第五章 次女:秋代の章1
第五章 次女:秋代の章
双子の姉が泣き虫だったから、あたしには強がる癖がついた。
泣きじゃくるハルを慰めようと、無理にふざける考にぃが、かわいそうだったから。滑ったお笑い芸人みたいになる考にぃに、あれ以上の無理をさせたくなくってさ。勇にぃみたいに、しかめっ面でうざったそうにしてくれてれば、そんな気は使わなくて済んだんだけどね。同じ女として、女の涙の威力も十分知っていたから、それが二倍になったら、おにぃたちの苦労も倍になるんだろうなって、……そう思ってた。
剣道を習い始めたのは、ただの強がりじゃなくて、本当に強くなりたかったから。
だから、それがこんな形で実を結ぶなんて思ってもいなかった。
――まさかモップ一本で、殺人鬼と戦うだなんて。
◆
「……誰もいない、よね」
扉からそうっと顔をのぞかせて、あたしは呟いた。素早く左右を見て室内を確認。壁には作りつけの本棚と書斎机と植木鉢がいくつかか。ふむ、この部屋も書斎っぽいのかな。勇にぃと話した木のある書斎より、もっとシンプルなカンジ。
あたしはそろりと部屋に入り込んで、そうっと扉を閉めた。
「はぁ~~…………」
ながーい溜息をついて、本棚に寄り掛かる。本当は壁に寄りかかりたかったんだけど、両壁が一面本棚なんで、仕方ない。
……あれから、本当に大変だった。
子供部屋でニールを見つけたとき、殺人鬼にモップ一本で挑みかかったあたしは、逃げるタイミングを完全に逃しちゃったんだ。大鎌をブンブン振り回す殺人鬼に、あたしのモップは即座にボッキリ。まあ、考えればわかることなんだけどさ……モップじゃ全然太刀打ちできなかったわ。
仕方なく自慢の健脚で廊下に飛び出したものの、ハルがどっちに逃げたのかもわからず。勘で右側に走ったんだけど、それがもう運のつき。探せど探せどハルはいない。
その代わりに、変なことならたくさんあった。
最初に、廊下に季節外れのチューリップがニョキニョキ生えてるのを見つけた辺りから、この城はどんどんおかしくなっていったの。廊下の真ん中で白ネコが寝ているし、チョウチョがずっとあたしの後をついてきたり、一瞬前までなかった花瓶に盛大に花が活けてあったり。壁一面にキノコがわさわさに生えてたり。誰もいないはずなのに蝋燭の明りがついたり消えたりしたり。
極めつけに、書斎部屋のど真ん中にでっかくて古い木が生えてて、しかもそのウロから勇にぃの声が聞こえてきたし。
あれはもう、度肝を抜かれたわよ。勇にぃもすっごくびっくりしてたから、向こうでもびっくりするようなことだったんだろうけど。だって木のウロよ? スピーカーを仕込むにしてもそんな場所にする? 普通。
しかも勇にぃは言ったわ。
『まさかお前らも過去に飛ばされたのか!?』って。
勇にぃは今十六世紀のエゼルブルグ城にいて、あたしたちとは二百年も前の世界に飛ばされたって。信じられる? あたしたちが十八世紀にいることすら半信半疑だったのに。
それに勇にぃまで、『ニールを救え』って言い出すし。骸骨と同じこと言ってんの。
まあ、ニール君はハルが連れてったから、きっと大丈夫だと思うけど……うー……心配かも。ハルってパニックになるとなんにもできなくなっちゃうし。あたしがハッパかけないと、そのままずーっとオロオロしてそうなんだもん。
ってわけで、一刻も早くハルたちを見つけないとね。
そうしないときっと……あの骸骨になっちゃうんだよね、勇にぃが。
そんなのはダメ。
絶対にダメ。
――だから、あたしは殺人鬼と接触するかもしれない危険を顧みず、単身二人を捜索中なのであったりする。
「ハル? ニール君? 隠れてないで出ておいでー。アキちゃんだよー」
見るからに空っぽな部屋にいちおう声をかけて、あたしは耳を澄ました。地下の暖炉みたいに秘密の部屋が他にもあって、そこにハルたちが隠れてるんじゃないかと思って。
けど、今回も声は返ってこなかった。
もう、いったいどこに潜んでんの、ハルってば。
部屋に入ったついでに、あたしは新しい隠れ場所を探すようにしてる。朝まで無事に隠れられるような、それこそ秘密の隠し部屋を。……まあ、あの地下の暖炉奥を使ってもいいんだけどさ。勇にぃのかもしれないとはいえ、死体と一緒に朝まですごしたくなんかないじゃない?
