長女:春海の章5
食堂を軽く探してみましたが、それらしい人物は見つかりませんでした。
あるのは真っ白い布がかけられた長いテーブルと、その上にぽつりぽつりと置かれた燭台、何十もの猫足の椅子だけです。壁には風景画がお洒落な額に入れて飾られていました。食堂はしんと静まりかえり、人影もなければ気配もありません。
「ニールくーん、どこー?」
揺らぐ蝋燭の明りがアキのぶすくれた顔を照らしていました。
わたしは壁を触る手を離して、アキを振り返ります。
「ここにはいないんじゃないかなぁ」
「かなぁ」
アキはテーブルクロスの下をのぞきこみながらこたえます。
「じゃあ、あとは二階?」
「うん、そうなるね」
そう言って、わたしたちは食堂を出て、階段をのぼりました。
二階のギャラリーのような廊下はT字型になっていて、絵画や壺と一緒に、木彫りの扉がたくさん並んでいます。わたしたちはまたさっきみたいに、しらみつぶしに扉を開けていきました。
サロンと思われる部屋には優雅な椅子と机が置かれています。寝室には天蓋付きのベッドが置かれているし、狩猟用具が所狭しと置かれた部屋には、鹿や猪の首から上の剥製がずらりと並び、うつろな目をわたしたちに向けました。ドレッサーと思われる部屋には婦人用のドレスがいくつもかけられていました。どれも役者の着るような古めかしいドレスで、わたしたちは改めてここが過去なのだと思い知らされました。
手前から三番目のサロンで、アキは掃除用具を片手に死んでいる掃除係の女性から、モップを拾い上げました。柄の長いモップで、長く使われているのか汚れきっています。
「やったね、武器ゲットっ」
ぶん、とモップを一振りして、アキがにんまりと笑いました。十数を越える死体を目にして、アキはすっかり死体慣れしているようでした。
「そんなの振り回して、危ないよ」
答える私の声も、さっきよりはだいぶしっかりしています。この異常な状況に、徐々にですが、私の感覚も麻痺してきてしまっているんでしょう。
「ハルってば、あたしが何部か忘れたの?」
アキは剣道の構えでモップをわたしに突きつけてきました。
「竹刀にはかなわないけど、結構いけるよ、モップも」
「魔女の宅急便じゃあるまいし。それであの殺人鬼にかかっていくなんて、無謀にもほどがあるよ」
「いーからいーから。ハルはあたしの実力を知らないんだよ。殺人鬼なんかイチコロにしてみせるんだからねっ」
ひらりと手を振り、アキはモップをかついで部屋を出て行きました。
わたしは仕方なくついていきます。いくら剣道の有段者とはいえ、アキは十五歳の女の子です。大人の、それもドイツ人みたいな大きな人にかなうわけがありません。
「でもアキ、本当に危なくなったら逃げてよ。アキが怪我するの、わたし、嫌なんだからね。殺人鬼が見つかったらすぐに隠れるんだよ?」
「ハルこそ隠れるときは静かに隠れなさいよ。めそめそ泣いて殺人鬼に見つからないようにねっ」
「う。そ、それは……」
わたしは何も言い返せませんでした。涙もろいうえに恐がりなわたしが、一人でクローゼットに隠れたりしたら……きっとべそべそ泣いてしまうでしょう。その嗚咽を殺人鬼に聞かれでもしたら……。恐くってまた涙が出そうです。
言い合いともいえない口論をしながらT字の角を右へ曲がったとき、廊下の奥から悲鳴か聞こえてきました。
甲高い子供の悲鳴です。
わたしたちは一瞬、そっくり同じな顔を見合わせました。
「いくよっ!」
「う、うん……」
アキが素早く走り出しました。わたしもついて行きます。
声がした一番奥の扉をアキが勢いよく開きます。中は子供部屋でした。入口の木馬がキィキィと音をたてて揺れています。
玩具が散乱した部屋には、ベッド脇に座ったままぬいぐるみを抱えた少年と、それに向き合うようにして大鎌を振り上げた男がいました。男は甲冑のマスクをつけ、扉に背を向けて立っています。少年は鎌にやられたのか、足元が血でべったりとぬれていました。
「だめ――――!!」
大鎌が振り下ろされるのを見て、わたしは思わず駆けだしました。
ベッド脇の少年を抱きしめ、覆い被さるように守ってしまったんです。
ビシッと嫌な音がしました。
わたしは少年を抱きしめ続け、来るべき痛みのために目をつむっていました。
けれどその瞬間はなかなか訪れません。おそるそる振り返ると、脇腹をアキのモップの柄で打たれた殺人鬼が、目標を誤ってベッドへ大鎌を突き立てているところでした。
「ハル、逃げて――!!」
アキの叫びに、わたしは頷きもせず、少年を抱きしめたまま立ち上がりました。それから自分でも驚くぐらいの怪力で少年を抱え上げると、一目散に扉から飛びだします。
ギャラリー廊下をつきぬけて、たまたま開いていた扉に飛び込みます。
中は図書室のようでした。壁際は本棚で埋められ、中央には大きな本棚が背中合わせに並んでいます。鍵がないので施錠できませんが、わたしは扉を閉めると、大きな本棚の影に少年と二人でしゃがみ込みました。
ほっと一息ついて、後ろを振り返ります。
「ありがとう、アキ。アキのおかげで助かっ――」
にっこりと笑いかけた先に、アキの姿はありませんでした。
わたしの全身の血がさあっと下がります。
わたしったら、
わたしったら……。
アキを殺人鬼のところに、置いてきちゃった――――