長女:春海の章4
アキは手帳をぺらぺらとめくりながら、蝋燭の照らす暗い廊下を先導していきます。
「勇にぃの残してくれた地図、今のエゼルブルグ城とはだいぶ違ってるみたい。あんまり当てにならないかも」
「古い地図みたいだから、増築された部分は描いてないんじゃないかな」
「あー、一階だけなのか! それも中央部分だけなんだ。なーんだ、わかった、わかった」
アキはぽんと手を打つと、ボールペンで地図に部屋を書き足していきました。
わたしたちが今いるのは、城の一階部分です。さっきの螺旋階段を上り、食堂奥の廊下を歩きながら、扉の開いている小部屋をしらみつぶしにのぞきこんでいるところです。採光窓からのぞく外の森は真っ暗で、嵐が窓ガラスに水滴を叩きつけています。
ニール君らしい姿はどこにもありませんでした。室内にときおり倒れている遺体の中にも少年らしいものはなく、皆この城の召使いのようです。全員が鎌で首を切られていて、血にまみれていました。この光景だけは何度見ても慣れません。わたしはこみ上げる吐き気を押さえこむのに必死でした。
わたしたちは燭台を片手に、新しい扉を開きました。暗い室内からぷんと血の香りが漂ってきます。ああ、これは『ある』と、わたしの経験が反応します。
「ニール、いる?」
狭いサロンのような小部屋には、床に転がった椅子と、それにもたれるようにして俯いた血まみれの遺体がありました。他の遺体と同じように首をざっくりと切られ、全身血だらけです。
わたしは小さく息をのみ、叫び声を押し殺しました。
「……ほら、ハル。探すわよ」
アキは気丈にふるまった声を出し、遺体を無視して部屋を探索し始めました。ベッドの下をのぞきこんだり、クローゼットをばっさりと開いたり。机の下やカーテンの裏を探していきます。
「……う、うん……」
わたしは視界に遺体を入れないように努力しながら、そろそろと部屋の隅を確認するのが精一杯でした。しかし喉の奥からこみあがってくる物を押さえきれず、ついに部屋の隅で吐いてしまいました。苦くて不快な味が口いっぱいに広がり、涙がこぼれます。
「えっ、ハルっ! 大丈夫?」
アキがわたしの様子を見て心配したのか、声をかけてきました。
「だい、じょぶ……」
わたしは欠片も残っていない元気を振り絞って答えました。日頃から看護士になりたいと言っているのに、いざ人の死に直面したらこんなに自分が使い物にならないなんて、思ってもいなかったです。悔しさと情けなさで涙がこぼれました。
「わたしは大丈夫だから、ニール君を捜して」
「わかった。けど、無理しないでね、ハル」
アキは優しい声で告げると、クローゼットの奥を漁り始めました。
「ニール、ニールくん」
呼びかけにも応える声はありませんでした。
そのとき、アキがわたしを壁際へ手招きました。
「――……ねえハル、この部屋じゃない?」
わたしは吐き気を無理やりこらえて顔をあげました。
「なにが?」
「勇にぃの地図についてる×印だよ」
そう言って、アキは手帳をわたしに押しつけました。地図にはこの部屋と元母屋と思われる場所の接点に、×印がついています。
「この辺の壁みたいなんだけど、またさっきみたいに隠し部屋でもあるんじゃない?」
そう言ってアキは石造りの壁面をこんこんと拳で叩きました。
この城の元母屋部分は無骨な大石がみっちりと組み合わされているんですが、増築部分は煉瓦のように小さく切られた石が組み上げられています。わたしはその壁へ近づくと指先で隙間をなぞり、アキへ首をかしげました。
「探してみるの?」
「もちろん」
アキはコンコン、と壁を叩き始めました。
わたしも蝋燭で壁を照らしてみます。何の変哲もない壁です。さっきの暖炉みたいに漆喰が挟んであるわけでもなく、ただ石だけが積み上がっています。
でもその壁の石の一つが、妙につるつるとしていることに気付きました。
何気なく触ってみると、そこだけ石の大きさが一回り小さかったんです。つるりとした感触の心地よさに掴んでみると、その石だけがすっぽりと壁から抜けてしまいました。
「アキ、この石、引っこ抜けたんだけど……」
「ええ? あららぁ」
「何か奥にあるみたい」
「ほんと?」
アキは無防備に穴へ手を突っ込みました。
「あ、ほんとだなんかある」
アキは穴から金色に輝く鍵を取り出しました。
「鍵?」
「ちょっと待って、まだ何かありそう」
カサリという音がして、アキは古びた紙を取り出しました。書いてあるのは日本語です。またもや勇兄さんの筆跡でした。
手紙には簡潔に、
『これは金庫の合い鍵だ。あの金庫は作り付けだから、きっと未来でも役に立つだろう。
勇二』
とありました。
「勇兄さん……助けてくれようとしてるんだ」
わたしが呟くと、アキがしみじみと頷きました。
「手帳にも『何でもする』ってあったもんね……。くっそう、なんかいきなり勇にぃが格好良く思えちゃったかも」
「他にもこういう手紙、あるのかな?」
「わかんないけど、×印はこの場所だけだよ」
「そっかぁ」
「他にももっと残してくれてたらいいのにね」
わたしたちはそろって頷きあいました。
「とにかく、いったん戻ってみる? あの殺人鬼ももういないかもしれないし」
「う、うん……。ちょっと怖いけど」
わたしは扉に突き刺さった鎌の刃を思い出しました。あの後、あの殺人鬼はどこへいったんでしょう。わたしたちより早くニールを見つけてしまったりしてないといいんですが。
「とりあえず食堂から出て、二階に行こう」
「ニールを捜すんだね」
わたしたちは互いに顔を見合わせ、頷き合いました。
そうして食堂へ戻ったわたしたちが見たものは、無残にも壊されて大きな穴の開いた大扉でした。