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子殺しの城2

 朽ち果てた食堂には、腐ったテーブルや椅子の欠片が散乱していた。ボロボロの布はテーブルクロスだったんだろう。以前は白かったと思われるそれは、くすんで汚れ、雨漏りによって腐敗しきっていた。


「いつきちゃーん! こっちにいるのー?」

「いっちーん! 出ておいでぇー!」


 妹たちが大きな声で叫ぶ。春海たちは部屋の中央で崩れているテーブルを避けて二手に分かれ、室内を見回しながら大声でいつきの名を呼び続けた。

 遅れて階段を下りてきた俺と兄貴が、ガランとした室内を見て首をかしげる。


「いつきのヤツ、どこ行ったんだ? 姿形どころか、足跡もありゃしねぇ」

「あまり奥の方へ行ってないといいけどな」


 兄貴に肩を借りたまま俺がつぶやくと、兄貴はうへぇと変な顔をした。


「こっから奥はほとんどが崩れてるから、入れないところが多いぞ。まあ、隠れられそうな場所もないけど」

「なら、近くにいるといいんだけどな……」


 俺は食堂を見回した。バツ印が浮かんだのは部屋のほぼ中央。だがそこには腐って崩れたテーブルとテーブルクロスが陣取っていて、隠れられるようには見えない。

 ここにはいないだろうと、溜息のような吐息をついたとき。


「……――ちゃん」


 か細い声が聞こえた気がして、俺ははっとして顔を上げた。


「いつきか!?」


 兄貴が驚いて目を丸めた。


「なんだ? なにか聞こえたのか? 勇」

「ああ、小さな声だけど、いつきの声だった」


 確信に小さく頷く俺へと、秋代が部屋の奥から手を振ってきた。


「あたしも聞こえた! 『おにいちゃん』って!」

「わたしはわからなかったわ」


 春海が首を振りながら秋代のほうへ歩いて行ったとき、


「――たすけ……おにいちゃん」


 もう一度、小さな声が聞こえた。


「いつき!」


 今度は兄貴にも聞こえたらしい。兄貴は俺を支えたまま、秋代のほうへ駆けだした。


「いつき! どこにいるんだ!」

「そう遠くないわ。近くにいるかも」

「けど、どこに?」

「わからない。――いつき! かくれんぼのつもりなら、いいかげんやめて出てこい!」


 俺が怒鳴りながら辺りを見渡すと、ふと奇妙なことに気付いた。部屋の中央を陣取る大きな長いテーブルが、まるで一本の足が欠け落ちたように崩れているんだ。テーブルクロスで覆われてよくわからないが、もしかしたら……。


 俺は兄貴と一緒にその場所へ近づくと、そうっとかがみ込み、テーブルクロスをひっぺがした。


 そこには、床に大きな亀裂が走っていた。劣化した石床が崩れ落ちたらしく、ぽっかりと暗い穴が開いている。穴は四十センチ足らずと言ったところか。小さな子供なら入れるだろうが、俺たちには無理な大きさだった。

 その穴の中から、今度ははっきりとしたいつきの声がした。


「こわいよう……たすけて、おにいちゃんたち」


 俺は携帯電話を尻ポケットから取り出すと、明りをつけてぽっかりとした暗闇にかざした。


「いつき、いつきなのか!?」


 だが携帯の明りでは辺りを照らすことはできなかった。声だけが返ってくる。


「ここ……うごけないの。くびが……」

「わかった。地下だね!」


 秋代が叫ぶや、ものすごい勢いで食堂奥の扉の向こうへ駆けだした。

 その背中を春海が心配そうに見送る。


「大丈夫? 今度はアキが消えたりしないよね?」

「恐いこと言うなよ。しっかし秋の奴、足はえーなぁ」

「今は秋代を信じるしかない。……すまない、俺のせいで」

「そんなことない! 兄さんが無事で本当によかったんだから」


 兄貴と春海は俺を支えてゆっくりと歩いてくれようとした。


「いや、いい。俺はここに残る」


 春海が、今にも泣きそうな目で俺を見上げてきた。


「いいんだ、こんな足じゃ足手まといだし、地下に降りるのも時間がかかるだろうし。ここからいつきに声をかけてみるよ」

「ダメよ、そんな足でひとりになんかさせられない! 勇兄さんになにかあったらどうするの」

「だけど……」

「勇、ゆっくりでいいから一緒に行こうぜ。いつきだってお前の顔が見たいだろうし。大丈夫、すぐに見つかるさ。それに――こうすればいいだろ?」


 兄貴はニカッと顔一面で笑うと、俺を背中に背負ってスタスタと歩き出した。


「いいよ兄貴、重いし」

「なに言ってんだよ。ちっこい頃はよくこうやってかついでやっただろ? 近所のガキンチョにいじめられたりしたときに」

「そういうこと、今言うなよ……」


 俺は兄貴の広い背中に顔を埋めるようにしてつぶやいた。いじめられっ子だった頃、よくこうして家に連れていってもらった。傷だらけで帰る気力もなくなった俺を、兄貴が背負って、鼻歌なんか歌いながら。どうして怪我をしたとか、なんでいじめられるのかとか、細かいことはいっさい訊かれなかった。


 そんな昔話を思い出しているうちに、兄貴は携帯の明りを頼りに、地下へ向かう螺旋階段を下りて、食堂の下へと向かっていった。だが――


 狭い地下通路には、呆然とたたずむ秋代が待っていた。彼女の目の前には土砂で埋まった廊下がある。きっと老朽化で崩れたんだろう。ざらざらと積まれた砂の山は、軽く払ったぐらいじゃ通り抜けできないのが一目でわかった。足元には廊下を形作っていたと思われる大きな石がいくつも転がっている。


