兄貴に駆けよろうとし、足の痛みにその場にかがみ込んだ。痛みに顔を歪めながら、なおも兄貴へと手を伸ばす。


 代わりに秋代が兄貴へ駆け寄り、腹まで沈んだ肩を掴んで引き上げようとした。しかし、秋代の細腕はするりと兄貴の腕をすり抜けていく。「あ」と秋代が叫びともつぶやきともつかない声をあげた。それから自分の両手と兄貴の顔を見比べ、拳をぎゅっと握りこむ。


「うそ……」


 兄貴は苦々しく、歪んだ笑みをうかべた。


「そうだよ。俺はもう、死んでるんだ」


 笑うその瞳の奥に、濁った闇のようなものが見えた気がした。

 兄貴の足元の闇がいっそう激しくうねり、ずぶずぶと兄貴を引きずり込んでいく。


 兄貴を縛っている闇――それはおそらく、この城だ。


 一刻も早く、この闇から引きずり出さないと、兄貴は。

 俺はレイラとニールを見つめた。白い光りに包まれた二人はまるで天使みたいだった。俺のすがるような視線を受けると、二人は悲しげに微笑み返し、小さく頷いてくれた。

 俺は二人へ頷き返すと、兄貴へむかって告げた。


「違うんだ、兄貴、聞いてくれ。その子たちはもう、闇に捕らわれてなんかない。俺たちが――救ったから」

「お前らが……?」


 兄貴が目を見開く。その姿は腰まで闇に埋まろうとしていた。

 春海がいつきを抱きしめたまま、一歩踏み出すと、細い片手を兄貴へ差し出した。


「兄さんも秋代のおかげで救われたはずよ。わかって……」

「うすうす気付いてたんだ。考にぃはもういないんだって。もうあたしたちだけで生きていかなきゃならないんだって……でも。でも、もう一度会えて、それだけでも本当に、嬉しかったんだよ」


 秋代の声は泣いていた。そのまま顔を覆って泣き叫ぶ。


「でも、こんなお別れはいやだよ! 明るい方へ行って! 考にぃ!!」


 いつきが春海に抱かれたまま、不思議そうに小首を傾げた。


「考おにいちゃん、どこかに行くの?」

「春海、秋代……いつき」


 兄貴はなかば呆然と、妹たちの顔を順番に見つめていった。

 その視線が、最後に俺をとらえる。


「勇二。お前も俺にいけと言うのか」

「兄貴」


 俺は穏やかに聞こえるように、泣き声を低くおさえた。


「助けてくれてありがとう。本当はわかってるんだ、兄貴が俺たちになにかできるはずがないって。……――そうだろ?」


 テラスの崩壊から、兄貴は俺を身をていして守ってくれた。俺を負ぶって無事に運んでくれた。望むなら、階段の途中で振り落としたってよかったのに。


 それにいつき。今にもいつきの細首を切断しようとしていたギロチンは、俺たちがもう少しもたもたしていたら落ちきってしまっていただろう。そのぐらいの時間稼ぎが、兄貴に出来ないはずがなかった。なのに、兄貴はぎりぎりで間に合わせてしまった。レイラと、ニールのおかげもあって。


