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次女:秋代の章2

 ザーリ、ザーリ、と金属が石床をする音が聞こえる。


 ……最悪。


 地下へ降りたあたしを待っていたものは、大鎌を引きずって歩く殺人鬼野郎だった。


 運悪く、奴は暖房室へ続くランドリーの中にいた。きっとハルとニールをさがしてるんだ。……あたしも、かもしれないけど。

 扉に手をかけたところで音に気付いて、慌てて向かいのキッチンへ飛び込んだから良かったものの、もし不用意に扉を開けていたら、どうなってたことやら。


 ギィ、と扉が軋む音がして、殺人鬼がランドリーから出てきた。

 ザーリ、ザザーリ、と大鎌が床に軽く引っかかりながらすべっていく。


「…………」


 あたしはキッチンに吊されたたくさんの包丁やレードルの下にかがみこみ、壁にピッタリと寄り添った。半開きの扉の蝶番側の隙間から、廊下を歩く殺人鬼が見える。

 しまった、扉閉めとけば良かった、と今更思うけど遅い。あたしは身じろぎ一つできず、じーっと、ただただじーっと硬直してた。


「――っ」


 兜を被った顔が一瞬、こちらのほうを見た気がして、あたしは全身をこわばらせた。

 そのわずかな動きで壁につり下げられていたレードルに触ってしまい、カランと軽い音を響かせた。


 殺人鬼の足が止まる。


 あたしはにじり下がりそうになるのを必死でこらえて、足音一つ建てないように、呼吸も潜めてそのときを待った。


 殺人鬼が、ゆっくりと振り返る。


 兜の奥の暗闇から、痛いぐらいの視線を感じた。

 あたしは蝶番の隙間から目が放せなかった。震えそうになる身体を抑えるのに必死で、逃げようだとか、もっと奥の方へ隠れようだとか、その辺の包丁で武装しようだとか、そういうこともいっさい考えつかなかった。


 殺人鬼がこちらへ一歩踏み出す。


 そのとき、


「――にゃーーん」


 廊下の奥から、甘い猫の声が響いてきた。

 見れば、さっきチューリップの中で寝てた白猫が。


 ばっと、殺人鬼が振り返る。


 奴は大鎌を構え、一目散に猫を追いかけていった。

 猫は軽やかな走りで螺旋階段を上っていく。


 殺人鬼もそれに続いた。


 暗闇に給仕服の背中が消えたのを見て、あたしはへなへなとその場に座りこんだ。


「はぁ~…………勘弁してよ、もぅ」


 体育座りに顔を埋めて、あたしは大きく息をついた。緊張で足がガクガクだよ。髪を耳にかけようとした手が震えてて、もう、笑うしかないカンジ。


「強がりなんだけどなぁ……。ハルがいないと、あたしってこんなモンなんだぁ」


 ぐっと背伸びをして立ち上がる。ついでに、流れそうになってた目の端の水分を軽くぬぐって。


「……くそぅ」


 ハルといたときは、いくつ死体が転がってても、泣くなんてありえなかったんだけどなぁ。これが独り身の辛さってヤツなのかしら。

 あたしは負けそうになった心にムチ打つために、わざと平気な声を出した。


「あの猫ちゃん、大丈夫かな。無事逃げられるといいけど……。それにしても、この城の不思議現象には、殺人鬼もキリキリ舞いしてるのかな」


 この城の不思議現象には腹立つことも多かったけど、こうして考えてみると……それに救われたのかな。いや、直接助けてくれたのは猫ちゃんなんだけど。

 扉からそうっと顔を出して、辺りを窺う。うん、なんも気配ナシ。

 あたしは殺人鬼が聞きつけないように、足音を忍ばせてランドリーへ向かった。

 木製の扉を二枚開けると、暖房室にたどり着く。

 煤けた暖炉をくぐって、その隠し部屋へ入り込んだ。


「あれ!? ない!」


 そこには、確かにあったはずの骸骨が跡形もなくなくなってた。


「どうして? まさか、あたしと話して、勇にぃの未来――ううん、過去が変わったとか……?」


 勇にぃは無事になったってこと? それとも……。

 あたしは手帳を握りしめて、携帯の照明を室内にかざした。

 チカリ、と赤く光った。なにか、細くて錆びきったものが。


「――剣!?」


 慌てて駆けよると、それは本当に赤錆びた筒状の物体――さや入りの剣だった。鞘に施された精緻な装飾が錆びついて、真っ赤になってる。よく見れば、プチ書斎で見た鷲の彫刻と同じ鷲の彫り物が柄のところについてて、いかにも伝家の宝刀って感じだった。錆びてさえいなければ。