「ひどい崩れ方だな。通れるか?」


 兄貴が声をかけると、秋代が困った顔でこちらをふりかえった。


「無理。完全に道が埋まっちゃってる。他の道を探そっか」


 と、俺の手から設計図集を奪いとる。ぱらぱらとめくり、「ない」とはっきりした声で断言した。


「地下の図面がない!」

「だな。だからさっきの赤いバツ印は、食堂についたんだよ」


 俺の答えを無視して、秋代はボブカットの髪をぐしゃぐしゃにして頭を抱えた。


「なんでないのよー! 地下ってキッチンもあるし、けっこう大事なとこじゃないの!」

「そんなもん俺が知るか」

「ご丁寧に城の正面図まで描きこんであるくせに、地下は放置ってどういうこと? そんなに知られたらヤバイ部屋でもあるわけ?」

「ああ、それは……」


 俺は地下の石壁に手をついて、まじまじと見つめた。この不揃いの石を組み合わせる方式は、俺がいた十六世紀――十二世紀に建てられたままのエゼルブルグ城と一致する。


「思うに、地下は昔のままなんじゃないか? 増築された気配がない」

「あ、じゃあ一番最初のページにあるかも」


 ぱらぱらと冊子をめくる秋代。

 その様子を春海と兄貴が不思議そうに見ている。きっと俺もそんな顔をしているんだろう。


「――あった。すごく簡単な図面」


 地下は大きなコの字型の廊下を九十度右へ回したような、上の部分が開いた箱みたいな図形になっていた。右の階段からも左の階段からも自由に行き来できるようになっているらしい。

 秋代の指がつつつ、と紙面をすべる。


「食堂の真下は……――」


 俺たちは一瞬、顔を見合わせた。


「拷問室だ」


 俺の低い呟きが細い通路に響く。


「拷問室!? まさか、いっちん……」


 春海と秋代の顔色がざっと変わった。二人とも息をのんでいる。

 緊迫する俺たち三人と違って、兄貴はどこか余裕を漂わせながら顔をしかめた。


「うへぇ。そんな部屋の真上で物食うとか、ありえん」

「今はそんなことはいいだろ。それよりいつきの所に行くには――」


 俺の声が不自然に途切れる。

 視界の端を、なにか黄色いものが横切ったからだ。

 俺が目をしばたたかせるのと同時に、春海と秋代がそれを見つけた。


「ニール……?」


 厨房の入口に小さな男の子が立っていた。闇の中でもキラキラと輝く明るい金髪。白いブラウスに短いズボン。真っ白なタイツをはいた足は細い。


「うそ。助かったの!?」


 少年は整った顔を春海と秋代へ向けてにっこりと笑いかけると、細い指で厨房の入口を指さして。


 ふっと、煙のようにかき消えた。


 それからしばらく、俺たちはなにも言えなかった。ただただ少年の消えた闇を凝視することしかできない。

 最初に沈黙を破ったのは、兄貴だった。


「え、ちょ、まじで?」


 明らかにうろたえた様子で半笑いをする。焦ったときの兄貴の癖だ。


「マジで見ちゃったの? オバケ」

「「うん!」」


 春海と秋代が元気よく答えた。


「ニール君、笑ってた」

「うん、すごくいい笑顔だったね」


 笑顔でつぶやく秋代に、春海がこくんと頷き返す。二人とも晴れやかで嬉しそうな笑みだった。

 俺はニールが消えた扉へと視線を向けた。


「この扉を指さしたってことは、キッチンにいけってことか?」

「うん、行ってみよう、勇にぃ!」


 厨房の中は古びた調理器具がきちんと整頓されて置かれていた。壁には鍋やレードル、包丁などがずらりとかけられているし、料理台の上にはまな板が置いてあった。煤けた竈には灰が残っている。どうやらこの城の最後の住人は、家財道具すべてを置きっぱなしのまま、いずこかへ立ち去ったらしい。


 物が多いわりに整ったキッチンは、奥の壁面が崩れていて、廊下に繋がっていた。そこをうまく通り抜け、俺たちは先へと進んでいった。


「ニールのおかげだね」

「うん。でも、どうしてニール君が助かったんだろう? あたしたちのせいじゃないよね」


 ごほん、と俺が咳払いをする。

 自然と振り向いた妹たちへ、設計図集の二ページ目を開いて見せた。


「ここ。俺が過去で書き加えたんだ」

「なにこれ。通気口?」

「そうだ。子供ならここから出られるだろ」


 春海と秋代が二人して顔を見合わせて、それから俺を見た。妙にきらきらした眼で。


「勇にぃ、すっごーい!」

「さすが勇にぃさん! ありがとう!」


 言うなり、二人そろって抱きついてきた。

 もともと兄貴に背負われている俺は、三人にぎゅーぎゅーと締め付けられて、むさ苦しさに目が回りそうになった。


「これからも頼りにしてるからね、勇にぃ!」

「これからも頼りにしてるからね、勇兄さん!」


 二人そろって笑顔を向けられて、俺は目を白黒させた。

 それから……、良いことはしておくものだ、と思った。

 きゃあきゃあ騒ぐ妹たちを引っぺがしたとき、兄貴が前を向いたまま話しかけてきた。


「今日のお前らはえらく仲がいいな。ほんと、いつもこうだったらいいのになぁ」

「兄貴……」

「なあ、勇」


 ふっと考え込むような雰囲気で、ぽつりと、兄貴がつぶやいた。


「一人くらい、ダメか……? ――いや、なんでもない」

「え?」

「いつきちゃん――!!」


 春海の叫び声が、俺の声をかき消して、狭い廊下いっぱいに響き渡った。一足先に拷問室の扉を開けた春海は、今にも倒れそうなくらい白い顔をしている。

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