 兄貴は何を言われたのかわからなかったんだろう。少しの間きょとんとし、それからいつものへらりとした笑顔になった。それは兄貴にとって、精一杯の苦笑だった。


「……そうだな、ああ。本当にそうだ。俺は自分で殺そうとして――」


 ぴたりと、兄貴を飲み込もうとしていた闇が動きを止めた。


「――自分で救ってる」


 どろりと、闇が溶けた。


 霧散した闇は、その残滓さえ光に飲み込まれて消える。

 兄貴は一度、二人の手を放すと、ぱんぱんっと、ジーンズを埃でも払うようにはたいて、ニカッとした笑顔をうかべた。


「ごめんな。兄ちゃん、バカだったわ」


 秋代が片目をこすりながら頷いた。


「考にぃらしいよ」

「まったくだ」


 俺も足の痛みをこらえて、兄貴へと近づく。春海といつきもついてきた。

 兄貴は一度俯いて、決意をにじませた真面目な顔をあげた。


「ありがとうな、みんな」


 そして後ろを振りむくと、光に包まれたレイラとニールの手を取った。

 最後に一度、兄貴が振り返る。


「俺、もういくわ」


 俺たちは頷き返すことしかできなかった。

 光が兄貴を飲みこみ、俺たちのほうへ迫ってきて――すべてを包んだ。


 世界が白く染まる。


 見覚えのある光景に、俺は心の片隅でなにかが腑に落ちた。


 ああ、あの光は、あちら側のものだったんだな、と。



         ◆



「――ッ!」


 唐突に俺は目覚めた。

 視界いっぱいに広がる天井画を眺めたのは、ほんの一、二秒だ。俺は慌てて起き上がる。知らない間にエントランスの階段の踊り場に寝転がっていたらしい。冷たい石床に冷やされて、背中がカチコチに固まっていた。


 見回せば、足元に春海や秋代、いつきまでが赤ん坊のように身体を丸めて眠っていた。

 その中央には、あの設計図集が皮の表紙を閉じて、宝石かなにかのように鎮座している。

 兄妹の中に一人だけ足りない人物に気付いて、俺は顔を歪めた。


「兄貴――兄貴ッ!?」


 いないと知りつつも辺りを見回せば、目に入ったのは元通りに崩れた三階のテラスの残骸。キープアウトの黄色と黒の縞模様がぐるぐると巻きつけられ、その下には。

 白いチョークで人型が描かれていた。


「兄貴……」


 俺は全身の力が抜けたように、その場へ座りこんだ。


「ん……」

「勇兄さん……?」


 俺の声に呼び起こされたのか、妹たちが目を覚ましはじめた。春海と秋代はすぐにはっとして飛び起き、いつきは眠たげに目をこすっている。


「勇にぃ、ここは……」


 不安げに寄りあう春海と秋代に、俺は黙ったまま頷き返した。

 秋代と春海も辺りを見回し、テラスの残骸に「あっ」と小さく叫んだ。それですべてを悟ったのか、春海はぼろぼろと泣き出し、秋代はそれをぎゅっと抱きしめた。

 ふいに、いつきが我に返ったように高い声を出した。


「考おにいちゃんは、どこ?」

「いつき」


 俺は優しく呼びかけた。


「兄貴はもういないんだ」

「うそ! さっきいたもん!」


 いつきはぱっと立ち上がると、階段を駆け下りていった。


「いつき! 危ないぞ!」


 慌てて追いかけようとして、俺は足の痛みに「うっ」とその場に膝をつく。左足は腫れ上がり、とてもじゃないが歩ける状態じゃなかった。


「やっぱり……夢じゃないんだな」

「勇にぃ、肩持つよ」

「気をつけて。立てる?」


 秋代と春海が心配そうに顔をのぞきこんできた。

 俺は頷き、足元の冊子――設計図集を片手に立ち上がった。

 妹たちに両肩を支えられて階段を下りると、いつきが食堂の扉の前で立ち尽くしていた。


「……どうして?」


 いつきが放心した様子で食堂の中を指さした。

 そこはガランとした空間だった。あの腐った長テーブルも、ずらりと並んだ椅子も、くすんだテーブルクロスも、ぐずぐずの絨毯や壁に掛けられた絵画、剥製すらも、家財道具と呼ばれるものすべてが。


 すべてが取り払われ、閑散とした空間と化していた。


 いつきは室内へかけいり、両手を口元に宛てて叫んだ。


「考おにいちゃん、考おにいちゃん!」


 もちろん応えはない。

 それでも兄貴を呼びつつけるいつきがせつなくて、俺たちは声をかけられなかった。


 春海がすん、と鼻を鳴らして涙をこらえていた。秋代も俯いて顔を見せない。


「考おにいちゃん!」


 俺は手にした設計図集を開いた。

 そこにはいつきの落書きはなかった。ただ俺の描きこんだ通気口が、俺の筆跡ではなく、もっと子供っぽい歪んだ線で描かれていた。クレヨンじゃないから、いつきでもない。秋代の飾り梁もそうだった。


 俺は冊子をびりびりと引き裂いた。


「考おにいちゃん――!!」


 古い紙は粉々になり、風に乗って、空っぽの室内に散らばった。

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