「まずはっと。ここら辺が怪しいんだよねー」
小ぶりな書斎机の引き出しに手をかける。鍵はかかってなくて、小引き出しは簡単に開いた。
「鍵とかしまってないかな。密室を作れれば、立て籠もりもできるし」
小引き出しの中には文房具が並んでた。おっきな文鎮らしきものには、精緻な鷲の彫り物がついてる。それをそうっと持ち上げて、あたしは机の上に置いた。そうして小引き出しの中を調べてみたんだけど、ダメだね。鍵らしいものはなかった。他のは全部ドイツ語の書類で、あたしにはちんぷんかんぷんだったし。あーもう、やっぱり勇にぃみたいなハイテクな電子辞書がないと攻略不可能だわ。
「あれぇ……? この本棚って……」
暗い部屋を携帯の明りで探索するうちに、あたしは変なことに気付いた。
この部屋の本棚だけ、積み木みたいにぎっしり本が詰ってたの。
……これもさっきから続いてるみょうちきりんなことの一つなわけ……?
「こんなことするなら図書室に移せばいいのに――――ってうわぁっ」
一冊を引き抜いたとたん、本が雪崩のように落ちてきて、あたしは驚いてのけぞった。
けど、重い皮の表紙の本は何冊も降りかかってきた。
「ぎゃー!」
尻もちをついても重い本がドカドカと降ってくる。あたしは頭や肩、お腹に分厚い本のボディブローを食らいまくった。それでも更にドカドカドカ。このまま本に埋まっちゃうんじゃないかってぐらい。
最後の一冊があたしの脳天を直撃して、目の前にぱっと花火が飛び散った。
「いったあーいっ!!」
殺人鬼が近くにいるかも、とかいう心配はこの際まったく無視して、あたしは叫んだ。
しーんと、沈黙だけが返ってくる。
「ううう……このアホさをハルと共有できないなんて……。ボケかましてもツッコミがいなきゃなんにもならないじゃない!」
たまにしかつっこんでくれないけど。
とかいう、しょーもない理由でハルがいないのを嘆いて、あたしは自分にのっかってる本をどけると立ち上がった。ぱんぱんと短パンをはたくと、とんでもない量の埃が飛び散る。んもう!
「ほっこりだらけじゃないの――くしゅんっ!」
盛大にくしゃみをして、ふと前を見たとき。
目の前の本棚の奥に、大きな金属板があるのが目に入った。
「なにこれ…………金庫?」
携帯の明りを向けると、きらりと金色に輝く隠し金庫。猛禽の鳥……鷲かな? と盾と剣で作られたシンボルが彫り込まれてて、大きく広げられた翼の右下に小さな鍵穴がちょこんとあいてるの。
「あ、もしかして……」
あたしはジャンパーのポケットに手を突っ込んだ。急いで冷たい金属棒を取り出す。
「ジャン! きんこのかぎ~!」
ドラえもんの声まねをして、高く合い鍵を掲げてみせる。
………………。
うん。むなしさだけが残ったわ。
「くそう、ハルさえいればこんなことにはっ」
あたしは素早くつぶやいて、金庫に鍵を差しこんだ。
鍵は、回った。
金属板の向こうでカチャンとなにかが外れた音がして、ギィ、と軋むような音をたてて、金庫が真っ暗な中身をのぞかせた。
「…………なに、これ」
あたしは呆然とつぶやいた。
金庫の中には、たった数枚の薄っぺらい紙があるだけだったの。
「これ、設計図?」
手に取ってみてみれば、それはこの城の……? ううん、この城よりも、もっとずうっと豪華なお城の設計図だった。几帳面に引かれた図面は精密で、幾何学的で、美しくもあったわ。考にぃや勇にぃみたいな、ウチの男子勢が見たら手放しで喜びそうな図面だった。
あたしは書斎机に紙を広げて、椅子に座って眺めた。設計図は何枚かあって、お城を正面から見た絵や、幾何学模様な庭木の植えた様子もあった。もちろん、普通の設計図みたいな真上からのぞきこんだような図面も。
「……もしかして。これは今の……、じゃなくて、未来のエゼルブルグ城?」
間違いないと思った。