 手に取るとずっしりと重くて、竹刀や木刀とは比べものにならないわ、これは。


「これ……二百年ぐらい経ってるよね。まさか勇にぃが……」


 呟きながらスラリと剣を抜くと、さやの錆びっぷりはどこへやら、テカテカの真剣がお目見えした。両刃の平剣は、携帯の明りをテカリと返して輝いてる。


 そこに写った自分の顔、まあ、ハルとおんなじなんだけど……、目をいっぱいに見開いた自分の顔に、思わずびっくりする。そんなびっくりした顔してたんだって。


 あたしはじっと剣を見つめて、それからぼろぼろの手帳を見つめた。あのバツ印を書きこんだ人物が、これを置いていったんだとすれば……。


「絶対、勇にぃだ。間違いない」


 はっきりした声でつぶやく。

 これは勇にぃが、過去からあたしのために用意してくれた剣だ。だってこの剣、二百年は余裕で超えてるんだもの。それにこんな場所に隠しておくだなんて、勇にぃ以外ありえない。

 あたしは自分の言ったことを思いだした。



  【地下の暖炉裏でのたれ死んだりしたら許さないんだからねっ】



 そうだ。あたしが勇にぃにこの秘密の部屋を教えた。

 きっと勇にぃは過去でそれを調べて、ここに剣を隠し置いてくれたんだ。

 そう思うと胸がいっぱいになって、あたしは生まれて初めて勇にぃがいてくれてよかったって思った。いつも考にぃの影みたいになってて、頼りないお兄ちゃんだったのに。


「勇にぃ……。ありがと」


 ここにはいない相手へとつぶやいて、あたしは身を翻した。殺人鬼がハルとニールを見つける前に、なんとしてもあたしが二人を見つけないと。


「二人は絶対助けるから。おにぃも、無事でいてよね」


 暖炉をくぐって隠し部屋を出た。

 これからどうしようかと、首をかしげて考えたとき。



 ――きゃぁーーーーーーー!!――



 遠くで悲鳴が聞こえた。甲高い、ハルの悲鳴が。


「ハルッ!」


 とっさに走り出す。上から聞こえた。

 きっと、殺人鬼に見つかったんだ。

 螺旋階段を二段飛びで駆け上がったとき、「イヤァッ」という短い悲鳴がまた聞こえてきた。食堂だ。


 ぐっと錆びた剣の鞘を握りこむ。自慢の俊足で廊下を駆け抜け、食堂の扉を押し開ける。


 そこには誰もいなかった。


「ハルッ、どこ!?」


 ガランとした食堂には、食べかけの食事がおかれてるだけ。壊された扉は開け放たれていて、一目できっとあっちへ逃げたんだろうとわかった。


「ハルっ!!」


 食堂を抜けてエントランスへ。階段か、外か。一瞬迷ったとき。


 ザーリ、ザーリ、という金ずりの音が上から聞こえてきた。


 即座に階段を駆け上がる。

 階上には、あの給仕服の背中があった。騎士の兜を被って、手に持った大鎌を今にも振りおろさんとしてる。目の前にたたずむ、ハルへ向かって。


 ハルは壁際に追い詰められて、今にも殺されそうになってた。きっと足がすくんで動けないんだ。


 殺人鬼の大鎌が、振り下ろされる。


「だめぇ――――!!」


 そこから先は、あたしにはスローモーションみたいに見えた。


 殺人鬼が大鎌を落としていく。


 あたしはその背中に駆けよりながら、なかば無意識に剣を鞘から引き抜いた。


 鞘を投げ捨てるのと同時に、剣の柄を握りこむ。


 大鎌がハルの胸元に落ちる寸前に、あたしの剣がぐぅっと重い感触を伝えてきた。肉に包丁を突き立てたときの、あの不安定で独特の感触。


 めいっぱいに開かれたハルの大きな目が、殺人鬼越しにあたしを見つめた。


「――アキ!!」

「ハル、逃げて!」


 いつかと似たようなやりとり。でも違うのは、あたしの得物がモップじゃなくて真剣だってこと。剣を伝ってくる熱い液体が、本物の血だってこと。


 そして、殺人鬼の右脇腹に、本物の剣が刺さってるってこと。


 殺人鬼の大鎌は、ハルに突き刺さる寸前で止まった。

 だけどそれで終わりじゃない。

 ヤツは剣を身体に貫通させたまま、ぐるりとあたしへ向き直った。


「うぉおおおおお!!」


 力一杯に勢いのついた大鎌が、あたしを狙って横凪に払われる。


「きゃっ」


 即座に後ろへ飛び退いたから良かったものの、へたしたら今ので胴体が真っ二つになるところだった。

 そこへ追い打ちをかけるように大鎌が振るわれる。

 あたしはとっさに階段側へ逃げた。

 それを追って殺人鬼が、信じられないスピードで鎌を振り回しながら迫ってくる。

 あたしはすぐに吹き抜け側の手すりまで追い詰められてしまった。


 どうしよう。


 剣はあいつの腹に刺さってるし、他に武器になるようなものもない。右に逃げても左に逃げても大鎌が届く。


 そのとき、殺人鬼の肩越しに、ハルと目が合った。


 互いに頷きあう。