だって、お城の正面図や、エントランスっぽいところの階段が現代のエゼルブルグ城とそっくり同じだったから。
「でも、こんなもん後生大事に金庫に入れて、どうしようってのかしら」
あたしは腕組みをして設計図を眺めた。
それで思ったのは、この設計図、本当にちゃんとしてるのかしらってこと。今みたいに耐震設計がどうのこうのとか、そういうことを考えてない時代のものじゃない? きっと風化したときのことなんか一ミリも考えられてないだろうし……。
だからこそ、考にぃみたいな不幸な事故が起きたわけだなんだもの。
エントランスの吹き抜けに張り出た可愛らしいテラス。それを支えているのは一枚の壁だけ。
「……あ。そうだ、こうしとこっと」
あたしは机の上にあった羽根ペンをインクにつけた。床に散らばった本を一冊取ってくると、それを定規代わりにしてピッピと二本の線を引く。
「これでよしっと」
満足してにっこり笑うと、あたしは設計図を金庫へ戻した。
◆
蝋燭の明りが照らす廊下の一角、びっしりと並ぶチューリップたちを眺めて、あたしは溜息をついた。だってドイツの三月末でしょ? チューリップが咲くには早すぎるよ。
しかもそのチューリップの真ん中で、真っ白な猫が丸まって寝てるし。
猫はあたしに気付くと、「なーん」と甘ったれた声で鳴いてすり寄ってきた。あたしの足にしっぽの先で軽く触れると、どこかへ行ってしまう。
「あーんもう! どうなってんのよこの城は!」
あたしは癇癪を起こして地団駄を踏んだ。
プチ書斎を出てからも、この城のおかしな変化は続いた。いきなり廊下の奥からたくさんのリンゴがゴロゴロと転がってきたり、花瓶にお魚がいけてあったり。それも縦向きによ? あと、蝋燭が勝手に消えるのもほんと、勘弁して欲しいわ。死体の転がってる部屋でいきなり真っ暗になるんだもん。
「つぎ勝手に蝋燭が消えたら、許さないんだからねっ。誰だか知らないけどっ!」
あたしはぎゅっと拳を握りしめて宣言した。こんなふざけたオバケ屋敷みたいなこと、かってに起こるはずなんかない。きっと裏で手を引いてる奴がいるに違いないんだから!
そう思って吐き捨てたんだけど……。
その言葉が届いたのか、それからピッタリと不思議なことは起こらなくなったの。
あたしは廊下を歩きながら、首をかしげた。
「どっかに隠しカメラでも仕込んでるのかな? リアルタイムで見られてたらやだな……」
とはいえ、十八世紀にそんなもんがあるはずないか。いまだに信じられないけど、どうも本格的におかしな世界にいるみたいだし。
「早くハルを見つけて、ニールと勇にぃを助けないとね」
あたしは小走りに部屋次の部屋へ向かい、室内をのぞきかけて、はっと我に返った。
「そういえば、今、どの辺にいるんだっけ?」
順番に扉を開けてきたから、そう変なところにいるはずはないんだけど。
あたしは骸骨の手帳を取り出すと、城の配置図のページを開いた。
「えーっと、入口から入って……?」
指先で自分のきたルートを辿っていく、その途中。
「な、なにこれっ」
あたしは息をのんだ。
だって、いきなり手帳に線が浮かび上がってきたんだもの。すっ、すっ、と、短い棒を二本クロスさせて。まるで誰かが見えないペンでバツ印を書きこんだみたいだった。
「……うそぉ」
目をしばたたかせて、バツ印が浮かんだところを指でなぞってみた。新しいインクがすっと伸びるかと思ったけど、そうはならずに、しっかりと乾いてるみたいだった。
「どういうこと? 勇にぃが過去からなにかを伝えてきてるの……?」
バツ印がついたのは地下の暖房室の奥。勇にぃかもしれない骸骨がいる隠し部屋だった。
そこに、何かあるのかな?
「そういえば、まだ地下は探してないんだっけ。ハルが隠れてるかもしれないし、一回戻ってみようっと」
あたしはくるりと振り向いて、廊下の奥にある階段を目指した。