 言葉なんか要らなかった。


 あたしは殺人鬼が大鎌を振り上げて駆けよってくるのを、冷静に見つめた。

 ものすごい勢いで鎌が振り下ろされるのを狙って、すっと重心を移動させる。見切りだ。

 殺人鬼が大きく空振りし、手すりに向かってつんのめる。


 そこを容赦なく足払い。


「「――えいっ!」」


 合わせてハルが、殺人鬼の背中をドンと勢いよく押した。

 ぐらりとよろけ、殺人鬼があっけなく手すりを乗り越えた。

 音もなく、ドイツ人の大きな身体が落ちていく。

 少しして、ガシャンとドチャンを足したような音が聞こえてきた。


 あたしたちは手すりから身を乗り出すようにして、エントランスに落ちた男を見下ろした。


 ――動かない。


「や……、やっちゃった……?」

「た、たぶん……」


 こちらを向いたハルの顔は、ぼろぼろと涙を流してた。きっと恐かったんだと思う。

 あたしはそんなハルの肩を優しく抱き寄せて、落ち着かせるようにした。


「大丈夫だった?」

「うん、アキが無事で、よかった……」

「これできっと大丈夫。それで――――ニールは?」


 あたしの言葉に、ハルは、はっと顔をこわばらせた。それからまたぼろぼろと泣き出す。


「どうしたの?」

「ど、どうしよう、アキ!」


 ハルは明らかに取り乱した様子で、あたしの腕にすがりついた。


「わ――わたしが」


 ハルは力一杯叫んだ。


「わたしがあの子を殺しちゃう!!」

「!? どういうことっ!?」


 ハルは片手であたしの袖をぎゅっと掴んだまま、二階の壁の狭い隙間を指さした。

 あたしがその隙間を見た瞬間、その暗闇から眩しい光が差しこんだ。


「「!?」」


 光は驚くあたしたちを飲み込み、エゼルブルグ城全体を包み込んでいく。

 光だけが世界を覆い尽くしたとき。

 ぱん、と弾けるように光が消えた。



         ◆



 あたしたちはわけがわからず、瞬きを繰り返した。

 辺りを見回せば、そこは見慣れたエゼルブルグ城――ではなく、ぼろぼろに古びたお城で。そう、あたしたち兄妹が最初に訪れた、現代のエゼルブルグ城だった。


 知らない間に階段の踊り場に座りこんでいたあたしたちは、しばらく立ち上がることもできなかった。互いを見れば、血まみれだった服はすっかり綺麗になっていた。ううん、はじめから汚れてなんかないってふうにしか見えなかった。

 ところどころ砕けた壁を見回して、あたしがつぶやく。


「も、戻ったの?」

「帰ってきた……?」


 ハルもあたしと一緒に呆然と辺りを見回してた。

 どう見ても、現代のエゼルブルグ城だった。ぼろぼろの石床にはコケどころか雑草まで生えてるし、エントランスの薔薇窓も半分砕けて酷いものになってるし。石柱も八割方砕けたりなくなったりしてる。階段の踊り場には――あれ?


 考にぃを押しつぶしたはずの、三階のテラスの残骸がなくなってる。ぐるぐる巻きにされてた警察のテープもない。


 あたしたちが顔を見合わせたとき、背後から妙に気軽な声がかかった。


「よう。お前ら、もう見学に飽きたのか?」


 聞き慣れた、でもすごく懐かしい声。

 振り返れば、そこにいたのはラフなトレーナーにジーンズの、背の高い男の人――


 長男の、孝にぃが立ってたの。


 あたしは思わず自分の目を疑った。


「考にぃ……? 幽霊じゃ、ないよね?」

「考兄さん、生きてたの?」

「はぁ? なに寝ぼけてんだ、お前ら」


 考にぃはボサボサの髪をかきながら、あたしたちに近づいてきた。


「俺の卒論用の資料集めも兼ねて、家族旅行に来たんじゃないか。あんだけ『一緒に行く』とか騒ぎ立てといて、着いたら『城見るのたるい』とか言いいだすし。お兄ちゃん、悲しいぞ」


 と、ありもしない涙をぬぐう。

 あたしたちは階段の踊り場に座りこんだまま、考にぃを見上げた。


 整えればそれなりに見えるはずの、長めの髪。いかにも二枚目半って感じの顔立ち。地味にあたしたちと似てて嫌な、くりっとしたアーモンドアイが、いたずらげにキラキラしてる。


 完璧に考にぃだった。どこからどう見ても考にぃ以外の何者でもない。


「ほら、何時までもンなとこでヘタってないで、こっちのほう見てみろよ。けっこう保存状態いいんだぜ、この城」


 と、あたしたちに手を差し出す考にぃ。


「う、うん……」

「ええ……」


 あたしとハルがおそるおそるその手を取った。あったかい。


 そのとき、ミシィっと、嫌な音が上から聞こえた。


 顔を上げたあたしたちが見たものは、


 今にもこっちへ向かって落ちようとする、三階のテラスだった――――

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